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ケラサスの使者  作者: 岡倉桜紅
第三章
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19 真理

「私の心臓を維持するには定期的にクラゲを飲む必要があるんだ」

メデューサはまたソファーに腰掛けなおす。

「クラゲの細胞を体に取り込むと、数百年くらいの時間をかけて体毛は白く、いや、正しくは透明に近い色に、瞳の色は赤色に変わっていく」

メデューサは自分の長い髪を指ですくようにした。二人は楽園の生命係のことを思い出した。

「コピーという人のことを知っていますか?」

「楽園の人?」

二人は頷く。

「少しは知ってるよ。コピーのお母さんは有名人だったし、歴史に名を遺すくらいの功績をあげた人だから、いくつか彼女の生涯についてかいてある本を読んだことがあるよ。ただ、私は頭のいい人たちとは別の世界に住んでいて、リアルタイムでは彼女のことを見ていなかったから、よく知ってると言うことはできないかな」

「コピー様のお母さんはいったい何をしたんですか?」

「何をも何も、君たちの創造主だよ。君たち新人類、トイロソーヴの設計者。彼女自身が自ら設計した器の管理をすることなく、自分の娘にその役目を譲り渡した。そして、娘がその役目をちゃんとできるように、不老不死を与えた」

「コピー様はあなたと同じ心臓を持っているのですか?」

メデューサは首を振った。

「たぶん違うと思う。私の父、ハリスはカプセルという組織からクラゲを盗んで心臓を創った。コピーのお母さんはカプセルの人で、トイロソーヴの開発と同時にクレナイクラゲの研究もしていたから、父とは違う方法で不老不死の臓器を創り出したんじゃないかな。私はクラゲを定期的に飲まなくちゃだけど、きっとコピーはそんなことはないかも。でも、どちらも今まで生きてこれたってことは、どちらの臓器もクオリティとしては申し分なかったと言えるのかな。……いや、楽園で命を創る仕事を毎日している人と、毎日海底でゴロゴロ本を読んでばかりのニートを比べたら失礼か」

「コピー様のお母さんについて知りたいです」

ウォータは、自分がこの図書館に来た目的とはどんどん脱線していることを自覚しながらも聞いた。聞かずにはいられなかった。この世界に隠れていた大きな秘密を前にして、この機会を逃せば一生知ることができない情報について、もっと知りたかった。

「彼女は花城ヒトヒ。コピーはヒトヒのクローンのうちの一人」

「クローンの()()()()()?」

「うん。ヒトヒはクローンを三人作った。コピーには、二人の姉がいたんだよ」

どこまで知っていいのだろうか。自分なんかが到底足を踏み入れることはできないような、まるで太陽に触るかのような感覚。こんなことを知ってしまってよいのだろうか。分不相応に手を伸ばしすぎて焼けてしまうのではないか。しかし、やめられない。

「でも楽園で生命を操る役目は一人だけで十分。三人の姉妹の間でどんなことがあったのかは知らないけれど、結局コピーがその仕事に就いた。あなたたちトイロソーヴが私の目の前にいるってことは、彼女はまだ働き続けているんでしょう?すごいなぁ」

メデューサは遠い目をした。

「きっと責任感があるんだ。使命を全うしようという強い心が。私なら心が疲れてしまう。発狂しちゃうよ。こんな風に暮らす私の今でさえ、狂いそうなのに」

メデューサは手に持ったままのシャンパングラスを弄ぶ。

「私はあの作文のために、いや、良い文章を書くためにこうして本を読み続けてきた。しかし、今振り返ってみるとおかしいんだ。本ばかり読んで、人の知識をただ食って食って食っているだけで、自分は何も生み出さなかった。他人から教えてもらうばっかりだ。日記意外の文章で、書いた文字数は?――いまだゼロ文字だ!本は読むよりも書く方が何倍も何十倍ものコストがかかる。時間、お金、結果的に完成品ではそぎ落とされたけれど、下書きの段階にはあった無数の周辺知識。私は本を読むことで他人の人生を盗み取ってきた。これだけ読んでまだ、知らない事が世界にはあふれてる。私の何も知らないは変わらなかった。これだけ生きて、なんて情けない。私の欠点はきっと、無知ではなくて、無関心だったんじゃないかと今では少し思うんだ」

メデューサは言葉を切った。

「ごめん、話がずれたね」

「いいえ、大丈夫です」

三人はしばし黙った。海底は静かだった。窓のガラスについた小さな(あぶく)が一つ海面へと浮かび上がっていった。クラゲは穏やかに揺蕩っている。


「イオールの雲、世界最後の日に地球の空を覆った暗雲は、ロケットみたいに美しかったんですよね」

「そうだよ。今も忘れられないほど美しい青い光の筋だった」

「その青い光は、時間移動の技術とは何か関係があったのですか?楽園に伝わる歴史には時間移動の技術の暴走が世界を一夜にして破滅させたと記録されています」

メデューサは少し水槽の水面を見上げるようにしてそのまま少し考えていたが、やがて口を開いた。

「確かにこれもしっかり話しておかなくちゃならないね。わかった。話すよ。イオールの雲を構成する原材料は、クレナイクラゲの毒にある」

「クラゲの毒?」

「そう。クラゲは刺胞に毒を持っている。多くのクラゲの毒は、広く弱肉強食の海の中で外敵を退けるためのタンパク質毒だ。しかし、不老不死の細胞のしくみという特殊な特徴を持つクレナイクラゲの持つ毒もまた特殊だ。クレナイクラゲの毒の名前はイオルツチウムといい、時間を巻き戻す力がある。毒を抽出し、エネルギーを加えると、激しい青い光を放ちながら周囲のものの時間を巻き戻す。イオールの雲は、大量なイオルツチウムにエネルギーを加え、さらにどんな技術を使ったのは知らないが、それを空に打ち上げたことで、夏の入道雲と妙な結合というか化学反応を起こし、雲はふくらみ、雨を降らせた。雨の中に含まれたイオルツチウムは人間や建物を破壊し、大地や海に降り注いだ」

「地球全体の時間が巻き戻ったということですか?」

「そうなのかな。でも、雨が止んで数百年経つ今も、世界の気温はそこまで寒くなっていないし、海面はこれまでの地球の歴史の中でもなかなか上位に入るほど高いまま。恐竜やアンモナイトの暮らしやすそうな大陸や植物も現れない。マンモスも蘇らないし、氷河期も来ない。ただ、力が暴走してたくさんのものを壊したというだけで、地球の時間が巻き戻ったわけではないんだと思う。雨に打たれた人間は赤ちゃんになるんじゃなくて体が融けてどろどろの肉になった。誰かイオールの雲を発生させた人がもし地球の時間を巻き戻したいと思ってやったのだとしたら、その計画は完全に失敗だったと言えるだろうね」

「雲の発生は事故ではなくて、あくまで人為的なものだと?」

メデューサは頷いた。

「もちろん。雲を発生させるためには莫大なエネルギーコストがかかる」

「そんなこといったい誰が……」

メデューサの真っ赤な瞳に吸い込まれそうになる。

「その人物をあなたたちも知っているはず。世界滅亡のスイッチを押したのは、――天原重喜。楽園の創設者だよ」

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