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ケラサスの使者  作者: 岡倉桜紅
第三章
136/172

23 花

夏の空を貫いて立つ黒の塔の一室。

「どうぞ、入ってもらえ」

コピーはBb9に言った。Bb9は部屋のドアを開ける。

「よく来たな。ミモザ、ヒヤシンス」

Bb9は椅子を引いて二人を座らせる。お茶が三人の目の前に置かれる。

「さて、どんなヒトに育ってほしい?」

スウとカズは少し緊張した顔を見合わせる。

「どんな子だって大切に育てるよ。だって、俺と好きなやつの子供だし。それ以上には何も望まないよ」

カズがそういうと、スウがその肩をバシバシ叩いた。

「もう、やめてよカズ、そういうの外で言うの。恥ずかしいじゃん」

「な、その、そういう意図じゃなくて、子供をちゃんと愛しますっていう生命係への意思表示をしてるんだろ。スウは違うのかよ」

「スウって呼ばないでよ、今はミモザって呼んでくれてもいいでしょ?」

「そういうのは恥ずかしくないのかよ。てか、それを言うなら俺のこともちゃんとヒヤシンスって呼べよな」

わちゃわちゃする二人をコピーは微笑ましく眺める。ふっと少し笑い声が漏れる。

「あ、コピー様を待たせちゃってるじゃん。今は私たちの子供の名前決めに集中してよ」

私たちの子供という言葉でカズの顔がぼっと赤くなる。コピーはどうぞ続けて、と手をヒラヒラさせるが、二人は小突き合いをやめて姿勢を正した。

「スウの数学大臣としてのまじめな態度や、それを陰で支えるカズの誠実さはちゃんと知ってる。二人の子供ならきっと、聡明で優しい子になるさ。そうだな……スミレという名前はどうだ?」

「素敵な名前をどうもありがとうございます」

二人は顔を見合わせて微笑みあった。

「ところで、スミレというのはどんな花だったんですか?」

スウは聞いた。

「どんな花、か。紫色をしていて、春に咲く小さな花だ。――花を知ってるなんて珍しいな。大昔に滅んだ概念なのに」

コピーは少し驚いて言った。

「調べたんです。数学大臣を辞退して、その後、今まで数学ばかりだった生活から少し学問の興味を広げてみたんですよ。千年ほど前に地球のほとんどの植物は滅んだ。そして、調べていくうちにコピー様が楽園の全員に花の名前をつけていることに気付いたんです」

「そういう態度こそが真に勉強のありかたとして理想的なのかもしれないな」

コピーは小さくつぶやいた。

「コピー様はどうして俺たちトイロソーヴに花の名前を付けるんですか?」

コピーは天井を仰ぐようにする。じっくりと言葉を選ぶように思考して、言葉を紡ぐ。

「花はいつか枯れるからだよ。普通の名前や、名声や、功績、墓、死体の一部、それらは長い時間残る可能性がある。でも花は時が来ると必ず枯れる。でも、花は必ずその人生で一度は美しい瞬間がある。死ぬことは生きることと裏表。終わりがあるからこそ、今の一瞬が大切にできる。生きていることを輝かせるのは、いつだって死なんだよ。君たちは私のように永遠ではない。だからこそ、生きてほしいんだ。生きることはそれだけで美しいこと。私にとって君たちの一生は花なんだよ」

「コピー様は花を見たことがあるんですか?」

「ずっと昔に、一度だけ。それ以外は本を読むことでしか知らない」

コピーは懐かしむように目を閉じる。瞼の裏にはピンク色の花吹雪。長い髪の女性がコピーに向かって笑いかけている。その髪が風で流されて花びらが舞う。女性は手に持ったガラスの徳利に入った花びらを見て心底幸せそうに笑う。

「でも、今もちゃんと覚えているよ」

「花の名前なんて素敵な物をもらっているのに、みんなが(あざな)で呼び合うのはなぜなんでしょうね。こんなにきれいな名前なら家族だけじゃなくて、みんなでそれを呼び合えたらいいのに」

スウは言った。

「それを説明するには、ずっと昔の出来事に遡らなくてはならないな。今日君たちに全て話すのは難しいけれど、そこそこ良い話だから安心してくれていい」

「そうですか。ちょっと気になりますけど、俺たちがお互いを字で呼ぶようになったきっかけが良い話なんだったら、まあそれでいいか」

「そうだね、カズ」

二人は顔を見合わせた。

Bb9が注射器を持ってきて二人の血液を採取した。

「君たちはもう十分承知かもしれないが、私がするのはあくまで、一様に作られた器に君たちのDNAの情報を入れるだけ。その情報をいじって根本から強い子を作ることはできないし、優しい子にすることもできない。君たちの想像する通りの命が生まれることはない。その姿が、いいとか悪いとか、そういうのは全部主観だよ。自分のDNAや子供、親を責めるなんてことは絶対にしないでくれ。そのままを認めてやってくれよ」

コピーは二人を送り出す前に、いつもどのカップルに対しても言っているセリフを言った。

「わかってます。大切にします」

コピーは二人を見送った。夏の晴れた日だった。新たな命が楽園に生まれる。



深海で泡が一つ生まれる。泡は水の中を上昇していく。水圧が小さくなって泡の体積は増えていく。水の色は深い藍から緑青へと変化していく。光が近づいていく。水面が近い。青い夏の空が見えたと思うと、泡はもう泡ではなくなっていた。晴天は幻。

この世界は夢か?現実か?

世界が全部夢だったとして、夢を見る人には気付けない。誰一人気付けないのならそれは現実だ。

世界は、現実という名の夢を見る。

私は、長らく私に死を運ぶ使者を探していた。それは、クラゲの骨のようだった。

さようなら。今は穏やかだ。

私はこの夢になにか残したかな。いや、そんなことは今はどうでもいいか。

体が透明になって、ひと塊の水になったみたいな気がした。深い、深い深海で、桜色の水がぱっと散った。

後に残るのは割れた水槽の透明なガラスとクラゲ、桜色に染まった制服だけだった。

誰もいなくなった海底の図書館には、静寂だけが揺蕩っていた。



ファイは階段を下りていく。その数歩後ろから担架を担いだテート・ケビイシのロザキと、テート・クロードのヒサメがついていく。下りていくにしたがって、妙な匂いが鼻腔をくすぐる。地下につくのではないかと思い始めたころ、階段が唐突に終わって、広間のような場所に出る。丸いドーム状の部屋で、部屋の中央は丸いステージのように少し高くなっていて、そこには井戸のようなものがある。王城の真下、楽園のカプセルのちょうど中心、そこにファイは立った。

「我、239代目の楽園の王、ファイが、984回目の知識祭を執り行う。楽園の永久不滅を願って――」

ヒサメとロザキが下を向いて跪く。

ファイはステージにあるくぼみに自分のペンを突き立て、思い切りガクを流し込む。部屋中にまばゆい青白い光があふれる。光に照らされてドーム状の部屋の壁画が見える。ずっと昔に滅びた植物の絵。枝を広げ、光の揺らぎとともに風に揺られ、呼吸をするようだった。

一時間ほど経っただろうか。ファイはくぼみからペンを抜いた。少し足元がふらついていたが、意識を失うことなくまともに立っていた。

ファイは井戸の中を覗き込んだ。何かが胎動しているような気配を感じる。生命の気配。透明な少しどろどろとした液体のずっと深くにいくつも枝分かれした白っぽい、しかし、茶色がかった色の何かがあった。去年よりもそれは確実に大きく、井戸の水面へと伸びてきていた。まるで光を求めてのぞきこむ者へ手を伸ばしているかのようだった。

ファイは踵を返した。ファイはその部屋を後にする。ロザキとヒサメはその後についてまた階段を上っていった。

「去年もそうでしたが、今年も担架いらなかったですね」

ヒサメは氷のような無表情のまま小さな声でロザキに言った。

「これじゃ逆に荷物だ」

ロザキはぼやいた。

「それより、ファイ様は今までの成人男性の王とは違って少年なんですから、運ぶにしても担架なしでいけたのでは?」

「そういうことは早く言えよ」

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