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ケラサスの使者  作者: 岡倉桜紅
第三章
127/172

14 エレナ

行政無線のスピーカーから正午を告げるチャイムが鳴る。カーテンを閉め切った暗い部屋で、少女はベッドから身を起こした。

部屋のドアを開け、階段を下りて一階の洗面所に向かう。鏡の前に立つと、青白い顔をした痩せた少女がうつろな目でこちらを見ていた。しばらく切っていない長い髪は明るい茶色で、ゆるやかに天然のウェーブがかかり、瞳は薄い水色の日本人離れした顔立ち。父親がアメリカ人、母親が日本人のハーフなのだ。神月(こうづき)エレナは不登校だった。今年入学した中学には一度たりとも行っていない。小学校でエレナは勉強も運動もでき、低学年、中学年のうちは、かわいらしい顔立ちから他の生徒たちに人気もあった。しかし、高学年になってクラス替えがあると、エレナはどういうわけか独りぼっちになった。成長し、違いが顕著になったその容姿から、他の純粋な日本人の生徒たちはエレナのことを異物だと認識しはじめたようだった。別にいじめがあったわけでもない。ただ、だんだんと周りから人がいなくなっていき、エレナは学校に通う意味がだんだんわからなくなった。

リビングに入る。両親は仕事に出かけ、がらんとして誰もいない家。少女はダイニングテーブルについて、ラップをかけて置いてある冷めたベーコンエッグとトースト、サラダを食べはじめる。冷蔵庫から取り出したオレンジジュースを飲む。テレビをつけると、昼のバラエティーをやっていた。

『今日のゲストは、岩谷理永(りえい)さんです!16歳にしてゴールドバッハ予想をはじめとする数々の数学の長らく未解決問題だった難問を証明し、有名となった天才少女!今日は岩永さんが見据えている未来、これからの数学や学問の世界がどうなっていくかというお話を、岩谷さんが力を入れているギフテッド教育に絡めて深掘りしていきたいと思います』

スーツ姿の若い女の子が笑顔でお辞儀しながら入場してくる。

『まあ、少女といっても、今年二十歳なんですけどね』

笑いが起こる。テロップに名前と略歴が表示される。10歳でアメリカのトップの大学に飛び級入学し、その後、数々の未解決問題を解き明かしてきたようだ。

『さて、さっそく今日の話題に移って参りましょう』

スクリーンに目次のように話題がリストアップされて映し出される。

『岩谷さんはギフテッド教育について熱心に活動されているようですね?』

『はい。私は実はまともに日本の小学校、中学校、高校というのに通ったことがなくて。それは単に足並みをそろえた教育が私に合わなかったということなんです。私はアメリカの大学に入学した後、ギフテッドだけを集めたクラスに入れられました。もちろんそのクラスの先生もギフテッドで。そこで数学の面白さに気付くことができたんです。私に可能性を与えてくれたのは、あの教育をおいて他はないと今でも思うんですね。アメリカは結構ギフテッドの教育について日本よりも進んでいて。私は日本のギフテッドの子供たちに可能性を与えられるような教育システムを作りたいと思ったんです』

『なるほど。具体的な活動をご説明いただけますか?』

『そうですね、今私は岩谷塾という塾をオンラインの仮想空間上で開いています。そこでC to Cと言いますか、教えたい人と教わりたい人が集まって、普通の学校じゃ教えてもらえないようなことを学びあうというプラットフォームを作っています』

『最近流行りの仮想空間ですね。仮想空間といっても、すべての肉体の感覚が没入するタイプや、アバターをいくつかの感覚と同期して動かすタイプ、アイコンとチャットのみのタイプなどありますけど、学びにおいてどれが効率的だと思っていらっしゃるんですか?』

『ええと、肉体全部が没入するタイプと、アバターを動かすというのを組み合わせたみたいな形態で今はやらせてもらってますね。リアルに向かい合ってるような感覚の方がコミュニケーションが円滑で楽しいですし。まだまだ新しい技術なので、時々バクるんですけど、塾の生徒の中には優秀なエンジニアもいるので、その生徒に助けてもらったりもしてます』

笑いが起こる。

『タイプを組み合わせる、とおっしゃいましたが、それはトイロソーヴとは関係ありますか?岩谷さんはまだトイロソーヴに同調はしていないようですが……』

『あ、トイロソーヴみたいな感じです。トイロソーヴっていうのはカプセルって会社が開発した新人類の肉体の器なんですけど、それの私が塾の生徒のためだけに開発した器、アオセールってものを使っています。今最も広く知られているトイロソーヴとの違いは、個人開発なので使用規模が限られるっていうのと、同調解除が簡単にできるということですかね。個人開発の器なら、大学の同級生の友達も結構造ってたりします』

説明の図解スライドが映される。

『へぇぇ~、ギフテッドとなると、器も自分で開発しちゃったりするんですねぇ!いやあ、すごいです。器は簡単に作れないような、一つしかないもんだと思ってましたよ』

拍手が起こる。

エレナはテレビを消した。リビングに静けさが戻る。天才を見るのは、平凡な自分を嫌でも意識させられ、卑屈な気持ちになるので、気分がよくなかった。

食べ終わった食器をシンクに置き、冷蔵庫からロング缶のエナジードリンクを取り出し、自室に戻る。パソコンの電源を入れる。トップニュースのページを流し読みし、適当な掲示板を徘徊する。掲示板での匿名なコメントのやりとりだけがエレナにとって他人とのコミュニケーションのすべてであった。トイロソーヴについての話題が上がっていて、先ほどテレビで見ていたのでつい覗いてしまう。

『名無しmob:2155/07/20 12:45 トイロソーヴ同調って見た目選べないんだろwwそんな運ゲー誰がやんのww』

『匿名N:2155/07/20 12:45 お前に順番回って来るのは当分先だから安心しろ』

『DPskbn:2155/07/20 12:46 頭いい順に決まってるだろばーか』

トイロソーヴは、二頭身のアバターのような新しい肉体であり、日本政府は数十年前からムーンショット計画という7つの目標を掲げていて、そのうちの一つ目の項目、『仮想空間における人類アバター化計画の推進』を達成するためにトイロソーヴへの同調を数年前から推奨し始めていた。しかし、現状、トイロソーヴへの同調には多額のお金がかかり、その金を免除されるのは、各学問の業界で、権威を認められている、優秀な頭脳の持ち主であった。一般人で同調したのはまだ数人ほどだと言われている。トイロソーヴに同調するとき、遺伝子の情報に基づいて髪の色や瞳の色が非自然的な色になるらしく、その色のメカニズムは明らかにされていないため、一般人たちの目から見ると、その色はランダムに決まっているようにしか見えなかった。

エレナは自分なら同調するだろうか、と考えたが、すぐに首を振った。あんな頭でっかちな体、気持ちが悪い。いくら頭がよかったとて、その頭の良さのおかげで与えられた体がそこまで頭でっかちになったら普段の生活ができない。まったく、頭のいい人たちの考えることはさっぱりわからない。ちっともうらやましく感じない。

『Medusa:2155/07/20 12:48 @名無しmob フツーの精神なら誰もやらないよ、トイロソーヴきもいしw』

エレナはそう書き込んだ。そして別の話題をふらふらと探してインターネットをさまよう。世間ではもうすぐ夏休みに入るらしい。夏休みに入ろうが入るまいがエレナの生活にはほとんど変化はなかった。

『1mkitn:2155/07/20 13:09 まぢ夏休みの宿題ウゼー。てことで、読書感想文やってくれたら一万あげまーす』

『HWO:2155/07/20 13:10 中学生?読書感想文とか懐www』

『ヒッキー7:2155/07/20 13:11 中学生が一万出せるわけないやろ』

『自宅警備員:2155/07/20 13:11 ワイでよければぜんぜんやるがww』

『3dragon:2155/07/20 13:12 ガキに金無心する乞食湧いて草www』

『1mkitn:2155/07/20 13:15 俺は中学生だよ。同じ中学生で同じヒキこもりの奴いたらやってほしい。あと、一万はちゃんと出せる』

『ItiZimS:2155/07/20 13:16 @自宅警備員 オッサン振られてて草』

エレナはふと自分の中学からの連絡メールを開く。宿題リストが添付されていたが、不登校をしているうちに授業は進み、どれもわからなそうだった。今年も宿題を一つも提出しない流れになりそうだ。数学や理科はもう小学校中学年の時点で学習は止まっており、中学生としての基本的な計算もかなり危ういほどだった。もう、他の生徒の背中は遠すぎて、追いつくことは絶望的なように感じていた。

エレナは宿題リストの中に読書感想文があるのに気が付いた。エレナは、数学や理科はできなくとも、日ごろインターネットで文章に触れていたので感じや読解力の面で国語という科目だけには少し自信を持っていた。本を読むことも嫌いではなかったし、ネット上で無料の電子書籍を読んだりもしていた。読書感想文くらいなら私にもできるかもしれない。学校に提出するのは、今までまったく関わろうとしてこなかったがゆえに、今更急に、という感じがして気が進まないが、ネット越しの知らない引きこもり中学生に提出するのなら気が楽だ。しかも本を読んで適当に数百文字書くだけで簡単に一万円を稼ぐこともできる。エレナはコメントを書き込んだ。

『Medusa:2155/07/20 13:20 私引きこもり中学生ですけど、読書感想文くらいならやりますよ』

『ヒッキー7:2155/07/20 13:20 ホンモノの中学生いて草ww良かったなw』

まもなくその話題を提示した引きこもり中学生から個人へのメッセージが届いた。

『コメント見ました!1mkitnっす。宿題なんですけど、「透明人間」ってタイトルの本の感想、2000字なんで、よろしくオネシャス!8月31日の夜までに送ってくれればいいんで!金はそしたら送りますね!ちな、Medusaさんて何年生すか?』

『一年です。文章書くのはまあまあ得意なんで待っててください!』

『マジすか、俺もっす。よろしくー』

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