名前
ある日の昼下がり、調教が終わりご飯もいっぱい食べた私は馬房の外に顔を出して太陽の光を浴びながらウトウトしていた。
「おい!マイジュエル!!」
近くの馬房からポニーのロッキーが騒いでいる声が響く。ロッキーはロバートに飼われている真っ白いポニーでなんでもロンドンという大きな街の牧場出身らしく、彼は日ごろから都会っ子を自称し、田舎者といいながら周りの馬たちを馬鹿にしていた。
「おい、俺様を無視するな、そこの小娘!」
せっかくの昼寝を邪魔された私は、しぶしぶ目を開けてロッキーを見ると、彼と目が合った。
「さっき人間たちが話していたのが聞こえたんだが、お前、名前が決まったらしいじゃないか」
「名前?なんのこと?」
「だからお前の名前だ!マイジュエル(私の宝石)という名前だとよ、けっ、大層な名前じゃないか」
彼はイライラしているのか鼻息荒くしゃべると、尻尾をぶんぶん振っている。
「まぁまぁ、彼女は競走馬なんだから、そう怒るなよロッキー。それにしてもいい名前だね、ロバートが期待しているのがわかるよ」
私たちのやり取りを聞いていたのか、もう一頭の乗用馬のヘクターが馬房から顔をだす。
彼は典型的な乗馬用の馬らしく、がっしりとした栗色の馬体に太くたくましい肢を持った、誰にでも優しい、とても温厚な馬だ。
ロバートがわたしたちの調教を見るときは車ではなく、彼にまたがり、双眼鏡を手にしながら調教場を行き来している。そのため、ヘクターは私が来たばかりのころニューマーケットのことについて色々教えてくれて、なおかつ普段滅多にいかない、レースコースサイドの調教場や抜け道などいろんなことを知っている頼れる先輩だ。
「ふん、期待するのは結構だが競馬で結果出さなきゃ、ロバートをがっかりさせるぞ」
「ロッキー、馬にはどうしても向き不向きがあるし、こればっかりはレースに行かないとわからないだろ」
ヘクターがロッキーをたしなめる。
「私のレースって近いのかな、いつ競馬場で走れるんだろう」
「デビュー戦かい?名前も決まったし、そろそろ近いんじゃないかな。毎日君の調教見ているけど、すごく良い動きしているよ、馬上のロバートもほめてたし」
ヘクターはにっこりとほほ笑む。
「おいおいヘクター、あまり小娘を持ち上げんなよ、これで走らなかったらそいつが可哀そうだろ」
バカにしたような目つきで私のほうを見るロッキー。
「持ち上げてないよ、事実を言ったまでだ。でもね、マイジュエル、競馬と調教はとても違う。君を怖がらせるつもりはないし、怖がってほしくはないんだけど、あまり楽しいものでもないのも事実だから。辛いこともときには起こることもある」
と言うと、何か思い出したのかロッキーもヘクターもだんまりしてしまった。
私は自分の名前が決まったのが嬉しくて、このときのヘクターの言葉を深く考えていなかった。
(マイジュエル、私の宝石……なんて素敵な名前かしら)
私は自分の名前が世界一誇らしく思えた。