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ケラサスの使者  作者: 岡倉桜紅
第三章
139/172

26 行先

「はい、どちら様でしょうか」

Bb9が玄関の扉を開けると、全身冷水でぐしょぬれになったイオが立っていた。前髪は凍りかけている。うつむいていて表情はわからないが、かなり憔悴しきっているようだった。

「イオ様。どうしたんですか?こんな夜更けに。本日は各地で冬まつりが開催されているはずですが、何かあったのですか?」

Bb9は急いでイオを黒の塔の中に入れ、適当な部屋のカウチに座らせると、タオルと温かい飲み物を用意する。イオは虚ろな目をしたままうつむいて何も言わなかった。Bb9は黙ってイオの隣に座り、イオの肩をさすり続けた。

朝になった。

「Bb9、どこだ?早く朝飯~」

コピーの声が廊下に響いている。コピーの朝は早いのだった。

「はい、コピー様、いますぐ」

Bb9が声をあげると、コピーがイオとBb9のいる部屋に入ってきた。イオの様子を見てコピーは少しおろおろしたが、すぐに表情を取り繕ってイオのそばに立った。

「何があったのかわからないが、大丈夫だ。スズヤ、大丈夫だよ」

コピーはしゃがんでぎこちなく手を伸ばすと、自分の頭の何倍も大きいイオの頭を包み込むように抱きしめた。イオの目ははっとしたように色が戻る。

「大丈夫、大丈夫」

イオの目から涙があふれる。喉の奥から嗚咽が漏れる。

イオは声をあげて泣いた。大きな目から零れ落ちる大粒のしずくがコピーの白衣を濡らした。コピーはただ優しくイオを抱きしめ続けた。


「僕は、愛する人に僕のことを覚えていて欲しかったんです」

どれほど時間が経っただろうか。泣き疲れてガサガサになった声でイオは言った。

「そうか」

コピーは抱きしめ続ける。

「思えば、記憶、彼女の僕との記憶を取り戻すために、僕はここまで来たんだと思います。もう一度僕のことをわかって、笑って欲しかったんだ」

窓からは冬の昼の光が差している。

「覚えていてくれたらよかった。彼女の全部を愛するなんて本当はわからないけど、愛なんか語れないけれど、覚えている、ただ覚えていることが僕の愛の定義だった。ずっと前から定義は決まってた。あとはその証明を伝えるだけだったのに」

薄い空の色。イオの目は空を映す。

「伝わらなかった」

イオはそっとコピーの腕を離す。泣き笑いのように顔をゆがめた。

「僕の研究は失敗です」


イオはさすがに疲れがピークに達したのか、泣き終えるとすっきりとした顔で寝てしまった。Bb9はイオをカウチに落ちないように寝かせ、毛布をかけた。

コピーは食堂へ行き、席に着く。ほぼ昼ご飯の時間だったが、Bb9は朝食のメニューを出した。温かい湯気をあげる白米と味噌汁、沢庵、焼き鮭、出汁巻き卵。

「伊尾鈴也の少し前にタイムマシンを完成させたのは誰だったか?」

コピーは鮭の骨をほぐしてもらいながらつぶやいた。

「過去の資料によると、天原重喜という研究者だったかと存じますが」

コピーは両手を机の下にだらりと下げたまま口を大きく開けて、あーんと言う。Bb9は呆れたような顔をするが、その口にほぐしたばかりの鮭と白米を運んだ。

「そうだった。アマハラだ。アマハラは桜田奏という人の脳を時間移動しようとして失敗した。その後、伊尾がそれに独自の理論を追加し、時間移動に試みたがやはり失敗し、およそ千年、正確には1009年と8か月未来に到着したと」

コピーはごくりと口の中の物を飲み込む。

「桜田奏の脳は一体時空のどこに到着したのだろう。アマハラの技術も伊尾の技術もすばらしく、ほぼ穴がなかったはず。そう思うと、千年という時間は何か特別な引力があると考えてもおかしくない」

「と言うと?」

「桜田奏の脳もこの時間に移動していたと考えても不自然じゃない。スズヤはきっと、奏に似たヒトをこの楽園で見つけてしまったんだよ」

「それであんなに絶望しきったようなお顔をされていたんですね」

コピーは頷いた。

「まあ、奏の脳と伊尾の体が両方この時代に到着したという仮説が当たっていたとして、それがなぜなのかちっとも検討がつかないな。このままいくと今バイに組み立ててもらっているタイムマシンに積んである理論にも、何か致命的な欠陥があるのかもしれない。伊尾が乗り込んでいざ発進してみたら、また千年未来に飛んでしまい、伊尾の時代、エンシェの時代に帰れなくなるということも予想できる」

「イオ様は今、本当に過去に帰りたいと思っているのでしょうか?」

「それも問題だな。絶望して、もう過去に未練がなくなってしまったかもしれない。それは本人に聞いてみないとわからないな」

「昨日のバイ博士からの電話はどういたしましょう」

コピーは白い髪をかき回した。

「ひとまず、スズヤが起きてから考えるとしよう」


伊尾がドアをノックするかしないかというときにドアが開き、天原が顔を出す。そして、伊尾に一枚のプリントを渡す。それをイオは天原の部屋の壁になったような視点で眺めている。

「模試の詳細結果?これがどうかしたの?」

制服を着た伊尾が言う。

「ヒストグラムをよく見てくれよ」

天原は伊尾に気持ちの悪い形をしたヒストグラムを見せる。山の一番高いところが20点ほどにあり、裾野が極端に狭い。つまり、この模試を受けた人のほとんどが20点付近の点数を取っている。しかし、その裾野と被ることなく、山のはるか遠くの100点に近い場所に外れ値が二つあった。満点を取った天原と、その後ろの伊尾だ。二人だけがこの模試において、驚異的な成績を残していた。

「僕たち、意外とすごいのかもね」

そう言う伊尾の手からプリントを半ば奪い取るようにして天原は言った。興奮し、少し頬が紅潮している。

「伊尾、やっぱりお前も、ギフテッドだったんだな」

「はぁ?ギフテッド?」

「そうだよ。これだけ他の人たちと圧倒的な差があれば、間違いないよ。実はさ、少し前にこんなメールが来たんだ」

天原は伊尾にノートパソコンの画面を見せた。

「ここを読んで。『あなたはギフテッドです。その才能を存分に生かすお手伝いをさせていただきたいです』。急に知らない人からメールが来たと思ったら、巨額の奨学金を保証されたかと思えば、妙な会員にさせられて怖いと思っていたんだ。メールを送ってきた人が属している組織では、今ギフテッドの才能を求めていて、協力してほしいらしいんだ。協力する、と返事すれば、一生好きなことを探求できる最高の施設と資金がもらえる。でも、もし協力者が必要だと言うなら、俺だけじゃなくて伊尾だってその資格があってしかるべきだろ。伊尾も俺と同じとわかってよかった!伊尾、一緒に行こう」

「ま、待って。天原。天原と僕がギフテッド?そんなわけないだろ。詐欺メールじゃないの?」

伊尾は慌てた様子で興奮している天原に言う。

「この休み中、メールの発信源も調べたし、組織のことも調べた。政府の金でできている日本一最高な技術力の組織だよ」

「日本一……?まさかその組織ってもしかして、『カプセル』?」

「え、知ってるのか?やっぱり伊尾のところにも来てたんだな、招待状!早く言ってくれればよかったのに。やっぱり、俺と伊尾はギフテッドだったんだ」

天原は伊尾に抱きつくが、伊尾は強い力でその体を振り払う。

「違う」

「え?」

「違う!!お前と一緒にするな。僕の努力を、天才だったからの一言で片づけるな!」

「俺はそんなこと、」

天原は傷ついたような顔をする。

「天才なんか、いないんだ!」

伊尾は怒鳴った。

「伊尾、落ち着いてよ」

「二度と口にするな。お前なんか、天才じゃない」

「認めろよ!お前もギフテッドだ」

「僕には招待状は来ていない」

天原の顔が泣きそうに歪む。

「お前が行きたいなら勝手に行けよ。勝手にしろ」

伊尾はドアを乱暴に開けて出ていった。部屋には天原が一人取り残された。空中に差し出しかけた手は行き場を失って、ただそこに浮いていた。天原の口が小さく動いて何か言うが、聞こえない。ああ、夢だから聞こえないのか。

そう思った瞬間、目が覚めた。黒の塔の天井。イオはカウチから身を起こした。窓を見ると、空は少し暗くなり始めていた。


イオが黒の塔の最上階に行くと、コピーはゲーミングチェアに三角座りのような体制で体を丸め、本を読んでいた。

「スズヤ。起きたか。何か食べるか?」

言われて初めてイオは自分のお腹が空いていることに気付いた。昨日の夜から何も食べていなかった。コピーは机に手を伸ばして、チンベルを押す。Bb9が部屋に入ってきた。

「少し早いが夕食にしよう」

「かしこまりました」

コピーとイオは食堂の長い机の両端に向かい合うようにして座った。夕食が運ばれてくる。メニューは肉じゃがだ。

「いただきます」

出汁の優しい味がする。温かい具がイオの腹の内部から体を温めていくような気がした。

「さて、食事も済んだことだし、少し大事な話がしたい」

コピーは切り出した。

「昨日バイから連絡があった。タイムマシンが完成したようだ」

「タイムマシンが?タイムマシンには必要なパーツが四つあると聞いていました。合金A、これは僕の乗ってきたセダンのボディから集めました。合金B、これはアメの一族の矢をもらうことで解決。時間軸改変計算安全装置、これは青の街の海底からサルベージしました。もう一つはまだ集まってないような気がしますが」

「四つ目は私が集めた。とにかく、もうあとはいつの時間にタイムスリップするかを決め、エネルギーを注入して乗り込むだけだ」

コピーはイオの目を見つめる。

「私はお前がどんな選択をしてもそれを応援する。どの時間に行きたい?お前は以前、10年前にタイムスリップしようとしたと言ったな。その気持ちはまだ変わらないか?」

「僕は……」

イオはまっすぐにコピーの目を見つめ返す。

「僕は17歳の夏をやり直したいと思っていた。なぜなら僕はその夏に天原のことを完全に理解できない、自分とはかけ離れた存在だと信じて、理解を諦めたときだったから。僕は諦めた自分をやり直したかった。僕があの時諦めさえしなければ奏を救えたと信じてた。でもきっと、そうじゃなかったんだ。思い出を取り戻すのって、すごくすごく遠いんだ。それが昨日わかった」

「奏のことは諦めるのか?」

コピーの口から奏という名前が出てきたことにイオは少し驚くが、頷いた。

「もういいんだ。それより僕にはもっとやらなくちゃならないことがあった。天原とのことだ。僕は天原にひどいことをした。突き放して孤独にし、傷つけた。今はそれを謝りたいんだ。17歳からやり直して謝らなくて済む世界線を生きることもできるけれど、きっとしたいことはそうじゃない。犯してしまったことを謝りたい。そして二人でやり直したいんだ」

「お前がタイムマシンに乗った2132年、お前が27歳の時に戻るのか?」

「そうだ。僕の人生は僕の時間の流れにしかない」

「二人で仲直りした後、力を合わせてより良いタイムマシンを造るのか?」

イオは少し微笑んで首を振った。

「それはしない。最初にあなたと約束した。僕が過去に帰って時間移動の技術そのものを封印する。技術をそれっきり闇に葬り、イオールの雲という事件を最初からなかったことにする」

「本当にいいんだな」

「はい」

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