65.視線
「……そんな、どうして……?」
目の前の惨状を見て、私は愕然とする。
どこを見渡しても死体、死体、死体。
泣き叫ぶ子供、正気を失う男性、もはや微動だにしない老人。
阿鼻叫喚の地獄絵図。
昨日まで避難所として機能していた病院は、もはやそこには無かった。
「メ、メアさん、どういう事? 何かあれば、すぐ知らせるって……」
『ミャ、ミャー……?』
私はメアさんの方を見るが、メアさんも何が何だか分からないと言った声を上げる。
メアさんは、私達の代わりに寝ずの番を買って出てくれた。
外で何か異常があればすぐに知らせてくれるようお願いしてあった。
(どういう事なの……? これだけの異変があって、なんでメアさんは気付かなかった?)
メアさんが私達を裏切るはずがない。
となればこれを行った人物はメアさんが異変に気付かないようなスキルを持っているということだ。
気配を消す? もしくは周りに認識させなくなるスキル?
(ああ、認識が甘かった……)
そんなスキル、検索さんに調べて貰えばいくらでも出てきたはずなのに……。
心のどこかで慢心があったのかもしれない。
自分達ならこの惨劇を止められるんじゃないかって思いあがってたのかもしれない。
でも違った。私達には何も出来なかった。
「皆さん、落ち着いて! 落ち着いて下さい!」
「早く! 誰かこの子を助けて下さい!」
「待ってくれ! 俺の妻が先だ!」「先生は? 先生はどこに居るんですか?」
「勝手な行動をするな! 他の患者も居るんだぞ?」
「慌てないで下さい! 順番を守って――」「そんな事言ってる場合かっ!」「順番を待ってる間に死んだらどうするのよ?」「お前の子供はもうとっくに死んでるだろうが!」「おい、お前やめ――」「いや、いやあああああああああああああああああああああ!」
耳を閉じても、喧騒は聞こえてくる。
泣き声が、叫び声が、怒声が、悲鳴が、音の津波となって押し寄せてくる。
「ッ……私達も手伝おう。今は少しでも混乱を収めなければ!」
「そうですね」
上杉さんと栞さんの声かな?
こんな状況でも的確に行動できるなんて本当に凄いと思う。
「……」
私はまだ動けなかった。
なんだろう、この感覚。
この感覚には覚えがある。
ああ、そうか。アレだ。
学校でベヒモスに襲われた時だ。
あの時も、こんな気分だった。
――無力感。
自分には何もできない。
そんな風に思ってしまう程の――
「えいっ」
「いたっ……」
誰かに頭をチョップされた。
顔を上げると、先輩がむすっとした顔で、私を見ていた。
「なんであやめちゃんが落ち込んでるの?」
「先輩……いや、だって……」
「もしかして私達がしっかり見張ってれば防げたかもしれないって思ったの?」
「ッ――はい……」
すると先輩ははぁーと大きな溜息をついた。
「あやめちゃんはさ、神様にでもなったつもり?」
「そ、そんな事――」
「じゃあ仕方ないよ。未来の事なんて分からないし、相手がどんなスキルを持っているかも分からなかったんだよ? 他にどうしろって言うのさ?」
「それは――もっと、警戒とか見張りとかをきちんと……、それに検索さんに頼んで隠密系のスキルや職業はどんなものがあるかとか、色々……色々、出来たはずなん……です」
「ならそれを次に生かすしかないよ」
「……」
「割り切れなんて言わないけど、昨日の時点では私達はそこまで考えれなかったんだからどうしようもないじゃん。私だって悔しいよ。凄く、すごーく悔しい。でもそれで落ち込んでたら何かが変わるの?」
「……」
「だったら前を向かなきゃ。反省も後悔も失敗も、次に活かさなきゃ駄目だよ。じゃないと、死んだ人たちが浮かばれないよ?」
「……そう、ですね……」
確かに先輩の言う通りだ。
何も出来なかったなら、次は何か出来るようにしなければいけない。
それが殺された人達へのせめてもの贖罪だ。
「ありがとうございます、先輩。少し元気が出ました」
「うん、良かった。……と言っても、私も偉そうな事言っても何も出来なかったし、『先輩にそんな事言う資格ありませんっ!』とか言われたら泣いちゃうところだったよぉ」
「……先輩」
そこはもうちょっとしっかりと威厳を保ってほしかったです。
でもそんな先輩だから、元気を分けて貰えたのだろう。
「みゃぅー、みゃぁー」
「ひゃんっ、くすぐったいよ、ハルさん……」
「みゃぅー」
ハルさんは私の肩に乗っかって、ペロペロと顔を舐めてくる。
ハルさんなりに私を元気づけてくれているのかもしれない。
「……栞さん達を手伝わなきゃですね」
「うんっ」
私は立ち上がると、先輩と一緒に栞さん達の元へと向かおうとした。
――その瞬間だった。
「ッ――!?」
背筋がゾワリとした。
ねちっこくどろどろとした悍ましい感覚。
反射的に私は後ろを向くが、それらしい視線の主は見当たらない。
(なに、今の感覚……?)
なんだろう?
凄まじく不快で怖気の走るような視線だったが、その感覚には身に覚えがあった。
どこだ? 思い出せ……。
もうこんな事を繰り返さないためにもどんな些細な事にも疑問や注意を払うんだ。
(そうだ、思い出した。自分に鑑定を使われた時! あの感覚だ!)
あの自分の内側を覗かれるような得体のしれない感覚。
今のはそれを何倍も濃くしたような感じだった。
(でもこの場で鑑定を使えるのは私と先輩、それに栞さんくらいのはず……)
昨日探した時点ではそれらしい人物は居なかった。
でもあれだけの視線、あれだけの悍ましさを感じさせるほどの鑑定を持つ人物。
心当たりは一つしかない。
(――殺人鬼……)
この大量殺人を行った犯人。
これ程の犯行を行った犯人なら鑑定を持っていても不思議じゃない。
居る、間違いなく近くに居る。
この地獄を引き起こした殺人鬼が……。
私は出来るだけ平静を装いながら、周囲の人々を観察し始めた。




