40.ベヒモス攻略戦 その1
その叫び声を聞くだけで体が震えた。
骨の髄までしみこんだ圧倒的な暴力と恐怖。
――巨獣ベヒモス。
ボルさんたちの仲間の命と引き換えに放った『置き土産』によって動けなかった筈のあの化け物が動き出した。
「で、でもどうして……? まだ時間は残ってる筈じゃ……」
『ッ……! あくまで予測だ。すまない、まだ我々はヤツを侮っていたようだ。まさかこんな早く耐性スキルを取得するなど……』
忌々しそうな声を上げるボルさん。
どうやら完全に予想外の出来事だったようだ。
『ともかくこうなってしまった以上仕方あるまい。ここで奴と決着を着けるしかない』
「に、逃げないんですか……?」
先輩がガタガタと震えながら声を上げる。
ボルさんは首を横に振った。
『残念だが、ベヒモスは執念深い。一度傷つけられた相手はどこまでも追いかける。逃げ続ける事は出来ない』
「そんな……」
絶望的な表情を浮かべる先輩。
私は出来るだけ先輩を安心させるように、優しく手を握る。
「……大丈夫です、先輩。私やボルさんたちが付いてます」
「みゃー」
自分も居るよ、とハルさんも声を上げる。
「それに、あれです。いざとなったら先輩だけでも逃げられるように頑張りますから」
「うぅ……私の後輩が凄くカッコいいよぅ……」
すこしだけ先輩も落ち着いたようだ。
『ナイトメア』
「ミャァ」
ナイトメアさんの影が広がり、巨大な弓が現れる。
更にナイトメアさんは擬態を解き、本来の姿へと変身する。
全身が黒く、尻尾や蹄、鬣が青白い炎に覆われている首のない巨馬の姿へ。
『ブルルル……!』
『こうなった以上、ヤツの傷が完全に癒える前に決着を着けるしかあるまい。時間を置けば置くほど、こちらが不利になる』
そ、そうか……『巨獣防壁』はあくまで外部の攻撃を防ぐだけで、傷を癒す効果はない。
置き土産の呪いに対して耐性をつけただけで、向こうもまだ全快じゃないんだ。
『よし、二人ともこちらへ』
ボルさんはナイトメアさんに跨ると、こちらへ手を差し伸べてくる。
乗れと言う事だろう。
確かに私達とナイトメアさんの体格差なら、余裕で乗れる。
一番前が先輩、真ん中が私、後ろにボルさんという順番だ。
『ミャーゥ』
ナイトメアさんは私と先輩が落ちないようにベルトを作って固定してくれた。
おお、便利。というか、馬の姿でも鳴き声みゃぁでいいの? 猫の癖残ってない?
『よし、では飛ばすぞ。しっかり掴まってろっ!』
「は、はい――ぃぃいいいいいいいいいいいいいッ!?」
「ふ、ふわぁぁああああああああああああああああああああっ!?」
ナイトメアが駆け出した瞬間、私達は風になった。
景色が矢の様に飛んでゆく。
『幸いベヒモスはまだあそこからそう移動していない! 今ならば、君たちの仲間を巻き込むこともあるまい!』
「ッ――!」
ボルさん……そこまで考えて。
本当にモンスターなのか疑いたくなるほどのイケメンっぷりである。
『それに……人がいない方が私もベレも本気を出せる』
「あの……ベレさんは?」
『奴もあの叫びを聞いた筈だ! 我々よりもヤツの方がベヒモスの位置に近い!』
「すでに向かってるって事ですか……」
ベヒモス用の準備をしてるって言ってたけど、一体何をしてたんだろう?
『構えろ! あやめ!』
「えっ?」
『獲物だ! 斬り裂け!』
「え――あっ!」
何とか眼を開けて前方を見れば、そこにはこちらに向かって来るゴブリンたちの姿があった。
多分、あのベヒモスの叫びを聞いて逃げてる途中なのだろう。
(な、なんとか仕留めなきゃ……!)
検索さんによれば、魔剣ソウルイーターの盾を出せる条件は一定数のモンスターの討伐。
スライムで数を稼ぎまくった結果、残りは二体。
あそこを走るゴブリン達を倒せれば、それで達成できる。
『……スピードを緩めるか?』
「だ、大丈夫ですっ! このままお願いします!」
『ふっ、頼もしいなっ! では往くぞ!』
ボルさんはナイトメアさんの手綱をバシンッと叩く。
するとナイトメアさんの走る速度がさらに上がった。
いや、ちょっとまって! このままでって言ったじゃん!
スピード上げてって頼んでないよー!
「ぐっ……そ、ソウルイーター!」
何とか私はナイトメアさんにしがみつきながら、ソウルイーターを顕現させる。
こ、このスピードならただ剣をこうして水平にしてるだけで――、
「――ギギャ!?」
「――アギャッ!?」
ゴブリン達は何が起こったかもわからなかっただろう。
突然、体を水平に斬られ、ゴブリン達は絶命した。
≪経験値を獲得しました≫
≪魔剣ソウルイーターの魂の蓄積を確認≫
≪拡張機能『盾』が使用可能になりました≫
≪拡張機能『対話』が可能になりました≫
「や、やったっ! ボルさん、盾が使えるようになりました!」
『よしっ! よくやった、あやめよ!』
「お、おめでとう、あやめちゃぁあぁアアアアアオオオオオオオオオッ!?」
先輩、嬉しいですけど無理して喋らないで下さい。
風圧凄いし、なんか顔がベロベロでギャグ漫画みたいな表情になってますからっ。
(これで盾の能力も使えるし、ベヒモスの攻撃も防げる……!)
ギリギリ間に合ってよかった。
なんかもう一個、拡張機能が解放されたみたいだけど、とりあえず確認はあとだ。
「――ォォオオオオオオオオッ! グゥォォオオオオオオオオオオッ!」
するとベヒモスの叫び声が聞こえた。
それに何かが爆発する音も。
『どうやら既にベレは戦っている様だな……』
「ベレさん……」
どうか無事でいて下さい。
アンデッド相手に無事を祈るのもおかしな話だが、それでも私はベレさんの無事を祈らずにはいられなかった。
一方その頃、一足先にベヒモスの元へ到着したベレはナイトメアと共に死闘を繰り広げていた。
『ちっ……クソが。リィンの置き土産を喰い漁りやがって……!』
魔槍を構え、相対するベヒモスをじっと見据える。
ベヒモスの傷の回復は三割程といったところだろう。
だが『置き土産』によって発生していた黒い炎はもう完全に消え去っている。
表皮のあちこちに火傷の跡があるがそれだけだ。
(俺の穿った箇所は……塞がってやがるな……)
先の戦いの際、ベレが付けた傷も完全ではないが塞がっていた。
(本来なら耐性をつけても傷の治癒にあと二日は必要な筈……それなのに出てきたって事は……)
ベレはにやりと笑う。
あえて挑発するように。
『テメェ――ビビッてやがんのか、俺たちに?』
「ッ――! グォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
『はっ、図星かよ、デカブツがッ!』
回復しきっていないのはベヒモスだけでなく、ボルやベレも同じ。
だからこそ、ベヒモスも結界を解いたのだ。
己の敵が万全でない今の内に潰すために。
『互いに満身創痍だ! 良いぜ、アガとリィンの敵、討たせてもらうぜ!』
振り下ろされた角を、ベレは躱す。
地面が砕け、巨大なクレーターが発生する。
ベヒモスの巨体が織りなす圧倒的な質量攻撃は傷を負っても健在。
(一発でも喰らったら終わりだな……。なら、喰らわねぇまでだ!)
首のない馬の姿になったナイトメアに乗り、ベレはひたすらベヒモスの真横に位置をつける。
ベヒモスのような巨大な四足獣のモンスターを相手にする場合、常に真横から加えるのが定石だ。
牙も爪も尾による攻撃も、この位置取りならば常に優位に戦える。
但し、これは正面で敵の攻撃を受ける盾役が居て成り立つ戦法。
「グォオオオオオンッ!」
当然、ベヒモスも真横を取らせまいと、常に移動しながら攻撃を続ける。
弱っているとはいえ圧倒的な巨体と、その巨体に似合わぬスピード。
少しずつ、だが確実に追い詰められているのはベレの方だった。
(ちっ……流石に一人じゃ位置取りは厳しいか……)
急ごしらえで用意した『切り札』を切るべきか?
いや、このままで問題ない。
「グォォオオオオオオオオオオオッ!」
『ちっ!』
振り下ろされる巨大な爪。
それをベレはあえて正面から受けた。
その衝撃は凄まじく、足は地面に陥没し、魔槍はビキビキと悲鳴を上げている。
だがその瞬間――、
『ハッ――遅ぇよ、馬鹿』
ヒュッ! という風切り音と共に、ベヒモスの瞳に矢が突き刺さる。
「グォオオオオオオオオオオオオオオ!?」
堪らずベヒモスは後退する。
もう片方の目で弓矢の放たれた方を見れば、そこには首のない馬に跨った骸骨騎士と二人の人間、そして一匹の猫が居た。
『どうやら間に合ったようだな』
「はわ……はわわわわわ……」
「せ、先輩落ち着いて下さい。もうここまで来たら腹をくくるしかないですよっ」
「みゃぅー」
役者はそろった。
ベヒモス討伐。
ここからが本番である。




