天翔けるは白銀の鷲 第三シリーズ
第六章 命じられてる馬鹿もいる
一行は遅れた日程を取り戻すべく、荒野の上を駆け抜けて行った。
「早く『都』に戻って、『ジャガーの戦士』の陰謀を『青き蜂鳥の王者』に伝え、止めてもらわないと」
「俺は、その時の護衛って訳だな」
「ええ、反抗された時に取り押さえるために来てもらうつもりでした、本来。彼は『黄金の絶望』であらゆる防御を突破できる能力を持っていますが、それはわたしの『翠の楯』で相殺できますからぁ」
「ほんとはそっちがメインの『護衛』の仕事なのよね。こんな風に次々出てくる刺客を倒していくんじゃなくて」
「まさか、こんなことになろうとは思っていませんでしたぁ」
「祭司」が苦笑した。
「あ、あそこ…谷間になってるなあ。川とかあるのかな」
「ああ、あそこですか。あそこは『蛙の丘』っていう所です」
楓の呟きに答えてくれる。
「何の作物も採れない、蛙しか住めない地なんで、そう呼ばれているんですよぉ」
「でも何で谷なのに『丘』なんだ?」
「さぁ…そこまでは、わたしも知らないんですがぁ」
サイキの素朴な疑問に、「祭司」も困惑する。
(『蛙の丘』…?)
何か、どっかで聞いたことがあるような気がするが。歴史の授業で、教師の脱線話の時とかに。
引っかかったが、調べようもなく考えるのをやめた。
「―下から強い精霊の気配を感じます」
カノコが呟き、「道」の遥か下を示したのはしばらく後のことだった。
「そう言えば雲が集まってきましたねぇ。この辺、一年中乾燥していて雨なんてほとんど降らないはずなのに」
「祭司」が首を捻る。
「降りましょう。この『道』の上では、戦闘は無理です」
楓の言葉にうなずき、「道」はゆっくりと下りはじめた。
「やれやれ、戦力の逐次投入とは…愚策だよね」
「あくまで極秘に何とかしたい、ってことだろうな。そのためなら少人数で足止めを考えるかも」
「一般の人や『王者』には内緒にしたい…ってことですかぁ」
「秘密裏に危険な芽を取り除こうとしている、と」
そんな会話をしているうちに、地面に着いた。
そこに、立っていたのは。
一人は、漆黒の肌をした長身の青年。右手に薄い両刃の斧を掲げ、もう一方の手に奇怪な紋章の描かれた楯を持ってすっくと立っていた。
「あいつが、『加護を受けた戦士』か…何の精霊に加護を受けているかはわかんねーけど」
「あのご老人は…何者?」
楓の視線は、青年のかたわらで何かぶつぶつ呟いている老いた男性に向けられていた。色とりどりの服を着て、じゃらじゃらと色ビーズの飾りを髪にも服にも、すがっている杖にもつけまくっている。やはり漆黒の肌をしていた。
「ヌバの若殿!敵のようですぞ!」
嗄れ声で隣の青年に話しかけていた。
「あのご老人からも『精霊の力』は感じますが…巫術師か何かでしょうか」
「にしても、黒い肌の人ってほんとにいるんだー、『果ての地』のTVでは見たけどほんとにいるんだ、すごいなー」
「呑気ね、サイキ…向こうは敵意ありありなのに」
そう、明らかに二人からは敵意、と言うより戦意が伝わって来ていた。
「私は『雷の戦士』と申す者。『翠の羽毛蛇の祭司』一行とお見受けいたす」
青年が口を開いた。
「そうだと言ったら?」
「『ジャガーの戦士』殿からは、倒すか足止めをしろと命じられている」
「やっぱり、『暦の巡り』で『祭司』さんの力がもうすぐ使えなくなるから、ね」
「向こうもわかってますしねぇ」
「よーし、俺が相手だ!」
サイキが飛び出した。槍を構える。黒い肌の「雷の戦士」も斧を振りかぶった。
「「でえいっ!」」
二人が交錯する。
「くっ…!」
サイキの槍が、漆黒の肌を浅く切り裂いた。ぱっと血がしぶく。
「なかなかやる、な…『鷲の戦士』サイキとやら」
「お前も強い…!」
サイキがにやりと笑った。
「久しぶりに、心躍る闘いができそうだ!」
両刃の斧が、サイキの頭めがけて振り下ろされる。
「うわっ…と!」
ぎりぎりかわした…かに見えたが、サイキの頬に一筋赤い線が走った。血が滲み出る。
「うむ、これでこそ闘いぞ!」
「―ヌバの若殿」
それまで下がっていた老人が、進み出て言葉を発した。
「わかっている、が」
ヌバと呼ばれた青年は苦しげに答え…いきなり、楯を放り出した。
「は!?」
そのまま、こちらへと走る。
その、動きは―
「え!?」
サイキの反応速度すら、越えていた。
まるで稲妻のように、瞬時に距離を詰める。
そのスピードでサイキの―脇を駆け抜けた。
「何っ!?」
反応できないカノコに近づき、その肩の―楓をひったくる。
「きゃあっ!」
「楓!こいつ、返せ!」
サイキが振り向き、手を伸ばすが―
「呪われよ!」
その瞬間、老人が杖をかざし、叫んだ。
と。
「うっ!?」
その手が、止まった。
いや、手だけではない。
身体全体が硬直しているようだった。
その間に、「雷の戦士」は老人の元へ駆け寄る。
もちろん、楓も連れて。
「サイキ!」
「何か、身体が痺れて…動けねえんだ」
駆け寄るカノコに、かろうじて彼は答える。
「さらばだ!明日、この場所で会おう!」
そう言い置いて、「雷の戦士」は斧を掲げた。
「雷よ!我らを包みたまえ!」
閃光がほとばしった。
光が消えると…主従二人+楓は、消えていた。
「サイキーっ!」
楓の悲鳴だけを残して。
「畜生…っ」
段々に、サイキの身体は動かせるようになってきた。崩れ落ち、地面を叩いて叫ぶ。
「楓ぇーっ!」
しかしその絶叫に答える者は、いなかった。
『そうですか…黒い肌の戦士と、あともう一人ですね』
「知ってますか、ユーリ先輩?」
『ええ、師匠から聞いたことがあります』
茶の球体の中に、うなずくユーリの影が映っている。
ここはサイキたちの野営地。さらわれた楓を除く一行は、ここで定時連絡をするついでにユーリから話を聞いていた。
「すみません、映像は送れなくて」
『いえ、充分ですよ。説明だけで見当がつきます』
映りこんだ魔術師の姿が、揺らめいた。
『僕の故郷から見て遥か南の大陸に住む人々の中に、『雷の精霊』から力を借りる『戦士』がいると。また、その『戦士』につき従う『呪い師』と呼ばれる人がいると聞いたことがあります』
サイキをスピードで圧倒し、楓をさらって去った…今までにない難敵に、もしかしたらユーリがその豊富な知識で助けてくれるのでは、ということでカノコが呼びかけたのである。幸い、「果ての地」の舞鳥学園青葉寮で彼のルームメイトである飛島は帰省していたので、自室で受け答えできていた。
『で、その『呪い師』は、文字通り人を呪って、金縛りにしたりできるそうなんです』
「確かに、先程の『鷲の戦士』は身体を動けなくさせられていましたねぇ」
「でもどうして『雷の精霊』の力で人を呪ったりできるんですか?」
『そんなこと僕に聞かれてもわかりませんよ。『果ての地』の科学によると、脳や神経に通っているのは微弱な電気だそうですから、それをコントロールするんじゃないですか?』
しっかり推論を組み立てるあたりがユーリである。
そんな魔術師の解説を…一人だけ、聞いていない者がいた。
『…大事な話なんですけどねえ』
言葉を伝える茶の球体が、ため息をつくように揺らめいた。
うろうろ、うろうろと。
焚き火を囲む輪を外れて。
荒野を、一人…サイキが歩き回っていた。
「くっそー…楓ぇ…っ」
ひたすらうろうろしつつ、繰り返す。
「あの…『鷲の戦士』は、『果ての地の少女』さんがいないとあんな風になってしまうのでしょうかぁ」
「実は…そうなんですよ」
「祭司」の囁き声での質問に、カノコは沈痛な面持ちで答えた。
「一見頼れるように見えますが、楓さんがいないと本当に、彼は」
「約束したのに!絶対守るって…!」
「サイキ、落ちついてください」
たまりかねたカノコが立ち上がり、彼を連れ戻す。
「だって、悔しくて!あんまりにも。それに、楓がどんな目にあってるかと思うとっ」
「サイキ、楓さんは無事です。元気にわたしたちの所に帰ってきます」
カノコはきっぱりと言った。
「いくら未来を見ても、本当の意味で不幸な未来は、少なくとも今日明日の時点では見えません。ですから、明日楓さんはわたしたちの元へ帰って来ることは確かです。そこからどうなるかは、あなた次第です」
「カノコ…っ」
「わたしにとっても、楓さんは大切な友達です」
サイキの目を見つめ、言い切る。
「その友達が傷ついたり苦しんだりしていれば、わたしが感じ取れないはずはありません!楓さんは今、無事です…信じてください」
自分がしっかりしなくては、そう考えているのが伝わってくる。
楓がいないから。
そして、サイキが取り乱しているから。
「だから、今は落ちつきましょう、サイキ」
「…わかった。信じるよ、カノコ」
やっと彼はうなずいた。
「無事はわかっても、いる場所は感知できませんね」
感知能力にかけては当代一の巫女は、形のいい眉を寄せた。
「あの『呪い師』ですか?の力なのか、どこにいるのか突き止められないんですよ。何と言うか、何かがまき散らされていて『見る』ことを遮っている感じで」
「確かに、『精霊の力』をもってしても今このあたりを『見る』ことが難しくなっていますぅ」
「祭司」も賛同した。
『『果ての地』で、レーダーを遮る撹乱物質が散布されてるとかと同じでしょうか』
ユーリは妙なことも知識として得ていた。
「うう…足止めが目的だとわかっているのに、何もできない」
「明日、同じ場所に行くしかありませんからね。楓さんの安全がかかっているとなると」
今日進めていたはずの距離が、完全に失われた訳である。
「うう、このような状況でも拙者は足手まといにござるな」
それまで黙っていた「海の戦士」が呻いた。
「こんなことなら、『火山の精霊の祭司』でも連れてくれば良かったのう」
「彼女の力の使い方には問題がありすぎると思うのでござるよ」
一方で。
「サイキ…みんな…っ」
「雷の戦士」にさらわれた楓は、不安でいっぱいだった。
「見たところ、そんなに遠くには来てないけど」
赤茶けた荒野なのは先程と同じだが。
(でも、ほんとに近かったらみんな追いかけてくるよね)
あるいは、何らかの手段で気配を隠しているのか。
(あのご老体、何か妙な術使ってたし)
焚き火の向こうにその老人がうずくまっている。そうしていると、まるでぼろ布のかたまりのようだった。
「…寒いな」
秋の風が吹き、楓は身を縮こませた。
「どうしよう」
火に近づいて暖まりたかったが、うっかり近づくと火に巻かれそうである。
「―おい」
さらに向こう側で何かしていた「雷の戦士」ヌバが、こちらに近づいて来て声をかけた。
「逃げようなどと思うなよ」
「―思わない」
不安をこらえて、精一杯胸を張る。
「私のこの大きさじゃ、移動できる距離はたかが知れてる。下手に逃げるより、サイキたちの助けを待った方が助かる可能性は高いわ」
「…ほう」
眉が―見分けづらかったが―かすかに動いた。
「あの一行の中で最も判断力に優れていると『ジャガーの戦士』殿が言っていたが、正直疑っていた…本当らしいな、小さな妖精よ」
「…それはどうも」
精一杯の意志を込めて、楓は「雷の戦士」を見返す。
「なるほど。ただのお守りではない、と言うことか」
待っておれ、そう言い残して彼は日の向こうに戻っていった。
(無力だ…何も、できない。逃げ出すことさえ)
理性は、「仲間に会いたかったら、大人しく捕まっていろ」と言っている。
しかし、感情は納得していなかった。
(サイキ…みんなも)
会いたくて、会いたくて仕方なかった。
と同時に。
(また、人質に…足手まといになってしまった)
それが、何よりも辛かった。
「…寒い、ほんとに」
身も心も、冷え切りそうだった。
そこへ。
「飯だ。食え」
ヌバが、スープらしきものを小さめの(と言っても、楓には大きすぎるが)器に入れて突き出した。
「あ、ああ、ありがと」
やはり大きすぎるスプーンで口にはこぶ。
(あ、結構いいかも)
辛いんじゃないかと警戒していたが、割とあっさり目の味で気に入った。体が温まってくる。
しかし…陽が落ちて冷えこんでいる荒野で、温かいものを腹に入れると。
「…くしゅん」
楓は小さくくしゃみをし、慌てて鼻をかんだ。
「お、おい」
いきなり、ヌバが顔を覗きこんでくる。
「だ、大丈夫…か?」
「は!?」
その口調には、明らかに心配げな色があった。
「え、大丈夫…って!?」」
「いやその、だから」
動揺している姿に、こっちまでまごまごしてしまう。
「人質にしてしまって悪いことをしたとは思っている。が…必ず無事に帰すから、安心してくれ、本当に」
(…あ!)
閃くものがあった。
(鼻かんだりしてたから…この人、私が心細くて、こっそり泣いてるとかって思ってる?)
「だ、大丈夫、大丈夫だから!オールオッケーだから!」
(そうか…私もこの人の表情は読みづらいけど、この人も私の表情を見分けづらいんだ)
それがわかったことが、何ともこそばゆく嬉しい。
(こんな状況でも、通じ合うものがあるんだ)
肌の色も、文化も何もかも違うけど…それでも、わかり合うことができる。
「そうか。泣いている訳ではないのだな」
「泣いてなんかいない!ただちょっと鼻がむずむずしただけで」
「そうか」
(この人、私のことを気づかってるんだ)
それがわかるのが、何とも嬉しくて。
(いい人じゃない。優しい)
こんな人物が、サイキと戦う必要はないんじゃないか…そう思えた。
別に憎み合わなければ闘わないと言う訳でもないが、楓は説得したいと思わずにはいられなかった。
「どうしても、サイキたちと闘わないといけないんですか、あなた方は」
もし、できることが自分にあるとすれば、この青年を説得することかもしれない、と楓には思えた。
だから、必死で言葉を続ける。
「あなただって、サイキや『祭司』さんに恨みがある訳ではないでしょう。無意味ですよ、こんなの」
「乙女よ、悪いがその頼みは聞けない。私と爺が故郷に帰るためには、闘わねばならんのだ」
「そんなの信用できないじゃないですか。帰す帰すって言って便利に使い倒されるかもしれないし…今ここにはいないけど、サイキの部族の巫術師さんなら、いずれはあなたの故郷にも『門』を開けますよ。それで帰れば」
「かもしれない、かもしれない、の話だな」
「それは…!」
「それに…私の『戦士』としての魂が、かの『戦士』との闘いを望んでいるのだ。あのように強き『戦士』は、『ジャガーの戦士』以来はじめて見る。力の限り闘って勝敗を決めたい、その思いが我が胸に燃えているのだ」
「で、でも」
その時だった。
『人質は取れたようだなア』
甲高い声と共に、煙がもやもやと渦を巻き…磨かれた石のような輝きを放つ、煙色の鏡面の姿を取った。
「うまくは行ったが」
ヌバは怒りの表情を浮かべて、闇にさらに闇を重ねた円盤に詰め寄る。
「いくら時間を稼ぐためとは言え、人質を取るような闘い方は『戦士』の誇りをけがすものだ」
『うるさい。お前は言うことを聞いていればいいんだ』
鏡面から、今度は「ジャガーの戦士」の声が響いた。
『さもないと、故郷には二度と帰れんぞオ』
甲高い声がそう言い置いて、煙色の鏡面は消え去った。
「く…っ」
青年は悔しげに唇を噛む。
「どうしても、闘わないといけないの…?」
「私は約束した」
漆黒の顔は、こわばっていた。
「故郷には、私を待っている民がいる…それに呪力は強いとはいえ年老いている爺に、今一度故郷を見せてやりたい。負けることは許されないのだ」
「でも!」
「言ってくれるな、妖精の乙女」
満天の星を見上げつつ、「雷の戦士」は、ただそう言った。
次の日、太陽が昇る頃。
お互い急いでやって来た二組は、顔を合わせた。
「戦士」ヌバの手に掴まれた楓が、見せつけられている。
「楓!」
その呟きを聞きつけたカノコが、顔を伏せた。
「来てやったぞ!楓を返せ!」
「おお、もちろんだ」
言って楓をひょい、と放る。
「きゃーっ!」
「楓ぇ!」
サイキは大慌てで少女を受け止めた。
「楓、大丈夫か?怪我とかしてないな?」
「う、うん。大丈夫」
「怖い思いさせられてないな?」
「ないない、それもない!すっごく良くしてもらったから!」
「よ、良かった…っ」
優しく、抱きしめてくる。
「ちょ、ちょっと、サイキ」
こっちが恥ずかしい。
「私は大丈夫だから。ねっ」
「良かった…カノコ、頼む」
駆け寄るカノコに楓を預け、向き直った。
「許さねえ」
銀の光が、全身からゆらり、と立ち昇った。
「お前は、許してやらねえ…!」
「サ、サイキ!落ちついて!」
楓はそう叫ぶことしかできなかった。
「良くしてくれたの!気づかってくれたから!」
「それでも、だ!」
「悪い人じゃないの。帰りたい気持ちを利用されて!」
「うん、わかってる。でも、だからって闘わずに済ます訳にはいかないんだ、こっちも向こうも」
「でもっ!」
「どっちかがどっちかを叩きのめさない限り、どっちも納得できないんだ、こういう時には」
「その通りだ。妖精の乙女よ、納得してくれ」
「雷の戦士」までもそう告げた。
「どっちも後には退けないんだ。わかってくれ」
(…わかる)
二人の身体が、闘志にたぎっているのが。
力を尽くして闘える、そんな相手に出会えて…「戦士」として純粋に湧き立っているのが、わかった。
止めたかった、止めたかったが…こうなっては止め切れないのがサイキと言う男であるのもわかっていた。
「怪我はなしだよ、サイキ…向こうにも」
「わかってる」
にっこり笑って、応える。
「ただ闘って…話を聞かせる。それだけだ」
「その通りだ。人質を取ったのは済まないと思うが、勝負は別だ。闘おうぞ!」
「おう、やってやろーじゃないか!」
青銅の穂先がついた槍を構えるサイキ。
両刃の斧を振りかざす漆黒の肌の戦士。
二人は相対して、お互いの力量を推し量るように睨み合っていた。
「でえい!」
先に動いたのは、サイキだった。
槍をヌバに向けて繰り出す。
「むん!」
ヌバはそれをぎりぎりで見切り、すぱり、と穂先を斬り落としてしまう。
「うわくっそー!せっかく『祭司』さんにもらった穂先なのに!」
「ふん、ふん、ふん!」
「うわ、どわっ、わわわわっ!」
ぶん!ぶん!ぶんっ!
すぱっ、すぱっ、すぱっ。
両刃の斧が振るわれる度に、それを受け…ようとした槍の柄はすぱすぱすぱっと切れていった。
さすがに勢いは殺がれているので、ぎりぎりで身体は白刃をかわせているが劣勢は隠しようもない。
「ちくしょー、鉄の武器ってずりーなー!よーし、こうなったら!」
左手を今やただの棒となった槍に添え、ゆっくりとなぞっていくと…銀の輝きが棒を包みこんだ。
「ほう、『精霊の力』をまとわせたか」
ヌバが感嘆の声を漏らしたが、すぐ顔を引き締めて斬撃を繰り出した。
ガンっ!
両刃の斧と、銀の棒が打ち合う。
「何だと!?」
「雷の戦士」が驚きの声を上げた。
先程はすっぱりと切れた棒が、がっちりと斧の一撃を受け止めている。
それどころか激しく切り返し、強烈な突きがヌバの胸元に繰り出された。
「ぐうっ!」
胸にまともに打突を受けて、彼は思いっきり吹き飛ばされた。
「どうだ?降参する気になったか?」
「―若!」
倒れたヌバの後ろから声が上がった。
「若!ヌバの若殿!今お助けしますぞ!」
「呪い師」が進み出、じゃらじゃらとビーズの音を立てて杖を振り上げる。
「我が敵に呪いを!手よなえよ、足よなえよ」
「うぐっ!」
呻いて、サイキが手から槍を取り落とした。
「手、手が痺れる!?力が入らねー!」
「金縛りの呪い~!これであやつは動けない~!」
「うわ、ぐぐ、がっ」
哀れ、オーバーペースで走り続けた駅伝ランナーの如くがっくりと膝をつき、立とうともがくものの身体が言うことを聞かずまるっきり立てない。
「埋葬の呪い~!『鷲の戦士』は葬られた!」
「うわ、ち~か~ら~が~抜~け~る~」
「呪い師」が奇怪な踊りを踊るごとに、サイキはのたうち回り…しまいには地面に転がって動けなくなってしまった。
「さあ若!早くとどめを!」
「「サイキーっ!」」
楓たちが悲鳴を上げた。
「―待て」
ヌバが、「呪い師」を制した。
「これほどの『戦士』、呪いで倒すのはあまりに惜しい。私は正々堂々と闘って決着をつけたいのだ」
「しかし、若っ」
「―よいのだ」
重ねて言う「戦士」に、「呪い師」はすごすごと後ろへ。
「失礼をした。あらためて勝負を申し込みたい」
「おお、望む所だっ!」
やっと身体が動かせるようになったサイキが跳ねるように立ち上がり、再び銀光を柄にまとわせた。
「いざ、勝負!」
「では、私も全力で相手をせねばならんな。…『雷の精霊』よ!私に力を!」
ヌバが叫ぶと―斧が、まばゆい雷光をまとった。
「よーし!行っくぜー!」
サイキが銀の光をまとう槍で殴りかかる!が、雷をまとった斧の刃ががっちりと「付与」された槍の柄を受け止めた。
「ぐ!くっ…!」
そのまま双方でぎりぎりと押し合い、せめぎ合う…!が、
「あ…あああっ!」
斧の刃は、黒煙を上げながら次第に銀をまとう棒に食いこんでいく。
「双方ともに『精霊の力』をまとっていたから、互角になってたけど…競り合いになると元々の材質が現れてくるんだわ。そうなると、木の槍の柄より鉄の斧の方が強度は高い!」
楓が呻く中、ついに銀をまとった槍の柄が真っ二つに切れた。切り口は真っ黒に焦げている。
「ちくしょー!」
勢いを僅かに減じて身体に迫る斧を、サイキはバックステップで危うくかわす。
「こうなったら!…担い手の名において命ず!我にこの刃を受け止める力を貸せ!だってしょうがないじゃんよー手持ちの武器じゃ通用しないんだからさー」
「――」
「不公平だ?いいじゃんかー向こうから不公平な勝負しかけてきたようなもんだぜ?ずるはしないようにするからさ、力を貸してくれよ、『遺産』よ!」
そう言ってサイキが左手をかざすと、橙の光球が出現。その中に手を突きこみ、長い棒状に変形させた「遺産」を引き抜いた。
「これでどうだ!」
光り輝く長大な棒をびゅん!と振る。
「また面妖な技を」
低く呟いて、漆黒の肌の戦士は両刃の斧を振り下ろした。
「今度はそう簡単には斬れねーぞ!」
グワアンッ!
激しい音が響き―橙の棒は大きくたわみながらも、その一撃を受け止めきっていた。
「ほう、ならばこれならどうだ?」
ガンッ!ガン!
横から、下から、息つく間もなく重い斬撃が振るわれるが、サイキも瞬時に反応してそのことごとくを阻む。
「だいぶ、動きが見えてきたぜ!」
「なるほど、得物を替えただけのことはある…!」
斧を引き戻して、「雷の戦士」が唸った。
「何と言う硬さだ…斧がなまくらになってしまったぞ」
「こいつは特別製なんでな」
「遺産」の棒をくるんと回して、サイキが不敵に笑った。
「あれは…『遺産』かの?」
「海の語り部」が、驚いて楓に問いかけた。
「は、はい、そうですけど」
「そうか…『守護精霊の地』ではなく『暦の精霊の地』に警告が告げられるべきと言うのも、『遺産』が『守護精霊の地』の者を担い手にしたと言うことと関係が」
何かぶつぶつ呟いている。
「く…このように強き者との闘い、久しぶりぞ」
ヌバはそう唸り、何を思ったかばっと飛び退った。
「来たれ、『雷の精霊』!」
「呪い師」が杖をかざすと、一天にわかにかき曇り黒雲に稲光が走りはじめる。
「若よ!雨雲は呼びましたぞ!」
「おう!」
青年は斧を高く掲げ、叫んだ。
「我が敵に大いなる罰を与えよ!」
カッ―
バリバリバリバリ!
突然、視界が真っ白に染まった。一瞬遅れて轟音が耳をつんざき、慌ててまわりを見回すと荒野に立つ僅かな灌木が一本真っ二つに裂けて燃え上がっていた。
至近に落雷したのだと、ようやく理解する。
「外したか!ならば何度でも!」
ガン!
さらに雷が降り注ぐ。
「どひー!」
サイキも、これはさすがに防げないらしく逃げ回るしかなかった。
「どうすれば…あっ!」
楓ははっとして呼びかけた。
「サイキ!学校で雷について教わったでしょう!」
「あ、そうか!よしっ!」
サイキは楓の声に応え、「遺産」を伸ばす―空高くへと。
さらに、手元の先端を、力を込めて地面に突き刺した。
すると。
バリバリバリ!
音を立てて、雷は落ちるが―
「よし!」
地面に突き刺した「遺産」に、雷は引きつけられそこにしか落ちなくなった。
「何と!?」
「そ、そう言えば…雷って必ず少しでも高い場所に落ちるって授業で」
カノコが「果ての地」で二学期に学んだ知識を口にした。
「『精霊の力』が絡んでいても、理屈は同じね」
科学法則がねじ曲げられる訳ではないので。
「ええい、かくなる上はっ!」
「戦士」は吼えると、ばっ、と斧を放り出した。
「武器を捨てた!?」
「何をする気だ…?」
そのまま突進し、サイキに飛びかかりながら「遺産」の棒を引き倒す。
「うわあっ!」
「『雷の精霊』よ!」
両腕でサイキをがっしりと捕え、声を限りに叫んだ。
「『雷』よ!我が身を捧ぐ!」
「若、なりませぬ!その技はー!」
「呪い師」がはっとして叫ぶが、
「許せ!こうでもせねば誇りが保てぬ…!」
暴れるサイキを押さえこむ手に力がこもった。
「貴様もろとも自爆してくれる!これが誇り高き『雷の戦士』の死に様よ!」
がっしりと掴んだまま、ヌバが加護を与える精霊に呼びかけた。
「我とこの者に大いなる雷を降らせたまえ!」
上空の黒雲が帯電して輝き、その全てが稲妻となって降り注ぐ―その瞬間に、
「『銀の鷲』よ!」
サイキの叫びが聞こえた…と思ったが、直後に閃光と大音響が空間を埋め尽くしたので確証はなかった。
「「サイキーっ!」」
楓とカノコが絶叫し、
「若!何と言うことを…」
「呪い師」も崩れ落ち、呻いた。
眩んでいた視力が戻ると―
銀色の鷲がゆっくりと消えていく所だった。その、下には。
「サイキ…?」
黒焦げになった二人が見えるんじゃないか、と恐る恐る荒野を見渡すが。
「サ、サイキ!?サイキっ?」
「大丈夫だ」
力強い、声がする。
「大丈夫、だから」
サイキは立って肩で息をし、その足元で漆黒の肌の戦士がへたり込んでいた。
「…何故、私までかばった」
ぜいぜい言いながら、ヌバは呻く。
「自分だけを守る方が、簡単だっただろうに…何故、私まで。かばって欲しくは、なかったのに」
「そうしたかったからだ、俺が」
きっぱりと言う。
「俺も死ぬ気はないけど、お前も死なせる気はない。命をそう簡単に捨てられてたまるか。絶対認めねーよ」
「サイキっ!」
カノコとその肩の楓が、駆け寄った。
「良かった、無事で」
でも、何かがおかしい。
「…サイキ?」
彼は…心なしか青ざめ、いつもの覇気が欠けているように見えた。
「これは…まさか…!」
カノコが、「何か」に気づいてこちらも青ざめた。
こんな彼を見たことがない、カノコが何かに気づいた…楓は全ての情報を統合して、結論にたどり着く。
「サイキ…まさか、あなた『精霊の力』が」
「そうだ。今ので、『銀の鷲』の力は、打ち砕かれてる。しばらくは『精霊の力』を使えないだろうな、俺は」
「どうするのよ!?これから敵の本拠地に乗りこむのよ私たち!あなたの力が必要になるのはむしろこれからなのに!?」
「正直、わたしが『精霊の力』をサイキに『移し』ても、すぐに回復はできませんし」
おそらく、敵…「ジャガーの戦士」の狙いも、それだったのだ。
「何とかぎりぎりのタイミングで『憑依』できて、落雷をしのげたけど…間に合わなかったらいくら俺でもやばかったなー、はは」
「それにしたって、他にやりようが」
「しょうがないじゃんよー。ああしなきゃ助からなかったんだからさ、二人とも」
「うぐっ」
あっさり言われ、楓は言葉に詰まってしまう。
(自分一人だけを守れば、打ち砕かれるほどダメージを受けなかったんじゃない…の?)
内心そう思っていても、口には出せない。
自分だけ助かって、それを良しとする男ではない…と、わかっているから。
(それが『銀の虹のサイキ』だから)
もちろん、「雷の戦士」ヌバに死んで欲しい訳ではないのだが、それでサイキが危険にさらされるのは、正直胸が裂かれる思いだった。
「…馬鹿。本当に、馬鹿」
やっと口をついて出た言葉は、それだった。
「へへー、また楓に『馬鹿』って言われたー」
サイキがいつもよりちょっと弱々しい笑みを浮かべた、その時。
ぽつりと、その肩に水滴が落ちてきた。
「雷を落とした雲が、雨を降らせはじめたんだ」
そこにいる全員を平等に濡らして、雨は降る。しだいに暗くなってきても、叩きつけるように降り続けた。
第七章 奇跡を起こす馬鹿もいる
雨の中、あわただしくテントを張って逃げこんだ。
「雷の戦士」主従まで入れたので、ぎゅうぎゅう詰めである。
「け、けっこうしんどいなーこれ…へぐっ!」
サイキはその中で、ふらついて尻餅をついていた。
「すっげーだるいよ。一歩も動きたくないー」
「今まで『精霊の力』を打ち砕かれたことなかったもんね、サイキ」
「打ち砕いてやったことならいっぱいあるんだけどなあ」
「これで…向こう一ヶ月は『憑依』も何もできない…?」
沈黙が落ちた。
「カノコさん、少しでも回復を早めることは」
「わたしも…完全に打ち砕かれているとなると」
巫女としても、サイキを案ずる一人の少女としても、辛いだろうが。
「一ヶ月よりもう少しは回復を早められるとは思いますが、すぐには絶対無理です」
それは正直、この一行のメイン戦闘力が欠けたと言うことだ。
楓は何とかならないものかと、必死で頭を巡らせた。
しかし、答えが思いつかない。
(これから、本当の相手『ジャガーの戦士』との対決があるはずなのに…駄目だ、サイキと言う手札なしでは)
「手札」という表現をしたくはなかったが、楓の理性は正確に状況を判断していた。
(勝てない…!)
現実を見据えてしまい、一同言葉もない。
「あ、雨が止みましたね」
そんな空気を何とかしようとしたのか。
カノコがそう呟き、こっくりこっくりしはじめたサイキの肩から楓を受け取って外に出た。「祭司」も続く。
ちょうど、夕暮れだった。
燦然と輝く太陽が、切れかけた雲間に沈んでいこうとしている。
「やっぱり、日が沈むのが段々早くなってきてるわね」
楓が腕時計に目をやって呟いた。
「わかりづらいけど、やっぱり秋なんだ、ここは」
「『果ての地の少女』さん、正確な時間がわかるんですか」
「祭司」が驚いたように口をはさんだ。
「…あ、そうか。こっちじゃ時計なんてないよね」
「日の巡りぐらいでしか時間はわかりませんから。分刻みで時間を計るなんて、『果ての地』に行ってはじめて知りました」
カノコがうなずいた。
「この腕時計で、正確な時間がわかるんですよ、『祭司』さん」
左腕を振ってみせた(スマホも持っているのだが、今はバッテリー切れが怖くて電源を落としている)。
「なるほど…『果ての地』の科学はやっぱりすごいですねえ」
彼女には点にしか見えないだろう腕時計をしげしげと見つめて、「祭司」は感嘆の声を上げた。
「―もしかしたら、何とかなるかもしれません」
テントに戻った「祭司」はそう言った。
「朝まで、待っていただけますか?わたしの守護精霊は、昼間でないと呼べないもので」
「それは、あなたがサイキの『精霊の力』を戻せる、と言うことですか」
「はいぃ。ただ…一日、ずれるんですよね」
「…それは」
「そう、『ジャガーの戦士』をわたしが抑えられる期限を越えてしまいます。わたしが『鷲の戦士』の力を戻すのに一日、『都』に着くまでにさらに一日かかりますので」
「急ぐとサイキが闘えない。一日待つと『ジャガーの戦士』を止めてもらうことができない」
「そうですぅ」
「どうやっても奴には勝てないってことじゃないか!…ううっ、くらくらするー」
思わず声を上げたサイキがまた目を回した。
「何とか…なりませんか」
「ええと」
「祭司」は折り畳まれた「暦」を広げ、上から下までためつすがめつ見ていたが、やがてがっくりして叫んだ。
「駄目ですぅ!わたしが『ジャガーの戦士』を止められるのは明後日までです!もう彼には勝てませぇん!」
「お、落ちついて!何か方法は」
「そんな…あ、待ってください!えーと…この日です!この日、この時だけ!もしかして!」
何かに気づいたらしい。彼女は「暦」の一点を示し、そう叫んだ。
「…という計画なんですが。どうでしょう」
「祭司」の話を一通り聞き終わった一同は、驚きながらもうなずくしかなかった。
「うまく行くんでしょうか」
「でも、他に手はない、かも」
「…鍵は、『果ての地の少女』さん、あなたです」
「正確には、私の持ってる時計、ね」
左腕を見つめつつ、楓はうなずいた。
「『正確な時間』を測れて、『その時』がわかるのが私だけだから、鍵なんだ」
「…それだけじゃないんですけどねぇ」
「サイキ、大丈夫?」
苦笑する「祭司」をスル―して質問している。
「大丈夫じゃねー」
まことに正直な男であった。
「もうかったるくて…何する気にもなれんー」
「その割には夕飯きっちり食べてたけど」
「いや、すっごく腹が減って腹が減って」
身体がエネルギーを求めているらしい。
(本当に『精霊の力』を打ち砕かれちゃったんだ)
今まで、こんな彼を見たことがない。不安で仕方なかった。
(ほんとに『精霊の力』を戻せるのかなあ。『祭司』さんはああ言ってたけど)
今、その彼女はゆっくりと夕飯を食べているが。
(サイキの『力』が戻らなきゃ、さっきの計画も上手く行く訳ないし)
食べ終わるや否やこっくりこっくりし出すサイキに、楓の不安はますますつのるのだった。
「『海の語り部』さん、昔のことについて教えていただけませんか?」
その不安をまぎらわそうと、声をかけてみた。
「昔のこと、伝承のこと…いろいろお聞きしたいんです。特に、二つの世界が分かたれた頃の話を」
「わたしも『守護精霊の地』に伝わっていることしか知りませんし」
「おお、そうか。ならば語ろうぞ。あまり詳しく伝わっている訳ではないが、それでも他の地よりは詳しいはずじゃ」
「語り部」は目を輝かせてこちらを向いた。
「まずは分かたれる前の世界について語ろう。そこは、『精霊の力』と『科学』が融合した文明が栄えていた。それぞれの地で、または海で人々はゆるやかなつながりを持って生活していたのじゃ。どこかがどこかを支配したり、世界中同じ様式にしたりはせず、自らの文化を大切に守りながら、な」
「侵略とかは、なかったんだ…平和な時代だったんですね」
「そんな理想的なものでもなかったらしいがの」
「語り部」がしわ深い顔に笑みを浮かべた。
「争いもあったんだからのう」
「最後には、精霊を奉じる勢力と科学を使いこなす者との争いに、なったんですね」
「で、世界を二つに分かつことによって争いを鎮めたのじゃ。まあ、かなり大雑把な分け方だったらしいがの」
「確かに…『果ての地』にもいますもんね、精霊を信じる人々が」
たいていの場合ひどい目にあっているが。
「話を戻すが…我ら『大いなる海の民』は、その中でも航海者としてあちこちを旅し、ゆるやかなつながりを保つ役目を担う一族であった。かつての文明の中心は、我ら『海の民』が住まう広大な海であったからじゃ」
「『海こそが中心』ですか…真ん中に『失われた大陸』があったりして」
どこのトンデモ説だ、それは。
「大陸?何でそんなものが必要なんじゃ。船に乗り、風と潮水の精霊の力を借りられる者がいれば、海原を自由に行き来できるのじゃから。大陸など邪魔なだけじゃ」
「そ、そうですか」
「もちろん航海では時間がかかりすぎるから、便利な機械―まあ今の『果ての地』のものとはだいぶ違うが―を造り出して使う者もいたがな。しかし、一番速い移動手段は、サイキ殿のような鳥の守護精霊の加護を受けた者が『憑依』して飛んで行くことであったとか」
「なるほど…でも、かつての文明の技術が、今ほとんど使われていないのは何故なんですか?」
「基本的に科学と精霊の両方を使えないと働かない産物が多かったから、かな。『分けて』からはほとんどががらくたになってしまったらしい。争いになりかけたのを反省して、あまりに危険なものは意識的に破壊したと言うこともあってな」
「あ、そうか」
「『果ての地』では、我々の同胞を未開人と言って迫害したり、勝手に恐ろしい実験に巻きこんだりしているらしいが…我々こそ、かつての輝かしい文明の担い手であったのだ」
(そうか、この人たちはどういう手段でか『果ての地』と交流があるんだ)
最近の「状況」は辛いものがあるのだろう。
「我ら一族は、かつては文明を担い…今では大切な伝承を語り伝える大役を『海の精霊』から仰せつかったのでござるよ」
誇り高き「海の戦士」が言う。
「おお、興が乗ってきた。伝承の歌、聞かせようぞ」
老人は立ち上がり、朗々と歌い出した。
「『精霊の力』と『科学』を持って人々は集った」
雨が止んだので、女性陣はテント、男性陣は外でそれぞれ眠ることになる。
寝つこうとする中に、「語り部」の歌が続いていた。
「…見よ、『遺産』こそはかつての賢人たちが遺した選び取る権利。揃えた者は二つの世界の命運を担う…」
(…あれ?)
何か、心に引っかかった。
(『揃える』…?)
しかし、歌を中断して質問するのも悪い気がした。
考えているうちに、語りは別の事柄についての歌に切り替わっていた。
「争いはしだいに大きくなった。科学を奉じる者と精霊を奉じる者、双方ともに自らの信じるものを押し立てて争った」
(ここまでは、スーミーさんの話にもあったよね…うう、しっかり聞いておきたい気はするけど)
語りを聞こうとは思うのだが、ひどく眠くなって声が次第に遠ざかっていった。
(もしかしたら)
眠りに落ちながら、楓は考える。
(『遺産』は、一つではないのかもしれない…)
夜が、明けて。
「わあ…っ」
起き出した楓は、目を見張った。
昨日までまわりは赤茶けた荒野だったのが…一面、緑の草が芽吹いて、花をつけようと茎を伸ばしていたのだ。
「昨日『呪い師』が降らせた雨のせいだな」
楓を手ですくい上げたサイキが言う。今まで草と同じ高さの視線だったが、見渡す視界になった。
「雨が降ったから、がんばって芽を出したんだね
「ほんの何日かで花をつけて、種を結ぶんだ」
「そうして、次代に続いて行くんだね。ほら見て、もうつぼみが膨らんでる」
「もうすぐ、咲くな…ゆっくり見ていられないけどさ」
「そうだね。ちょっと残念」
二人で笑い合う。
「あぁ、よく晴れましたねえ。昨日がおかしかったんですが」
「祭司」も起き出してきた。
「おお、朝は冷えるのう」
「海の語り部」も。
「『語り部』さん、昨日『遺産を揃える』って語ってたと思うんですが…その辺、詳しく説明していただけませんか?」
「おや、そんなことを言ったかの?丸暗記しているものでなあ」
「そうなんですか?」
だとすると、間違って伝わっている可能性もある。
しかし、何かが引っかかった。
(もしかしたら、私たちに今は言えないことがあるのかも)
それでも仕方はないが。
「さて、太陽出たけど…大丈夫なのか、『祭司』さん?」
そう、サイキは今歩くのも辛い状態なのだ。
「大丈夫ですぅ。やらせてください」
彼女はにっこり笑った。
簡単な食事などの後、「祭司」は萌え出た緑の中に進み出た。両腕を天に差し上げる。
「我に加護を与えたもう『翠の羽毛蛇』よ、我を介して力を示したまえ。勇者に再び立ち上がる力を与えたまえ」
いつもの頼りなげな口調とは全く違う、朗々とした響きで祈りはじめた。
すると、どこからともなく。
「何、これ」
はらりはらりと、金属光沢を放つ翠の羽毛が舞い落ちてきた。
手に取ろう…とすると、粉々の光になって消えていく。
「幻影…?」
きらきらと輝く長い羽根が舞い落ち…「祭司」の身体を覆っていった。
羽毛に包まれた彼女の身体が、ふわりと浮き上がった。ゆっくりと、天に昇って行く。
翠の光の奔流が上に伸び、ぐるぐると渦巻いた。次第に、奔流が巨大な蛇の姿を取りはじめる。
良く見ると、その蛇を覆うのは鱗ではなく、一本一本が長い翠の羽毛だった。
「これが『翠の羽毛蛇』…!」
輝く蛇は頭上で渦を巻いてうごめき、翠の羽毛を一層撒き散らした。
「『鷲の戦士』!みんなから離れた所に立ってください!」
「わ、わかった!」
楓をカノコに預け、若草が茂る中をサイキは進み出た。
どこからともなく、風が吹きはじめる。
風ははらり、はらりと舞い落ちる羽毛を巻きこみ、やがて大きな渦となり…草原のサイキを包みこんだ。
「うおっ!?」
翠の渦巻きの中から、彼の声が響く。
「力が戻ってきたっ!?」
渦の中心を、貫いて。
一条の銀光が、天に駆け上った。
「わ、私の傷まで…!?」
羽毛に触れた「雷の戦士」の傷も、見る見るうちに治っていった。
翠の光と銀の輝きが混じり合い、オーロラのように煌めく。
「すごい…」
想像を絶する美しさであった。
「こんな癒しの技…はじめて見ました」
カノコが感動と言うより呆然と呟く。
しかし、銀の光が強まるのに呼応するように、翠の羽毛はどんどんと散っていった。
「やっぱり、打ち砕かれた『精霊の力』を戻すのは、大事なんだ」
「もう、大丈夫ですね」
空中を舞う蛇の身体が、舞い散る羽毛になってほどけていく。
「ああっ!」
ほどけて舞う羽根の間から。
「『祭司』さん…!」
小柄な女性の姿が、次第に見えて来ていた。
「うわあ…っ」
羽毛が散り、「憑依」を維持できなくなった「祭司」が落ちてくる。地面すれすれでようやく速度を緩めるが、そこで最後の羽毛がぱん、と散ってそのまま地面に落ち、思いっきり尻餅をついた。
「い、痛いですねぇ」
そこには、こんな奇跡を起こしたとはとても思えない、ごく普通の女性がいるだけだった。
「すっげー…『精霊の力』、戻ってきたよ。一ヶ月はかかるのが当たり前なのに」
「もう間に合いませんからね。最後の大技、ですよぅ」
「これで、力を使い果たしちゃったんですか?」
「いえ、皆さんを『都』の手前まで運ぶ力と時間は、あります。何とかもたせてみせますよぉ」
「祭司」は汗をぬぐいつつ、笑ってみせた。
とは言えもちろん疲労は激しく、先に進むのは無理なので同じ場所でキャンプする。
「お前ら、急いで『さすらいの戦士』たちに追いつけば帰れると思うぜ。同じ船に乗せてもらえば、故郷の近くには行けるだろ」
「承知。もはや争いを起こす気は、ない」
サイキの言葉に「雷の戦士」主従はうなずき、旅立って行った。
「私たちは『祭司』さん次第ね」
こっくりこっくりしている彼女を寝かしつけ、一同も寝ることにする。
その間、小声ながら「海の語り部」の歌が流れていた。
「…その中で、賢人たちは苦渋の決断をした。世界を分かつことによって争いを鎮めると言う、決断を」
(『世界を、二つに分かつ』…)
何故か、胸がちくんと痛んだ。
「一人、異を唱える者がいた。『加護を受けた者の長』こそがその者。
あくまで反対する彼を、偉大なる祖先たちは封じた。決して目覚めさせてはならぬ、浄化の眠りにつかせて。
かくして世界は分かたれた。『遺産』の大いなる力によって」
(『加護を受けた者の長』…?)
うとうとしながら、楓はその語りを聞いていた。
(『封じた』ってどういう意味かな)
「子らよ、争ってはならぬ。
再び争いを撒き散らしてはならぬ。
大いなる力は、争いのために使われるものではないのだ」
語りは、そこで終わっていた。
次の日の、朝。
「『語り部』さん、確か『加護を受けた者の長』と言う人について語ってましたけど…その人を『封じた』ってどういうことでしょうか」
「あ、似た話ならお師匠さまに聞いたことがあります」
テントから出てきたカノコが声を上げた。
「正式に巫女になる儀式の時、『決して目覚めさせてはならない』ときつく言われました」
「あー、俺も『戦士』引き継ぐ時にそんな話聞いたような気がするなー。嬉しくてろくに話聞いてなかったけど」
呑気な話である。
「『加護を受けた者の長』ですかぁ」
「祭司」が呟く。
「『氷の精霊の地』に眠る、かつての英雄だと」
「それが、何で『目覚めさせてはいけない』ってなってるんだ?」
「それは…まあ、いろいろと事情があってのことじゃ」
(奥歯に物が挟まったみたいな言い方だなあ)
「海の語り部」が、何かを隠している…さらに前の晩のことも思い、楓はそう感じた。しかし、隠すにはそれなりの意味があってのことだろうと考え、今は聞かないことにした。
最後の一日は、とにかく急いで進むことに使われた。
「道」で、ひたすら南下する。
よく見ると「道」をかたちづくる翠の羽毛が、一本、また一本と剥がれ落ちて散っていっていた。
「…『祭司』さん」
「わかってます。急ぎましょう」
青ざめた顔で彼女はうなずき、一行を乗せて動く「道」の速度がほんの少し速くなった。
「『都』まで、もう少しですよぅ」
「…あ、あっちに小さい山みたいなのが見えるけど…何か自然の山じゃないみたいだなあ」
「うん、何かピラミッドみたい」
「あそこは、かつて人々が集い、精霊を幾柱も降ろして修行したと言う伝承のある都市です。今も『聖地』とされていますね」
「古代の、都市なんだ」
「へー、ちょっと寄ってみたいな」
「いずれお連れしましょう。今は『都』に着くこと優先で」
もうかなり気が急いているらしい。
(そうよね、物見遊山じゃないし)
好奇心のままに動いていい時ではない。
「あの峠の途中に降りましょう」
「祭司」が言うと、翠の「道」が下りはじめた。
「あそこでちょうど、わたしの力が尽きます」
山脈が切れる―そこにある道に向かって羽毛の「道」が下り、つながった。全員の足が地面に着いたかと思うと、かなり細く薄くなっていた「道」はぱっと散り、羽毛は粉々になって消えていった。
「な、何とかもちましたね」
「『祭司』さん、無茶して」
「大丈夫ですよぅ」
にっこり笑うが、消耗しているのがはっきりわかる。
「あと少しで我が故郷『都』です。早く皆さんにお見せしたいんです」
汗をぬぐいながら、前を示す。
「さて、ここで『光と闇の戦士』たちは残っていてもらうぞ。いざとなったらカノコにメッセージを飛ばしてもらうからさ」
「「わかった!」」
「儂らは行くぞ。警告はせねばならん」
「語り部」が声を上げた。
「どうも『ジャガーの戦士』が怪しいらしいからの」
「辻説法はなしでお願いしますよぉ」
「わかっとる。だがその者に近づく機会はくれ」
「わかってますぅ。でも、話を聞かせる状況を作らないと一切耳を傾けないでしょう。そう言う人物です」
「承知した」
「あの峠を越えたら『都』です」
「よし、行こう」
坂道を踏みしめて登る。
やがて、一気に視界が開けた。
「わあ…」
思わず驚きの声が洩れる。
そこは巨大な盆地で、その真ん中を覆い尽くすように巨大な湖が広がり、さらにその中には。
「あれが…!」
白と赤で彩られた、美しい都市。
その中心には巨大なピラミッドがいくつもそびえ立ち、威容を誇っている。
その都市が、湖上に浮かんでいるのだ。
幻想の光景だった。
「すごいな、街が水の上に浮かんでる」
「あれこそがわたしの故郷『岩の上の仙人掌の都』です」
「祭司」が誇らしげに言った。
「『果ての地』の学者が見たら泣いて喜びそうね」
「見てください」
「祭司」は遥か南にそびえる、雪で覆われた二つの山を示した。
「かつて『都』を守った戦士とその恋人が化したと言う、悲恋の伝説が残る山々です」
山々をバックにして浮かぶ、大都市を指差して彼女は続けた。
「行きましょう、みなさん。『都』へ」
「羽毛の蛇を奉じて、『都』に向かう…のね」
学校の図書館で借りた歴史の本を、思い出す。
「『果ての地』で起きたこと、みたいだよね」
もちろん色々と違いはあるのだが。
第八章 おのぼりさんな馬鹿もいる
「北から入る堤道がありますので、そこを行きましょう」
「祭司」は先に立って歩き出した。
「この道を侵略の道にしないためにも、わたしたちが動きませんと」
峠から下って行き、湖に向かう。
「湖に、道が続いてる…」
広い広い湖面に、白い道がまっすぐに伸びているのだ。
その向こうに、壮麗な都が浮かんでいる。
「ほんとに浮いてるみたいだなー」
「もともとは湿地の中の小さい島だったんですよねぇ。それをどんどん埋め立てて、その上に都市を築いて行ったんです」
「でも、そうすると…地盤とか緩くなりません?大丈夫でしょうか」
液状化だの何だのと「果ての地」でも問題になっているが。
「それが、結構傾いたりしてるんですよねぇ」
「祭司」は苦笑している。
「やっぱり」
かなり困ったことにはなっているらしい。
また、湖の周辺にも都市がいくつもあった。
「このへんは古くから文明が栄えていまして。来歴の古い都市国家もいくつもあるんですよ」
さあっと風が湖面を吹き抜け、一同の髪を揺らした。
「…お。風に潮の香りが」
「海の戦士」が鼻をひくつかせた。
「この湖の水は、潮水でござるか」
「ええ、『都』のまわりは真水ですけどぉ。もっと向こうに堤防があって、その先は塩水湖なんですよ」
「そうでござるか」
峠を下り切り、一同はわくわくしながら湖に近づいて行く。
「それにしても、何で湖の中の島に都市を造るなんてこと考えついたんだろ。他に造る所なんていっくらでも選べると思うんだけど」
埋め立てないと狭くなるなんて問題ありありじゃないか、と言いたいサイキであった。
「ええ、はじめは『王者』の一族が、追放みたいなかたちで小島に住まわされていて」
「祭司」は複雑な表情で答えた。
「もともと、『王者』の一族はこの地では新参者で」
「え、そうなの!?」
「ええ、なので昔からの有力な都市国家から嫌がられまして、体のいい追放ってかたちで小島に住まわされることになったそうです」
「へえ…『王者』なんて言うから、昔からの名門なんだろうなって思ってたけど、けっこう大変な過去があるのね」
「今『王者』が覇を唱えていられるのは、代々政治力に優れていたからですよ」
「なるほどね」
「でも、伝承によるとですね、その追放された時に吉兆が現れて、『王者』の…『蜂鳥の一族』にとってはここが『約束の地』だと言うことになったそうで」
「吉兆?」
「一族が島に着いた時、鷲が仙人掌の上でその実を食べていたって言うんですよねぇ」
「鷲なら俺んとこの守護精霊だけど、そんなもの食わないと思うんだけどなー」
サイキが首を捻った。
「だからこそものすごく珍しくて、吉兆だ、予言された安住の地だ、ここに都市を作ろうと言うことになって、今なら移転も可能ですがここに、ピラミッドが傾こうが何だろうが住み続けている訳なんですよぉ」
「まー、そりゃ珍しいわなあ」
「あれ?何かその話、聞いたけど」
こちらに来ると決まった後、付け焼刃の事前調査(?)でそんな話を知ったが、何か違うものを食べていたような…と楓は考えこんだ。しかしさすがに馴染んでいなくて、どうにも思い出せなかった。
(ここじゃ検索もできないしー)
考えている間に、一行は堤道に足を踏み入れていた。
「あれ、何でここだけ道が切れてるんだ?」
石造りの道が途中で切れて、木の板で橋がかけられている。
「ここを船が通るんですよ」
「ああ、水運の都とかにあるよね、そういうの」
「あとは、いざと言う時にここで敵を食い止められますし」
確かに、大きな荷物を載せた船が湖上を行き来している。
「あのまま市場に品物を運ぶんですよ」
世界が違っても、船での輸送が便利なのは同じだった。
「わー見ろ見ろ、畑が湖に浮いてるぞ!」
「おのぼりさん丸出しじゃないのサイキ…もう」
そう言いながらも楓だって興味しんしんだ。
「あれは『浮き畑』と言いましてね」
いかにも嬉しそうな解説が入った。
「木で組んだ足場の上に、湖から引き上げた泥をまいているんですよ。多少手間はかかりますけど、地上の畑より収穫が多かったりするんですよぅ」
「なるほど、この街は食糧を輸入するばっかじゃないってことね」
「武力だけでは覇は唱えられません」
「祭司」は誇らしげだった。
「遠い昔、わたしの先祖がこの耕作法を『羽毛蛇の精霊』から授けられたって伝承がありまして」
「そんなことを教えてくれるの!?」
戦闘に力を貸し与える精霊は多く見てきたが。
「文化に優れた精霊なんですよぉ。戦闘はからっきしですけど」
色々らしい。
「そういう所が『ジャガーの戦士』には邪魔だったのかのかもな」
そんなことを話しているうちに、一行は堤道を渡り切って「都」そのものに着いていた。
「何か向こうがにぎやかだねえ」
「市場ですよ。『都』の威光が及ぶ地全ての物資が集められて、取り引きされているんです。他にはありませんよぉ、こんな所」
「そ、そうですよね」
「果ての地の状況」を考えて。
…楓は余計なことを言わないことにした。
「あっ!」
人々が、こっちに―正確には「祭司」に目を止めた。そろってかしこまり、その中の一人がぱっと走り出す。
「『祭司』さまだ!『翠の羽毛蛇の祭司』さまが戻られたぞ!」
大声で触れながら、男は「都」の中心へ駆けていった。
「さすがに顔は売れてるなあ。ごまかしようもないな」
「まあ、ゆっくり行きましょう。こちらも帰還を隠す気はないですし」
そう言っている間にも。
「『祭司』さまだ!」
「異邦の戦士を連れて戻られたぞ!」
通りの両側は押すな押すなの大騒ぎになっている。
「ああ、良かった!」
「これでこの頃の、殺気だった雰囲気も何とか」
人々が平伏せんばかりに感激している気配が、伝わってきた。
「みんな喜んでるみたい、だけど」
「でも、わたしたちに…特に『祭司』さんへの強烈な敵意は、感じます。敵意を持つ人は、いますね」
「そっか。俺にはわからん」
感知に長けた巫女にしか感じ取れないほどの、ごく少数の放つ敵意ではあるらしかったが。
「あ、あの青年の肩に刻まれているのは!」
「『鷲の紋章』だ!」
「『鷲の戦士』なのか…?」
何かざわざわしている。
「お、何か俺…有名?」
「『王者』の一族は、かつて北の地から来たと言われてましてね。その際に『鷲族』と別れたって言う伝承があるらしくて」
「へー」
サイキは聞いていないらしい。
「尊敬されているんです。そこにあなたが現れればね。この『都』には『ジャガーの戦士団』と並び称される『鷲の戦士団』もいますから、じきに彼らもあなたの元に表敬訪問に来ると思いますよ」
「へへーん。楽しみだなっ♪」
しかし、それだけではないようだった。
「あ、『鷲の戦士』殿の肩に…小さい人が乗っているぞ!」
そんな声が聞こえた。
「あの…人は」
「もしかして…」
何か、こちらを見て異様にざわめいている。
「楓、目立ってるぞー」
「な、何かあなたとかへの反応と違わない?」
そりゃ珍しいだろうとは思うが、何人もが自分を指差して何か喋っていると言うのはあまり気分がよろしくない訳で。
(うう、隠れたい)
楓は身体をさらに小さく丸めた。
「すごいなあ。『彼方の地』で、こんなに人が集まってるの見るのはじめてだよ」
「そうでしょうそうでしょう」
「祭司」は得意げだ。
(サイキ、意外と口うまいなあ)
彼のことだから、ぽろっと「果ての地」の商店街のこととか言いそうだと思っていたのだが。
一行はいよいよ都市の中心に近づいて行く。
「『都』、『都』とは聞いてたけど、さすがに大都市ね」
湖上の道路、市場のにぎわい、そびえ立つピラミッド。
「造るのに、どれぐらい労力がかかったのかな」
当然人力オンリーだろうし…不満を抱いている人もいるだろうなと、楓は考えずにいられなかった。
「『祭司』さま!」
そこに青年が走って来て、「祭司」の前でぱっと膝をついた。
「『王者』さまからのお言葉です。急ぎ参内するようにと」
「わかりました。支度ができ次第向かうとお伝えください」
表情を引き締めて、いつもの頼りなげな口調でなくはっきりと彼女は答えた。一礼して青年は戻っていく。
「わたしの住まいに行きましょう。そこから参内します」
人々が大騒ぎしている中を一行は抜け…巨大な、うねる蛇がかたどられた壁まで進んでいった。
「これは?」
「『蛇の壁』です。この壁の中が聖域とされていて、一般の人は祭の時でもないと入れません。まあ、祭はけっこう頻繁にあるんですが」
言いつつ、壁に開けられた門に向かう。
「私たちは、入っていいのかなあ」
「『祭司』であるわたしが認めていれば問題ありませんよ」
そう言われて、一行は門をくぐった。
「うわあ…」
今までにも立派な建物はあったが、ここのは特に見事だった。広い敷地にピラミッドや神殿がそびえ立って威容を誇っている。
「うわー…ピラミッドもさ、『守護精霊の地』にもなくはないんだけどそっちは土造りで。石造りのってないんだよなあ」
「浅沼教授とかが見たら喜ぶだろうね」
「彼方の地」との交流をはじめた人である。
「いつか、来てもらうかもな。そうできるといいな、楓」
「あの丸い形のピラミッドが、わたしが祭儀を取り仕切る場なんです」
解説を聞きつつ歩いて。
「ここがわたしの住まいです。ようこそ、みなさん」
「祭司」が振り向いてにっこり笑った、そこは。
「…『住まい』ってレベルじゃない気が」
「そうだよなー」
やはり石造りの、大きな建物だった。「蛇の壁」に隣接し、一部は壁の外にはみ出している。
(妙な造りだなあ)
「まあくつろいでください。今、おもてなしの用意をしてもらいます」
「「お帰りをお待ちしておりました、『祭司』さま」
女性たちが出て来て、深々と礼を取った。
「ご同行の方々も、ようこそ。今お飲物をお持ちいたします」
女性たちが、甘い香りの漂う器を持って来た。
「うわ、いい匂いだなあ」
「バニラね、これ」
原産地は「こっち」だったかと、記憶を探る。
「さあ、どうぞ」
泡立つ液体を―楓は小さい器に移してもらってだが―とにかくみんなで一すすり。
ごくん。
飲みこんで…それぞれがそれぞれの表情を作った。
「カ…カカオよね、『カカオ豆の飲み物』なのは確かだけど」
何とかフォローしようとする楓だが。
「うぇー」
正直者が、それをぶち壊した。
「うげ!この『苦い水』、唐辛子が入ってる!辛いよー!」
「ああっ!言わないようにしてたのにー!」
「でも、辛過ぎますよっこれ」
さすがのカノコも態度を取りつくろえないようだ。
「ひー…俺今、火吹いてないか?」
「ああ、わたしの好みに合わせましたが…辛かったですかぁ」
ここの当主は平然と飲み干していたりする。
「ピリ辛ですらないよー…甘い方がいいって」
「蜂蜜とかを入れた方が良かったですかねぇ。次はそうします」
「い、いいんです。高価なものでおもてなししてくださったのはわかってますから」
楓が無礼を謝っている間に、サイキは「苦い水」を持って来た人相手にあーだこーだと熱弁していた。
「知ってるかー?この『苦い水』は、うんと甘くするとおいしいんだぜ。牛乳入れた方がおいしいんだけど、こっちには『牛』っていないか。残念だなー」
「こらサイキ!変な知識を教えるんじゃない!」
「いいじゃんこのぐらい」
「まあ、そうかもしれないけど」
最近文化人類学の本とか読んでて影響され過ぎかな、と思う楓であった。
「『祭司』さま、お支度の時間です」
女性たちが豪華な衣装を捧げ持って近づいてきた。
「あ、じゃお願いしますね」
「では」
彼女のまわりに女性たちが群がる。
「すごいなーこの衣装」
(…あれ?)
楓は、今ここにいるべきではない人物がにこにこ笑っているのに気づく。
「ってちょっと!サイキ、出てなさいよここ!」
「えー、俺も見てたいよー」
「今は女の子じゃないから駄目!」
「ちぇー」
「今は…?」
追い出されたサイキたち男性陣を見送りながら、「祭司」は不思議そうな顔をした。
「前にも妙なことを言ってましたが…『鷲の戦士』さんは、女の子だったりすることがあるんですかねぇ」
「え、えっと、それはね」
「いえ、その…あはは」
楓とカノコは笑ってごまかすしかない。
やがて服装の支度が終わり、装身具をつける段階に達したので男性陣も戻ってきた。
黄金をあちこちに散りばめた装身具を身体のあちこちにつけていくと、見慣れた彼女はどんどんと威厳を備えた貴人に見えてくる。
「すご、黄金造り…」
「どうした楓、欲が出たか?それじゃ『果ての地』でこの辺を侵略した奴らとおんなじだぞー」
「そ、そんなんじゃないわよ!確かにこういう飾り、『果ての地』に持っていったらすごい値段がつきそうだけど」
女性たちの一人が、何十本となく長い翠の、金属光沢を放つ羽根がついた頭飾りを持って来た。
「わ、今度こそ本物の『羽毛』だ」
「これは幻影じゃありませんよう」
飾りをかぶりながら、「祭司」はにっこりと笑った。
「すごいですね、これ」
「もっと南の密林の中にしかいない『聖なる精霊の鳥』の尾羽を取ってきたものなんですよぉ。貴重なものです」
「へえ、すごいんですね本当に…でも」
浮かんだ疑問を、口に出していた。
「こんなにたくさん尾羽を取るために獲ってたら、その鳥絶滅しそうで」
「あ、猟師は尾羽だけ引っこ抜いて、生かしたまま森に帰すんで大丈夫ですう」
女性たちにきちんと装束を着られているか確認してもらって、「祭司」は振り向いた。
「さあ、行きましょう。『青き蜂鳥の王者』にあいさつをしませんと」
巨大なピラミッドが林立する中を歩いて、「蛇の壁」の外側に隣接して立つ一際大きな宮殿に向かう。
「一応、言っておきますが…礼儀正しくしてくださいね」
「祭司」は振り向いて、一同―特にサイキを見て言った。
「えー、かしこまるの苦手だな―俺」
「それでも、です。頼みましたよ」
「う…わかったよ」
門番が立っていたが、「祭司」の顔を見るとさっと一同を大広間に通してくれた。
「よくぞ戻った、『翠の羽毛蛇の祭司』よ」
玉座からそう声をかけたのは、輝く青の衣装をまとった壮年の男性だった。やや太り気味で、玉座に深くかけている。
「ただいま戻りました、『王者』よ」
よく見ると、その「青」は全て蜂鳥の羽根である。
(あの人が『青き蜂鳥の王者』なのね)
「あの事件のことは…不問に付そう。とにかく、『祭司』としての職務に戻るように。物事が色々と滞って大変であることが、そなたの出奔でわかった」
「ありがとうございます」
「祭司」は進み出、「王者」と視線を合わせずにひざまずいた。
(そうよね、そのせいで『守護精霊の地』にまで逃げることになった…はめられたみたいだけど)
「そちらの方々は何者か」
「友人です。何度も助けてもらいました」
「おお、そうか。『祭司』を手助けした友人ともなれば、我が『都』の客人として迎えねばならぬ。皆様方、どうかこの地にしばらく留まり、存分に楽しまれんことを」
にこやかにそう言った『王者』だったが、一同をじっと見て…サイキに目を留める。
「そなたは『鷲の戦士』か、若者よ」
「は、はい。『守護精霊の地』の『鷲の戦士』サイキです」
ややぎこちない口調でサイキが自己紹介をした。
「そして、そちらの小さいお嬢さんが…『果て人』の方か」
「王者」の視線が注がれて、楓はびくりとして固まった。
「は、はい…楓と言います。どうぞお見知りおきを」
「歓迎しよう。ゆっくりとくつろぐがいい」
そのまなざしには、何か含まれるものがありそうだった。
(何だろう。何か知ってて隠してるような)
「ところで、『ジャガーの戦士』はどうされましたか?姿が見えませんが」
「目を傷つけたとか言って、しばらく出仕を休んでおってな」
「…そうですかぁ」
心当たりがありすぎる一同である。
「さっき伝令が来てな。今日は参内すると言っておったが」
「そう…ですか」
「ま、ゆっくりいたせ。手厚くもてなすによって」
「いえ、少々疲れましたもので休ませてもらいたく」
そんなやりとりがあって、一同は「王者」の前から退出した。
「何だよ、さんざん『ジャガーの戦士』が妨害して来たのに、知らぬ存ぜぬってか?」
「『全部部下がやったことで』って、関係ありませーんってことかも」
「知らないのか、知ってて何も言わないのか」
「あれで知ってたら相当狸よね」
「知らなかったらただの間抜けだが…あれか?『政治的な判断』っていうやつ」
サイキの発音だと何か違うもののようである。
「その他にも、何か隠しているみたいでしたが」
「特に、私を見た時の反応が変なのよね」
カノコも楓も首を傾げた。
「調べてみましょう、そのへんはぁ」
またいつもの口調に戻った「祭司」が答える。
宮殿を出ながら、そんなことを小声で話していると。
「あ、あの、人は」
カノコが震える声と共に、階段の下を示した。
大柄な兵士たちを従え、こちらを見ているのは。
「あいつ…!」
鋭いまなざしの、一つ抜けて背の高い男性だった。
たくましいと言うより引き締まった体つきだ。
斑紋のある黄色の毛皮をまとい、槍と投槍器をたずさえた男たちを従えて立つ、その姿。威厳と言うより、対する人を委縮させる威圧感を放っていた。
今その顔には、何の表情も浮かんでいない。
「お久しゅう、『黄金のジャガーの戦士』殿」
「祭司」が声をかけたが、彼はじろりと見ただけで返事をしなかった。
その右目…には。
「ね、ねえ、あれ」
「…ああ」
右目のまわりには、火傷のような引きつれた傷が、僅かに残っていた。
「つまり、その」
「ああ。俺がつけた、傷だ」
楓の問いに、重く答える。
「それでは、これにて」
「…」
一言も返さずに一同を見ていた「ジャガーの戦士」だが。
「―先日は、世話になったな」
サイキの一言に、その放つ気配が一変した。
「次は、ああは行かんぞ」
激しい感情を押し殺した口調で、男は言葉を返す。
「あれほどの屈辱、はじめてであった…!」
漆黒だったはずの双眸が、突如黄玉色の輝きを放った。
「「…!」」
とっさにサイキにしがみつく楓と、彼女を後ろにかばうサイキに。
「この礼は、いずれさせてもらうぞ」
燃えるような憎悪を押し殺した様子で、視線を送ってきた。
プレッシャーをひしひしと感じるが、サイキはひるまず、その視線を受け止めた。楓は怖くて仕方がないが、何とか声を上げずにこらえる。
「…」
それ以上は言葉を発さず、「ジャガーの戦士」は兵士を引き連れて一同とすれ違い、「王者」のいる大広間に向かって階段を上っていった。
「「「ふう…」」」
一同、ためていた息を一気に吐き出す。
「あれが『ジャガーの戦士』なん、ですね」
カノコがぶるっと震えた。
「交易所の時と同じ気配だ。間違いなく、あいつだ。俺と楓を襲ったのは」
大広間に消えていく背中を見送ってサイキが呟く。
「相当カチンと来てるらしいなあ」
「プライドは高い方ですからぁ」
とにかく「祭司」の住まい…と言うか宮殿に戻り、一同はほっと息をついた。
「あー肩こったー。俺ああいう偉そうな奴の前苦手だよ」
サイキが肩をぐるぐる回しながらこぼす。
「『偉そう』じゃなくて、本当に偉いのよ。この地を治めているんだから」
「でもさ、血筋で受け継いでるとかだろ?誰の子どもかで地位が決まるっての、あんま実感ないんだよなー。うちのとこの族長って、前の族長の子どもが受け継ぐって決まってないし」
「サイキは未来の『鷲族』族長の有力候補なのよね」
まだまだ発展途上だが。
「親から受け継いだ王位なんて、俺尊敬しないよ」
「『守護精霊の地』では族長も巫術師も、『戦士』も世襲じゃありませんものね」
「祭司」が装身具を外しながら苦笑した。
「『鷲族』は昔、『銀の鷲』の加護をはじめて受けた先祖がいて…その子孫だからさ、全員。みんな親戚で、一つの家族みたいなもんだ。身分の上下なんてないよ。族長とか長老とかを尊敬はしてるけど、それは本人がすごいんであって血筋は俺たちと一緒だし」
「まあ、最初から誰が支配者の地位を受け継ぐか決まっているのも一つのやり方ですよ。幼いころから帝王学を学べますしね。本来帝王学ってのは、どれだけ己を空しくして人々のために尽くせるかを学ぶものですからねぇ」
「そりゃそうかもしれないけどさー」
サイキはまだ納得していないようだ。
「そうね、血筋で何でも決まるとは思わないけど。まあ、今この『都』を現に治めているんだから、『偉い』とは認めるべきなのかなとわ思うわ、何よりもここに住んでいる人のために」
そんな話をしている間に、「祭司は着替えてきた。もうすっかり普段着だ。
「じゃ、わたしはちょっと出かけて来ます。あとよろしくぅ」
「って、あなたここの主でしょう!」
楓が呼びかけるが、彼女はさっさと出ていってしまった。
そこにどっと人々が入ってきた。
「『祭司』さまはどこですかあ?」
「ちょ、ちょっと!『祭司』さんは留守で…うわーっ!」
サイキの叫びも空しく、広間は人々であふれ返ってしまう。
「あの方は我々庶民の悩みを良く聞いて」
「『王者』さまなどに進言してくださっていたのです!」
「やっと…やっと帰って来てくださったのに…どこにおられるのですか!」
(そうか、この宮殿の造り…『蛇の壁』の外からも人が入って来られるようになってるんだ)
そのために改造したのかも、と楓は考える。
「おお、あなたが異邦の戦士か!」
人々の注意はサイキにも向いた。
「『祭司』さまに付き従ったと言う」
「従ってねえ!雇われただけだっ」
「そんなにむきにならなくても」
楓はそう思うが、誇り高き「鷲の戦士」としては重大な問題らしい。
(『果ての地』の常識から考えるとおかしな話だけどね)
「よく『祭司』さまを連れて戻られた…ううっ」
「い、いやその、大したことじゃなくて…ははー」
老婆に手を取られ涙ながらに感謝され、サイキは照れ笑いした。
(刺客の話は、伝わっていないようね)
楓はカノコの肩の上で考える。
(『祭司』さんを妨害したって事実は大っぴらにはなっていない、と)
その時、群衆の一人が楓に気づいた。
「…お。小さい人だ」
「「…小さい人だ。小さい人…」」
ざわめきが広がっていく。
「な、何なのこの態度」
遠巻きにして、ひそひそと話す人々。
「あ、あの」
声をかけても返事をしてくれない。
「何か隠してるみたい、私たちに」
「何だろうな。楓見る時の態度が俺たちの時と全然違うぞ」
ようやく解放されたサイキが寄って来てうなずいた。
そんなこんなで夕暮れ。さすがに人々も帰っていった。湖面も、ピラミッドも橙色に染まりはじめる。
「…帰りましたあ」
そこへ、「祭司」がひょっこりと帰ってきた。
「…『祭司』さん!大変だったんですよ?みんなあなたに会いたがって…何してたんですか?」
「ええ、まあちょっと…何も聞けなかったんですけどぉ」
あいまいに笑って、彼女はそう言った。
(何も聞けなかった…?)
気にはなったが、それより聞きたいことが山ほどあった。
「色々教えてください。この『都』の状況について」
「そうですね。今までにも少しずつお話しましたが、まとめましょう」
「祭司」はうなずいた。
「まず、この地は『青き蜂鳥の王者』が治めています。彼の下に、『黄金のジャガーの戦士』とわたしこと『翠の羽毛蛇の祭司』がついて、わたしは文化関係、『戦士』は闘いに関することを担当していたのですが」
「で、お酒を呑んだことが原因で、あなたは『守護精霊の地』まで落ちのびたんですよね」
「そこまではいいですよね」
「いや、大変でしたよ。『祭司』さまがお酒に酔われた時は」
侍女たちの頭らしい年配の女性が口をはさんだ。
「酔われて…どうなったんですか?」
「それが、その」
「い、言わないでくださいよぅ恥ずかしいんですから!」
(よっぽど恥ずかしいことをしたのね)
まあ、記憶がある分ましかもしれない。
(恥ずかしいことをして、まるっきり覚えてない人もいるもんね)
しかし、本人には相当辛い記憶であるらしかった。
「あなたが酔って何したにしても、みんな気にしてないじゃないですか。すっごく慕われてますし。問題ありませんよ」
「そうは言っても…わたしが恥ずかしいんですよぉ」
彼女は赤くなっている。
「大丈夫ですって」
「は、話を戻しますよっ!もともと『蜂鳥の一族』は昔、遥か北の『守護精霊の地』からここにたどり着いたと言う伝承がありまして。その前からこの『月の湖』のまわりには高い文化を誇るいくつかの都市国家が覇を競っていたのですが、『蜂鳥の一族』は虐げられながらも傭兵として闘ったり有力都市と同盟を結んだりして力をつけて…今ではここ一円の盟主になっているんですよ」
「じゃあ、がちがちの独裁国家って訳じゃないんだ」
「他の国々の上に立ってまとめているって感じですかね。何十年か前、有力三都市が同盟組みまして、そこがどんどん勢力を伸ばして…近年はその中でも、『仙人掌の都』が盟主として覇を唱えています。中には支配に不満を持っている都市もありますが」
「色々火種は抱えているんだ」
「まあ、色々あって…あれよあれよと言う間に『蜂鳥の一族』が力をつけまして」
奥歯に物の挟まったような言い方をする。
「『祭司』さんは『蜂鳥の一族』なんですか?」
「いえ、わたしの一族は古くからこの湖のまわりにいた系統です。諸事情でこの『都』に迎えられたって感じですかね。まあ家柄なんて自慢すべきことでもないんですが」
楓の質問に、「祭司」は困惑の表情で答える。
「『ジャガーの戦士』は?」
「彼もここの古い家系の出です。彼はそれに妙なプライドを持ってましてねえ…それは良くないって、何度も注意したのですが」
ため息をつく。
「確かに『王者』の一族は三代か四代目に急に力をつけた、言うなれば成り上がりですが…政治力には秀でていまして。あの一族がいなければこの地はここまで繁栄していなかったでしょう。毛嫌いすることはないと思ったんですけど」
「じゃあ、『王者』と『ジャガーの戦士』は、仲がいい訳ではないんですね」
ちょっと誤解していたかもしれない。
「『王者』の態度も良くないんですけどね。最近じゃ目を合わせてもいけない、『王者』は神聖な存在だとか言い出しましてねぇ。…それで『ジャガーの戦士』などがカリカリ来ているんです」
「それでさっき視線を逸らしてあいさつしてたんですか」
「偉さを強調したいんですね」
カノコも巫女として威厳とかを保つことには覚えがあるようだ。
「先代から今の『王者』に代が変わったら、とたんにうるさく言うようになりまして」
もともと「王者」の地位は厳密な世襲ではなく、と続ける。
「一族の討議の中で選んでいて…さらに昔には決まった家系もなかったらしいんですが、いつしか限られた家系から出すようになって。それでも一応一人を選ぶのは討議の結果ってことになっていたんですがぁ」
「選挙とはちょっと違うけど、人々に選ばれた人が『王者』になっていたんですね」
「そうなんですよぅ」
「祭司」は大きくうなずいた。
「それが、当代になってからやたらと神聖さを強調するようになって来て…先々代は歴史の書き換えとかやりましたし」
「そんなことしたんですか!?」
「さも自分たちが古くからこの地にいたかのように改竄して…まあ、みんなわかってますけどね」
「で、今は目も合わせるな、か」
不満は相当溜まっていそうである。
「何とかもっといい方向に持って行きたいんですけどぉ」
「討議で選ばれて『王者』になったなら、やっぱり討議で辞めさせられないんですかね」
「そうですねえ。普通は終身なんですが」
何か、光が見えたような顔を「祭司」はする。
「そのやり方で『ジャガーの戦士』も辞めさせられたらいいんだけどね」
「彼は選ばれたと言うより、彼の一族の中で一番強かったので代々継承されている『戦士』の任に就いた、ってことですからねぇ。負けたならともかく、ただ辞めさせるのは難しいかもしれません」
「だったら、俺がぶっ倒しちまえばいいんじゃねーか?」
サイキが目を輝かせる。
「あーあ…闘う話になったら、とたんに身を乗り出してきちゃって」
今まで会話に入って来なかったのに。
「だって俺『鷲の戦士』だもーん」
「…できれば『都』を騒がすような闘いは、したくないのですが」
「祭司」は眉を寄せた。
「じゃあ、やっぱり先に決めたあの『作戦』で」
「そうですねぇ。あの『作戦』ならば、必要最小限の闘いで済むはずですし…それで行きましょう」
みんなうなずいた。
「―あれが『ジャガーの戦士』の宮殿です」
「祭司」はピラミッドの向こう側に見える建物を示して言った。
「まあ、入れてくれって言っても迎えてはくれないだろうな、やっぱり」
サイキがにやりと笑って呟く。
「こんなに近くに、いるなんて」
以前に襲われたことを思い出して、楓はぶるっと震えた。
「まあ、ここまで来たらそうそうちょっかいはかけて来ないと思いますよぅ。『王者』の目もありますし、心配はしなくてもいいかと」
「ここまで近づかれると、逆に手が出しづらい、と」
「はい」
「そうですよね。すでに、向こうは一日遅らせるっていう目的は果たしていますし」
「ええ、そう思ってますよねぇ。もう、何もできないと考えているのではないかと」
楓の言葉に、「祭司」もうなずく。
「あとは…こっちもおとなしくして、時期を待ちましょう」
「そうですね。あの、時を」
第九章 口止めし切れぬ馬鹿もいる
次の日。
「『祭司』さん、私たちをどこへ」
「祭司」は一同を連れ出し、歩いて行く。
「わたしの古い友人の所です。すぐそこですんで」
そう言ってさっさと前を進んだ。
「蛇の壁」を抜け、一般の住宅があるエリアに入った。
「ここですぅ」
ごく普通の(この都市ではの話だが)民家に、見えた。
しかし。
「お久しぶりですう」
戸口から、彼女は中に声をかけた。
「『猿の書記』さん、入ってもいいですかぁ」
「おお、いいとも。久しぶりじゃな、『羽毛蛇の祭司』」
言われて、足を踏み入れると。
「うっ…!」
「うわ、かび臭いっ」
もわっとした空気が立ちこめる、その向こうに。
「ほう、『守護精霊の地』の『戦士』までいるのか。これは重畳」
床に座り、一心に筆を紙に走らせる一人の老人がいた。
まわりにはうず高く「何か」が積まれ、その姿を半分ほども覆い隠している。
「この山…全部、本?」
「そうじゃよ、『果て人』のお嬢さん」
こっちを見もせず、さらさらと文字を書きつづっている。
「あ、気にしないでください。この方、いつもこうなんですよぅ」
邪魔なのかと感じてしまうが、そういうことではないらしい。
「この、本は」
「記録じゃよ、『果ての地』の方」
しわの多い顔をもっとしわだらけにして、「書記」は笑った。
「記録…?」
「『大きな運命の流れ』についての、遥か昔、文字が生まれた頃からの記録だ。世界が分かたれた後も、歴代の『猿の書記』たちが書き続けてきた…その、記録だ」
折り畳まれた絵文書が、うず高くまわりに積み上げられている。
「調べてみるかな?知りたいことがあれば、この中のどこかには書かれているかもしれぬぞ。…どことは言えんがな」
想像もつかない膨大な知識の山を周囲に置いて、老人は笑みを浮かべた。
「い、今は止めときます」
確かに知りたいことはあるが、この山の中から拾い出そうとしたら一生かかりそうだった。
「それにしてもすげーな、この山」
「南の地から運んでくるのも大変であったぞ、『鷲の戦士』よ」
「お、わかるんだ」
「ああ、『鷲の戦士』に『鹿の巫女』…お主らは『大きな運命の流れ』に深く関わる者たちだからな。良く知っておるぞ」
「そ、そうなんですか」
「うう、こっちが知らない人に知られているってのは、どうにも変な感じだなー」
(この人も、『加護を受けた者』なんだわ、やっぱり)
なぜか、楓の胸がちくんと痛んだ。
(私には、わからないからなあ)
「お主たちはいずれ、大きな決断を迫られるであろうよ」
こちらを見もせず、複雑極まりない文字を書き進めながらそう言う。
「…あれ、この文字」
「そうです」
楓の呟きに答えたのは、「祭司」だった。
「この方たちが使っている文字は、古代文字に極めて近いものだと言われています。『都』の文字も、この文字を簡略化したものだそうですよ」
「そうなんですか」
「儂は南の都市国家の出でな。そこではこの文字が生き残っていたのだが…そこで争いに巻きこまれての。ここまで流れて来たのだよ、記録を仲間に運んでもらって」
「これだけ、運んだんですか」
書物の山を見ながら楓が呟くと。
「大事な遺産じゃからな。そこの『戦士』が持つものと同じぐらい、大事なものだ」
「あ、それもわかるんだ!」
「お主から、橙の糸が伸びているわい」
サイキのすっとんきょうな声に、「書記」は深い笑みで答えた。
「やはり…彼らが」
「そう、らしいの」
「祭司」が呟き、「書記」が文書から目を離さずに答えた。
(…?何か、確かめたいことがあって私たちをここに連れてきたのかな…?)
だとしたら、何なのか。
しかし、聞いても答えてくれそうになかった。
(まあ、無理に聞かなくてもいいか。話していいなら言ってくれるよね)
そう、考えることにした。
「…それでは。お身体に気をつけて」
どうやら、「祭司」の用は足りたらしい。別れを告げ、戻りかけて。
(…あれ?)
楓は、妙なことに気づいた。
(あの人、一度も…私を見てない)
ずっと文書に目をやっていて、こちらを一回も見ていないのだ。
(サイキとかのことは精霊の気配で感じ取れても…私が『果て人』だとか、どうしてわかったんだろう)
声に微妙な差があったのか、身体の大きさが違う訳だし…とも思うが、確証はなかった。
宮殿に戻って、しばらくして。
「あれ、『祭司』さんは?」
気がつくと彼女がいない。
「『羽毛蛇のピラミッド』で儀式してる。離れている間に色々たまって大変だってさー、浄化が。あそこの丸いピラミッドで儀式三昧だってさ、しばらくは」
サイキは隣の円を描くピラミッドを顎でしゃくってみせた。
「儀式って…『精霊の力』は今、使えないんでしょう?」
「まあそこはそれ、気は心ってことで」
「形式的なものなんだね」
現実には効果ないのに…と考えてしまう楓である。
「いーじゃん、『都』の人たちはそれで安心なんだからさ」
「…『果ての地』の発想か、私のは」
いわゆる「現代人」にはわかりにくい考え方もあるのである。
「もうすぐ祭司学校の子どもたちがあいさつに来るって言ってたな。あと、明後日の午前中にここの『鷲の戦士団』の団長たちが表敬訪問に来るってさ」
「カノコさんは?」
「『ちょっと出かけてくる』って言って、ここの女の人誘って行ったぞ」
「残ったの私たちだけなの!?」
丸投げされた気分である。…まあ、「海」のコンビやジュウ少年などはいるが。
祭司学校の生徒たちは、その通り午後にやって来た。
十二、三から二十歳近い少年少女たちが、目をきらきらさせてこっちを見ている。
「すごい、『鷲の戦士』だ!かっこいい!あ、『鷲の紋章』だ!すげーなはじめて見たよ、握手してくださーい!」
「わあっ、一度にのしかかってくるなー!痛い痛い痛い、髪の毛をむしるな!た、助けてくれ~っ」
あっという間に、サイキは子どもたちの集団に巻きこまれてもみくちゃにされている。
「サイキも完敗ね」
しかし、呑気に見ていられる場合ではなかった。
「うわー、小さい人だ!」
子どもたちの注意が、楓に移ったのだ。
「すげー!」
生徒たちは口々にそう言って楓に殺到する。
「ちょ、ちょっと待って、怖いー!」
「やめてくれ、楓が怪我しちまう!」
サイキが慌てて止めに入った。
「すごいや、『ジャガーの戦士』さまの所にもう一人いるって聞いたけど、見たことないもんなー」
「…ちょっと待って!私と同じ大きさの人が他にもいるの!?」
聞き捨てならない言葉を耳にして、楓は怖いなどと言っていられなくなった。
「うん。でも、ちっとも見せてくれないんだ。三ヶ月ぐらい前に『戦士』さまが買い取ったんだって聞いたんだけど…いくら頼んでも、『見世物じゃない』って言って人前には全然出してくれないんだ」
「私だって見世物じゃないわよっ」
しかし、重要な情報を得た気がする。
「すごい市場ですねえ。『果ての地』の商店街とはまた違った感じで。活気がすごいんですよ」
カノコが大荷物を抱えて戻って来た。
「買い物するなら、わたしが『苦い豆』をお渡ししましたのに」
「祭司」もひょっこり戻ってきてそう言う。
「それは悪くて…『青い石』で交換させてもらいました」
「あれ、『守護精霊の地』からこっちに持ってくるとけっこう値打ちが上がるんだよなー」
「ええ、だから多めに持って来たんです」
「カノコさん、ショッピング好きよね」
「故郷では、色々品物があったりしないもので」
「そりゃそうよね…選びたい放題なんて、ないか」
(物質文明に染まっちゃったなあ)
巫女としてそれはどうかとも思うが、自分の言うべきことではないと楓は考える。
「家族へのお土産買って、あと由布子さんにも…」
「ちょっと待って!由布子にここの物持っていったらいくら何でも怪しまれるわよ!」
「あ、そう言えばそうでしたね」
ルームメイトにお土産を、と考えるのはいいが…怪しまれては困る。
(やっぱり天然だ…)
声には出さず、そう呟いた。
「あ、俺も野本や樹さんに何か」
「あっさり影響されるんじゃない!」
「彼方の地」サイズの「お土産」を持って行って渡す光景を想像して、楓は頭がくらくらした。
「二人とも『事情』は知ってるにしても…まわりが怪しむわよ」
「でも、買い物はしなくても市場には行ってみたいな。楓も行こうぜ」
「うん…でも、私は目立つから隠れてないといけないよね。…って!」
はっとさっきのことを思い出し、楓は「祭司」の方に振り向いた。
「さっき、子どもたちが私と同じぐらいの大きさの人間が『ジャガーの戦士』の元にいるって言ってましたけどっ」
「ああ、聞いていましたか。わたしも、色々伝手をたどって『ジャガーの戦士』の近辺を調べていたんですが」
彼女は表情を引き締めた。
(そうか、時々姿を消していると思ったら…聞いて回っていたんだ)
楓は内心感心する。
(『祭司』さんって、地道に努力して結果を出す人なんだなあ)
「三ヶ月ほど前に、小さな…あなたと同じぐらいの人間が見つかって、この『都』に連れて来られたと聞きましたよ。わたしが出奔してからすぐですね。はじめはその、見世物と言うか、珍しい生きものみたいな扱いで」
「その人が、『ジャガーの戦士』の元に買われていったと、子どもたちから聞きました」
「彼は…あなたたちの言う『黒の組織』の科学者だったらしいんですよね」
「そうなんですか!?」
意外なところで意外な組織名を聞いて、楓は驚いた。
「少なくとも、彼はそう口走っていたと聞きました」
「俺たちが『黒の組織』を…こっちでの『蜘蛛族の連合』を叩き潰した時、こっちに来ていた科学者がいたんだな」
「で、帰れなくなって…『都』に流れ着いて『ジャガーの戦士』に拾われたと」
「で、その人が『自分は役に立つ』と主張して…『ジャガーの戦士』の元にあった『煙を吐く鏡』と言うかつての文明の遺した装置を起動させることに成功した、と言うんです」
「『煙を吐く鏡』…?」
「それも『遺産』なのかな」
「いや、だったら封印されていると思うぞ。『遺産』ほど大きな力は持っていないんだろう。単に古代文明のオーバーテクノロジーの産物ってだけで」
「その装置は、『暦の精霊の地』では動かせる人が誰もいなくて、お蔵入りになっていたのですが」
「それを、その連れて来られた科学者が起動させた、と」
「何でも相当な古代文字の知識がないと、起動できないものだったらしくて。それを動かして、使えるようにしてしまったそうです」
「確かに『黒の組織』の科学者だったら、古代文字の知識があってもおかしくないわね」
「首領」となっていた一人が、古代文字の研究者だったのだから。
「その『煙を吐く鏡』によって、他の地からも力を持つ者を引っ張りこんで、一大勢力を築いたのだと」
「それでいろんな土地出身の『戦士』がいたんだ」
「雷の戦士」たちや、仙人、霊鬼使いなどを思い出す。
「もともと、その『鏡』は遠距離通信用の装置だったらしいんですけどね。緊急脱出の機能もついてたんで、そっちを転用しているらしいんです。だから、使えてもごく少数の人しか移動させられないんです。一人か、二人か」
「じゃあ、『ジャガーの戦士』が交易所に現れたのも、あっちこっちに『戦士』が待ち受けていたのも、それでなのね。…それに、あの時」
楓は「雷の戦士」に捕まった時、声がそこから聞こえてきた揺らめく円盤を、思い出す。
「あれが『煙を吐く鏡』だったんだ!」
その時だけは本来の使用方法であった訳である。
「そうか、たくさんの人は運べないんだな。大軍勢を動かすことはできないんだ。だからあっちこっちに一人か二人を送って、せこくせこく俺たちの足止めを図るしかなかったんだな」
戦術的な話になると、頭の回るサイキであった。
「だからここの人たちは、私を見て色々言ってたのね」
「厳重に口止めしていたみたいで。おかげで聞き出すのにずいぶん手間がかかりましたぁ」
「大人たちは口止めされていた訳だな。子どもたちには伝わってなかったらしいけど」
「『わかっておろうな』じゃ子どもたちには伝わらないよね」
全くである。
「その『煙を吐く鏡』の在り処は、ここです。この小さな倉庫」
「祭司」は地図を広げ、「蛇の壁」の中の小さな―まあ、普通の一軒家よりずっと大きそうだが―建物を示した。
「ここに、『ジャガーの戦士』が足繁く通っているんです」
「ここにその、『鏡』と」
「ええ、『果ての地』の科学者がいると考えられます」
「祭司」は楓の言葉にうなずいた。
「近くで働いている人の言うことには、明らかにここから出てくる人の方が、入っていく人より多いそうなんです」
「逆ならちょっとしたホラーだけど…捕えて連れて来ているのね」
「ええ、ここの人とは明らかに違う服装の人間がどんどん出て来て…特に、漆黒の肌の二人連れはみんな良く覚えてましたよ」
「目立つもんね、あの二人は特に」
それはともかく、と楓は考えこんだ。
「なるほどね…みんなの話をつき合わせると、色々と見えてきたわ」
「『果ての地の娘』さんは頭が切れますねぇ」
「祭司」の言葉は聞き流して、楓は視線を北、市場に向けた。
もう日は山の端に沈みかけ、建物や人々が長々と影を落としていた。
「あ、あれ…は?」
視線は、やはり長い影を落とす「何か」に向けられた。
巨大な荷物の山が、市場の隅に並べられている。
見ているうちにも、市場に大きな荷物を背負った人々が列をなしてやって来て、そこでやっと荷物を下ろしてへたり込んでいた。
「あの…荷物は」
「各地から運ばれて来た税…と言うか、取り立てている貢物です」
「祭司」が暗い顔で答えた。
「こんなに沢山…不満の声とか、あるんじゃないですか?」
「あるん…ですよねぇ」
小さく、返事が来た。
「…『祭司』さん」
楓は質問した。
「『青き蜂鳥の王者』さんの評判は、どうなんですか?名君と呼ばれていますか?」
「…まあ、この『都』では、慕われていますよ」
驚きつつも、彼女は答える。
「ただ、『都』以外の地域では別で。武力に物を言わせて他の都市を押さえつけ、貢物を要求して…相当不満がたまっているはずです」
「武力を背景に、成り立っている繁栄なんだ…つまり」
「…楓さん?」
カノコの呼びかけは、耳に入っていなかった。
「不満は、ある…で」
何かが、見えてきていた。
パズルのように、それぞれの事実が組み合わさっていく。
「まあ、『祭司』さんと『ジャガーの戦士』が対立して、さらに『王者』とも確執があるともなれば、『都』そのものも一枚岩ではないし」
楓は、考えをまとめはじめた。
「そこに、武力で支配されているけど不満がたまっている各地方がある…って、不安要素てんこ盛りじゃないの」
「楓?おーい、もしもーし」
「この状況で、誰かがその不満を持つ各勢力をまとめようとしたら…簡単に大混乱を巻き起こせるよね…って、え!?」
一つうなずき…そこで、全員の視線が自分に集まっているのにやっと気づいた。
「え、どうしたの?」
「いや、楓があんまり深く考えごとしてるんで、みんな心配してたんだよ」
「あ、そうなんだ…ごめん。でも、おかげで大体状況がつかめたわ」
夕闇に覆われはじめた『都』を見つつ、呟く。
「この『都』、壮麗な大都市ってだけじゃないのね。まあ、栄えてる所ってたいてい『裏』があるらしいけど。…それにしても、豊かで平和に見えるけど、ちょっと騒動が起こればすぐに崩れそうな、もろい繁栄だわ。砂の上に建ってるみたい…湖の上だけど」
華やかに見える「都」だが、よく見ればさまざまな問題が渦巻いているのが、わかる。
「…だからと言って、騒動が起こって幸せに暮らしている人が踏みにじられていいってことには、ならないけど」
「やはり、そう思いますか」
「祭司」が大きく息をついた。
「何とか変えていかないと…とは、考えているんですが」
「『ジャガーの戦士』は、そうした歪みを一気に正そうとしているのかもしれないけど」
「平和的に改善できれば、いいんですけどねぇ」
うなずいて、続けた。
「今は前のようにひどくはないんですが、この『都』は他の地方を攻めて、貢納しないと滅ぼすとおどしていて…やはり、その憤懣が溜まっている地方も多くて」
「ああ、よくあることですね」
「そうなんですか…このあたりではそんなに多くもないんですが」
「『果ての地』の歴史で、その」
まだ高校一年なので、授業で詳しく学んでいる訳ではなく…本やTVなどでかじった知識なのだが。
「向こうの世界の『学生』と言うのは、色々学ぶんですねぇ」
「そんなに大したものでもないんですが」
確かに、ほぼ全ての若者がかなりのレベルの勉強を強いられると言うのは、「果ての地」の現代社会以外では珍しい話かもしれなかった。
「いきなり色々教わって、大変だったよなーカノコ」
「ええ、まあ」
「あんなの実生活で役に立つのかなーってみんな言ってたぜ」
「『みんな』って言っても三人ぐらいだったりするのよね、サイキ。それに、今の研究がどれだけ進んでいるかを知らないと」
いきなり高校レベルの学問をさせられたサイキとカノコ(天野あやめと森宮鹿乃子)にしたら大変だったろうが。
「あの、勉強談義はそのぐらいにして」
「祭司」がためらいがちに呼びかけた。
「そろそろ、日が沈みます。…『果ての地の娘』さんには、やってもらわないといけないことが」
「わかってます。やりましょう…日没を確かめないと」
闇の中で。
丸い、巨大な鏡がぼんやりと光っていた。
「いよいよ『その時』が近づいた」
男性が、ぼんやりとその姿を映す鏡に語りかけていた。
「もうすぐだ。いま少しで、準備が全て整う」
『『おお…』』
どよめきが鏡を揺らし、伝わってきた。
「あの女を帰還させてはしまったが、足止めは成功だ。間に合わなかったことはあの女もわかっておろう。もはや何もできぬわ」
『あの女が、『王者』に直訴することも、ありえますが?』
「確たる証拠がなければ、どんなに言葉を尽くして訴えようとも、『王者』は聞き入れぬだろう。そういう男だ」
軽蔑…いや、侮蔑を込めて「ジャガーの戦士」は言い放つ。
「あの女には…平和ボケしたあの女には、我らの計画がここまで進んでいるとはわかる訳もない。心配は要らぬ」
『『ついに…ついに、『その時』が』』
「決起の日まで、あと少し。気取られるなよ、皆。…もう良い」
「はア」
甲高い声と共に、鏡から光が消えた。
「―『祭司』は何かこそこそと動いておるようだな」
「御意」
側近らしき男が、灯りをともした。
「しかし、我らが計画はもはや止めようがない…!」
「その通りにございます」
側近は一礼した。
「もはやあの女には戦争を止める力はない。力を取り戻した時にはもう手遅れだ。戦争がはじまるのだ。大いなる、戦いがな!」
くつくつと、笑う。
「しかし、『鷲の戦士』はかなりの手練かと」
「あのような若造、大したことないわ」
傲然と言い放つ「戦士」に、面と向かって反論できる者はいない。
「しかしイ、この間ちょっかいを出して退けられたかとオ」
「黙れ」
「あああ申し訳ありませンン!出過ぎたことを申しましたア!」
余計なことを口走った甲高い声の主が、怒鳴りつけられ悲鳴を上げて謝る。側近も這いつくばらん勢いで怒りを避けていた。
「まあよい。いずれ、思い知らせてやるわ」
瞳を黄玉色に燃え上がらせ、「ジャガーの戦士」は吼えた。
「我らが計画は、着々と進んでいる。もはやあの女どもがどう動こうが、止めることは不可能!」
「その通りにございます」
「あと少し、あとほんの僅かの時間で挙は成る!もはや、止められぬ。誰にもな…!」
暗闇に灯りはともっていたが、その中を満たす笑いは闇よりも暗かった。