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ケラサスの使者  作者: 岡倉桜紅
第二章
109/172

56 青い落雷

「はいこれ、今回の報酬。次もよろしく」

地下の薄暗い通り。体中に入れ墨の入った男が、15、16歳ほどの少女に小判の入った封筒を手渡した。茶色の髪に茶色の瞳の少女は素早く中身を確かめ、間違いがないことを確認するとにこっと微笑んだ。

「はい、ありがとね」

「こちらこそだ。ローレン」

男はローレンの頭をぽんとなでた。

ローレンはノーマルズだったが、東ブロックの地下に続く階段にできたホームレスの集落、いわゆる半地下と呼ばれる場所に捨てられていた。ホームレスに育てられ、幼少期を地下で暮らし、10歳になる前にはもう盗みなど、軽犯罪に手を染めていた。ローレンは地下で育ったがノーマルズなので、地上を歩いていても咎められない。そのことを利用して地上での盗みを代行し、大人から金銭をもらう術を自然と身に着けた。大人がそれを利用しようと思うより前に、ローレンは自分の強みと、それを使った生きていき方を知っていた。

14になるころ、R1に加入して、下働きを始めた。住むところも報酬も安定するからだ。しかし、メンバーの証である、手の甲に丸と斜線のマークの入れ墨を入れることはなかった。R1の中では立場を得るのが多少難しくなるが、自分の強みを取っておくことを選んだのだ。

ローレンは小判を一枚使って買えるだけの大福もちを買い込んで食べながら自らのマンションに戻った。大福もちはエネルギーがとれるし、腹に溜まって燃費もいい。ローレンは幼少期の貧しい生活のおかげで、食べれるときに食べれるだけ食べて、いつ金がなくなってもしばらくは生きていけるような胃に鍛え上げることに成功していた。

ローレンの住むマンションは、地下の中でもかなり高級といって差し支えないほどのよいマンションだった。清潔で、広くて、なによりセキュリティがしっかりしていた。犯罪を日常的に犯し続けるローレンの家は、多くのヒトに知られるわけにはいかないため、住所として記載されない、特別な部屋であり、何かあったときにすぐに逃げられるように、家賃は常に高額な前払いであった。

部屋に戻って侵入者がいないかよく確認して鍵をかけた後、ローレンはベッドに倒れ込んだ。今日の仕事は初めての殺人だった。入れ墨の男はR1のメンバーで、殺人の仲介屋だ。殺したのはノーマルズの金貸し屋だった。毒を盛るという簡単な仕事ではあったが、心身の疲労がすさまじかった。こんな疲れもいつかは慣れていかなくては、とローレンは思った。明日は盗みの仕事が一つ入っている。早く眠ろう。そう思っているうちにローレンは深い眠りに落ちて行った。


「……まっずい!!」

目を覚まして時計を見ると、昼を過ぎていた。仕事の時間をゆうに過ぎている。しかも、昨日の夜は帰ってきてすぐに風呂にも入らず、着替えもせずに寝てしまったので、髪はべたべた、服はしわしわの最悪な状態だった。大急ぎでシャワーを浴び、クローゼットの中から適当な制服を引っ張り出して身に着ける。ローレンのクローゼットの中には、たくさんの地味な服や制服の類が入っていた。印象に残りづらい服を着ることが捕まらない重要なポイントであった。学園にもぐりこんでの仕事もあるので、制服はいろいろな種類を取り揃えていた。

ローレンが現場に行ったときには、盗みのチャンスはとうに過ぎ去っていた。電話ボックスからボスに報告すると、重大な仕事だったらしく怒り狂い、電話口ですぐにローレンをクビにした。幸い入れ墨は入れていなかったので、R1を除名されてもさほど困ることはなかったが、大きな収入源がなくなってしまったのは痛かった。

「あーあ。この先どうしよ……」

ローレンはふらふらと階段を上って地上の街に出た。川にかかる橋の欄干によりかかって水が流れていくのを眺める。夕暮れ時で、家に帰る仕事終わりの人々や学生がぼうっと立ち止まっているローレンの横を通り過ぎていった。水は良く澄んでいて、底が見えた。

このまま、ここから飛んじゃおうかな?冗談っぽく一人でつぶやく。よく考えてみれば、どうして私は今までこんなにも生きるのを頑張ってきたのだろう。誰かにそう命令されたわけでも、自分の目標があるわけでもないのに。ふふっと笑いが生まれる。え、そう考えると、私って相当すごい。なんにも意味がないのに14年もこうして生きてきたんだから。少し欄干から身を乗り出してみる。

次の瞬間だった。爆音とともに目の前が急に青白い閃光でふさがれた。許容値を大幅に超えた明るさに脳はパニックを起こす。上下左右がわからなくなる。今私はどっちを向いているんだ?立って居られているのか?倒れているのか?落ちているのか?沈んでいるのか?痛い、と感じる暇もなく、私は意識を失った。


「……る?だい……う?……大丈夫?」

水の中から呼びかけるような声が聞こえる。目を開ける。ぼんやりとした視界はやがて焦点を結ぶ。白い無機質な天井。

「あ、気が付いたのね。ここは病院。あなたは落雷に遭ってここに運ばれたの。自分の名前は言える?」

視界の中にナースが入ってきて呼びかけた。

「なまえ……。名前はエドヒガン」

まだぼんやりしている私の脳は反射的に言葉を垂れ流す。ナースは少し笑う。

「本名じゃなくて字のほうでいいのよ。字は言える?」

ああ、しまった。さっき反射的に本名のほうを言ってしまった。

「ローレンです」

「はい。大丈夫そうね。で、自分の住所は言えるかしら?電話番号でもいいわ。保護者の方に連絡したいの」

「あー……、住所はわかりません。電話番号も。……保護者の名前も」

ナースは困った顔をする。しかし、本当のことなのだ。

「そう。頭に大きな衝撃を受けたみたいだから、記憶が飛んでしまうことは珍しくないわ。少し病院で様子を見ましょうか。保護者の方を覚えていないようなら、学園のほうに連絡をしてみるわね」

「学園?」

「そうよ。あなた、学園の制服を着てるじゃない」

言われて思い出す。そういえば仕事のために制服のレプリカを着ていたんだった。それでクビになって橋の欄干から身を乗り出して――その後急に青い閃光で視界がいっぱいになって気絶したんだ。そうか、あれは落雷だったのか。楽園では理科の塔で大臣が人為的に天候を操ることによって雨も降るし、雪も降るが、雷が発生するというのは初めて知った。概念だけの現象だと思っていたのに、そんなことが本当に起きることもあるんだな。

ナースは学園に電話を掛けに病室を出て行った。ローレンはベッドの上でゆっくりと身を起こした。頭を触ってみると、包帯でぐるぐる巻きにされている。少し鈍い痛みはあるが、体で他におかしなところはなかった。落雷を受けたというのに火傷一つも負っていなかった。

ナースが戻って来る。

「おかしいわねえ。その制服、中央第二学園のものだけど、学園のヒトは、ローレンなんて生徒はいませんって言うのよ」

そりゃあそうだ。私は中央第二学園の生徒ではない。しかし、ローレンはよくわからない、という表情を作ると、首をかしげて見せた。

「そうですか。すみません、私は少し記憶がなくなってしまっているみたいなので、学長さんにここに来てもらうように言ってもらっていいですか?学長さんと話せばお互い思い出せると思うんです」

「あら、担任の先生じゃなくて学長さんでいいの?」

「あの、ほら、記憶がないんで。自分がどのクラスかも自信がないんですよ」

「そう。じゃあとにかくここに来てもらうようにお願いしてみるわね」

ナースは再び部屋から出て行った。

数時間後、しっかりとしたスーツに身を包んだおじさんが病室を訪ねてきた。

「二人で話させてください」

ローレンが言うと、ナースは部屋から出て行って扉を閉めた。

「さて、ローレンと言ったね。名簿を片っ端から調べてみたが、うちにそんな名前の生徒はいないんだ。君がどうしてうちの制服を着ているのかさっぱり見当がつかないが、何かの間違いではないかね?」

学長はそう言った。

「わかっています」

ローレンはあっさりとそう言った。

「私は中央第二学園の生徒ではありません。この制服はレプリカです」

「はあ?何を言っているのかね?」

学長は困惑して聞き返す。

「私はずっと中央第二学園の生徒になるのが夢だったんです。私を学園に入れてくれませんか?」

「そんなことを急に言われても困る。うちの学園に入るには入学試験というものが必要で、それをパスした優秀な生徒だけがうちで学ぶことができるんだよ。来年の試験で合格したら入学してきなさい」

ローレンは目に涙を浮かべる演技をした。

「そんなこと言わないでくださいよ。私、自分の家の場所も、両親の名前も忘れちゃって行くところがないんです。これで勉強もさせてもらえなかったら、何もできないバカになっちゃいます。人生お先真っ暗です。先生は教育者でしょう?このかわいそうな女の子の将来が心配じゃないんですか?」

「し、しかしね、君。君の状態についてはさっき聞かせてもらったが、とても気の毒だよ。でも、学園に通うにはそれなりの学費ってものが必要なんだよ。君はご両親の名前もわからなくなっちゃったんだろう?すまないけどうちではそういう場合は預かることができないんだよ」

「あ、学費ならありますよ」

ローレンは言った。昨日受け取った、人殺しの報酬が家にほとんど手つかずの状態で残っている。

「記憶が戻るまででいいんです。記憶が戻ったら元居た学園に戻ります。それまでどうか置いてくれませんか?」

ローレンは学長にぐっと近づくと、顎を思わせぶりなしぐさでなでた。

「ぐ、むぅ。まあ、人助けは大事だな。うん、特に断る理由はないはずだ」

「つまり?」

ローレンは学長の首筋をなでる。

「いいだろう。うちで学びたまえ」

「ありがとうございます」

学長は顔を赤くしてローレンからぱっと離れると、そそくさと病室から出て行った。

「へえ、けっこうチョロいな……」

ローレンはベッドにもぐりこんだ。寝ようとしてふと謎の違和感を感じてローレンはまた身を起こす。そういえば、なんで私はあんなことまでして学園に入ろうとしたんだろう。盗みや犯罪で食べていくならガクなんか必要ないはずなのに。というか落雷に遭って助かったのは幸運だったが、その命ももともといらなくなったものなのに、どうしてさらに生きなくてはならなくなるような行動をとってしまったのか?自分の心に問いかけたとき、自分の心の奥底の違和感の正体に気付いた。『学びたい』という気持ちが、自分の中にある。一生、関わるはずのない気持ちだと思っていたものが、異物のように自分の頭の中に存在している。まるで、自分の脳内に他人が居座っているかのような気持ち悪さ。なんなんだ?この気持ち悪さは。

ローレンは頭をかきむしった。


病院からは三日ほどで退院し、学用品をそろえて中央第二学園の寮に移った。学費さえちゃんと納めれば、学長はそれ以上何も言うつもりはないようだった。ローレンは特に王や大臣に興味がなかったので、卒業と同時にガクシャの資格が得られるスカラーコースというコースを選んだ。学問を学ぶのは人生で初めてのことだった。脳は知識を乾いたスポンジのように吸収した。生まれて初めての『わかる』という感情は楽しかったが、違和感が常に付きまとった。以前の自分なら、文字など見るだけで顔をしかめるような性格だったし、生きていくのにまったく役に立たない知識の羅列を学ぶなど、ばかばかしい時間の無駄だととらえて嫌っていたはずだ。妙な違和感はどんどん膨らんでいった。私の脳は新しいことをどんどん『覚えて』いった。

学園に収めるための金がなくなればまた盗みをやったりした。しかし、学園にいる影響なのだろうか、盗みに対する抵抗感が生まれはじめていて、犯行の直前になって中止することが続いたりした。今まで一度も抵抗を感じたことはなかったのに。貧しく生まれた私はそうすることが当然の正当な生きる術だったはずなのに。

学園に入学して二年が経って、飛び級で四年に進級したときの定期テストの時だった。一人の男子生徒が声をかけてきた。どうやら恋愛対象として見ているようで、ローレンに気があるようだった。

「出会って一目ぼれしたよ。君のその、透き通ったピンク色の瞳が好きなんだ」

「ピンク色?」

「そうだ。僕に目配せをくれたときの優しい目元。笑うとかわいい唇……って、ちょっと待ってよ!どこ行くの!」

体中に鳥肌が立っていた。その勇気を振り絞って告白してきた男子のセリフを皆まで聞かず、ローレンはそこから逃げ出してトイレに向かった。鏡を覗き込む。私の瞳は、髪の色と同じ、茶色のはず。目立たない色でどこに行っても何をしても他人の印象に残らない、犯罪者として最高の見た目。そのはずだったのに。

鏡に映る自分の瞳は、薄いピンク色になっていた。原因に心当たりはある。落雷だ。あの日から私はおかしくなっていった。ずっと、他人が頭の中に住み着いているような。勉強を楽しみ、盗みに抵抗を覚えるような、まるでまともな女の子のような、腹立たしい誰かがいる。

ローレンは鏡を拳で殴った。放射状に亀裂が入り、ピンク色が砕ける。拳から流れた真っ赤な血が白い洗面台にぽたぽた垂れて広がっていった。

「あなたは、……誰?」


ローレンは三年で学園を卒業し、ガクシャの地位を手に入れた。17歳になっていた。もはやまともに働いても以前よりも稼ぐことも可能な状態ではあった。しかし、まともに働くことは、まるで自分ではない誰かに支配されるようで恐ろしかった。

フリーの犯罪代行者として地下に戻った。犯罪行為をしている間だけは自分が自分であるという気がした。仕事がない時は勉強をして、ガクシャとしてのランクを上げた。勉強している自分が常に奇妙だったが、自分の脳の内側から『勉強がしたい』という感情が生まれてきて、抗うこともできず、定期的に勉強しなければその感情が大きくなるのだから勉強をしないわけにはいかなかった。しかし自分の思いとは裏腹に、ランクが上がると、仕事で使える身のこなしや運動能力も向上するし、地上での社会的地位も上がって来るので、より高度な依頼も舞い込むようになってきた。

「君、ランクを持ってるノーマルズの暗殺者なんだって?」

ある日の夜、地下街を歩いていると、子供が声をかけてきた。黒いフード付きのマントを着ている。子供のくせにその口調にはどこか大人びた印象があり、不気味だった。

「そうだけど」

少なくとも5つは年下の少年に君呼ばわりされてうれしい気持ちはしない。ぶっきらぼうに答えると、少年はローレンの手をつかんで手の甲を確かめた。

「おまけにR1の入れ墨もしていない。噂ではR1に所属していたこともあってR1の内部事情にも詳しいとか」

少年は懐から小判の束を取り出しちらりと見せた。

「依頼だ。俺に協力してくれないか」

少年はルートと言った。

「俺はこの楽園を変えたいんだよ」

ルートは一軒のバーにローレンを連れてきて話し始めた。ローレンはバーに入ったのは初めてだったので、そわそわした。自分より年下の少年のほうがバーに来慣れているのがなんだかむかついた。フードの中からちらりと見えた少年は唇から常に出血しているらしく、口元がかなりグロテスクな感じで、片方の目の瞼は厚ぼったく腫れてはいたが、顔そのものはかなり整っているようだった。あまり肌が空気や水に触れるのが得意ではないのか、フードの角度や、マントの様子は常に気にしていた。

「で?私は何をすればいいの?」

ルートはローレンに計画を語って聞かせた。勉強至上主義のこの世界はいかにおかしいのか。地下と地上の格差。エラーズとノーマルズの生まれによる理不尽な差別。そしてそれをすべて塗り替える鮮やかな計画とビジョン。ローレンはすっかりルートの話すことに夢中になった。

「この世が本当に平等だったら君は今まで一度もヒトを殺さなくて済んだはずだし、もっと早いうちから教育を受けて、もっとたくさんのことを自由に知ることができていたはずなんだ。普通の暮らしをして、同い年の女の子が好きなモノを同じように好きになって、夢や目標もある、そんな暮らしをしていたに違いないんだよ」

「私、この楽園を変えたい」

ローレンは言った。地下の世界で生きていくためにはR1に歯向かうことはリスクが大きいし、R1からその地位を奪うためには、世の中に胸を張れないようなことをする必要にも駆られる事だろう。ルートの言う、世直しをするためには地下と地上、どちらも敵に回し、どちらにも勝たなくてはならない。どんな手段を使ってでも。

今までの私なら、地下全体、つまり自分以外の利益のためにリスクを取るなんてことは決してやらなかったはずだ。犯罪行為こそが本当の私を表すと信じる気持ちと、私の中の知らない私が思う、正義のために活動したい、普通の女の子のように暮らせるようになりたいという気持ちが歪みながら混じりあった結果だったのかもしれない。

ルートは金属製の義手の手を差し出した。ローレンはその手を取った。

「今日から俺が指令でお前がスパイ兼殺し屋。まずはR1のトップを手に入れる。それからその力を使って時が満ちたときに一気に楽園全部の普通をひっくり返そう」

「わかりました。ルート様」

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