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ケラサスの使者  作者: 岡倉桜紅
第二章
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48 病院へ

「ジョナサン!大丈夫?!」

玄関ホールに倒れていたのはジョナサンだった。顔からは出血し、意識はない。パーティー客は皆、遠巻きにその様子を見ている。考えられるのは一つだ。ジョナサンはジョンに誤解され、殴られたのだ。ジョンが第二のシナリオ、つまり、ジョナサンとハルミが結婚関係にあったと信じたとしたら、憎しみもあふれるだろう。信じていた弟が、自分に黙って自分の愛する相手と秘密裏に関係していたら、裏切られた、と感じてもおかしくない。ジョナサンの手を見るが、ジョナサンは全く反撃をしなかったようだ。血の跡が玄関扉から玄関ホールの真ん中まで点々と続いている。外で殴られ、ここまで這ってきて気を失ったらしい。イルマはハンカチを取り出し、ジョナサンの傷口を押さえる。

「医者を呼んでください!いや、担架です!ふもとの病院まで連れて行かないと!」

イルマが叫び、周りの客たちもようやく我に返ったようにしてごちゃごちゃと動き始めた。

「早く!誰か助けてください!」

その時、人だかりの中から青年が一人飛び出してきた。担架を持っている。

「こ、こここ、これ、つ、使って」

担架を差し出したのは、ツブの一族の跡取り、ユタカだった。走ってきたのか、衣装や髪は乱れ、汗だくだ。

「ありがとう」

イルマはユタカと協力して手早くジョナサンを担架に乗せた。

「イオ君、君はジョンを探して。手紙を渡して説明して」

「わかりました」

イオは頷き、外へと走り出した。

イルマとユタカは前後になって担架を持って、山を下りて行った。


「……っ。ハァ、ハァ……」

イルマの膝がガクッと揺れて、イルマはバランスを崩して膝をつく。担架は大きくぐらつき、傾いた。

「だ、だだ、大丈夫?」

「ごめん。ちょっと膝がおかしくて」

イルマはすぐに立ち上がろうと踏ん張るが、うまく力が入らなかった。ユタカは担架を地面に置いた。

「ちょ、ふもとまであとちょっとだよ。全然私はまだいけるから、さあ、担架を持って」

ユタカは首を振った。そして、担架からジョナサンの体を起こし、自分の背中に負ぶった。

「ぼ、僕が、は、運ぶよ」


イオは湖のほとりに佇む老人の姿を見つけた。肩が細かく震え、押し殺すような悲痛な泣き声も聞こえる。

「ジョンさん……?」

イオがそっと呼びかけるとジョンは振り返った。顔は涙でぐしょぐしょになっていた。拳は腫れている。

「お前に人情があるなら、この哀れな男をほっといてくれ」

「ジョンさん、誤解です」

「何がだよ!」

ジョンは叫び、むせび泣いた。

「信じていたのに。あいつは俺がハルミのことを思っていることを誰より知っていたはずなのに。クソ野郎だ。俺をあざ笑ってたんだ」

「誤解なんです」

「もう、俺には誰もいない。ハルミもいない。もう、……弟だっていない」

ジョンはうつむく。涙が足元にぼたぼたと落ちていく。

「何もないんだ……」

イオはジョンの肩をさすった。骨ばった肩は、彼が年老いていることをまざまざとイオに実感させた。イオには、ジョンが孤独の老人にも、迷子の少年にも見えるような気がした。双子はイオが見る限りでも、ほとんどいつも一緒にいた。常にくだらない冗談を言い合い、同じ服装をして、なにをするにも息がぴったり合っていた。人生の相棒を失ったかのようにジョンは泣いた。

しばらくして老人が落ち着くと、イオは手紙を取り出し、老人の手に握らせた。

「この屋敷にあった、本物のハルミさんの遺書です。読んでください」

ジョンはまだ少し震える手で手紙を開けた。そして、その手紙を読んだ。読み終わると何度も何度もまた読み返す。やがて顔を上げる。

「わかりましたか?ジョナサンさんは、あなたにこれを渡したかったんです。それも、ただ渡すだけじゃなくて、ハルミさんの思いがあなたにちゃんと届くように工夫して渡そうとした」

「ジョナサン……そうだったのか」

ジョンは自分の手を見下ろす。

「俺は、……俺はなんてことを」

ジョンは山を下りる道に向かって走り出した。イオも追う。

すぐに息が切れる。足は思い通りに動かない。何度も転ぶ。足をひねる。すぐに立ち上がろうとするのにうまく立ち上がれない。酸欠で視界はチカチカする。

早く。早くジョナサンのもとに行かないと。もっと、もっと動けよ、俺の体!老いが憎かった。動け、動け。謝りたいんだ。俺は最悪の兄だった。お前は最高の弟だ。人生で一番急がなきゃいけないのに、人生で一番足が遅い。今まで長らく生きてきたくせに、こんなピンチに役に立つことは何一つ知らない。必要なのは、体力だけ。足りないのも体力だけ。お前を失うわけにはいかないんだ。こんなどうしようもない兄を置いてどっかにいかないでくれよ。俺はお前がいなくちゃなんにもできないんだ。俺はなんにも気付けない。走れ、走れ!


白い病室には、機械に体をつながれた男が横たわっていた。無感情な機械音が等間隔で鳴っている。顔全体を覆うような、少し血のにじんだ包帯でぐるぐる巻きになった頭部は見るからに痛々しかった。意識は戻っていないようだった。

「ジョナサン!」

ジョンは病室の戸を開け放って叫んだ。

「ジョナサン、俺が間違ってた。ごめん。頼むから目を開けてくれ。お前はいなくならないでくれ」

ジョンはジョナサンの手を握って泣きながら言った。

病室の扉の所でイオはその様子を見た。イルマがそっとイオに近づいてきて横に立つ。イオがイルマの顔を見ると、イルマは静かに首を振った。

「そんな……」

イオは茫然とする。イルマは唇を噛んでうつむいた。

「ごめん、ごめんよ。お前ほどの弟はいないんだ。俺は最低の兄だった。お前を愛してるんだ。ハルミのことも愛してた。でも、お前のことだって俺は愛してたんだよ。許してくれ。目を覚ましてくれ。目を覚ましてこのバカな俺を殴ってくれよ、ジョナサン……!」

泣き崩れるジョン。イオはジョンのそばまで歩いていき、その肩をなでた。鼻がつんとして、イオは天井を仰ぐ。

「ああ、ジョナサン……」

ジョンはジョナサンの手を強く強く握りしめる。点滴の管が少しベッドの上でずれたのでイオは管を直す。

「?」

イオはジョンが握っている手を思わず二度見した。その左手には、腕時計がないばかりか、老人の手にしてはだいぶ色艶の良く、しわのない手だった。はっとしてイオがイルマのいる扉の方へ振り返る。見ると、イルマが腹を抱えて体をくの字に曲げてくねくねしている。その後ろには――

「ジョナサン!?」

そこにはジョナサンが立っていた。眼帯をして、いくつか顔に絆創膏が貼ってはあるが、そこまで重症というわけではないようだった。ジョンは弟を見て、口をあんぐりと開け、そして自分が今握っている手と見比べた。

「よお、なかなかいい告白だったぜ、兄弟」

「ジョナサン!」

ジョンは握っていた手をぽいと放り出すとジョナサンに飛びついた。

「良かった……。本当に良かった……。俺、大切なヒトをあの世に送っちまったかと思った……」

ジョナサンはジョンの背中をぽんぽんと叩いた。

「バカにすんなよな。俺はお前のパンチくらいじゃ死なねーよ。俺はお前より2秒も遅く生まれたわけだから、お前より2秒は長生きするって決まってんだよ」

まだ唖然としているイオのもとにげらげら笑いながらイルマがやってきた。

「いやあ、なかなか面白かったね。イオ君、気付くの遅すぎだよ」

「面白かったって……、え、じゃあこのヒトっていったい誰なんですか?まさか何の関係もない、別の患者さんじゃないですよね?」

「まさか」

イルマは包帯でぐるぐる巻きになったヒトの頬っぺたをぱちぱち叩いた。

「自己紹介して。もうしゃべれるんでしょ?」

さっきまで力なく握らせていた手が動いて包帯の目の部分をずらした。

「ぼ、ぼぼぼ、僕は、ゆ、ユタカと、も、申します……」

「ユタカ?」

「そう。担架でジョナサンを運ぶときに手伝ってくれたの。途中で私がへばっちゃったとき、一人でその先の道はジョナサンを負ぶって運んでくれたんだけど、もうすぐ病院に着くというところでジョナサンが目を覚ましちゃって。急に眼が覚めて他人の背中に負ぶわれているから、それでびっくりしたジョナサンは少しじたばたしたって言うか、暴れたの。で、ユタカは転んで顔面を打って前歯飛ばすわ、鼻折れるわで、こうなってるわけ」

ジョナサンよりも重症を負ったように見える。

「ジョナサンを運んでくれてどうもありがとう」

イオはそう言った。

「ど、どど、どういたしまして」

ジョナサンはイルマの発言がきっかけでジョンに殴られたが、気にしていなかった。結果オーライだ、と言って、ジョナサンは明るく笑った。

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