17.巨獣
校舎の外に出た私たちの目に飛び込んだのは巨大な『山』だった。
「なに……あれ?」
夜の闇の所為で良く見えないが、巨大で歪な『山』としか表現しようのない物体がそこには在った。
(いや……山じゃない……これは……)
山が僅かに動くと、再び地面が揺れた。
それは今しがたまで聞こえていた断続的な音と全く同じ。
この揺れの正体は、コイツに間違いない。
「あ、あやめちゃーんっ」
「せ、先輩っ!? 大丈夫ですか?」
流石にこの異変には、八島先輩も目を覚ましたようだ。
ぷるぷると震えながら、私の傍に駆け寄ってくる。
「な、なにあれ……? 暗くてよく見えないけど……?」
「……先輩、絶対に私の傍から離れないで下さい」
「ふぇ? は、はいっ」
ぎゅっと私にしがみついてくる先輩。……そこまで近づけとは言ってません。
「しゃぁーっ!」
私の前に居たハルさんが毛を逆立てる。
最大限の警戒。
気を付けて、と言っているようだ。
そして雲が晴れ、月明かりが照らされると、ようやくその正体が露わになる。
「嘘、でしょ……?」
「グルル……」
そこに居たのは、巨大な四本足の獣だった。
額に巨大な角が生えた、真っ黒な恐竜を思わせるフォルム。
その姿には見覚えがあった。
つい数時間前にも、私は同じようなモンスターを見ている。
私のアパートに居た黒い恐竜。
目の前に現れた巨大なモンスターは、それと瓜二つだった。
――但し、そのサイズが違いすぎる。
アパートに居た黒い恐竜の十倍以上の大きさ。
学校の体育館よりも更に巨大で、縮尺が狂っているんじゃないかと錯覚してしまう程だ。
「――ォォ……ォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンンンンンンンンッッッ!!」
山が裂け、獣口が開く。
発せられるのは音の災害。
超ド級の咆哮が空気を裂き、大地を震えさせる。
「ぎゃっ」
「あきゃっ」
「ゴガッ……」
「え……?」
不意に後ろを向けば、バタバタと人が倒れていた。
皆、目や鼻から血を流し、ピクリとも動かない。
(え、嘘……まさか、死んで……)
え、嘘だよね?
いくら規模がデカいとはいえ、タダの声の振動だけで死ぬわけ……ない、よね?
「な、なにぃ今の声ぇ……」
「せ、先輩っ!? 大丈夫ですか?」
「すごい耳がきーんってする」
耳がきーんって……。
いや、そんな次元の話じゃないと思うんですけど……。
でも実際、私にも特にダメージは無い。どうして……?
「なんか今一瞬、体が薄く光ったようなきがしたんだけど……?」
「光った?」
「うん」
体が光る……?
確か『纏光』がそんな効果だったような気がするけど……。
いや、でも私はスキルは発動していない。
じゃあ誰が?
「みゃぅ」
ハルさんの声がした。
見れば、ハルさんの体が淡く光っていた。
「まさか……ハルさんが守ってくれた……?」
「みゃう」
ハルさんは「大丈夫か?」と視線を向けてくる。
スキル……? やっぱりハルさんも何かスキルを獲得していた?
いや、考えるのは後だ。
「と、ともかく早くここから逃げましょう」
「だ、だよね……」
今はともかく、この状況をどうにかしなければ。
だが私達よりも先に、巨獣の方が先に動いた。
「オオゥゥ……」
四本の脚を曲げるて、ぐっと力を込める動き。
え、ちょっと、待って、まさか――、
「ウォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンンンンッッ!」
そのまさかだった。
巨獣は飛び跳ねると、その巨体を校舎目掛けて落下させたのだ。
ズドンッッッ!!! と地面が揺れる。
轟音と、激しい地鳴りと、そして、
「嫌ああああああああああああああ」「なんだよこれええええええええ!」「た、助けてくれえええええええええええええ!」「うわああああああああああ」「ぎゃあああああああああああ」
悲鳴、悲鳴、悲鳴。
阿鼻叫喚の地獄絵図が、一瞬で形成された。
今の落下で、果たして何十人という人が犠牲になったのだろう?
「アアア……アム……アム……」
巨獣はむくりと起き上ると、何かを咀嚼していた。
ボタボタと赤黒い液体が口からしたたり落ちている。
飲み込むと、物足りないのか、すぐに次を食べ始める。
おつまみのピーナッツでも流し込むように、瓦礫ごと声を上げる『ソレら』をボリボリと咀嚼していた。
「うっぷ……」
その光景に、私は言葉を失った。
ふらりとよろめいて、倒れそうになると、誰かが私を支えてくれた。
「いやはや……これはとんでもないですね」
「大池、さん……」
気付けば、隣に消防隊員の大池さんが立っていた。
「大丈夫ですか?」
「無事みてーだな」
上田兄弟も一緒だ。
その後ろには、モンスターと戦っていた時の消防隊員さんたちも居る。
「さて、この状況……どうしたものでしょうね?」
「どうしたも何も、こんなのどうしようもないですよ……」
無理だ。あんな化け物勝てるわけない。
「でしょうね」
大池さんはあっさりと頷き、少しだけ眼を閉じた。
そしてゆっくりと私達の方を見る。
「……なので私があの化け物の注意を引きます。皆さんは出来る限り人を連れてこの場を離れて下さい。ああ、出来れば近くの中学校や高校にもこの事を伝えて貰えれば助かります」
「な、何を言って――?」
「幸い消防車はまだ動かせますし、ホースは繋げたままです。放水でどれだけ注意を引けるか分かりませんが、何とかやってみましょう」
その言葉に、私だけでなく誰もが唖然とした。
この人は、何を言ってるんだ?
「大池さん、それは……ッ」
「良いんですよ。私みたいな年寄りよりも、皆さんのような若い方々が生き延びた方が良いに決まってます。さあ、早く動いて下さい。向こうは待ってはくれませんよ?」
大池さんの言う通りだった。
巨獣は既に食事を終えようとしていた。
口に付いた食べ残しをペロリと舐めると、恐怖で動けないでいる周囲の人々に目を向けた。
その眼の光が、夜の中に在っても一際大きく輝いて不気味だった。
「さあっ!」
「ッ……八島先輩ッ!」
「あ、あやめちゃん!?」
私は先輩の手を取って走った。
誰よりも早くその場から離れたかった。
「みゃう」
ぴょんとハルさんが私の肩にのる。
すると、ぽぅっと体が光ったのだ。
体に力が漲り、人一人を抱えてるのに、さっきまでより何倍も速く走れた。
「くそっ……! 早く走れ!」
「皆さん! こっちです! 早く走って下さい!」
「兄貴! こっちだ! おら、お前らも走るんだよ!」
「「「あ……うわあああああああああああああああああああああっ!」」」
その瞬間、誰もが我先にと駆け出した。
生存本能が肉体を刺激し、誰もが必死になって走った。
そんな中、
「ウガァァ……?」
ちらりと、後ろを見れば、巨獣に放水が行われていた。
大池さんだ。
本当に、たった一人であの人はあの巨獣の注意を引くつもりなのだ。
スキルなんて持ってないのに、私よりもずっと弱い筈なのに、あの人は皆が逃げるための時間を数秒でも長く稼ごうとしているのだ。
「ガゥ……」
巨獣は鬱陶しいと言わんばかりに、尾を振り払った。
あっさりと消防車はひしゃげて、吹き飛ばされた。
ああ、死んだ。あれは、間違いなく死んだ。
本当に、たった数秒の時間稼ぎ。
その為に、一人の命が犠牲になった。
「ああ……」
地獄だ。
間違いない。きっと私は今、地獄に居る。
そして、地獄はまだ終わらない。
「お母さんっ! お母さぁーーーんっ」
「……えっ?」
聞き覚えのある声だった。
ついさっき、私はその声を聴いている。
「みゃぁ!」
ハルさんが振り向こうとした私を止めようと、肩を移動する。
やめろ、見るんじゃないと、言っているように。
でも、それでも私は振り返った。
そして見てしまった。
「あ……」
先程、助けた子供。
その母親が、瓦礫の下敷きになっている。
子供はそれを必死に助けようと足掻いていた。
「アァ……」
その親子に、あの巨獣が近づく。
「駄目……」
止めろ、止めて、お願いだから。
「駄目えええええええええええええええええええええ!」
「あやめちゃんっ!?」
「みゃう!?」
気付けば、私は走っていた。
あの巨獣の方に。
魔剣ソウルイーターを顕現させ、『纏光』を発動させる。
自分でも恐ろしい程の速さを出せたと思う。
火事場の馬鹿力という奴なのだろう。
脳のリミッターが外れ、筋肉が限界を超えて活性化し、体中にめぐる血液がぐつぐつと煮えたぎる様に熱かった。
≪スキル『番狂わせ』が発動します≫
≪クジョウ アヤメのステータスが上昇します≫
そんなアナウンスが流れる。
そう言えば、格上と戦う時にステータスが上昇するんだったっけ?
更に体に力が漲る。
「ゴァ……?」
巨獣が私の方を向く。
どうやらようやく私の存在を認識したようだ。
親子から目を離し、私の方を見る。
そうだ、私の方を見ろ。
その親子に、手を出すな。
「ああああああああああああああああああああああッッ!」
ソウルイーターを振り上げる。
それは真っ直ぐに、そして凄まじい速度を伴って、巨獣の頭へと吸い込まれる。
そして次の瞬間――、
「――――――――――え?」
あっさりと、剣が――魔剣ソウルイーターが、折れた。
「あ、え……?」
なんで?
どうして?
意味が分からない。
くるくると、宙を舞うソウルイーターの刃が、やけにゆっくりに見えた。
「ゴァゥ……」
「――」
巨獣と目が合った。
ゴミを見るような視線だった。
その瞬間、唐突に理解した。
ああ、そうか。
何で折れたのか?
簡単な話だ。
――コイツの皮膚が、私の全力を込めた一撃よりも硬いだけ。
ただそれだけだったのだ。
「カハッ……」
ドッと、何かが横から叩き込まれる。
巨獣の額の角が、私を横薙ぎに振り払ったのだ。
私は吹き飛ばされ、意識を失った。




