誕生
ある年の2月、ここイギリス、ニューマーケットでは珍しい雪の日にわたしは産まれた。
産まれて落ちてすぐのことはよく覚えていない。ただ明るく、むせかえるような血のにおいのなか、母が丁寧に私の体を舐めていたことだけはなんとなく覚えている。
それから私は母にうながされよろよろと立ち上がり、あっちへふらふら、こっちへふらふら、しりもちをついたり壁にぶつかりながらようやく母の股下に顔をつっこむと初めてのお乳を飲んだ。
わたしが一生懸命お乳を飲んでいると、母が急に動いてわたしの目の前からお乳が遠ざかってしまった。まだまだ飲み足りなかったわたしは甲高く嘶くと後を追いかけた。
すると母の前に見知らぬものがいた。
わたしは産まれて初めて『人間』というものを見た。
人間はゆっくりわたしのほうに近づいてきた。母と違う姿にわたしが警戒していると
「その人は優しい人だから大丈夫よ」
母が私に声をかけた。
本当だろうか、わたしはおっかなびっくり人間に近づいてみる。
「よーしよし、いい子だ」
人間はわたしの顔をゆっくり撫でると、なんだか分からないけどわたしの体のあっちこっちを触っている、わたしも人間の体を鼻で触ってみる。
母はのんびりと隅に立ってこっちを見ている。母が警戒していないのなら危ないものではないのだろう。そうとわかるとわたしの中にこれはなんだろうという好奇心がむくむくとわいてきた。
試しに人間の体を噛んでみる。上のほうと下のほうで噛んだ感触が違う。それに上のほうはかさかさ音がするのに、下は音がしない。
なんだかとても面白い。
暇つぶしにはもってこいだ。
「こらこら、服をかんじゃいけないよ」
というと人間はいきなり姿が見えなくなった。
わたしが驚いて、部屋のなかをぐるぐると駆け回っていると、母が教えてくれた。
「あの人はダニー、といって私たちのお世話をしてくれる人よ。また来るから安心しなさい」
そういうと母はわたしの体を舐めてくれた。なんだかすごくくすぐったい。さっきまでは体が濡れていたけど、今はすっかり乾いているから変に感じるのだ。
母を振り払うとわたしはまた股の間に顔をいれてお乳を飲み始めた。母の股下は暗くて、お乳の匂いが充満していてわたしはいっぺんに大好きになってしまった。
すっかりお腹がいっぱいになると今度は眠くなってきた。
藁の上に寝っ転がると、母の鼻先が近づいてきて、わたしの顔にそっと触れた。
わたしは我慢ができずに瞼を閉じ、母の気配を感じながら眠りについた。