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ケラサスの使者  作者: 岡倉桜紅
第三章
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4 カトリーナ

「かしこまりました。3月11日の12時からのご予約ですね。お待ちしております」

ハイパー・エクストラ・ウルトラ事務のお姉さんは受話器を置いた。この数年間で職を転々とし、楽園中のさまざまな場所で事務の仕事を担っていた。ある時は大臣の塔の事務、ある時はハローワークの事務、ある時は学園の事務員、ある時は郵便局の事務……。活躍をするたびに呼び名の就職後は増えていった。事務員としてめきめきと腕を上げ、スピーディーな書類作成、どんなクレーマーにもにこやかに対処し、クレーマーを笑顔で帰らせる話術、職場にはびこる無駄をすっきりと片付けるなどのほかに、その他、お茶くみ、掃除、根回し、情報収集術など、事務とは少し違うスキルも職場の環境に合わせて身に着けてきた。だからこそのハイパー・エクストラ・ウルトラなのである。

予約の予定を手帳に書き込み、上司に連絡することリストに追加する。

事務のお姉さんは現在、商社の事務員として働いていた。そこそこ由緒も歴史もある会社で、現代に合わせた新しい価値観を取り入れることに熱心なのか、ファイ様が王位について新たな法律を発表してからすぐに、「地下と地上をつなげる仕事」というスローガンを掲げ、新たな部署を立ち上げた。事務のお姉さんはいままでに培ってきた技術や信頼おかげか、その新部署が立ち上がるとすぐに高時給で引き抜かれた。

事務のお姉さんにはまるまる一つの小部屋が与えられ、その中で仕事をさせてもらえるという待遇だった。その部屋は電話や事務に必要な資料ファイルはもちろん、印刷機やコーヒーメーカーまで完備してある大変快適な個室だった。

この仕事を始めてまだ四か月だったが、高時給のおかげで、今まで入ったこともなかったような高級アパートに引っ越して、月に一度マッサージに通うことまでできるようになったのである。

事務のお姉さんはデスクの引き出しを少し開けた。中には一枚の写真が入っている。優しい顔で笑いかけている女性が映っている。もう声も思い出せないが、事務のお姉さんの母親だった。

「お母さん、私、頑張ってるからね」

事務のお姉さんは小さくつぶやいた。

母は東ブロックの良家の男と結婚し、事務のお姉さんが生まれた。母もまた事務員だったが、事務のお姉さんがまだ生まれて間もないころに屋敷の窓から飛び、自殺した。そのころはロボットが仕事を奪っていた時代だったらしいと後に父親から説明された。事務のお姉さんは15で家を出て母親と同じ事務員を目指した。母親のしていた仕事を、母親を肯定したかった。事務員として稼げば、それを父親に見とめさせることができれば、それは可能だと思い込んできた。

しかし――、と事務のお姉さんは思う。母は本当に仕事を苦にして死んだのだろうか。良家に嫁げば金銭的な問題はそこまでなかったはずだ。ではなぜ母は死んだのだろうか。最近は気付けばそのことばかりを考えていた。


「ペタル様の契約期間が来月終わるようですので、よろしくお願いします。そして、社長からのご連絡ですが、これからしばらくの間、中央ブロックのほうへは営業にあまりいかなくても良いとのことです」

事務のお姉さんはメモを片手に外回りの営業から帰ってきたばかりの社員に連絡した。

「しばらくの間って、いつまで?」

スーツを着た女はジャケットを脱ぎながら聞く。

「すぐに具体的な期間を確認いたします」

「オーケー。あとでまた教えて」

「承知いたしました」

女はたくさんのデスクが並べておいてある広い部屋の方へと歩いて行った。


事務のお姉さんが確認をとって連絡に行こうとすると、すでに昼休みの時間に突入していて、広いオフィスにヒトはまばらだった。

昼休みが終わった後で連絡しようと決め、事務のお姉さんはネームペンで手のひらに連絡事項をメモする。忘れないようにするにはこの方法が一番なのであった。

昼ごはんを食べようと、お姉さんは自分で創ってきた弁当の包みを持って会社の外に出る。

会社は中央ブロックの地下へ続く道のある細い裏通りにある貸し物件だった。設立されて間もない部署なので、半年ほど経っているがいまだに足りないものが時々出てきたりする。昼なのに少し薄暗い通りの道端に設置してあるベンチに腰掛けて包みを開く。本当ならもっと開けた明るい、開放感のある場所で気持ちよくご飯を食べたいところではあるのだが、あまり遠くまで行ってしまうと時間までに戻ってこれなくなる可能性があるし、何より会社のオフィスを眺めているとどこを改善したらいいのか考えることができる。看板を作りたいな、とかオフィスの窓を掃除したいな、などと考えることができる。

基本的にオフィスそのものに客が来ることはなくかかって来る予約電話をさばいたり、業者との相談の場所にすることが主なオフィスの使い方なので、あまりきれいにしすぎることのメリットはないのだが、社長や重役の方がオフィスに視察に来た時の印象を考えると手は抜けないな、とやる気が出るのだった。

「いつもこんなとこでご飯食べてんの?」

声がして顔を上げると、先ほど連絡をした女の社員が立っていた。特に弁当を持っているという風もなく、指には吸いかけのタバコが挟まっていた。

「いえ、今日はここで食べてみようかな、と。カトリーナさんはもうお食事終わったのですか?」

「私は昼飯は食べない主義なんだ。お腹が空けば煙でごまかすし」

カトリーナは事務のお姉さんの隣に腰掛けた。

「しっかり食べないと体に悪いですよ」

つい親のようなことを言ってしまう。

「ははは、優しいね」

「ああ、昼休み中で申し訳ないんですが、さっきの件を確認してみたところ、一か月ほど、とのお返事でした」

「そう。ありがとう。いつも事務のお姉さんちゃんにはお世話になってるね」

カトリーナは煙草を一服する。青い煙が上へと昇っていき、思わず目で追ってしまう。

「食事中悪いね。消そうか?」

「いえ、問題ありません」

カトリーナはありがとう、と言うように軽くお辞儀をしてまたうまそうに一服する。

「ついつい吸っちゃうんだよね。ひいきにしているタバコ屋があまりに上手に作るからさ」

「タバコはおいしいんですか?」

「甘かったり、辛かったり、甘酸っぱかったり。軽い気持ちで手を出すとハマっちゃうから事務のお姉さんちゃんはやめといたほうがいいよ。こういうのは疲れた大人か、イキがってる悪ガキが吸うものだよ」

「お仕事、お疲れ様です」

カトリーナは笑った。

「君はほんと優しいよね。それとも、事務員のリップサービスかな?営業もなかなかつらいけど、事務員の君が頑張ってるのを見ると愚痴ってばかりもいられないね」

「恐れ入ります」

しばらくカトリーナは事務のお姉さんの横で黙って煙草を味わい、それがなくなると足で吸い殻を踏み消し、「じゃ」と短く言って会社に入っていった。

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