離乳
秋、夏のころとうってかわり段々日が短くなってきたある日、いつものように放牧地で母と草を食べていたわたし。
物音がしたので顔を上げると、牧場長とダニーが放牧地の柵の扉を開け、中に入ってくるのが見えた。
そのまま2人はわたしたち親子の傍まで来ると牧場長は母の無口に、ダニーがわたしの無口にそれぞれ引手をつけると、牧場長と母だけが放牧地を抜け、扉の外に出てしまった。
てっきりいつものように厩舎に帰るのだと思っていたわたしは母に遅れまいと必死に母の後を追いかけようとする。
でも横にいるダニーが行くなと言わんばかりにものすごい力で引っ張り、わたしはしょうがなくその場でダニーの周りをぐるぐるしているしか無かった。
牧場長にひかれた母の姿がとうとう見えなくなった。わたしは産まれて1度も母から離れたことなどなかった、どんな時でも母は傍にいてくれたし、これからもわたしの傍にいてくれるものだと信じていた。
その母の姿が見えない。
わたしはパニックになった。
頭と首を高くあげ息を思いっきり吸い込むと、嘶き母を呼んだ。それでも返事はかえってこない。
尻尾を高く上げイライラと左右に振る。
「ホーホー、お母ちゃんと離れたら寂しいわなぁ。仕方がないことだけど競走馬は誰もが通る道なんだ」
ダニーがわたしの首筋を優しくなでる。
そして母が見えなくなりしばらく時間がたったころ、わたしの無口についていた引手を放してくれた。
その瞬間にわたしはダッシュして放牧地の扉まで近づき、その周りをうろつき再度母に呼びかける。けれど、どんなにどんなに鳴いても母は1度も返してくれなかった。
常に守ってくれる、大きな存在を失ったわたしはとても怖かった。
これから誰に頼ればいいのだろう。
もし危険な目にあったら?天気が悪くなったら?
今までは母の隣にいればよかった。その母はいなくなってしまった。
どうしてどうして、いなくなってしまったの。
放牧地の扉の前を行ったり来たりして、何度も鳴き続けるわたしに1頭の馬が近づいてきた。
ここの放牧地は基本的にいるのは親子だけだったがその馬だけは唯一子供のいない馬で、わたし達サラブレッドとは違うずんぐりむっくりとした姿に穏やかなまなざしをした馬だった。
彼女はパニックになっているわたしにそっと寄り添うと、わたしの肩のあたりを優しくグルーミングをし始めた。わたしも彼女にグルーミングを返してあげる。
しばらく2頭でグルーミングしているとわたしは落ち着いてきた。
なんで母が行ってしまったかは分からないけど、とりあえず今はこのお姉さんがいる。このお姉さんについていこう、そう決めるわたし。
彼女はわたしが落ち着いたのを見ると、くるっときびすを返し、遠くにいる群れのほうにむかって歩き始めた。
まだ、母の姿が見えないか、ここで待っていたらもしかしたら戻ってくるんじゃないか、そんな淡い期待を抱いていたわたしはこの場を離れるのは寂しかったが、お姉さんと離れて1人になるのも嫌だった。
しかたなく、尾をだらりと下げとぼとぼと彼女のあとについて歩いていく。
「大丈夫よ、ママと離れるのは寂しいけど群れのみんなもいる、私もいる」
彼女がそうわたしに話しかけても、わたしは暫くこのショックから立ち直れそうになかった。