1 テセウスの船
ローレンはゆっくりと目を開けた。知らない天井。体を起こす。頭の中に鉛でも詰め込んだかのように重く、こめかみからは鈍い頭痛がしていた。
窓が一つある、畳の部屋だった。窓の外は雪が深く積もっていた。真ん中に布団が敷いてあり、その横で座布団を敷いて胡坐をかいた状態でうたたねをしているヒトがいる。
「イオさん?」
ローレンが呼びかけると、うたたねをしていたヒトが顔を上げた。イオだ。
「あ、おはようございます」
イオはすぐに気が付いて言った。
「ここは……?」
「アメの一族の屋敷です。来た事ありますよね。城が崩壊した時にずいぶん高いところから落ちたんですが、頭を強く打ったみたいだったので、この屋敷に連れてきたってことです」
ローレンは頭を触る。包帯が何重にも巻いてあった。
「……どうして私を助けようとしたんですか?私はR1の殺し屋で、あなたを殺そうとしたんですよ?それに、あなたがまだ知らない、後ろ暗いことをいくつもやってきました。助ける理由がありません」
ローレンは乱暴に布団をはねのけ、頭に巻かれている包帯を取ろうとした。イオはその手をつかんで止める。
「無理です。なぜ助けたかなんて、理由は一つだけだ。僕は、あなたが死ぬとわかっていて、見殺しになんかできません」
「私はあの場で死ぬべきヒトだったんです!」
「なぜ?」
イオはローレンの手を押さえたまま静かに聞く。
「なぜか?それは、」
ローレンはイオの目を見る。頭の奥がズキンと痛む。
「あなたを、殺そうとしたからです。あなたを殺そうとして、しくじったからです」
そして、気付いてしまったからです。
「『私』は死ぬべきです」
イオはローレンの目を見る。
「僕は死ななかった。あなたに殺されかけたのに、みじんもあなたに対する怒りはないんです。あなたが僕を殺さなくちゃならなくなったのは、すべてがあなたの責任ではない。この楽園の、この世界の仕組みの、時間の、運命のようなものだったと思います。あなたも死ななかった。これも何かの運命なんだと思います」
「運命だから、死ぬべきではないと?」
「僕にはこれ以外、なんて言って説明したらいいかわかりません。何が正しくて、何が正しくないか、自分の見る世界が、他のヒトの見る世界とどんなに違っているか、わからないんです。考え方も、今までの生きてきた道も、性格も、体の特徴も、全部が違うヒト同士にすべて適応できる絶対正しいことなんて、わからない。でも、それでも、それならせめて、僕の中の絶対に正しいことは守りたい。理屈はうまく言えないんです。でも、僕は、誰にも死んでほしいなんて思いません。生きてほしいんです」
「私はあなたが思っているような人ではないんです」
ローレンは絞り出すように言う。苦しかった。
「あなたに、生きていて欲しいんです」
まっすぐな視線が光彩を貫いて直接脳を焼くような気がした。
二人はどちらともなく顔を近づけあっていた。ローレンは目を閉じた。イオはローレンを優しく抱きしめて、その唇にキスをする。
イオの唇は、懐かしいような、青い夏のような、静けさのような、そんな味がした。涙が頬を伝う。
このヒトは気付いているんだろうか。ローレンは目を閉じたまま思う。『私』の頭の中に棲む、私があなたのことを、思い出したということに。
「僕のパーティーに入ってくれますか」
唇を離した後、ささやくようなかすれた声でイオは言った。
ローレンは頷いた。