34 タイムマシン
3月27日早朝。まだ朝日も昇らない暗い時間。イオはセダンの形のタイムマシンの前に立っていた。楽園中のケビイシが総動員されてタイムマシンと井戸を機械でつなぐ作業の最終チェックを行っている。イオはなんとなく昔テレビで見た、ロケットの発射準備の映像を思い出す。確かにタイムマシンなんて、ロケットみたいなものなのかもしれない。莫大なエネルギーを使って、ものすごい速度で今いる場所から遠くへと人間を飛ばしていく。
「夜明けとともに芽を切るのじゃ。井戸は城の地下深くにあって、クルマは城の地上階の中庭の広いスペースを少々走る必要があるからお前が芽を切ってからすぐ地上へ階段を上って乗り込むと、ちとタイミングが厳しくなる可能性がある。だから芽を切るのはテート・ケビイシの彼あたりに頼むことにしようと思う」
作業で少し汚れた白衣を着たバイがイオの隣に来て言った。
「わかりました。僕は最初から車の中でスタンバイします」
イオは頷いた。
「よし。では出発時刻までは運転操作の最終確認でもして待っていてくれ。緊張するな。リラックスじゃよ。その方が上手くエンシェに同調できるかもしれん」
イオのエンシェの体は、すでに黒の塔から城まで運ばれており、液体に漬かった状態で助手席に固定されている。トイロソーヴのイオが運転席に乗り込み、高電圧の力で最後に同調する。イオはポケットから先日バイから受け取った操作説明書を取り出して読み込む。すでに操作方法は完璧に頭に入っていたが、念には念を入れておいて損はない。もらって数日しか経っていないのに、マーカーと付箋で汚れ、表紙の紙はよれていた。
「イオさん、ちょっと今いいですか?」
声を掛けられて振り返るとローレンが立っていた。
「もちろん」
イオはまた説明書をポケットに戻した。
「イオさんとはいろいろありましたよね」
「そうですね。本当に」
思えば、ローレンと一対一でちゃんと話し合うのはかなり久しぶりのことだった。あの冬まつり以来だ。イオは自分の言動が不自然になっていないか少し心配になるが、ローレンは何かすっきりしたような顔をしていて、もうあの日の事には触れないことにしているようで、それがイオにはありがたかった。
「イオさんにはたくさん救けてもらいました」
「そうですかね。僕もローレンにはいつも救けられていたように思います。もちろん、敵対したこともあったけれど」
「私が橋から落ちそうになった時だって、城での事件の時も」
ローレンはイオの目を見る。早朝の暗さの中では、その目は薄いピンク色ではなく、地味な茶色に見えるような気がした。
「イオさん、最後に一つ私から恩返しがしたいんです」
「恩返し?」
「はい」
ローレンは頷いた。
「私に、芽を切る役目を任せてもらえませんか?」
願ってもない申し出だった。
「ぜひ、お願いします」
ローレンは華やぐように笑った。
『切断、15分前です。最終確認、植物オールクリア、接続ケーブルオールクリア、エネルギー変換器オールクリア、……』
スピーカーからはテート・クロードであるヒサメの冷静なアナウンスが流れている。イオはタイムマシンに乗り込み、シートベルトを締める。
「とうとうだな」
コピーは黒の塔の最上階で窓を開け、風に乗って流れてくるアナウンスを聞いていた。
「お城に行って近くで見なくてよかったのですか?」
コピーは肩をすくめる。
「私は千年前から生きてるんだぞ。イオが過去を変えたなら、過去で会えるだろ」
「それもそうですね」
Bb9は答えた。
「ん、Bb9、あと少しでいいところじゃないか。お前、どこ行くんだ?」
部屋を出て行こうとするBb9にコピーは声をかけるが、Bb9は礼儀正しく、美しい礼を一つしただけで何も言わずに部屋から出て行った。
『切断、1分前。59、58、57……』
ローレンはペンを青白く光る大剣に変形させる。集中し、一振りで目の前の芽を切るのだ。
『10秒前、9、8、7、6……』
「あ?なんだお前」
エネルギー変換器の前でメーターを見ていたケビイシの一人が、足元にいるロボットに声をかける。
「あ、見学でス」
『……3、2、1、ゼロ』
「さようなら、イオさん」
ローレンの大剣が芽の細い茎を正確にとらえ、横にまっすぐ振りぬかれた。
部屋中が真っ青な光で一瞬にして満たされる。直後、地面が揺れ、井戸から爆風が巻き起こった。
『……3、2、1、』
イオはハンドルを握りしめ、しっかりと前を向いて歯を食いしばる。メーターの数字は良好だ。
『ゼロ』
ものすごい揺れがタイムマシンを揺らした。計器が一斉にピーピーと警告音を立てる。イオは衝撃でハンドルに頭をぶつけるが、幸いエアバックが開きっぱなしになっている仕様のおかげで助かる。イオが右側の窓から城の方に視線を向けたとき、城が、爆発した。
「ローレン!」
イオは夢中でシートベルトを外してタイムマシンを下りる。辺りは土煙が立ち込め、悲鳴であふれている。
『緊急事態発生、緊急事態発生。慌てず、持ち場に戻ってください!』
何が起こった?何か不具合が発生したのだろうか?頭が混乱する。しかし、今イオの頭の中には、一人のことしかなかった。
「イオ!タイムマシンに乗っておくのじゃ!」
どこかでバイの声がする。イオはタイムマシンと城のほうを交互に見る。
「まだ出発までは時間がある」
イオがつぶやいて城の方に体を向けたとき、真っ赤な光線が土埃を貫いてまっすぐ上に光った。次の瞬間、その光の出どころから衝撃波と爆風が巻き起こり、土煙とがれきを四散させた。イオは後方に転がり、タイムマシンに背中をぶつけるような恰好で止まる。
中庭の中心、さっきまではエネルギー変換器があった場所は地面が大きくえぐれ、クレーターのようになっていた。そして、そのクレーターの中心に立って、真っ赤な光をまとっているのは、
「ホープ……?」
声がかすれる。それは、小さく、丸みを帯びた白いボディのロボット、ホープだった。いつもオレンジ色に光っていたその目は、今、真っ赤に光っていた。
『エネルギーは、いただきましタ。使者再構築プログラムを起動しまス』
ノイズ混じりの機械音声が響く。赤い光が点滅する。赤い光の中、ホープのすぐ後ろで、まるでモンダイが現れるかのように人影が形作られ始める。まるで無数の赤く光る糸が組み合わさって絡まっていくような。その人影はトイロソーヴのような二頭身の姿ではなかった。エンシェの姿、エンシェの子供の姿だった。
形がはっきりすると、赤い光はその人物から消えた。中学生くらいの年齢の少女のように見える。腰まで伸ばした長い黒髪に、黒で、意志の強そうな勝気な瞳。左の頬には、変な形のあざがある。まるで星座のオリオンのような模様だった。ぶかぶかな白衣を着て、その下には中学生らしい制服を着て、ローファーを履いている。
「コピー?」
その少女は色とあざを除いて、コピーと全くそっくりな容姿をしていた。コピーの頬にあるあざはさそり座だった。
少女は伸びをし、その後で首を動かして辺りをゆっくりと見渡した。
「まだ、この世界が続いていたとはね」
少女は言った。声までコピーにそっくりだった。少女は少し首をかしげるようなしぐさをする。
「正直、こんなに長続きするとは思っていなかったかな。もう、あれから千年か。そう、私はおよそ千年前からここに来た」
「何のために……?」
イオはかすれた声で聞く。少女の目がイオを捉える。
「何のためって、この世界に終焉をもたらすため。この世界はもう十分長く存在した。これ以上はもういいよ。今日、夢を終わらせるんだよ」
「何を言ってる?」
「私は、使者なんだ」
ホープの全身から突如としてワイヤーが爆発的に飛び出し、がちゃがちゃと絡み合い始める。ホープの姿は大きくなり、かわいらしさの面影もない化け物のロボットへと変身していく。
『この楽園の強制終了破壊プログラムを実行しまス』
変わり果てたホープの真っ赤な目が城だったもののがれきを捉える。と、次の瞬間、ビームのような赤い光ががれきを爆散させて火柱が上がる。
「やめろおおおおお!!」
イオは叫んで走り出す。あのがれきの下には井戸がある。井戸の部屋には、まだローレンがいる。ペンを夢中で銃に変えてホープに向かって撃つが、効いている感覚は全くない。イオの攻撃に気付いたホープの目がイオを捉える。
「危ない!」
イオは誰かに突き飛ばされて地面に転がる。
「ゼム!?」
イオを間一髪で守ったのは、以前同じ学園で学んだゼムだった。
「地下の部屋に行きたいんでしょ。俺が後ろは守るから行って!」
見回すと、学園の生徒たちと思しき制服を着た青年たちが次々にペンを抜くところだった。ゼムは二本のペンを双剣に変える。
「勝手に強制終了なんかされてたまるか!この楽園は俺たちのものだ!」
「ありがとう」
イオはがれきに足を取られながらも、城の地下へと走った。
「戦え!」
学園の生徒だけでなく、楽園中のすべてのガクシャ、チャレンジャー、エラーズまでが城の中庭へと集まってきた。ペンが輝き、青白い光が増していく。
「愚かな」
少女は無表情でつぶやく。
「ホープ、早く雲を作ってしまえ」
『了解しましタ。イオールの雲を製造しまス』
ホープが獣の咆哮のような音を立てる。すると、ホープの頭上からもくもくと真っ黒な煙、いや、雨雲のようなものが生まれ始めた。
「まさかこれが、千年前の大災害を引き起こした、イオールの雲……?」
数百年降り続いた殺人の雨は地球のすべてをリセットした。その雨から逃れるために造られた保存都市、箱舟の『楽園』。すべての歴史はこの雲から始まったのである。