10 エラーズ排斥派
事務のお姉さんとカトリーナが会社に消えた後もギンナルはしばらくそこを動くことができなかった。涙が出そうになるが、気合でこらえる。俺には、泣く資格なんかない。悪いのはすべて俺で、事務のお姉さんが自分に向けるやりきれない憎悪はすべて引き受ける責任があった。
全部その通りだった。何も言い訳ができなかった。あの日、あの時、手紙をもらった後に俺がくだらない言い訳を一人でして電話を掛けなかったのは事実で、俺はその重い罪を背負って一生生きていかなくてはならないのだ。
「こんなに思い通りに計画が進むとは驚くな」
「ああ。やつらは今日も何も知らずに、健気にエラーズのために仕事をしていやがる」
立ち尽くしているギンナルの耳に会話が入ってきた。若い男が二人、なにやら不穏なおしゃべりをしながらギンナルの横を通り過ぎて行った。
「明日はこのスイッチをぽちっと押せば任務完了だ。楽園の地上を汚すエラーズ支持会社の、汚ねえ社員どもはみんなお陀仏ってわけ。ハハハハハ!」
ギンナルはその二人の後をつけることにした。
二人はその後、適当な店で昼食を食べ、本屋を冷やかした後、まだ城の破壊のせいで少し荒れている城下町のメインストリートを歩いて行った。やがて二人は古い牛丼屋に入っていった。そのころにはもうあたりは暗くなりかけていた。ギンナルは裏から回り込み、中の様子をそっと伺った。
「ちぃーっす、お疲れさまでーす」
牛丼屋にはすでに多くのヒトが集まって食事をしていた。酒を飲みかわす人々で、店内に牛丼屋の雰囲気は全くなく、まるで酒場のようだった。
「お疲れ。じゃあ、革命前夜をみんなで祝おうじゃないか!」
奥から眼帯をつけた年配の女性が出てきて二人に酒のグラスを差し出した。おおー!と雄たけびが上がり、乾杯がされる。
「明日の正午ちょうど、あの社会のゴミを助ける社会のゴミ会社を、ぶっとばーす!」
会社をぶっ飛ばす?ギンナルは思わず荒くなる呼吸を必死で抑える。どうやらこの集団はエラーズ排斥派の過激な集団で、派手なデモをやったり、エラーズのやっている商売を邪魔したりする団体だった。連中は明日、事務のお姉さんが働くあの会社を爆破する予定なのであった。
「マリア様、客人が来ております」
声がかかって、マリアは顔に塗っていたスキンケアのクリームを置いた。鏡越しに背後のドアの様子を見る。マリアは地下のマンションの中でも最高級ともいえるほどの部屋に暮らしていた。高級なじゅうたんが敷かれた大理石の広いフロア、豪奢なドレッサー、天蓋つきのベッド、椅子一つとっても、普通にエラーズとして生活していたら一生かかっても手が届かないような高額な物ばかりが部屋にあふれていた。
「誰?こんな夜更けに。追い返して」
マリアはそう言ってまた自分の顔に視線を戻す。耳元まで裂けた口から、マリアが言葉を発するたびに歯やグロテスクな内側が覗いた。
「いえ、しかし、会社の存亡にかかわることについて至急話がしたいとのことです。情報屋のギンナルと名乗っております」
「会社の存亡について?」
白いバスローブの間から覗くなめらかな足を組み替える。
「明日のエラーズ排斥派の計画について独自に調査でもしたのかしら。大方、こちらがすでに持っている情報を高額で売りつけるとかそういうのでしょう。あなたごときが知っている情報はこちらですでに持っているだろうし、必要ないから帰ってもらって。どうせ金が欲しい乞食よ」
「乞食じゃない!」
ドアが乱暴に開かれてギンナルが部屋に転がり込んできた。マリアの召使たちがすぐに飛びつき、ギンナルは床に組み伏せられる。
「俺は情報を売りつけるためにここに来たんじゃない。確認をしに来たんだ」
「つまみ出して」
マリアは鏡越しにそれを冷淡な目で一瞥して言う。
「あんたの会社の新しい部署のことだ。明日エラーズ排斥派の活動家たちに爆破されるんだ!」
「お言葉だけれど、私たちはそれくらい知っているわ。これでも関係者、社長ですもの。知らない方がおかしい。明日、あの部署は爆破されるの」
「それに対応する策をちゃんと打っているのかを確認しに来たんだよ」
マリアは振り返って歯をむき出すようにしてギンナルを睨む。
「ええ、もちろん。さあ、出て行って」
ギンナルはひるまずに睨み返す。
「あんたらの対策っていうのは、爆破自体を止めることじゃない。わざと爆破させるつもりだろう。調べてみれば、あの部署は数か月前にできたばかりの新オフィス。まだ必要な備品も揃いきらないほどの新しいオフィスだ。あんたは新たな法律ができてからすぐにあの部署を立ち上げ、わざとあの場所に設置した。あんたの会社は今まで地下にしかオフィスを持たなかったのに、ずいぶん恣意的だ」
「何が言いたいの?私たちは法律が定まったからその法律に、王の理想の楽園に近づくような会社作りに舵を切っただけの事よ。部外者のあなたにオフィスの場所についてあれこれ言われる筋合いはないわ」
「あんたは、あの場所にオフィスを設置することによってエラーズに反感をもつヒトたちのヘイトをそこ一点に集め、爆破という派手な行動を連中が起こすように誘ったんじゃないか?エラーズ排斥派の活動家は感情的で血の気が多いから、そんな場所にエラーズを助けるような会社のオフィスを立てれば、必ず注目されると踏んだんだ。爆破させて何が目的なんだ?ノーマルズの行き過ぎた行動を世間にさらしたかった?それとも会社はこれでもう壊滅したと連中に思わせることで、将来の衝突リスクを下げようとしたのか?」
マリアは今度は体ごとギンナルの方へ向いた。足を組み替える。
「……まあ、そうね。あのオフィスは最初から捨て駒。あなたの予想は概ね正しいわ。一度大掛かりにやられた振りをしておけば、あっちは勝手に私たちがもう再起不能になったと思い込み、これから商売の邪魔をしてくることも減るでしょう。最近、ビジネスが自由にできなくなって息苦しくなってきたところだったのよ。爆破はさせてあげる。あちらさんに仮初の勝利を握らせて喜ばせてあげるのよ。でも、それが一体なんだと言うの?それが私の経営方針よ。どのみちあなたに口を出されるいわれはないわ」
「俺が言ってるのは従業員のことだ!」
ギンナルは叫んだ。
「明日爆破は行われる。従業員はもちろんちゃんと安全に避難しているんだろうな?それに、何も知らない近隣住民も巻き込まれるかもしれない。相手に勝利を握らせるには周りのヒトが傷つく」
「将来のビジネスのためだもの。多少の痛みはしょうがないわ」
「従業員は避難させてるのか?」
マリアは両手を天井に向けるようなしぐさをする。
「明日も営業日よ。明日だけオフィスにヒトがいなかったら連中は計画を中止してしまうかもしれないじゃないの。私はあのヒトたちに確実に勝利を手にしてほしいのよ。心配しないで。あのちっぽけなオフィスには従業員は大していないわ。そんなに従業員のことが気になるのね。どうして?知り合いでも働いているのかしら?」
マリアは立ち上がって部屋の中を歩き回り始めた。
「うーん、あの部署の立ち上げの時から人材は厳選してきたわ。勤労で口が堅く、実行力がある人材。――それとオマケで、とびきり電話番が上手い人材」
マリアはギンナルの前にしゃがみ込み、床に押さえつけられて動けないギンナルの頬を指でつぅとなぞった。きれいに飾り付けられた長い爪が頬の上を滑る。
「避難させてくれ」
「それは難しいわ。もうプランは最終段階。そして相手の計画ももう最終段階よ。少し遅かったわね」
「爆破は正午。俺が明日の朝、会社の前に立って、出社しようとする従業員を一人残らずオフィスに入れずに家に帰らせると言ったら?」
マリアは裂けた口の両端を吊り上げる。
「そんなことはさせないわ」
ギンナルを押さえつけていたマリアの召使がギンナルを乱暴に引っ張って部屋の外へと引きずっていく。
「おい、やめろ!何する気だよ!」
ギンナルは抵抗するが、腕力を鍛えたことは一生で一度もないヤワな体であるために、何もできずに引きずられていった。