59 ラミーとウォータ
ファイとルートの王城を潰しての大喧嘩の翌日、楽園中のケビイシとクロードは、城の復旧作業に駆り出されていた。
「なあ、ラミー。僕たちさ、もう僕たちだけではそろそろこの秘密を抱えきれなくなってきたように思うんだ」
一輪車を押しながら若い男性ケビイシが横でしゃがみ込んで作業をしている、ラミーと呼ばれた女性ケビイシに言った。ラミーは振り仰ぐ。
「ウォータ……。でも、現段階では誰かに話すことで事態が好転するわけじゃないわ。確定していることが少なすぎる。曖昧な情報は混乱を招くわ」
「それはわかってるよ」
ウォータは髪をかきむしった。ウォータがケビイシとなってから次の春で二年が経とうとしていた。しかしウォータはこの一年と半年あまり、同期のラミーとともに、自分がケビイシになって一番最初に扱った事件を捜査し続けていた。忘れもしない去年の春、初めての仕事に胸を躍らせながら向かった現場でウォータが見たのは、トマト畑を突き破って空中から出現した過去の遺物、クルマだった。トマトを育てるガラス温室くらいしかない東ブロックの田舎の平凡な町に突如として降ってきた謎の乗り物。そして、その中に乗っていたのは、古人類、エンシェだった。クルマはタイムマシンだったのだ。
「でも、偶然にしては出来すぎてる。僕たちだけが知っていることにしては重すぎるんだ。誰かに話して楽になりたいよ」
ラミーは立ち上がってウォータの両頬を手のひらで挟むようにして自分と目を合わさせた。
「駄目。話すのなら、私たちはとことんまで真実を見なくちゃ。真実を見つけたら誰に話すか考えましょう」
「わかったよ」
ウォータは言った。
「タイムマシンの持ち主が、伊尾鈴也だってことは、まだ黙っておくよ」
「馬鹿っ!声が大きい!」
ラミーは叫んで両手でウォータの顔面を力任せにプレスする。周りで作業していたケビイシたちはラミーの声にびくっとしてこちらを見る。ラミーはウォータの顔からぱっと手を離し、周りに愛想笑いをした。
「とにかく。真実を確かめるまではヒトに言わない方がいいと思う。あのイオが伊尾鈴也と関係があるかどうかは確定してないけれど、少なくともイオは楽園の現システムを全肯定するような考え方はしていないわ」
ひそひそと小さな声でラミーは耳打ちする。
「ああ。差別に反対の姿勢を示してたな」
「今日もあの部屋で待ち合せましょう」
「わかった」
二人はそれぞれの作業に戻った。
王城図書館にほど近い場所から潜ったところにある地下の通り。ウォータは通りを速足で進み、ある古びたビルに入っていく。ケビイシの勤務を終え、制服から私服に着替えている。
ある一室の前に立ち、ポケットから取り出した鍵を鍵穴に差し込んで回す。ドアはきしむような音を立てて開き、その音は廊下に反響する。ウォータは辺りをすばやく見渡し、誰もいないことを確認すると、ドアの隙間からするりと中に入り、すぐにドアを閉めた。
「ラミー、もう来てたのか」
部屋の中は、簡単な折り畳み式の会議室にあるようなテーブルと、パイプ椅子がいくつかがおいてあるだけの小さな部屋だ。窓には埃だらけのブラインドがかかっている。テーブルにはファイルと本、飲み物の入ったコップが置いてある。壁には紙の資料が所せましと貼り付けられ、部屋の奥にあるホワイトボードも資料やメモを書いたブロック付箋でいっぱいだった。
ラミーは本を眺めながらコーヒーを飲んでいた。
「署長に頼まれてた仕事が思ったより早く片付いたの」
二人はエンシェの乗ったタイムマシンを見た次の月にはもうこの部屋を借りて、独自に調査を始めていた。すぐにタイムマシンの事実は王城によってもみ消され、それを口にしようものなら片っ端から城の地下にあるという牢獄にぶち込まれるというわけだったので、ケビイシの調査がそこまで厳しく行き届かない地下のマンションの一室を借りたことは良い選択であった。
二人はケビイシが管理している極秘の個人データを盗み見、図書館の閲覧禁止の棚から歴史の本を漁り、情報を集めてタイムマシンの年代を推理していった。
時間移動は大昔に封印された危険な技術であるため、許可なく楽園の一般人が時間移動についての本を読むことは禁じられていた。
クルマの生産された年代を調べると、どうやら2100年代によく使われていた比較的安く、ありふれた型だということがわかってきた。二人はその後、その時期にタイムマシンや時間移動の技術について研究していた科学者を片っ端からリストアップしていった。その時代は第五次世界大戦という、人類に残されたわずかな資源をめぐっての戦争が行われていた時期でもあり、時間移動という新技術を平気として利用しようと考える科学者はかなりいたようで、その中からあのクルマに乗っていたエンシェは一体誰なのか、と考えるとかなりの候補がいて絞りづらかった。二人は、調べる方向を少し変え、そのころに成功した時間移動のケースに絞って科学者を探したが、それも空振りに終わった。
人類の歴史上、記録されている中で、千年も時間移動をしたというケースは一件も見つからなかったのだ。ならば事故か?と考え、失敗して帰ってこなかったタイムマシンの記録を探したが、それも見つけることはできなかった。手掛かりが見つからず、二人の捜査はそこで長いこと足踏みをすることになった。
しかし、三か月ほど前、つまり今年の九月、急激に捜査は進展を見せる。ラジオである事件の指名手配の放送をやっていた。去年の一月、西ブロックで起きたテロと、そのテロリストたちが列車の上で逃走中に何者かに殺されたという事件だった。当時の駅の監視カメラの映像をチェックしてみると、黒髪に青い目の青年がしっかりと映っていた。現場からは青年のものらしきペンが発見された。青年はその後、中央のケビイシに事情を説明しに来て、ケビイシの中では彼は要注意人物ではあるものの、事件の犯人とは考えにくいという見解が共有された。青年の名前はイオといった。
ウォータはそこで引っかかりを覚えて、楽園のヒトの名簿を見た。そこには確かにイオという人物が楽園で出生したことは書かれていたが、家族関係などに怪しい点が多く、偽造の可能性がうかがえた。そこでウォータの頭の中でひらめくものがあった。膨大な資料の中でイオという名前を見た覚えがあった。
そこからは資料とにらめっこをする日が続いた。
そしてやっとお目当ての資料が見つかった。図書館の閲覧禁止の棚にある、楽園を創設した人物について書かれた本の中の記述に、伊尾鈴也という名前があった。
楽園の創設者はアマハラという。これは歴史の教科書に載っていて、楽園で教育を受けたものならばだれでも知っている。そしてここからが閲覧禁止の情報だが、アマハラの本名は天原重喜。天原は伊尾という科学者と交友関係にあったようなのだ。
「資料、何か見つかった?」
ウォータはラミーに聞いた。ラミーは首を振る。
「いいえ。天原が属していたカプセルという組織についての情報はまったく残っていないわ。そして、天原やカプセル周辺をこれだけ洗っても伊尾についての新しい情報が出ないということは、もしかしたらそもそも伊尾はカプセルのメンバーではなかったのかも……」
「おかしいな。伊尾は若いころから天原に張り合えるほど知能が高かったものと思っていたけど」
「私もよ。伊尾は27歳の時に時間移動をかなり無茶な方法で実行して、それからの消息が不明。天原に何等かの影響を与えて、天原の中の楽園の創設や、楽園のシステムの考え方を形作った重要な人物のはずなのに、いくら調べても情報がないの」
「カプセルって組織は当時の日本人の中で異能、あるいはギフテッドを呼ばれる人たちだけを集めて『カプセルワールド』縮めて『カド』というネットワーク上のメタバースのような空間でギフテッドたちを交流させ、あたかもゲームをさせるかのように保存都市の設計をさせていたんだよね。ネットワーク上でやりとりされた情報が、紙の媒体では残っていないのも仕方ないのかなぁ」
「楽園には千年も残っている電子的な記憶媒体も、それを読み込むコンピュータもないから難しいわね。そもそも、千年も前に生きていたエンシェの情報が残っているだけでも、相当ラッキーなことだと思うわ」
ラミーは読んでいた図書館からこっそり持ち出してきた閲覧禁止の本を閉じて机に置いた。
「確かにね」
ウォータは頷いた。
「……いや、ちょっと待てよ」
ウォータはつぶやく。
「何?」
「千年も前の情報を僕らが手にできているのは、ここに本があるからだ。千年保存されてきた本が残っているから」
「ええ、そうだけど、……それが何?」
「そうだ。本だ。本だよ!」
とまどうラミーの手を取ってウォータは声を上げた。
「本があるのは何もここだけじゃない。この図書館に欲しい情報の載っている本がなければ、別の図書館に行って探してみればいいだけなんだ」
「でも、この楽園で、時間移動についての本を所有することが許されているのはこの王立図書館だけよ」
「ああ。この楽園内ならな。でも、この楽園の外ならどうだ?」
その言葉にラミーははっとする。
「もしかして、青の街にある図書館について言ってる?」
「その通りだよ!」
ウォータは興奮して早口で言った。
「海底図書館に行こう。ずっと昔から今までに書かれたすべての英知があの図書館には保存されている。僕らは、真実に近づくことができる」