雨上がりの夜には気をつけて
完結しました!(2021.8.30)
主人公が日に日に不思議な出来事に巻き込まれていくお話。雨の季節は、ジトジトとした空気が何かを寄せ付ける。
今年は梅雨入りが早く、今週はずっと雨が降り続いている。おかげで洗濯物がなかなか乾かない。俺は最後の一枚になってしまったシャツを見て、今夜はコインランドリーに行かなくてはいけないかななどと思っていた。
ずっと変わらぬ繰り返し続ける毎日。代わり映えのしない日々は、俺の気持ちを落ち着かせるとともに、長く続く雨のように鬱屈とした空気をまとっていた。
「先輩、今日も雨っすね〜。こうも続くと、なんか嫌ですよね〜。」
2年後輩の早川が愚痴をこぼす。こいつはいつもこうだ。口だけは不満たらたらだが、キーボードを打つ手は止めない。ブラックなこの会社に入ってきた割には要領よくやっているのか、残業しているのも見たことがない。可愛くない後輩だ。
「...、ああ。そうだな。」
俺はそんなに要領もよくないので適当に相槌を打っておく。
「よっしゃ、終わったー!じゃ、先輩お先に失礼しまっすー!今日は、彼女と映画館デートなんすよねー!」「お疲れ様でしたー!」
最後の挨拶だけはやけにでかい。あいつ、また俺にファイル確認させずに帰りやがった。おまけに余計な情報付き。イライラとしながら仕事を続ける。
明日は、大事な会議があって用意する資料が多い。かといって、あいつに任せるのも腹が立つから仕方なく自分で全ての仕事をしている。あいつに任せたのはいつも通りのデータ処理だからさっさと仕上げて早上がりしやがった。普通は、仕事がないか先輩に確認しないのか。これだから...と対して歳の離れていない後輩に悪態をつく。もちろん、心の中でだ。
俺が仕事を終える頃には20時を回っていた。明日の会議があるにしては、早く終えられたと思う。さすがに今日は帰って用事を済ませてしまいたいと思っていただけに仕事が早かったのかもしれない。
「はぁー、ああっ。」
おっきく伸びをして、凝り固まった肩を鳴らした。他に社員は見当たらないが、隣の島の課長はまだ残っているらしい。あの人はいつ来ても会社にいる気がする。いつ休んでいるのか不思議なくらいだ。
「お疲れ様です。お先に失礼します。」
小声で声をかけて、余計な仕事を振られる前にさっさと撤退する。
外は久しぶりに雨が止んでいるようだった。ついさっきまで雨が降っていたのか、水溜りと雨の匂いが残っている。俺は結構、この匂いが好きだ。故郷を思い出すし、なんとなく落ち着く。雨の匂いを鼻いっぱいに嗅ぎながら、駅に向かって歩いていく。向かいのビルから出てきた人も珍しげに頭上を見上げて出てきた。徹夜明けなのか、足元の水溜りに気づかず思いっきり靴とスラックスを濡らしていた。
あーあ、かわいそうに。他人ごとにそう思うだけだ。
駅までの道は退勤ラッシュの時間も飲みの時間も絶妙に外しているからか、人通りは少なめだった。俺は人混みが苦手だし、人がいないのをいいことに隙を見計らいつつ鼻歌を歌いながら歩いた。
4、5分歩いてようやく駅前にさしかかったとき、いきなり雨が降り出した。ざあっという音がいきなりして、思わず頭を隠すが、思っていた水の感覚はない。あれ、と思いつつ上を見上げると曇天の空が広がっているものの雨が降る様子はない。おかしなこともあるものだ。ここ数日雨音ばかり聞いていたから、空耳だったのかもしれない。
そう思って、その日は家路につき、無事用事も果たすことができた。
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その翌日のこと、大事な会議のために俺は朝早く家を出た。ブラックとはいえ自宅に仕事を持ち込む趣味はないので、徹夜や早出をしてでも仕事を家に持ち帰ったことはなかった。今日は一日中小雨らしい。毎日、天気予報は雨というだけで梅雨の時期は楽な仕事だなと思う。おそらく、仕事はそれだけではないのだろうが。
いつも通り、電車にのって会社へ向かう。小雨なので傘をささずに行こうか迷ったが、朝から濡れるのはやはり嫌だ。周囲の早出の人々とともに足早で歩いている中、背後で俺を呼ぶ声がした気がした。周囲を振り返ってみるが、誰も立ち止まったり俺を見たりしていない。昨日に引き続きの空耳でもしかしたら聴覚がおかしいのか、知らないうちに疲労が溜まっているのかもしれないと思った。それでも確かに、自分の名前を呼ばれた気がしたのだから不思議な出来事だった。
重要な会議は至って大きなトラブルもなく、無事終えることができた。早川は相変わらず早帰りだ。あいつ、クビにされてしまえ。心の中で悪態をつきながら、会議で決定した事項についてまとめとこれから行う事業についてプロセスをまとめていく。俺は要領が悪いから、圧倒的計画型だ。全てをプロセスにまとめておいて、行動しないと余計な仕事がどんどん増えていく。後輩も幸いにして、あの要領の良さだからこちらが指示さえちゃんと出せばその通りに実行してくれるし、こちらのミスへの指摘も的確だ。それが気に食わないのだが。
そんなことを思いながらも本日の仕事は早く区切りをつけ、数名残っている社員に挨拶をしつつ帰る。大体は後輩が残っていると上もどんどん帰宅が遅くなるが、うちの部は後輩がああだし、直属の上司にあたる課長もゆるいので帰宅時間は各自の裁量に任されている。ブラックな中でも優良なホワイト(もとい手抜き)部署なのだ。他の部に行くと、こうはいかないことは既に移動前の部署でよーく知っている。今日は、傘をさす必要もない小雨なのでスーパーで買い物をして帰ろうと少し寄り道をする。
家に帰って大量の食料を冷蔵庫に詰め込んだ後、ゆっくり晩酌をすることにした。新鮮なサーモンをマリネにして、酒の肴にする。酒はいつも常備してあるウィスキーをロックで割った。こんなにゆっくりと晩酌をするのはいつぶりだろうか。ついついつまみのおかげもあってか、酒がいつもよりすすんだ。すると、いきなり小雨だった雨が大ぶりになってきたようだ。激しい音に驚いて、暑くて網戸にしていたベランダの窓を閉めに行く。閉めようとした途端、雨は嘘のように止んだようだ。これが異常気象によるスコールというやつだろうか?
不思議に思いながらも暑いので、網戸のままにしてリビングの中ほどへ戻ると、床のところどころがびしょ濡れになっているようだった。水はびしょ濡れの人がそのまま家に上がってきたかのように、一直線に玄関に向かっていた。雨が入る距離でもないはずだ。ただ幸い、ラグは濡れていない。またも起こった不思議な出来事に嫌な想像が止まらないが、床のシミになるのも嫌でさっさと雑巾で拭いていく。こういう時は、酒のせいにしてしまうのが一番だ。酔って知らず知らずのうちに、水をこぼして歩っていたのかもしれない。分からない現象になんとか理由をつけて、コップに残った酒を呷って少し早いが寝ることにした。
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翌朝は、二日酔いに頭痛が出て、少しフラフラとしながらも社畜の悲しい定めかしっかりと時間通りに通勤した。今日はやけに頭が働かず、早川にも仕事ができてないと揶揄われてなんとか22時には仕事を切り上げた。危ない、しばらくしていなかった会社泊まりをまたするところだ。なんとか重い頭を抱えて、帰宅する。もう家に帰ったら寝ることしか考えていない。ぼーっとしてたら昼飯も食べ損ねて、空腹を訴えてはいるものの、この眠気には勝てないようだ。
電車のホームで待っていると、どうにもふらついていたようで後ろの人に手を取られてやっと気がついた。顔をよく覚えていないが、手がひんやりと冷たくて背中に寒気が走ったことで、一気に目が覚めた。
家に帰るとすぐにベットに突っ込む。もう、着替えやシャワーは明日でいいやと後回しにして、重たい瞼を閉じてしまう。一瞬で深い眠りに落ちたようで、目が覚めるともう5時過ぎだった。シャワーと朝食を済ませてしまおうと立つが、家の中がおかしいことに気づく。天井や壁が長年雨漏りしているかのように、濡れそぼって所々には黒っぽいカビすら生えているようだった。床もラグを含めびしょびしょだ。自分のいたベッドの周囲だけが、別世界のようにいつもと同じままである。現状を確認せねばと立ち上がり、キッチンのある玄関方面へ向かうと不用心なことに鍵をかけ忘れていたようだった。ドアノブにまで水飛沫がかかっているようで、まるで誰かに侵入されていたずらをされたのかと疑った。
しかし、そんな心配をよそにそれ以外の異常は特に見つからなかった。急いでシャワーや朝食を済ませなくてはならないこともあり、床を拭くだけで終わってしまったが、帰ったら換気とラグの交換や大家への相談に忙しくなるとため息をつきながら仕方なく会社へ向かったのだった。
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その日の仕事はしっかりと眠ったこともあり、なんとかいつも通りの時間で終えることができた。早川には、「ひどい隈ですね〜。ちゃんと寝てるんすか?」と珍しく心配されたが、さっさと自分の仕事をしろと余計なことを言って誤魔化した。トイレ休憩で鏡を見たが隈など見当たらず、若いやつはよく見てるんだなとどうでもいい評価にしておいた。
その日の帰りは、非常に厄介で不思議な出来事が多く起きた。帰り際に課長に挨拶をしようと、デスクを見るとカエルがいて何事かと思った。わずかに動いている気もしたが、鳴いてはいないので置物と見間違えたのだと結論付け、さっさと帰ることにした。そして、帰宅途中の電車の中、明らかにおかしい物体が普通の客のように乗っていた。ずっと椅子に座っていて遠くから見えただけだったが、黒いスライムの塊のような人の形すら成していない物体を見ても他の人は大して疑問も抱いていないようだ。また、帰宅後には家の様子はまた一変していた。部屋の中はまだ濡れた感じはあったが、おかしなほどに天井のカビが広がっていたのだ。
「おいおい、さすがにこれはおかしいだろ。」
ため息をつきながら、つい愚痴がこぼれた。
明らかな異変がここ数日続いている気がする。幻聴に家の中の異変、さらに今日の黒い何かときた。どうにもできない状況に言い知れない恐怖を感じた。
今日は、眠れそうにない。これ以上の異変が起きないよう一晩起きていることにした。夕飯も喉を通らずそこそこに終わらせて、酒で気分を紛らわせることにする。テレビのバラエティやドラマも一通り終わり、見るものがなくなってきた頃、玄関のベルが鳴った。
こんな時間に尋ねてくる人は普通いない。明らかにおかしな訪問に俺は身震いしながらも、何か知るために玄関モニターを覗いた。そこに立っていたのは、帰りに見た黒い物体だった。人くらいの丈で、ゆっくりとカメラへとのしかかってきているようだった。一瞬でモニターは真っ暗になり、何も写さなくなってしまった。
俺は声も出せず、ベッドの上でブランケットにくるまった。ミシミシと壁が軋む音がして、上を見るとカビのような黒いものは天井一面を覆っていた。カビ臭い生臭さが鼻をつく。あまりにリアルすぎる感覚に頭からブランケットを被り、現実逃避する。
夢だ。夢に違いない。もしくは自分の頭が壊れてしまったのか。
のそっとベッドが沈む感覚があった。ついに恐怖で身震いもできない俺は目を閉じることも出来ずにいた。冷たい何かが頭から肩、背へと這う。ブランケットはびしょ濡れで次第に頭から落ちていった。
「あれ。ここにいるはずなのに。どこ?」
無邪気な子供の声はやけに大きく響いた。俺は何も考えられず、視界はブラックアウトしていった。
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「次のニュースです。アパートの一室で変死体が発見されました。30代の男性のものと見られ、遺体は肺が水で満たされた状態で見つかりました。直接の死因は溺死と思われます。警察では引き続き・・・」
ニュースキャスターは淡々とニュースを読み上げていった。
「不思議な事件っすね〜」
「そうだなあ。まあ、殺人なのかねー。」
俺は、あの夜意識を失っただけで済んだようだった。家中水浸しで朝も大変な思いをして、会社に出てきたが、身体はいたって元気で気持ちも晴れやかであった。不思議な出来事は相変わらず続いているが・・・
あれから至る所にカエルや魚がいるし、黒い何かは街の至る所に自然といる。他の人に見えないそれらに対して、俺は無視するということを覚えた。それらは意識をすると具現化してくる。あの日、なぜ助かったのかは分からないが、もしかしたら自分の見える力に関係しているのかもしれないというだけだ。
変わったことといえば、生きていることに強く感謝するようになったということか。