12 海底図書館へ
ラミーとウォータは中央ブロックから北ブロックに続く列車に乗り、終点までたどり着いた。エンダ駅だ。駅は無人で、楽園の外壁が近くに見える。ホームには近くの砂漠から飛んできたであろう細かい砂が積もっていた。
三角形の板が整然と組み合わさってドームのように楽園に覆いかぶさっている透明な外壁は、光の加減によってさまざまな色に見えた。
「楽園の外に行くのかい?」
外壁の出入口の守衛は二人を見て言った。口からは酒の臭いがする。昼間から飲んでいるのであろう。守衛の小屋の中は散らかり、ラジオが大音量で垂れ流されていた。城に雇われた役人、クロードとしてどうなのか心配になる勤務態度だ。
「そうです。送迎の船はいつ頃着きますかね」
ウォータが言った。守衛の男は首を振った。
「駄目だ。去年は青の街にかなり接近していて、そこに一番近い出入口がたまたまこの北口だっただけで、今年は状況が違う。行きてェなら東口から出るこったね。まァ、今年はあまり接近してないようだからかなり長旅になることは覚悟しといたほうがいい」
「そうですか。どうもありがとうございます」
「達者でな」
守衛の男は二人を追い払うかのように手を振ると、引っ込んだ。
楽園は太平洋に浮かぶ大きなカプセルで、青の街は海底から建設してある高いビル群のような海上集落のようなものなので、接近することもあれば遠ざかることもある。去年の夏ごろがちょうど接近した時で、それ以来少しずつ楽園は海流に流されて青の街から遠ざかっている。
「東ブロックの出入口に行ってみましょう」
ラミーが言って、ウォータも頷いた。
「船は明日の正午ごろにひとつ着きますね」
東口の守衛はそう言った。
「予約しておきますね」
二人は船の予約や、書類の記入、DNA保存のための採血を済ませた。
とりあえず、船が来るまでは時間ができた二人は東ブロックの外壁近くの街で宿をとり、夜までは喫茶店で過ごすことにした。
「あー、こんなにドカンと休み取っちゃって、ちょっと署の方が心配になってきちゃうな」
「真実を知るためよ。この真実を知るために私たちはこの二年間を費やしてきたんでしょ。今確かめなきゃもったいないわ。それに楽園はどんどん青の街から遠ざかるのよ。先延ばしにすればするほど真実は遠くなるの」
ラミーはコーヒーを一口すすって言った。
「それはわかってるよ。俺が言ってるのは俺たち二人の噂。二人同時にこんなに長く休みを取ったらどんなに鈍いやつもなんかあるなって、妙な勘ぐりをするだろ?」
「嫌なの?」
ウォータは何か言おうと口を開きかけるが、適当な言葉が見つからなかったらしく、黙ってコーヒーを飲む。
「さて、そんな後ろに残してきたことよりも、俺たちが海底図書館で調べるべきことを明確にしておこうよ。青の街にいられる時間も有限だ。できるだけ有効に使えるように計画を立てておかなくちゃね」
ウォータはメモ帳を取り出して机に広げる。
「あなたが言い出したんじゃない」
ラミーはつぶやくが、自分もすぐに自分のメモ帳を取り出す。
「私たちが知りたいのは伊尾鈴也という科学者の一生についての情報。楽園が創設されたのは2155年の出来事だから、その周辺の年代の資料を調べる必要があるわ。海底図書館は下に潜れば潜るほど古い本が保存されているから、相当深いところまで潜らないといけないことになりそうね」
「ケビイシで鍛えた体力がここで物を言うわけだ」
「さすがにエレベーターはあるでしょ」
海底図書館はイオールの雲という天変地異の事件が起きて海面が上昇した千年前からずっと存在し、今もなお、縦に伸びることで蔵書を増やし続けている。
千年間の知識の堆積だ。楽園という場所が知識を増やしも減らしもせずに千年変わらないままでいるのに対して、まさに対照的な場所だった。
「もし伊尾鈴也がタイムスリップに成功して、千年未来に飛んだという証拠を見つけたら、伊尾鈴也はエンシェとして死んだか、それとも今もトイロソーヴに姿を変えて楽園にいるってことになるよね。その場合、一年前の一月に起きたテロリスト殺害の容疑者として浮上したイオという男が、がぜん怪しくなる。伊尾鈴也はイオに変身して楽園で一体何がしたいのかな」
「わからない。まだ不確定な要素が多すぎるわ。私たちの勘では、伊尾鈴也とイオはほぼ同一人物とみているけど、それをまず確かめなくちゃ。それを確認しないことには話を前に進めすぎるのは危険よ」
「わかってるよ。でも、気になるじゃないか。時間移動という封印された技術を持った科学者がこの楽園に紛れ込んで暮らしているんだよ。この楽園の秩序を乱すような計画があるのかもしれないじゃないか」
「それがわかったら速やかに署長に報告しましょう。いや、署長よりも、テート・ケビイシか、王に進言してもいいわ。その人は危険ですって」
「そうしよう」
二人はコーヒーをすすった。
外壁の向こう、春の海は少し濁り、荒れていた。
ラミーとウォータの待つ船着き場に迎えに来たのは、オレンジ色の髪をした快活な青年だった。青年は愛想よく挨拶をして、二人を船の中へいざなった。2時間ほど激しい波に揺られると、水平線上に街が見えてきた。積み木のようにたくさんの建物が積み重なり、つながりあう、海上に浮かぶ青い街。
「ようこそ。これが空に一番近い町、青の街だよ……って船酔いでそれどころじゃないか」
青年は青い顔をしてえずいている二人を見てポリポリと頭をかいた。
「どうも、送ってくれてありがとう」
二人がよろめきながら下船すると、青年は大きく手を振った。
二人はエレベーターに乗っていた。海底図書館の最深部に続くエレベーターはどんどん下へ下へと二人を運んでいった。
「このあたりで降りてみようか」
レトロな金網が開き、二人はエレベーターの籠から出る。大きな窓から穏やかな青い海底の光が入り、泳ぐ深海魚が見えた。照明は落ち着いた青色で、まるで海の底を歩いているかのようだった。書架の間を歩く。書架と書架の間には時々、ふと思い出したかのように座り心地のよさそうな椅子と、読書用の机、デスクランプが用意されている。一歩一歩と歩みを進めるたびに古い本特有の黴臭さが香ってくる。落ち着く匂いだった。書架には2100年代の本が並べられていた。時間移動についてのコーナーへと進む。
ラミーは手当たり次第に関係のありそうな本を書架から抜き出して抱え、椅子に座る。視界の端でウォータもそうしているのがわかった。ラミーは本を開く。古い本の匂いが頭を一杯にする。ラミーは読書に没頭していった。
「なかなか、すぐにお目当ての情報を見つけるのは難しいものだね」
夜が来て、二人は調べものを切り上げ、適当なレストランに入って夕食を取っていた。見たことのない、どちらかと言えばレコードに似たような装置から流れる趣味の言い音楽が、よい雰囲気だった。テラス席に向かい合って座る二人はそれぞれ魚料理を食べていた。テラス席は海が見えるウッドデッキで、吊り下げられたランタンからはオレンジ色の柔らかな光がふりまかれていた。
「そうね。まあ、ここの図書館の本は膨大だし、根気強く探していきましょう」
ラミーは固い魚に四苦八苦しながらナイフとフォークを動かしていた。不気味な色で、凶悪そうな牙の生えそろった怖い顔の魚は、もちろん二人は楽園では見たことがなかった。
「それ、美味い?」
ウォータは自分の目の前のぶよぶよした魚丸ごとを、どこから手を付けていいか戸惑いながらラミーに聞いた。
「……正直な事を言うと、楽園のご飯が恋しくなるわ」
「俺も」
ウエイターがさらなる料理を運んできたので二人は慌てて口をつぐむ。ウエイターは二人の前に灰色のどろどろした液体の入ったカップを置いて一礼し、戻っていく。二人は無言で目配せをしあい、どちらが食べるか押し付けあう。
「この街はこんなにおしゃれなのに、なんでご飯だけはディストピアそのものって感じなんだよ」
根負けしたウォータはぼやいた。
夕食を終えて会計を済ませ、二人がレストランから出たとき、二人に声をかける者がいた。
「なあ、楽園から来たのか?」
ポロシャツに短パンの中年の男で、レストランを出たすぐ先の空中に張り出すような階段の手すりに腰掛けて本を読んでいた。
「はい、そうです」
男はひょいと手すりから身軽に飛び降りた。
「昼頃に、ずいぶん深いところに潜っていく姿を見かけたからつい声をかけたんだ。探し物があるんだろ?そしてそれは、難航している」
「まあ、そうですね」
「差し出がましいことは承知だが、一ついいことを教えてやるよ。海底図書館には一つ、言い伝えがある」
「言い伝え?」
「ああ。この図書館には司書がいる。この図書館の蔵書ほぼすべてを読み、図書館のことを知り尽くした司書が。その司書は滅多に人前には姿を現さないが、図書館の奥深く、ずうっと海底に棲んでいるという伝説だ。その司書に聞けば、すべての情報がたちどころに得られるという」
「本当ですか?」
「言い伝えだって言ったろ。でも、もしあんたらの調べることが、世界の秘密に触れちまうような重大なことなんだとしたら、その司書を探してみるのも選択肢の一つに入れてみるといいかもしれないな」
男は笑って階段を下りていき、角を曲がって見えなくなった。
「酔っ払いかしら」
「さあ、よそ者への洗礼なのかも」
二人は宿を取った。