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ケラサスの使者  作者: 岡倉桜紅
第三章
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13 メデューサ

青の街に滞在して10日が経とうとしていた。ラミーとウォータは図書館近くに宿を取り、毎日朝から晩まで図書館にこもって情報を探し続けた。その階にはないとみると、さらに下へ下へと階数を下っていった。

しかし、伊尾鈴也についての情報はまったく出てくる気配を見せなかった。手ごたえのない調べものは二年間続けてきただけあって二人にとっては耐え難いというほどのものでもなかったが、楽園が海流によって流されていくことを考えると、楽園に戻るためのタイムリミットはたしかに存在し、それが二人をやや焦らせた。

「とうとうここが最下層かぁ」

エレベーターの金網が開いて、二人は籠から下りる。

とうとう一番下の階にたどり着いてしまった。ここを探してなければ、望みは潰えたと思って間違いないだろう。二人は書架の間を歩いていく。この階の天井は今までの階よりも高く、書架は身長の何倍も高くそびえたっていた。床にはじゅうたんなどは敷いておらず、真っ黒でつるつるした石のタイルが敷き詰められていた。可動式のはしごを使って上の方の本を取ることができるようになっている。巻物や、石板のようなものが詰められている棚もある。

「一番下の階なのに、意外と書架はスカスカだな。まだ本を入れる余裕がありそうだ」

ウォータが言う。この階は広く、天井まで伸びる高い書架のせいで景色がどこも同じように見え、簡単にはぐれてしまいそうだったので、二人で行動することにしていた。書架の高さのせいか、この階は一段と薄暗く、ほぼ読書には適さない光量しかなかった。ランプを持ってこればよかったと後悔するほどだ。書架の間を歩いていると、うっかりすると、ここまで乗ってきたエレベーターの位置もわからなくなってしまいそうだ。

「そうね。あと、日本十進分類法で分類されていなくてラベリングされていないからどこから見たらいいかわからないわね」

上の階の本はほぼすべて分類され、ラベルが貼ってあった。しかし、この階の本はラベルが貼られておらず、経年劣化のせいか、タイトルの文字すら掠れて読めないものもあって、調べものをするには骨が折れそうだった。

ラミーは適当に手近な本を一冊抜き出す。図鑑サイズの大きめな本で、真っ白で背表紙にタイトルが書いていない本だ。表表紙も、裏表紙にもなにも書いていなかった。表表紙を開く。鉛筆で手書きの文字がある。『メデューサの手記』

「メデューサ?」

ウォータは覗き込む。ラミーがページをパラパラをめくると、ほぼ白紙だが、時々、日付とともに一行の日記がつけられていた。

「誰かの十年日記帳かしら。この階は2000年より昔の時代の本を集めているだろうから、千年以上残った日記ってことになるわね。何が残るかわからないから意外としょうもないものでも書き残しておくものね……」

最後のページで手が止まる。走り書きのように『No.54』と書かれている。

「ねえ、ウォータ、」

ウォータはラミーが抜き出した『メデューサの手記』の周辺にある、同じくタイトルの書いていない白い本を次々に取り出していた。

「この手記を書いた人は、相当長い時間生きてる……?」

ウォータはNo.97の手記を見せた。最新の日付は3134年、8月。

「不老不死なんて。創作でしょ」

「それは考えづらいよ。ここは海底図書館の最下層だ。ただの物語なら、もっと上の階にあるはずだ。ていうか、千年生きている人のことを一人だけ俺たちは知っているじゃないか。不老不死は不可能な幻想じゃない」

「コピー様のこと?」

ラミーは手元の本に目を落とす。急に不気味な気分に襲われる。無作為に手にとった本一冊でこんなにも不気味に心をかき乱されるとは思わなかった。

「このメデューサって人は、コピー様のことなのかな」

「だとしたらなぜここに、青の街にあるんだよ」

その時、かすかにエレベーターが閉まる時のような音がした。二人が来た方向からではない。二人の前のほうから聞こえてきた。

「誰かいるんですか?」

返事はない。他の図書館の利用者であると考えるのが筋であったが、最下層まで来るヒトはなかなかいない。ウォータは走り出した。

「ウ、ウォータ!待って!」

ラミーも置いて行かれまいと慌てて追いかける。ウォータは書架の間を走った。そこで気付く。こんなに滅多にヒトが来ないこの最下層の階の床は、なぜこんなにもきれいなんだろう。埃もさほど積もっておらず、黒のつるつるした石のタイルは磨き込まれているようだ。頻繁にここに出入りしているヒトがいるのだ。ウォータの頭に、青の街に着いた初日に出会った中年の男の言葉がよみがえる。この海底図書館には司書がいる。もしかしたら――?

ウォータは壁にたどり着く。少し遅れてラミーも追いつく。

その壁には、さらに下の階に続くエレベーターがあった。


エレベーターはすぐに()()()最下層まで到着した。金網が開く。

思わず目を見張り、息を呑む。

二人の目に真っ先に飛び込んできたのは、一面のピンク色だった。巨大な水槽の中で揺蕩う美しいピンク色のクラゲだった。

部屋の一面の壁が水槽になっており、部屋の真ん中には水槽の方を向いた一人掛けソファーとサイドテーブル。両側の壁は、右側は書棚、左側はパソコンや、ゲーム機が置いてあるスペースとなっていた。ソファーに座っていた人物がゆっくりと立ち上がり、振り返った。

エンシェの姿の少女で、見た目の年齢は中学生か、少し幼めな顔立ちの高校生くらいだろうか。髪は床につくほど長く、少しカールして、色は真っ白だった。瞳は真っ赤だ。服は真っ白なブラウスに、制服っぽいスカートを合わせ、首元にはオレンジともピンクともつかない色のリボンをしている。足元は裸足で、透き通るような生白い肌がスカートから伸びていた。

髪や瞳の色はコピーの見た目とそっくりだが、穏やかな雰囲気と、どこか日本人離れしたその顔立ちからはっきりと別人とわかる。

「――ようこそ。海底へ」

少女は透き通った声で言った。

「あなたは……?」

ラミーは聞く。声がかすれていた。

「私はメデューサ。この部屋の住人、そして海底図書館の司書」

メデューサは手招きをした。

「せっかくここまでたどり着いたんだから、そんなところに立っていないでこっちに来たら?」

促されるままに二人は部屋の真ん中まで歩く。

「椅子はないけど。適当に座って。今までここに客人が来たことは片手で数えられるほどしかないんだ」

メデューサは上機嫌なのか、くるりと軽やかにターンをすると、大小さまざまなクラゲが泳ぐ水槽の前で腕を広げる。クラゲはピンク色に微妙に発光しているかのようにも見えた。

「この水槽、素敵でしょう?まるで満開の桜の下にいるみたい」

サクラというのがなんなのかわからなかったので二人は曖昧に頷く。

「まあ。知らなくても無理はないか」

メデューサは二人の肩に手を置いて、本を積み上げた山に腰を下ろさせた。

「あなたたちは運がいい。私はこの海底でおよそ千年間暮らしている。そして、私はもうじき死ぬ。この世にはさほど執着はないが、一人死ぬのにここはあまりに寂しすぎる。私はふと願った。誰かがこの海底を訪れることを。そうしたらあなたたちが現れた。なんて偶然!なんて幸運!この世に神サマがいるのならその人はきっと最後にチャンスをくれたんだ。私の一生について、私が私に価値を見出せる最後のチャンス」

メデューサは一人掛けソファーに腰掛け、足を組む。その一挙一投足から目が離せない。ヒトを超越したような存在と対峙して、体が強張っている。

「これは私の、自己満足のための独り言。聞く聞かないはあなたたちの自由。……でも、これはお願い。誰かに話を聞いて欲しかったんだ。あなたたちの時間を無駄にはしない。聞いていってよ。――世界の秘密を教えてあげる」


頭の中で情報の処理が追い付かない。青の街の海底図書館の最下層に来たら音がして、エレベーターに導かれて足を踏み入れたそこで千年生きた伝説の司書に出会った。そして司書は、長年の話し相手をようやく見つけ、迷い込んだ私たちになんと世界の秘密を話すと言う。

見ていると引き込まれるような深い赤の瞳がこちらを捕らえている。

「世界の秘密……?」

メデューサは頷いた。

「歴史の分岐点、そのころから私は生きている。この図書館が海底に沈む瞬間も見ていた。今となっては誰も覚えていない歴史を話してあげる。イオールの雲が起きた経緯、その真犯人、そしてそれらすべてに絡む、不老不死の心臓について」

「どうして私たちに」

声が上手く出ずに掠れる。

「運が良かったから。または悪かったから。すべてはタイミング。私の命はもう長くない。この秘密をただ覚えておく、これが今までのこんな幽霊のように生きる私の使命だった。私が死ねば使命はそこで終わってしまう。死ぬ前に真実を明かさなければならない。そうして初めて私は幽霊じゃなくて死者になる。あなたたちはある意味私の使()()なんだよ」

メデューサは自分の青白い指先を眺めるようにする。白すぎて透き通るかのようだ。

「日記を、……本を書けばいいじゃないですか」

ウォータが言う。メデューサは少し笑う。

「書こうとした。日記なら毎日書いた。しかし、文字はすべてではない。言ったでしょう。これは私の自己満足。私は語ることにおいてのみ自分を幽霊ではなくすことができると信じている」

メデューサは二人のことをじっと見つめる。

「ねえ、人はいつ死ぬと思う?」

少し時間が流れる。

「忘れられたときだよ。心臓が動いているかは問題じゃない。私は私そのものとして街の人に覚えてもらっていたわけじゃないけど、存在だけは伝説として覚えてもらっていた。私はだから幽霊のように生きていた。じゃあ、人はいつ生きていると言えるんだろう。私は千年幽霊をやりながら考えた。私が思うに、それは価値だ。自分でも他人でもいい。自分の生について価値を見出した時に人は生きているんだ。私はもう、死ぬ準備は出来ている。今日、あなたたちにこの話をして、私は死者になる」

「死にたいんですか」

「死ぬんだよ」

メデューサは少し息を吸い込むと、語り始めた。

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