71.殺人鬼の主張
そのアナウンスを聞いて意味が分からなかった。
混乱する私に対し、目の前の殺人鬼――シキガミ キサキは笑みを浮かべる。
「あれ? おかしいですね? アナウンスが聞こえませんでしたか? 仲間にならないか、と聞いたのですよ、九条あやめさん」
「ッ――」
ぞわり、と背筋に怖気が走る。
何を言っているんだ、この人は……?
「九条、耳を貸すな」
「上杉さん……」
「私達を混乱させるためのブラフだ。まともに聞くだけ無駄だ。今はあの二人をどうやって助けるのかだけを考えろ」
「そうですね……その通りです」
上杉さんの言う通りだ。
今は何とかしてあの二人を助けないと。
「おや、心外ですね。私は本気で言ってるんですけど」
「だったら今すぐその二人を解放しろ」
「それは出来ません」
「ひっ……」
殺人鬼は先輩の首筋にぴったりと刃を添える。
「そもそも私に言わせれば、アナタ達の方が理解出来ない。どうしてこんな世界になってまで、そんな風に善人で居ようと思うんですか?」
「え……?」
「助けてましたよね、たくさんの人を。病院や、他の場所でも大勢の人を助けて感謝されていた。なんでそんな事をするんです? する必要があるんですか?」
「なんでって……。そんなの――」
「当たり前の事だから、ですか?」
私が言うよりも先に、殺人鬼は私が言おうとした台詞をそのまま被せてくる。
「人を助けるのは人として当たり前。力があるなら、それを他人の為に使う。それを当たり前だとでも思ってるんですか?」
「当たり前だろうが。力の無いものを助けるのは、力を持つ者の責務だ」
私よりも先に上杉さんが答えた。
それを聞いて殺人鬼は心底下らないという表情を浮かべた。
「力はあくまで自分の為に使うモノです。ああ、でもアナタの言い分も分かります。人に感謝されるのって気持ちがいいですもんね。自分よりも弱い人間がぺこぺこと頭を下げる様を見下ろすのは気分が良い。承認欲求が満たされますからね」
「ふざけたことを言うな!」
「ふざけてませんよ。事実でしょう? それともアナタは見返りを求めないと? 『ありがとう』という感謝の気持ちも、言ってしまえば助けた事に対する見返りでしょう?」
「屁理屈を言うな。人間は助け合い、支え合って生きていく生き物だ! そんな損得勘定だけで割り切れるようなモノではない!」
「……アナタはよほど光に溢れた世界で生きてきたのでしょうね。だからそれほど強大な力を持っていながら、それを他人の為に使う事をいとわない。人の本質をまるで分っていない」
殺人鬼は落胆したように深くため息をついた。
「人助けなんてしても意味なんて無いんですよ。他人の感謝なんてその場だけのモノです。きっと次の日には忘れて、自分の事を考えてますよ? 薄っぺらくて気持ち悪い。口ではありがとうって言っても、心の中では『どうしてもっと早く助けてくれなかったんだ』って罵るのが人間ってものですよ。テレビだってそうでしょう? 自衛隊や医者が百人、千人の人命を救っても、数人の怪我人やたった一人の犠牲者を出したことを罵倒し、無能だと蔑む。それが人間ってものです。自分は失敗するのに他人の失敗は許せないんですよ。……本当に薄汚い」
殺人鬼は言葉を続ける。
「それなら好きに生きた方が得ですよ。人殺しだって、平和な世界では罪ですが、今の世界では意味のある行為です。だって殺せば、その分だけ自分が強くなれるんですから。競争社会と同じです。自分がのし上がるための必要な犠牲。そう割り切ってしまった方が楽でしょう?」
「楽、ですか……」
「そうです、楽なんです。それに楽しいですよ、人を殺すのって」
一切の曇りなくそう言い放つ殺人鬼。
きっと本心からそう思っているのだろう。
「子供の頃、気ままにバッタやトンボを捕まえたり、殺したりしたのと同じです。圧倒的強者の立場から弱者を蹂躙するって凄く気持ちいいんですよ」
殺人鬼は笑みを浮かべたまま、私の眼をじっと見つめる。
「九条さん、私と手を組みましょう。アナタの力は他人の為に使うモノじゃない。アナタ自身の欲望の為に使うべきだ」
「私の為……」
「そうです。私が教えてあげます。力の使い方も、快楽も全て。アナタの知らない世界を見せてあげましょう」
「……私の力は私の為に使うべき?」
「ええ、その通りです」
「…………確かにその通りですね」
「おい、九条! 耳を傾けるな」
上杉さんの手を振り払い、私は一歩前に出る。
そうだ。確かにその通りだ。
私の力は、私の為に使うべき。
だから、
「――先輩ッ!」
私はポケットにしまっていたそれを先輩に向けて投げつけた。
「? なにを――」
殺人鬼にはそれが何か分からなかっただろう。
咄嗟に先輩を盾にそれを避けようとする。
――だがそれこそが私の狙い。
「先輩! 三木さんを踏んで!」
「分かった!」
それに当たった瞬間、先輩と倒れていた三木さんが姿を消した。
「なっ――!?」
驚愕する殺人鬼。
人質にしていた先輩と三木さんは消え、残ったのは足元に転がる巻貝だけ。
――シェルハウス。
指定した人物だけを中に招待するアイテムだ。
登録していない人物が中に入るには、一緒に触れる必要があるが、それも所有者である私の許可が無ければ入れない。
先輩の足元に居た三木さんも、とっさに先輩が足で接触したことで一緒に入る事が来た。
これで人質はもう居ない。
私は一気に距離を詰める。
「ソウルイーター!」
「ぐっ……!」
殺人鬼は咄嗟にナイフを構えるが――遅い。
剣で弾くと、殺人鬼はあっさりと体勢を崩して尻もちをついた。
私は素早くシェルハウスを回収し、殺人鬼の喉元に切っ先を向ける。
「確かにアナタの言う事も一理あると思います。でも私の力の使い方を決めるのは、私自身です。アナタじゃない! 私はこの力で先輩やハルさんのような大切な人たちを守りたい。その想いは、誰にも否定させませんっ!」
「……だったらどうするんですか? 殺すんですか、私を?」
「いいえ、殺さなくてもアナタを無力化する方法ならいくらでもあるはずです」
検索さんに調べて貰えば、スキルを封じるスキル、スキルを奪うスキル、行動を制限するスキル、洗脳するスキル、封印するスキル、他にも色々出てくる。
それを使って彼女を無力化する。
「スキルを使えず、人を殺す事も傷つける事も危害を加える事も出来なくする。そうすればアナタを殺す必要もなくなる」
「馬鹿な。そんな事出来る訳が――ッ! いや、まさか、そんな事まで知ることが……」
先程といい、本当にこの人は察しが良い。
おかげで説明しなくても、勝手に理解してくれた。
「先程と同じ手は通じませんよ。大人しくするなら、それ程痛い目を見ずに――いや、死なない程度には痛めつけますけど」
取得には時間が掛かるかもしれないし、それまでの間彼女を拘束しておかなければいけない。それでも私はその手段を取る。
あと先輩と三木さんを傷つけたのは絶対許さない。ボコボコにしてやる。
「私も忘れるなよ。今度は油断しない」
「先ほどの様な目くらましも無駄です。同じ手は二度もくらいません」
「ぐっ……」
今度こそ、殺人鬼は演技ではない本気の焦りの表情を浮かべた。
詰みだ。
私も、上杉さんもそう思った。
――だが次の瞬間、ありえない事が起こった。
ドパァッ! と、大量の水が私たちのいる場所へ向けて流れ込んできたのだ。
「なっ――!?」
余りにも突然の出来事にその場に居た全員が驚愕の表情を浮かべた。
一体なぜ、大量の水が押し寄せてきたのか?
その答えはすぐに分かった。
「きゅーーーー♪」
押し寄せる大津波。
その波に乗るようにあのリヴァイアサンが姿を現したのだ。




