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ケラサスの使者  作者: 岡倉桜紅
第三章
141/172

28 理科の塔

イオは重厚な扉の前に立った。理科の塔、最上階。とうとう最後の大臣へのチャレンジである。

『ようこそ、理科の塔へ。試験のルールを説明する。扉を開けたら試験開始。試験時間は一時間。ジャンルは理科のすべて。特に生物の分野とする。大きなモンダイが一問ある。すでに申し込みのときに同意書にサインしてると思うが、これは学園のテストではないので、試験時間内はいかなる怪我やトラブルがあっても試験を中断しない。それではチャレンジを開始する』

イオは扉を開ける。そこには、ただ白い空間が広がっていた。白以外何もない。

問が頭の中に流れ込んできた。

「ペンを用いて森という言葉を説明せよ……?」

何も襲ってくるモンダイは無い。ただ、広大な白い紙の上に載せられたようだった。

「イオはエンシェの時、森を見たことがあるの?」

セトカが聞いた。

「いや、僕は都会で育ったし、第5次世界大戦が始まっていたから、僕の時代も地球上にほとんど森らしき森は残っていなかったんだ。僕が見たことがあるのは道沿いに植えられている街路樹くらいだ」

「街路樹?」

「ええと、街路樹っていうのは」

イオが頭の中でイメージしようとすると、ペンが急に熱を持って青白く光った。イオはペンを腰から抜いて握る。

「この白い地面に描いてみたら?」

イルマが提案し、イオがペン先を地面につけたとき、突風のように風が巻き起こり、ペン先に触れた場所からめきめきと木が生えた。銀杏(イチョウ)の木が見る間に六人の身長を超えて青々とした歯を茂らせた。真っ白な世界に一本、木が生まれた。

「すごい。大臣のテストってこんな設定にもできるんだ」

みな、突如現れた植物に目を奪われて口を開けてその枝葉を見上げた。ルートがふいに自分の腰からペンを抜き、それを地面に突き立てた。再び突風が巻き上がって、銀杏の木が生まれた。

「森は、木がたくさんある場所なんだろ?」

ルートが言う。

「そうだ。そうだよ!ここにみんなで森を再現しよう。森にはたくさんの種類の木がたくさん生えてるんだ」

「よしきた。本で読んだ木というものをここにどんどん増やしていけばいいんだな?」

サミダレも自分のペンを抜き、地面に突き立てる。楓の木がめきめきと生えていく。続いて、ローレン、イルマ、セトカもペンを突き立てる。杉、松、檜、白樺、シイ、カシ、ブナ、桜、楓、銀杏……。木がどんどん生えていく。

「その調子だ!どんどん生やして!」

イオがペンを突き立てると下草やコケが生える。小川ができる。岩ができる。イメージのままにペンを振るう。

真っ白だった部屋は緑色になっていった。土はふかふかで、落ち葉もあり、朽ちた木にはキノコが生える。大きな木には蔦が絡み、空は青い。土の中には虫がいて、空中にも羽虫が飛ぶ。風が穏やかに吹き、葉がこすれる音がする。

『時間だ』

ハクマの声がして、扉が開いた。ハクマが入って来る。

ハクマはイオたちが作った森の中をゆっくりと歩いた。じっくりと見渡し、感嘆のため息をつく。

「僕らは合格ですか?」

イオが聞いた。

「ああ。合格だ。こんなにすばらしい森は見たことがない」

ハクマはブナの木に背中を預けるように腰を下ろした。

「これを試験の問題にしていますが、あなたは答えを知っていて出題していたんですか?私たち楽園に生まれた誰もが、本当の森なんか知らないじゃないですか」

ローレンが聞いた。

「私は、私がまだ知らないことをチャレンジャーに質問している。私の知らない景色を見せてくれたチャレンジャーにはバッジを与える」

「答えを誰も知らない問ということですか」

ハクマは目を閉じた。辺りには森の音があふれていた。

「それはいけないな」

声がして扉が開いた。全員がさっと振り返って身構える。そこには、灰色の髪、灰色の瞳で、半袖ワイシャツにスラックスの少年が立っていた。楽園の王、ファイだった。

「ファイ様?なぜここに?」

ハクマは聞くが、ファイは腰から抜いたペンを青白く燃えるように光る巨大な大剣に変えて、地面に突き立てた。衝撃とともにものすごい突風が巻き起こり、イオたちが作り上げた森や小川は揺らいで消えてしまった。足元から現れた木々は、仕組みは不明だが、試験室特有の単なる仕掛けだったらしい。

「お前のことは信頼していた。理系文系戦争のときも理系陣営として率先して戦うほどだったし、勉強できるものとできないものを選別する思想をちゃんと持っていると思っていた。なのにこのテストはなんだ?出題者自身も明確な答えを知らない。この世の誰も知らないような問を出すだと?試験室に仕掛けを施すだけでまともなモンダイも作り上げていない。大臣として怠慢だ。そんな態度は認められない。そんなのは地下のエラーズが吸う煙草のようなものではないか」

ファイの無感情な灰色の瞳はどこまでも冷たく光っている。

ハクマは立ち上がって腰からペンを抜き、長い槍のように変形させ、地面を突く。先ほどの森がまた現れる。

「確かに私は理系文系戦争の時、率先して戦いに参加しました。理系科目を極めることこそがすばらしいことだと信じて疑わなかった。勉強ができることをそのまま権力として振るい、傲慢にもその立場を見せびらかした」

「それが正しい。この楽園の秩序の根幹は勉強だ。勉強ができるものがヒトの上に立ち、その下の人々を動かす。下の人々は勉強ができる者に従い、目標にすることで成り立っている。この制度はどこまでも平等だ。平等のために一部が特別に権力を持つ必要がある。お前はそれだ。権力を使って戦争を起こすことも上等だ。お前は勉強ができる者なんだから責任を持ってもらわなければ困る。だから、答えのない問を投げかけて秩序を乱すようなことは許さない」

ファイはまた大剣を床に突き立てる。二人の力が部屋の中で拮抗し、森は枯れたような色になった。木は茶色く色あせ、崩れ落ちた。

「私は戦争を後悔している。勉強が得意なものがすべてを思いのままに動かし、その結果に勉強のできない者を傷つけている!勉強が得意なことに誰もが憧れているわけじゃない。それは価値観の押し付けだ。勉強以外のことで、幸せになっているヒトを私は見たんだ」

「価値観の押し付け?全員がこの狭いカプセルの中で自由にふるまったらどうなる?統治は必要だ。勉強以外に幸せを見出すだと?ここは勉強第一の場所なんだから勉強で幸せを見つけないといけないと決まっているんだ。それ以外のやつはみんな逃げだ。ただの逃避だ!この楽園で生きていくには楽園のルールに従って、楽園の定める幸せを追求すべきだ。それ以外は落ちこぼれだ。地下にでも暮らしていればいい」


ハクマの脳裏には二年前の光景が浮かんでいる。理系こそが至上だと信じ、明日はどうやって文系にそれをわからせようかと思案しながら、今日は冬まつりがあるせいで戦争が一時中断されたことにいらいらしていた。理科の塔にある設備を使って楽園のカプセルを操作し、湿度と気温を操ることによって雪を降らせた。冬まつりの日は雪にすることが毎年の慣習だった。祭が終わり、早く明日になって戦争が再開されるのが待ち遠しかった。ハクマはふと、塔の上から街を見下ろした。たくさんの赤や緑の光で町中が光って、浮かれていた。ハクマは望遠鏡を出し、街で浮かれ遊ぶ人々の馬鹿な顔を観察でもしようと思いついた。馬鹿な人々を物理的にも上から眺めるのは気分がよかった。このレンズに映るヒトすべては自分よりも勉強ができない。

楽しそうにしているが、その快楽も一夜限りだ。そう思いながら見ていると、人々の笑顔もつまらない、しょうもない、無価値なものに思えた。今は頭を空っぽにするかのように笑っていられるが、明日はお前らはただの無力な馬鹿であり、己の役に立たない頭脳が故に泣くことになる。

気付けば時は過ぎて、辺りは暗くなっていた。街が明るいのでずっとレンズを覗いていると、どれほど辺りが暗くなったのかに気付けなかった。一日中眺めていたようだった。ハクマは中央ブロックの方に望遠鏡の標準を合わせた。王城ではダンスが行われる。

と、その時、偶然レンズに飛び込んできた風景にハクマは手を止めた。中央ブロックと南ブロックのちょうど境目に位置する街だった。中央ブロックは理系と文系が入り混じるため、中央ブロックから理科の塔のある南ブロックに文系の連中が侵入してくる恐れがあり、その街ではフェンスを設置し、厳重に見張りを置いていた。

目が離せなかった。遠くを映すがためにやや霞んでぼやけたレンズの中では、二人の兵士が踊っていた。雪の中、フェンス越しに互いに触れることなくダンスする。息をぴったり合わせて、儚く、美しく二人は舞っている。理系と文系を分かつフェンスを越えて共に踊っている。

ハクマは暖かい液体が自分の頬を伝っていることに気付いた。

「何……?」

ハクマは指先で拭ったその温い液体を見る。自分がまだ、美しい光景に涙を流すことができるとわかって妙な安堵感すら感じていた。

「俺が、間違ったということか……」

ハクマは塔の最上階の部屋から飛び出した。階段を二段飛ばしに駆け下り、受付まで行く。受付の従業員は冬まつりに参加するので当然ながら不在だ。ハクマは電話を取る。

「キリサメ、戦争を終わりにしよう」


「私は変わった。たった一夜のダンスが、今も脳裏に刻みついてる。消えないんだ。本当は文系を、憎んでなどいなかった」

「かしましい」

ファイが動いた。ほぼ同時にハクマも動いている。大剣と槍がぶつかり、青白い火花が飛び散った。

「私は定められた幸せだけが幸せだとは思わない。どこに生まれたって、自分の思う通りの幸せを願っていいはずなんだ。私には勉強しかなかった。だから勉強ができないやつらを見下した。見下した奴らが笑顔なのが嫌だった。そんなやつらが見つけた幸せを、無価値で空虚なものだとあざ笑う自分の愚かさに気付いたんだ」

二人が武器をぶつけ合うたびに衝撃波がビリビリと空気を震わせる。二人は枯れた森の中で戦う。イオたちには割り込むことなど到底不可能と思えるほどすさまじい戦いだった。

ファイの大剣がハクマの槍をぶった切る。折れてはじけ飛んだ槍の先端が地面に落ちて、折れたペンに戻る。

「今までにお前が述べた言い訳は、お前が生ぬるい作問をしていい理由には決してならない」

ファイは素早くステップを踏み、少し体勢を崩したハクマの胸に大剣で切りつけた。

「ぐはぁっ!!」

青白い剣先の軌跡を真っ赤なしぶきがかき消していく。

ハクマは倒れたまま動かなかった。ハクマの手から折れたペンが転がった。ファイの手の中で大剣がペンに戻っていく。部屋にあった森が消え、試験開始前の真っ白な部屋に変わった。じわじわとハクマから流れ出した血だまりがその面積を広げていった。

ファイはゆっくりとイオたちの方へ振り返った。その白いワイシャツが、白い肌が、赤いしぶきで濡れている。

「……殺したのか?」

ルートが言った。

「邪魔だったから」

ファイは淡々と答える。ペンを腰に挿し直し、顔に付いたしぶきを、さも不快そうにシャツの袖で拭った。

「なにはともあれ、君たちは四つのバッジを手に入れたようだね。――ルート、待ってたよ。王城で会おう」

ファイは踵を返し、部屋から出て行った。

白い部屋からファイが出ていき、バタンと扉が閉められる。

セトカは吐き気を覚え、口を押えて膝を折った。白い部屋の中でハクマから流れる真っ赤な血は不気味に目立っていた。

イオはセトカに肩を貸す。

「王城に向かおう」

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