21 ルート
『七時になりました。中央楽園ラジオ、ニュースのお時間です。楽園位置情報をお伝えします。現在楽園は北緯33度05分、東経149度49分を北西に向かって航海中です。移動性熱帯低気圧が南西方向に67個確認されましたが、楽園保護システムは現在正常に機能しており、問題ありません。楽園中央における外部地球気温は38度で平年並みです。また、青の街との距離は一日に0.7キロメートルほどの速さで離れており、現在東の門より出航している青の街行きの船は、今週末より無期欠航となります。お出かけの方は十分にご注意ください』
西ブロックの山の上、アメの一族の屋敷の一室ではラジオがついていた。季節は夏に差し掛かっていた。現王のファイとその双子の弟のルートが王城で大喧嘩をしたのが12月の出来事だったので、それから半年ほど経つ。城の復旧作業は進み、見た目上はもとの城と大差ない感じにはなってきていた。ファイはそれ以降特に大きな事件を起こすでもなく、静かに城にこもって王としての仕事をしていた。ファイとルートの喧嘩は、黒の塔の生命係であり、めったに塔の下の出来事には介入しないコピーが出てきたことによってなんとかその場は収まった。あの事件以来、楽園に住む全員の中で、エラーズとノーマルズに対する接し方が多かれ少なかれ変化した。これまでにましてエラーズを排斥しようとするヒトや、エラーズにさらなる支援を与えようと心を改めるヒトもいた。全体で見たときにプラスの感情もマイナスの感情も同じように大きくなったために、拮抗して治安など表面上の現状は維持しているように見えるが、その状況は何かあればバランスがすぐに壊れてしまいかねない危うさがあった。実際、この半年で何件か凶悪な事件も起きていた。
「ごちそうさまでした」
ローレンは箸をおいて立ち上がった。ローレンの前に並べられた朝食、白米と味噌汁と焼き鮭はまだ半分ほど残っている。ここ数週間、ローレンは食欲がなく、少し表情も青ざめているようにさえ見えた。かなり大飯食らいのローレンがここまで食事をしないところを見るとかなり痛ましい状況に見える。
「ちゃんと食べないと具合悪くなるよ」
一緒に食卓を囲んでいるイルマが言ったが、ローレンはそのまま部屋を出て行った。イオ、セトカ、サミダレはその背中を見送った。
「やっぱり、不安なのかな」
セトカが言った。半年前の冬まつりでイオはローレンと、ルートと話をすることを約束し、それ以来、日々の修行の合間に地下に雲隠れしたルートの行方を調べていた。そしてルートの居場所が分かったのが数週間前のことだった。ルートは地下のあちこちを転々としながら目立たぬようにひっそりと潜伏していた。その様子を見ると、ファイと仲直りしようという意志は全くなく、それどころか復讐や、完全決着のためのタイミングを静かに図っているかのように見えた。
ずっと探してきたルートの居場所が分かった以上、ルートと話をするためにルートのもとへ出向かなければならないことは明らかだったが、ローレンの元気はだんだんと無くなっていった。
「話をするなら早い方がいい。ぐずぐずしていても機会を逃すだけだ。明日、僕とローレンでルートのところに行くよ」
イオは言った。
「二人だけで大丈夫か?」
サミダレが聞いた。
「ああ。ルートと話すべきなのは僕とローレンの二人だ」
イオは箸を置いた。
地下の暗い路地の突き当り。古びたドアの前にイオとローレンは立っていた。イオは横目でローレンの様子をちらりと見る。ローレンは青い顔をして唇をきっと引き結んでいた。
イオはドアの横のインターフォンを押した。ドアの向こうでインターフォンの音がするのが聞こえた。少し物音がして、やがてドアが細く開いた。ドアロックのチェーンがかかっていた。その向こうには黒のフードをかぶったルートがいた。紫色の瞳がイオを捉えている。その瞳はじろりと動いて、ローレンを見た。ローレンはその眼光にひるんで目が泳ぐ。手がかすかに震えている。
「何の用だ、裏切り者が」
ルートはガスマスク越しのくぐもった声で言った。
イオが口を開きかけたとき、ローレンが言った。
「あなたの、ギモンを解きに来たんです」
震えているが、芯の通った声だった。
「フッ、ハハハハハ!半年合わない間にずいぶんおつむが弱くなったようだな、ローレン。俺はずっとギモンなんか持っていない。ただ、俺の中の確信に従って生きているだけだ。その確信こそが今まで俺がR1という組織を利用して、お前を利用して遂行してきたことだ。今も昔も何一つ変わっていない。お前がそれを裏切ったんだ。変わったのはお前だ。前は俺の計画に賛同していたのに、急に手のひらを返して、急にこんな何をしようとしているのかもわからないような男をつるみ、挙句の果てにありもしない俺のギモンを解いてやろうなんて、ずいぶん調子がいいじゃないか」
「いいえ、あなたはずっとギモンを持っていました。知りたかったんでしょう?なぜお兄さんとわかりあえないのか、二人はなぜこんなにも違うのか。わかりたかったんです」
「ヒトは生まれながらに平等じゃない。俺はそれならばせめて、そのヒトが公平である世界のシステムを目指してきた。ファイのことは関係ない」
「関係ありますよ」
ローレンは腰からペンを抜いて、ドアを閉めようとしたルートより早くドアの隙間にねじこんだ。ルートがノブをまだ引っ張るので、ペンとドアがみしみしと小さな音を立てている。
「暗殺者のくせにガクシャぶるのか?ここまでするならさぞ良い答えを知ってるんだろうな」
「私がいっしょに考えます。ドアを開けてください」
ローレンはペンを棘付きの太い金棒のように変形させた。ドアロックのチェーンが切れて、ドアはひしゃげて勢いよく開いた。ローレンとルートは対面する。
「いっしょに考える?お前は一体何様だ?いつからそんなに偉くなったんだ」
「私は偉くもないし、賢くもないです。でも、あなたが気付いていないことに気付いているんです。あなたは自分で思っているよりもずっと、お兄さんのことを意識しています」
「だとしてなんだと言うんだ?俺がずっと計画してきたことも、俺の信念も変わってない。俺の信念をファイが邪魔してくるからファイを排除しようとすることはギモンと関係ない」
「いいかげん認めたらどうですか?あなたはお兄さんとわかりあいたいと思っているはずです」
「いい加減なことを言うな!」
ルートは叫んだ。ルートの体の周りにはうっすらと赤い煙がまとわりつき始める。
「でも、分かり合えないから孤独なんでしょう。二人の間の違いをどうしようもなく意識して、つらいんでしょう」
ルートが素早く動いて、ローレンに突進する。赤い煙を身にまとい、理性を保ったまま巨大化もすることなく、半分モンダイのような化け物の姿になっていた。イオがペンを剣に変えてその攻撃を受け止める。青白く光るイオの剣とルートの凶悪な爪が伸び、化け物のように変形した赤く光る手がぶつかって火花のようなものが散る。路地は青と赤の光がぶつかり合い、光が閃いた。
「僕だってそうだった。認めたくなかった。この世には生まれつきでものすごい才能を持って生まれてくる人がいる。それは事実なんだ。でも、事実はそれだけじゃなかった。天才だって、人間だ。完璧じゃない、同じ人間なんだよ。間違うこともあるし、つらいこともある。全く理解できない別の存在なんてことはなかったんだ。僕はそう気づいたんだ。ファイだって同じだ。わかりあうのを諦めるなよ!」
「わかりあえたって、俺たちの意見は変わらない!そのまま争い続ける!俺は公平な世の中を目指すんだよ!」
ローレンも自分のペンを剣に変形させ、イオの隣でルートの攻撃を押し返す。
「あなたが公平を願ったのはなぜですか?わかりあいたいという気持ちがきっかけじゃないんですか?わかりあえたその先にさらに何を望むんですか?」
イオとローレンの剣がルートの手のひらを貫いて、ギモンが切れる。結び目が現れる。ルートは結び目に気付いてそれを隠そうをとする。
「君はわかってるんだ。わかりあえないという思い込みのせいで、いつしかその望みを勝手に諦めていたんだ。対話を怠ってきた。それは、ノーマルズとエラーズの関係と同じだよ。こんな方法じゃ、わかりあえないことはとっくに知っていたんだ」
赤の煙は薄くなっていく。ルートは路地に膝をついている。
ファイとルートは生まれたときからずっと一緒だった。地下で生まれ、孤児院で育った。孤児院ではそれなりの教育は受けられたが、二人は勉強というものが好きになり、どこからか本を持ち寄っては、薄暗く、汚く、狭いベッドの中で毎晩のように読んだ。孤児院では食事は十分に与えられず、時には双子に対してたった一つのおむすびしか与えられない日もあったほどだった。食べ物に関して取り合いや口論になったことはあったが、夜の、ベッドに入って本を読む時間だけは、二人はとても仲が良かった。お互いのことを一番に分かり合っているのはお互いであり、この楽しみや感動を共有しているのもこの世で二人だけだった。
新しい知識を覚えることは二人の何よりもの楽しみだった。二人はすぐに孤児院での教育には飽きてしまい、7歳には孤児院を抜け出した。地上の図書館や学園から後ろ暗い手段で入手した本を陳列している地下の図書館のような場所で下働きとして雇ってもらい、最低限の衣食住の環境と、大量の本を読む機会を得た。ページをめくるたび、知らないことを知っていった。楽しかった。二人は夢中で文字の世界に酔いしれた。
ある日、ファイが熱を出して倒れた。ファイは内臓に欠陥があり、よく体調を崩すことがあったが、その時の熱はいつにも増してすさまじいものだった。まともな医療道具や薬もない状況ではただベッドで寝かせておくことしかできなかった。二人を拾ってくれた闇図書館の所有者の老人は、少ない有り金をほぼすべて使ってファイを半地下の病院に連れて行った。そこではエラーズを対象に治療をするノーマルズの医者がいて、地上の医療を受けることができたのだ。
ファイは一週間ほどで回復し、闇図書館に帰ってきた。闇図書館のオーナーの老人は有り金をほぼすべて使ってしまい、闇図書館の経営はかなり難しい状況になっていた。二人はR1という団体の下働きをすることにした。最初に命じられたのは煙草の配達だった。その仕事は割がよく、二人は要領がよかったので効率よく金を稼ぐことができた。二人は老人にお金を少しずつ返し、老人の身の回りの世話をした。働き終えて夜は変わらず本を読んで知識を得る喜びを二人で感じていた。
しかし、そのころからルートはファイの様子が今までとは少し変わってきていることに気付き始めていた。ファイはよく、地上の話をするようになった。地上には大臣という勉強の各分野のスペシャリストのような存在がいて、四人の大臣の上に立ち、楽園全体の最高権力を握る王という存在がいるということを、あこがれのような光をたたえた目で語るのであった。半地下の病院で地上の医者に聞いた話らしかった。
「俺たちならいつか王にもなれるかもね」
ルートは言った。ファイは目を丸くして、そして心底わくわくするといった顔で頷いた。
「そうだね。俺たちなら余裕だよ」
ルートは王に興味はなかった。ただ勉強ができればよかった。新しい知識を得る喜びだけを感じていられるのなら、一番になることもそれによって得られる権力も何もいらなかった。
「ファイは王になりたいの?」
「楽園で俺が一番頭が良ければなっても不思議じゃないよ」
ファイはある日、どこからかペンを買ってきた。二人はR1という組織の中で、その働きぶりを認められて、かなりの高給を取れるようになっていたので、ペンが高価だとは聞いていたが、買えないほどではなかった。ペンを持つことはすなわち、地上に出て、他人から出されるモンダイというものと戦うことができるということを意味していた。
「本当に王になるつもりなんだね」
ルートが聞くと、ファイは頷いた。
「俺は気付いた。楽園のシステムはおかしいよ。だれか、本当に頭のいいヒトが変えないと」
「王になって何がしたいの?」
「みんなのためになることがしたい」
「そこまで地上での評価が欲しいの?」
「俺は評価されると思うよ」
ファイは地上に出て行った。一枚しか持っていないシャツの内側に、戦利品のバッジを満足気につけていった。二人は夜、いっしょに本を読むことはなくなった。ルートはペンを買わなかった。兄の後について四つの塔を攻略するつもりもなかった。闇図書館のオーナーの老人は老衰で死んだ。ファイは葬式には来なかった。闇図書館にある本はすべて読み終わってしまっていたので、本をすべて売り、物件も売った。新たにその物件を買ったのはバーテンダーの男だった。闇図書館についてや、双子がR1に属していることなども特に気にする風もなかったので、即座に売った。
ルートは今までに溜めた金を懐に入れて地下の街を歩いた。
「君、ランクを持ってるノーマルズの暗殺者なんだって?」
ルートは赤いリボンを付けたみつあみの、瞳がピンク色の女に声をかけた。
「そうだ……」
ルートは金属の義手の手のひらを見つめる。
「俺は、ただ、勉強が楽しかったんだ。二人で、知らないことをただ追い求めていたかった。世界のシステム、差別、その他の他人のことなんて本当はどうだってよかったんだ。いつからかわからなくなっていたあいつをわかりたかった。また一緒に、肩を並べて本を読めたら、それだけでよかったのに」
赤い煙は消えていた。二人の剣はペンに戻っていく。
「俺が頭が悪いから、あいつが俺より頭がいいから、そうやって線を引いて一番差別をしてたのは、俺だったのか」