73.罪と罰
その姿を見た瞬間、彼女は背筋が凍る感覚に襲われた。
極寒の寒さが心臓の鼓動すら止めたかと思う程の圧迫感。
(違う……。このスケルトン達は、今まで私が倒してきたモンスターとは比べ物にならない文字通りの化物だ……)
今まで殺してきた人間も、モンスターも、ここへ来るまでに戦った彼女達も、この二体のスケルトンに比べれば木端も良いところだ。
文字通りの別格。
一瞬で彼女は力の差を理解した。
(ああ、成程、ここで終わりですか……)
自分は殺されるのだろう、このスケルトン達に。
だがそれも悪くない。
今の世界は強い者が全てだ。
弱い者は蹂躙され、力を得た者はより強い力を持った者に殺される。
その流れの中に自分も居ただけ。
ただそれだけだ。
(出来るならもっと多くの人を殺したかったですが、まあいいでしょう)
彼女は満足していた。
好きに生きる事が出来たのだ。
その中で死ねるのなら文句はない。
以前の、あの報われない日々に比べれば、何と充実した日々だっただろうか。
『……さて』
一歩、弓を持ったスケルトンが自分に近づいてくる。
その距離が自分の残りの寿命なのだと彼女は確信した。
だが、
『ふっ、そう怖い顔をするな。我らは貴様を殺すつもりはない』
「……は?」
頭の中に響く声。
おそらくは目の前のスケルトンの声なのだろう。
モンスターが人間の言葉を使う事にも困惑したが、それ以上に話している内容の意味が分からなかった。
「こ、殺さないのですか……? 何故?」
『彼女は――あやめは君を殺さなかったのだろう? 彼女の実力なら、何度も君を殺す機会があったはずだ。それでも殺さなかった。……いや、殺せなかったのだろうな。彼女は優しすぎる。いざ目の前で誰かがモンスターに襲われれば体が勝手に動いてしまう。かと思えば、我らのような人外の者とも平気で握手が出来る。そういう優しい心の持ち主なのだよ、彼女は』
「な、何を……言って……?」
一歩、また一歩スケルトンは彼女に近づく。
『我々が君を殺しては、そんな彼女の志を台無しにしてしまう。あやめは生きて、君に罪を償う事を望んでいるはずだ』
「はっ、何を意味の分からない事をべらべらと……。殺すなら、さっさと殺したらどうですか? 罪を償う? 何を償うと言うのですか? 今の世界では殺される方が悪いんですよ! 弱い者にはなんの権利も価値も無い! 人を殺し、モンスターを殺し、あまねく屍の上に立つ強者こそがこの世界では正しいんです!」
『……確かに自分が生きる為に、誰かを犠牲にする。それは間違いではないだろう』
「なら――」
『だがそれが弱者を踏みつけにしていい理由にはならない』
そのスケルトン――ボルは弓を構える。
ヒュッ、とボルの放った矢が彼女の額に突き刺さった。
「あ……あはっ……」
額に矢を受けて、彼女は笑った。
(ああ、終わる。ここで私は――…………あれ?)
不意に、彼女は異変に気付く。
痛みが無い。
額に矢を受けたのに、まったく血が出ない。
これは一体どういう事なのだろうか?
『言っただろう。我々は君を殺すつもりはない、と』
「……?」
『だが君は死を望み、罪を償うつもりは一切ないときた。ではどうすればいいか? 簡単な事だ。君の罪は、君ではない別の者に償わせる。今放ったのは、そのための矢だ』
「……ど、どういう意味ですか?」
ボルの言っている意味が分からず彼女は混乱する。
だが、次に放った一言は彼女を動揺させるのに十分な意味を持っていた。
『――『忘却の矢』。この矢を刺された者は記憶を失う。対象との力量差次第では無効化されてしまうが、君との実力差を考えれば、そうだな――ここ数週間ほどの記憶なら全て消すことが出来るだろう』
「――ッ!?」
高位のアンデッドは様々なデバフ効果を持つスキルを取得することが出来る。
『置き土産』や『肩代わり』、そして今しがたボルが使った『忘却』。
先のベヒモス戦では無効化されるため意味を成さなかったスキルだが、使いどころによってはこれ以上ない程に凶悪なスキルとなり得る。
今の彼女がそうだ。
記憶を失う。
それはつまりこれまで彼女が行ってきた殺人の全てが、彼女の記憶から消え去ると言う事だ。
その意味を即座に理解し、彼女は顔を青くする。
「や……いや、止めて、下さい……。お願い! どうか、それだけはやめて!」
自分はこの世界で生まれ変わったのだ。
弱くみじめだった過去の自分を捨て、ようやく好きに生きる事が出来た。
その全ての記憶が消える? 今の自分が無かった事になる?
そんなの彼女にとって死よりも耐え難い拷問だった。
「やだ……嫌だ! 戻りたくない! 私はあんな弱い自分にはもううんざりなんです! あんな自分に戻るくらいなら、死んだ方がマシです! お願いします! 殺して下さい! 私から『今の私』を奪う事だけはやめて!」
それは心からの嘆願だった。
彼女にとって死んで地獄へ行くよりも、記憶を失って過去の自分に戻る方が遥かに苦痛なのだ。
ぼろぼろと涙を流し、ボルの足元に縋りつこうとするが、体が動かない。
理由は彼女の足元――『影』に刺さった矢だ。
――『影縫いの矢』。
矢で影を射抜く事で、対象を拘束するスキルである。
忘却の矢と同様、相手との力量差で無効化されてしまうが、彼女にとっては十分な効果があった。
ボルの持つ魔弓ソウルイーターは、こうした様々なスキル効果を矢に付与して放つ事が出来るのである。
『もうすぐスキルの効果が発動するだろう。体が動かせないから自殺も出来ない。詰みだ』
「~~~~~ッ!」
嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ!
少しずつ、彼女の頭からここ最近の記憶が消えてゆく。
忘却、喪失感、ガラガラと音を立てて崩れてゆく今の自分。
それはこれ以上ない程の恐怖と絶望を彼女に与えた。
「お願いします! 殺して! 今すぐ私を殺して下さいいいいいいいい!」
『断る』
殺人鬼の懇願を、ボルはにべもなく否定する。
『そもそもアンデッドである我々に『死』を望むなど、それこそ傲慢が過ぎるだろう、人間よ?』
「嫌あああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
その瞬間、殺人鬼 四季嚙 妃はこの世から消えた。
永遠に。




