57 竜虎の争い
「ローレン?」
ルートは青ざめて震えているローレンに呼びかける。ローレンは動かない。
「ローレン!」
城の広場はしんとしている。ルートの声だけが響く。ローレンは優秀な暗殺者だった。殺しもためらったことはなかった。
「やれよ」
ルートは言うが、ローレンの耳には届いていないようだった。ローレンはがくりと膝を折った。
「おい!イオを殺せ。俺たちの計画を頓挫させるつもりか?立て。どうしたんだよ、最近お前、おかしいぞ」
ローレンは震える手で自分の服の内側に手を入れる。取り出したのは、ペンではなく、本物のピストルだった。ローレンはあろうことかゆっくりとその銃口を自分のこめかみに当てた。
「私は……まっすぐ生きたい」
「何するんだ!」
ルートの声が甲高く裏返る。動いたのはイオだった。イオはローレンに体当たりをする。その瞬間銃声が鳴る。
柱に銃弾がめり込んで跡がついた。ローレンは弾がかすったのか、額から地を流して倒れ込んだが、命に別状はなさそうだった。城の庭は、マイクを通して電波に乗って放送されるラジオを聞く、楽園のすべての住人は声を出すこともできず、その成り行きを聞いていた。
イオはローレンに覆いかぶさるようにして倒れていた。ふらふらと立ち上がる。
「……もう、差別やめましょう」
イオの声が楽園に届く。
「楽園のすべての憂いのうち、ほとんどがエラーズとノーマルズ、地下と地上の分離という理由で説明できる。R1がこんな行動を起こさなくちゃならなくなったのも、そもそもR1を結成しなくちゃならなくなったのも。ヒトを殺す必要に駆られるのも、死ぬしか道がないところまで追いつめられてしまうのも、殺されてしまうということを感じなくてはならないのも」
マイクを差し出す、赤髪の青年の盲いた目から涙があふれていた。ラジオは、街中のスピーカーは、その言葉を放送する。
「今、どういうことが起こってるかわかるかい?」
地下の酒場の片隅、白いフードをかぶった義足の男、ユメクイが一緒に飲んでいた男たちに言う。ラジオの方を見てぽかんと口を開けたまま一心にそれに聞き入っている男たちは縦とも横ともつかない方向に首を振った。
「初めてのことなんだ。今まで楽園のシステムを変えようとしてきたエラーズはごまんといた。しかし、楽園のシステムに堂々と反対したノーマルズ、しかも若く、学園で勉強したことがあり、チャレンジャーであるノーマルズがこのような思考に至るのは極めて珍しく、先例がない。楽園の創設の経緯、存在意義を知ってなおそんなエラーズと同じ思考回路ができるのは、相当の大ばか者か、訳あり、あるいは、超絶の大賢者だね」
ユメクイは煙管に火をつける。
「さあ、普通がひっくり返るぞ」
ユメクイはくっくっと喉の奥で笑った。
赤髪の青年がマイクを取り落とす。ラジオの放送は切れた。
城の庭のエラーズのほとんどは涙を流し始めた。イオの発言は、エラーズの目標であった。
「ギンカ、とうとうだ。とうとう地下に光が差す」
青年は泣いた。
「くだらん」
冷徹な声がしてイオが振り返ると、ファイが椅子から立ち上がっていた。ファイは一部始終を冷めた目で見ていた。
「差別は必要悪だ。地下と地上がなぜ分けられているのか理解しろ。別々の存在同士で混じろうとしてもどちらか一方は利潤を得られない。違うヒト全員を満足させられるシステムなどこの世にないからだ。両方が、それぞれに合ったシステムを採用し、それぞれがそれぞれの利潤を獲得するにはどうしたらいいのか。住み分けだ。別々の存在同士は交わらない方がお互いにとっていい」
「なっ!」
これには、エラーズやR1だけでなく、城の庭で聞いていたノーマルズやケビイシも反感を覚えた。せっかく楽園が差別のない方向に動き始め、全員の意志が、差別をなくそうという方向に固まりだしたところで、最高権力者である王が、この一部始終を見ていたにも関わらず現状を維持することを支持した。
「じゃあなぜ、エラーズも地上に出てきてよいなどという法を作った?お前の論理は矛盾している」
ルートが言った。
「俺が言っている住み分けは、エラーズとノーマルズという見た目による単純で愚かな差別に基づいてではない。脳みそだ。頭の良いものは地上に暮らし、悪いものは地下に住め。そう言っている。エラーズが地上に来れるようになれば、そのうち何もしなくても自然とそういう住み分けは完成していくはずだと思ったからそうしたんだ」
ファイは人差し指でコツコツと自分の頭を叩いた。
「お前もそう思うだろ?」
ルートに同意を求める。
「全然違う」
ルートは言った。
「ヒトはそれぞれ違う。頭の良さも、考え方も違う。しかし、その頭のよさを身に着けるまでに必要な勉強の方法や量、頭の良さを一番正しく計測できる方法も違う。お前は五体満足だからわからないかもしれないが、同じ頭の良さを持っているのに、計測方法に適合しなかったからという理由で、頭のよさを正しく評価されないことがある。お前の言う住み分けという思想は結構だが、今と同じシステムなら、遅かれ早かれエラーズの多くはまた地下に逆戻りだ。評価されないから」
「スコアには出ないけれど、自分はやればできる。自分が評価されないのはお前がちゃんと見てくれないからだ、とそう言いたいのか?甘えるな!」
ファイはあざ笑った。
「俺は地下で生まれた。お前と同じDNAを持って生まれた。俺は努力した。俺は努力でここに立っているんだ。現状への不満を言う前に、まずは努力したらどうだ?俺は努力すればだれでも評価される基盤を作ってやったじゃないか。対するお前はどうだ?勉強や努力が嫌いなエラーズばかりとつるみ、その中では自分のほうがガクがあることを鼻にかけて数少ない仲間さえも見下して生きているんだろ。結果どうだ?俺は王になったがお前は汚いテロリストだ。エラーズに生まれたから努力しても無駄、と決めつけて、エラーズなんだからとノーマルズを無根拠に妬んで、何をしてもいいと考え、エラーズであることにどこか甘えているんじゃないか?!」
「評価される基盤を作ってやった?いいことをしてあげたつもりか?正直その配慮は的外れだ。お前がこだわってるのはどこまでもただの平等で、公平とは程遠い!そんな法律を作っていいことした気分に浸る前にやることがあるだろう。同じ頭のよさを全員が獲得するために必要なことはヒトそれぞれ違うんだ。配慮すべきだったのはそこだ。差別はあってはならない。全員が同じ土俵に乗れるように支援して、そこから住み分けだの議論するべきだ」
「差別は必要だ。俺は別にすべてのヒトを平等に頭よくしようとしてるんじゃない。頭が良くなりたいやつ、努力ができるやつだけが地上に住めばいいと思っている。努力が嫌いな奴は馬鹿どうしで小さいコミュニティでもつくって、一生そのぬるま湯でふんぞり返っていればいい」
二人の周りにはゆっくりと赤い煙が現れ始める。二人は王室で一定の距離を保ったままにらみ合いながら円を描くように歩き始める。
「お前の思想が俺は気に入らない」
「奇遇だな、俺もだ」
「同じ脳細胞を持って生まれたはずなのに、お前の考えがさっぱり理解できない」
「ああ、わからない」
突風が巻き起こって、イオはバルコニーから吹き飛ばされる。気を失って倒れているローレンも吹き飛ばされてバルコニーの手すりから落ちそうになり、イオは慌ててその体を追う。
真っ赤な化け物が二体、城の屋根を破壊して、立ち上がった。ギモンである。イオとローレンは庭へと落ちる。サミダレはイオの手錠に矢を射り、イオの両手は自由になる。イオは空中でローレンを抱き留め、庭に落ちる。
化け物は空に向かって咆哮し、互いにぶつかり合った。衝撃波が庭中に伝わる。
「逃げろ!」
ケビイシが誰か叫んで、庭にいたヒトたちはいっせいに駆け出した。走ることができないエラーズをノーマルズが担いで逃げる。
「逃げよう!」
セトカも叫んで、盲目の赤髪の青年の腕をつかんで走り出す。ラジオ塔は二体のギモンがぶつかり合うたびにぐらぐらと揺れ、ミシミシと壁がイオとを立てる。
サミダレはイオに駆け寄り、引き起こす。イオはローレンを肩に載せるようにして担ぐと、走り出す。ファイとルートの争いは勢いが強すぎて、その場にいるどんなチャレンジャーにも収めることは不可能のように見えた。庭は土埃が立ち、視界はほぼ何も見えない。
ケビイシは交通を整理し、中央ブロックの住人を非難させ始める。化け物は、イオが今まで見たギモンとはくらべものにならないほど大きく、二体で城全体を踏み潰し、ぶつかって押された方の足はお堀に突っ込んで水柱が上がる。
「こりゃ、戦争よりやばいな……」
イオの近くで、一人の男がつぶやくのが聞こえた。