5 マリア
「ふうん、大量の小判でたくさんの患者の顔を殴って順番ぬかしをして要求するのがこれなのね。別に上司だからといっていつでもこういう対応をするわけじゃないのよ」
女は足を組み替えた。白衣の間から病院の雰囲気にそぐわない真っ赤なエナメルのハイヒールがちらりと見える。
「時間がない。対価は払っているんだから相応のサービスをしてくれ。マリア」
ルートは女に言った。
地下の薄暗い路地にあるビルは、ビルの薄汚い外見とは裏腹に、清潔で明るい病院であった。
「あなたより深刻な状況と戦っているヒトはごまんといて……まあ、そんな話をしてもしょうがないわね。あたしもビジネスでやってるんだし、あんまり気にはしないわ」
マリアは首を振って長く、つややかな黒髪を背中に流した。瞳の色は青と黄色のオッドアイである。実は40代まで歳を食っているのだが、執念ともいえるほどの美容への意識の高さのせいで見た目は20代で通るほど若々しい。白衣の下はきらびやかで見るからに高そうな服を着て、顔は青の医療用マスクをしていた。手の甲には丸に斜線一本。マリアはR1の幹部の一人だった。
「まずは状態を見せて」
マリアはルートのかぶっているフードを脱がせる。ルートは部屋の明かりのまぶしさに顔をしかめる。皮膚を突き破って出たり入ったりしている血管と、常にどこかしら出血しているグロテスクな皮膚があらわになる。マリアは慎重に腫れあがった瞼を触り、その下でつぶれて機能を失った目の様子を観察した。
「もう見えないの?」
「ああ、完全に右は見えていない。左も最近駄目になってきた。とにかく今回は右目を治してほしい」
マリアは闇医者であった。臓器を売買し、移植するネットワークを形成して、地下で活動する。地下で生まれたマリアは、もちろん医者になるための正当な教育を受けてきたはずもない。マリアは皮膚や顔にハンデを持って生まれてきた。美しくなることを諦めなかったマリアは、10歳にして自分の皮膚の移植手術を敢行した。最初の手術は見事成功し、それ以来マリアは自分の持って生まれた気に入らないところをすべて手術によって改善してきた。彼女の医者としての腕は彼女の美しさがありありと証明していた。
「いいわ。そんなに難しい手術じゃないし、すぐに終わる。で、どれをあたらしく入れるわけ?」
ルートは机の上に置いてあるランタンを指さした。ランタンの形をした容器の中には液体が満ちていて、その中に眼球が一つ浮いていた。
「瞳が紫だけど、気にしないのね」
「見えれば構わない」
「ま、灰色と紫のオッドアイもなかなかハンサムなんじゃないかしら」
マリアはパチンと指を鳴らした。二人の屈強そうな男が出てきてルートを両脇から抱え上げ、奥の部屋の椅子に縛り付けた。皮膚が拘束具にこすれると、ルートは痛みにうめいた。マリアはルートの頭にヘルメットのような固定器具をつけた。
「今日診察して今日手術か?仕事が早すぎるんじゃないのか」
「あなたもご存じかもしれないけど、あたしにはあたしを待っているたくさんの金ヅル、あ、間違えた、患者がいるのよ」
「ここ何か月も仕事をせずに自分の美容に明け暮れていたくせに」
マリアはルートに顔を近づけ、威嚇するようににらみつけた。マスクの端から、裂けた口が見えた。
マリアの口は耳まで裂けている。黙っているときや、マスクをして普通にしゃべる分には裂けていないように見えるのだが、歯をむき出すとぱっくりと裂ける。マリアの技術をもってすれば縫って塞ぐことも、その傷を目立たないようにすることも十分可能ではあったが、マリアは口をそのままにしていた。地下でいい暮らしをしていくにはさまざまな危険から自分の身を守る必要があり、その裂けた口は彼女なりの防衛術なのかもしれないとは噂されていた。そして一部では、彼女は自分の手で口にはさみを入れた、という説も飛び交っているが真偽はわからない。
あれよあれよという間に手術の準備は整い、ルートの目には瞼を開けておく金具が装着される。
「ちょっと痛いかもしれないけど、我慢してね」
マリアはためらいなく目と瞼の間にスプーンを突っ込んだ。
「……っあぁ……くっ」
手術を終えたルートは汗びっしょりになり、よだれ、涙、鼻水と体中の穴から液体をはしたなく垂れ流しながらうめいていた。
「三日は入院していきなさい。決して触っちゃだめよ」
マリアはルートを乗せたベッドを入院用の病室に運ばせ、サイドテーブルにサンドイッチと牛乳をどんと置いた。
「今夜の夕食はサービスにしておくわ」
「マリア様、お電話が」
ルートの病室の戸を閉めたところで、屈強な男の一人が呼びに来た。
「はい、私よ。いい夕ね」
『星月夜です。マリア様、報告いたします。やはり、例の事態を避けることは困難のようです』
マリアが電話に出ると、電話の向こうのヒトは報告した。
「じゃあ、ちょっと気の毒だけれど、プランBを遂行してちょうだい。私は、私のためにも、すべての悩めるエラーズのためにも、このビジネスを辞めるわけにはいかないの」
『承知いたしました。日時は3月20日で間違いない模様です』
「わかったわ。報告ありがとう。それじゃ、よろしくね」
マリアは受話器を置いた。