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天翔けるは白銀の鷲 第三シリーズ  作者: 滝沢 あきら
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今度はほぼ異世界漫遊記です。

   第一章 南を目指す馬鹿もいる


 『南に、行ってくれないか』

 そんな話が、定時通信の中でひょいと出た。

 「南、へ…」

 研究所に来ていた一同は、顔を見合わせた。

 「『南』って、そっちの…『彼方の地』の南ってことですよね、スーミーさん」

 『そうだ』

 あやめ(サイキ)の問いに、銀の球体を介して声を届かせる巫術師(シャーマン)は、当然のようにそう答えた。

 「でも、俺たちはこっちに、『果ての地』にいる訳で…どうしてわざわざ戻って南に行かないといけないんですか」

 『いや、色々と事情があってな。…お前たちも、『白の大巫女』から、『南に行くことになる』とは聞いていただろう』

 「それはそうですけどー」

 『今、『緑の蛇の巫術師』の元に南にある『都』から逃れてきた『翠の羽毛蛇の祭司』が身を寄せておってな。その人が『都』に戻るには、お前たちが同行して護衛するしかないというのが『白の大巫女』の見立てであって』

 「どうでも行かせたい、と」

 『そうだ。もうすぐ、『学校』とやらは長い休みに入るのだろう?』

 「…確かに、あと五日で正月休みで、ええと…十二日間、学校は休みですけど」

 『その休みの間、こちらに戻って欲しい。予定では、十日ぐらいで済むそうだ』

 楓の呟きに、大きくうなずく気配が伝わってきた。

 「どうする?」

 「どうするって言われても…」

 一同…天野あやめこと「銀の鷲の戦士」サイキ、岡谷楓、森宮鹿乃子こと「鹿の巫女」カノコ、ユーリ・サラマンデルこと「炎の魔術師」ユーリという学生たちと、彼らが通う高校の教師にして四人の保護者である海原樹(うなばらいつき)は顔を見合わせた。

 「俺は正直行ってみたいなあ」

 「わたしも。お師匠さまから、いずれは行くと言われていましたし」

 あやめ(サイキ)鹿乃子(カノコ)は乗り気だった。

 「僕は残ります。それほど強くはないにしても、闘う力がある者が一人はこっちの世界にいるべきでしょうから」

 ユーリはやや残念そうに、それでもきっぱりと言う。

 「大丈夫、僕一人でここは守りますよ。(ウー)たちもサイキくんがいなければ、あえて襲って来ないでしょうし」

 「確かに、俺を倒したくて向かってくる訳だからな、あいつは」

 敵として信頼されているのも不思議な話ではあるが。

 「僕は当然行けないとして…楓くんはどうする?」

 樹がそう続けて、楓に問いかけた。

 「行こうぜ楓。『南に行く時には同行して欲しい』って言われただろ?」

 「そうだけど…」

 『もちろん、楓殿にもぜひ同行して欲しいとのことだ。不可欠なのだと『大巫女』は言っていてな』

 「私も行かないといけないんですか!?」

 『前回貴女の顔を見て、確信したらしい』

 (私があっちの世界で、何の役に立つのかしら)

 そうは思うが、鹿乃子(カノコ)たちを見ていれば巫術師や巫女の「見る」力と言うのが馬鹿にならないのはわかる。

 『どうだ、行ってくれないものか』

 「うーん…」

 楓は、考えこんだ。

 (南の地…『守護精霊の地』とはまた違う、独自の文明が栄えていると言う、地)

 「…行って、みたいな」

 素直に、そう口にしていた。

 「よーし決まりだな!わくわくしてきたよ、ほんとに。面白い冬休みになりそうだぜ!」

 「宿題どうしよう…」

 「大丈夫、何とかなるって」

 真に根拠のない言葉だった。

 「まあ、何とかするとして…羽毛蛇、か」

 じわじわと、好奇心が湧き上がってくる。

 「こっちじゃ『翼のある蛇』ってことで、翼竜の名前の由来にもなってるのよねー」

 「…昔、『恐竜大好き少女』とか言われてただろ、楓くん」

 「そう言う樹さんこそー」

 「二人して何にやにや笑ってるんだ?」

 目と目を見交わして苦笑する(こちらの世界出身の)二人に、あやめ(サイキ)が不思議そうな顔をした。


 十二月二十二日の、終業式が終わった放課後。高校―舞鳥学園の寮生たちは、ほとんどがさっさと実家に向けて旅立っていたが、あやめ(サイキ)たちは舞鳥市の南部にある文科省の研究所に来ていた。

 「今さらだけど…悪いな、楓。家族に会いたいだろうに」

 「いいの。夏休みに充分戻れたし」

 楓はつとめて明るい声で答えた。

 「私も、南の…話に聞く『暦の精霊の地』には興味あるんだから」

 そんな話をしているうちに、「門」が開いていく。

 銀の球体が膨れ上がり、輝きを薄れさせ…巨大な漆黒の球となった。こちらの世界と異世界とをつなぐ「門」に。

 「よーし、行こうぜ楓!」

 「本体」に戻り、身長十メートルの巨体となった「あやめ」改めサイキが、楓を胸に抱えこんで「門」をくぐる。鹿乃子改めカノコも続いた。

 「カノコさん、みんなも無事で…っ」

 「ええ、そちらもお元気でいてくださいね、ユーリ先輩も樹さんも」

 ユーリの気遣わしげな呼びかけに答える声を、残して。


 異世界、などと言うものが存在すると主張したら、笑われるだろう。

 しかし「この世界」には、それがあるのだ。

 ただし、その「世界」には、世に言う「異世界」とは少々違った点が二つあった。

 一つは、その「世界」が、人為的な手段でこちらの世界と分かたれた、源を同じくする世界だと言うこと。…ただし、科学文明が席巻するこちらの世界に対し、「精霊」なるものを崇め、その力を借り受ける文明が栄える世界ではあるが。

 もう一つの違いは、原因は諸説あるが世界間を物体が移動するとその「大きさ」にずれが生じ、あちらの世界―「彼方の地」からこちら「果ての地」に来たものは五倍以上に大きく、逆の移動はその分小さくなってしまうという事実であった。

 

 「また、来られたんだ」

 サイキの肩に乗って、楓はあたりを見回していた。

 何もかもが巨大な世界が、広がっている。

 「向こうは冬だったけど、こっちは秋なのね」

 昨晩、初雪を寮の窓から見たのだが…ここでは色づいた草原が涼風に揺れていた。

 「まあ、何千年も離れていれば季節もずれますよね」

 「門」を続いてくぐってきたカノコが答えた。

 「あー、懐かしいなこっちは!」

 サイキが大きく伸びをして、楓を振り落としそうになる。

 「ちょっと、気をつけてよ」

 「あ、悪い悪い。…で、『蛇の巫術師』さんの隣にいるのが、その『翠の羽毛蛇の祭司』さんでいいのか?」

 「…この人が?」

 楓も、サイキの視線を追って見知らぬ「二人」を見た。

 「蛇の巫術師」は、小柄な中年の男性だった。いかにも俊敏そうな印象がある。

 その、隣には。

 「よろしくお願いしますねぇ」

 微妙に気の抜けた喋り方をする、さらに小柄で小太りな女性がこちらに笑いかけていた。

 (この人も年齢がわかんないなあ)

 楓の正直な第一印象は、それだった。

 赤銅色の肌はもう見慣れているが、顔中にしわを寄せてにこにこ笑っている顔は年齢がわかりづらい。もう四十も近いようにも見えるが、逆に二十歳をいくらも過ぎていないようにも見えた。

 「わたしが『仙人掌(サボテン)の都』の祭司をしている者です。あなた方に『都』に帰る時の護衛をしてもらいたいのですぅ…」

 小ぎれいな服装はここ「守護精霊の地」の女性とそんなに変わらない。胸には、巻貝を輪切りにしたらしい渦を巻く首飾りを下げていた。

 (見たところ、ごく普通のおばちゃんだけど、『精霊の力』がからんでくると見かけ関係ないし)

 「あなた方が『鷲の戦士』と『果ての地の少女』ですかぁ」

 気の抜けまくった口調だったが、眼光は鋭かった。

 「でも、その『都の祭司』さまが、どうしてこんな所まで来てて、今帰りたいなんて言ってるんだよ」

 「実はその…立場が非常に悪くなったんで、『都』から逃げ出しまして、わたし」

 「逃げ出した?」

 カノコと合わせて三人、顔を見合わせた。

 「ちょっと、『祭司』としてあるまじき行為に及んでしまいまして…」

 彼女は恥ずかしそうに続けた。

 「何やったんだよー」

 「サイキ!」

 好奇心もあらわに尋ねるサイキを、楓が制する。

 「いえ、いいんですけど…実は…」

 話しはじめた「祭司」は、また口ごもってしまう。

 「どうしたんですか」

 「いやその…恥ずかしながらわたし、お酒に酔いまして。泥酔して色々とんでもないことしちゃったんですよねぇ。「祭司」としてはあるまじきことをしてしまって、酔いが醒めて恥ずかしさのあまり逃げ出しまして…こちらの『蛇の巫術師』さんの元に蛇つながりで身を寄せたんですぅ」

 (どんなことしたんだろう…)

 アルコールに(まだ)縁のない未成年三人組はまた目を見交わした。巫術師たちはそのかたわらでそっぽを向いている。

 (とにかく飲ませちゃいけない人なのね)

 まだ話は呑みこめないが、もしそういう状況になったら気をつけようと楓は思った。

「でも、こっちに来てからですねぇ…『都』でわたしを信じてくれている人たちなどと連絡を取り合った結果、わかったことがあるんです」

 「何が、ですか?」

 「全てが仕組まれたことであったと言うことが」

 「はあ!?」

 「我が『都』は、『青き蜂鳥の王者』によって治められていまして。その下でわたしこと『翠の羽毛蛇の祭司』が文化面を、そして『黄金のジャガーの戦士』が軍事面をそれぞれ担当しているのですがぁ…密かに手を回してわたしにお酒を飲ませたのがその『ジャガーの戦士』だったことがわかりまして」

 「はめられた、ってことですか」

 「今考えてみれば、完全にやられましたねぇ」

 「祭司」は苦笑いを浮かべた。

 「で、これも情報を集めた結果わかったんですが…『ジャガーの戦士』は遠く離れた地から力のある『精霊の加護を受けた者』を呼び集めて、一大勢力を極秘のうちに作っているらしいんですよ。最近の彼の闘いには、こっそりそうして連れてきた者を使っているとか」

 「他の地域…?」

 三人ははっとした。

 「もしかして、その『ジャガーの戦士』と言う人は、前に『守護精霊の地』にあった『蜘蛛族』を中心にした連合とつながりが…?」

 「彼方の地」ではその連合が、「果ての地」では「黒の組織」を名乗って混乱を引き起こしていたのである。

 「さあ…そんな話は、聞いていませんですけど。わたしもこちら『守護精霊の地』には彼の手が及んでいないはずだから身を寄せたのでぇ。前から仲が悪かったんで…彼とつながりのある人がいるとは聞いていませんねぇ」

 「そうですか…じゃあ、関係ないのかな」

 「それはまだわからんけどー」

 結論は出そうになかった。

 「で、最近わかったんですけど、彼らはどうも『王者』を密かに焚きつけて、ここ『守護精霊の地』を攻めようと動いているらしいんですぅ」

 「何だってえ!?」

 サイキが素っ頓狂な声を出した。

 「わたしは『暦の精霊の地』に戻り、無益な争いが起こるのを食い止めたいんです。みなさん、力を貸していただけませんでしょうかぁ」

 「でも…本当なんですか、その話」

 失礼かとも思ったが、楓はついそう聞いてしまった。正直、この人からしか情報を得ていないので、裏が全く取れていない。

 「まあ、今ここで確実な証拠って出せないんですがぁ…この地に『青い石』を求めてやってくる商人が、最近特に密偵として活動しているのは事実です。こちらの巫術師さんたちに聞いてもらえればわかると思いますよ」

 「は、はあ」

 「あと、わたしが北に逃げたことがわかって…それで彼らの目がこちらに向いた、ってのもあるんですよね、ははー」

 「まるっきりあんたのせいじゃないかっ!」

 「一因ですよ、一つの理由なだけです」

 「くっそー…」

 サイキは歯ぎしりしているが、「祭司」の方が遥かに上手(うわて)だった。

 「お酒を飲んで失敗したのは、今も恥ずかしいんですか?」

 「確かに恥ずかしいですがぁ」

 彼女は照れたように笑った。

 「そんなこと気にしていられませんし。それに、『ジャガーの戦士』の陰謀だってわかりましたからね。恥辱だの何だのって言っていられません、本当に」

 (嘘にもはったりにも見えないわね…)

 少なくとも、彼女が本気であることは確かなようだった。

 「一度は、恥じて逃げ出しました。でも今、この時には戻りたい。一度は逃げたけど、だからこそ今度は立ち向かいたいと思うんですぅ」

 確かな、決意の色があった。

 「…で、俺たちがついて行って護衛するとして、何か俺たちに見返りはあるのか?報酬ぐらいは欲しいけどなー」

 「…『果ての地』で変なことばっかり覚えてくるんだから」

 「『守護精霊の地』の安寧、ってことでどうでしょう」

 「まあそれも大事だけどさ。俺自身には何もいいことないじゃんよー」

 「無事に事を収めた暁には、相場に合った分の食糧などをお届けしますよ」

 脈ありと見て、さらに笑みが深くなった。

 「もうすぐ、わたしの力がまるっきり使えなくなる暦の巡りが来るんです。その前に、帰って彼らを止めませんと」

 にこにこ笑って、そう続けた。

 「どうする?」

 「まあ、お願いされると嫌って言いにくいけどね」

 三人は考えこんだ。

 「お願いしますよぉ」

 (何としてでも、私たちを同行させたいみたいね…何で私たちを)

 特に、自分をついて行かせたいというのが楓には引っかかる。

 (こっちじゃ、私は何の役にも立たないのに)

 行くのが嫌という訳でもないのだが。

 「んじゃ、行くか。いいだろ?」

 サイキが、ごく軽く結論を出した。

 「行ってくださいますか?ありがとう皆さんっ」

 「祭司」がほっとした表情を見せた。

 「やれやれ、こっちでゆっくり休みを楽しみたかったのになー。残念だぜ」

 「あなたは宿題やりたくなかっただけでしょう」

 「持ってきても良かったんだがなー、このサイズじゃ無理だよな」

 にやりと笑って身体の大きさをアピールする。

 「後でちゃんと宿題やりなさいよね」

 「ちぇー」

 「『ちぇー』じゃないっ!…でも、私もまだやってないなあ。早く戻ってこなさないと」

 「ま、予定では十日で帰って来れるんだし大丈夫じゃないのか?」

 「物見遊山に行くんじゃないんだし、気楽に考え過ぎよサイキ」

 不安は尽きない。

 「『護衛する』ってことは、何かトラブルが絶対あるってことなのよ、わかってる?」

 「わかってるけど…俺がついてりゃ問題ないもーん」

 「お気楽なんだからもう」

 そう呟いては見るものの、この男の笑顔を見ていると何とかなる気がしてくるから不思議なものである。

 「大丈夫、楓は俺がきっちり守ってやるからさっ」

 「うん…まあ、そうね」

 楓が苦笑した時。

 「…?」

 まわりの丈高い草が、がさがさと分けられる音がした。

 「誰だっ!」

 サイキが草むらに飛びこみ―

 「ご、ごめんなさい!」

 十歳ぐらいの少年の首根っこを捕まえて出てきた。

 「お前…ジュウじゃないか」

 (そう言えば)

 楓は少年を見つめて思い当たった。

 (はじめてこっちに来た時、いたわこの子)

 好奇心いっぱいの瞳で見つめてくる子どもたちの中に、確かにいたのだ。

 「儀式をやってる時には、近づいちゃいけないって言われてるだろ」

 「ごめんなさい。でも、楓さんが来るって言うんで、どうしても話がしたくって」

 「私!?」

 突然話を振られて、正直驚いた。

 「ぼく、『科学』ってのにすごく興味があるんです!いろんなことを、教えて欲しくってつい」

 「でも、聞いてただろ。俺たちこれから『暦の精霊の地』に行くことになったんだぜ」

 「…はい」

 子どもはうなだれた。

 「ま、そう言う訳だ。残念だろうがしょうがないよなーお前も…一緒にみんなの所に行こうぜ。『祭司』さん、出るのは明日の朝だよな」

 「はいぃ。朝陽が昇る頃ここで」

 確認して、村(テントがある場所)に向かい歩き出す。

 「あの…一つ聞いても、いいですか?」

 思い切って、楓は「祭司」に声をかけてみた。

 「どうぞどうぞ」

 「その、胸に下げている飾りは、どういうものなんですか?」

 「ああ、これですか」

 女性は胸の貝に触れた。

 「これは『羽毛蛇の祭司』の証です。結びあう力の象徴と言われています」

 

 「―精霊の気配がします」

 カノコが足を止め、呟いた。

 「この感じは…」

 言葉を続ける前に、気配の源は一行の前に現れた。

 空色に輝く、流星の姿を取って。

 「『空の狼』…!」

 空色の流星はサイキたちの周りをぐるっと回り、草原に降り立った。光がぱっとはじけ、長身の青年の姿を取る。目元の涼しい、誰もが認めるであろう美形だ。

 「やっぱり…『空の狼の戦士』!」

 カノコが息を呑む。

 「お久しぶりです、先輩!」

 サイキの声音には、隠しきれない興奮がにじんでいた。

 「あの人は?」

 「当代最強の『戦士』と言われている人です」

 楓の問いに、カノコが答えた。

 「でも、この方が来るってことは…」

 「先輩、稽古をつけていただけますか?」

 「ああ、いいぞ。一発当ててみろ。それができたら修行の成果を認めてやる」

 「やったあ!」

 サイキはぱっと顔を輝かせ、進み出た。

 「ああ、やっぱり…この二人の『稽古』って見てて怖いんですよ。サイキが毎回ぼろぼろになって」

 「え…?」

 「―どこからでも来い」

 「狼の戦士」は自然体で立つ。

 「よーし!行っくぜええ!」 

 対するサイキは闘う気満々だ。

 「はっ!」

 鋭く息を吐き、飛びかかる。

 「ぬん!」

 「狼の戦士」はそれを、流れるような動きでかわした。

 「はっ!くっ、はっ、でえいっ!」

 「ふっ…!」

 サイキの拳を、僅かな動きでかわし―

 「ぐっ!」

 その動きのままに、サイキにカウンターを食らわせる。

 「「サイキっ!」」

 何発も、何発も―

 重い打撃が少年の身体に打ちこまれた。

 だが、彼は膝をつかない。

 「もう、少しだ…!」

 「あれ…?」

 楓は、サイキの動きが変わって来ていることに気づいた。

 次第に。

 「何と!?」

 サイキは、「狼の戦士」のカウンターを避けはじめた。

 そして、ついに。

 「くっ!?」

 その左拳が、青年の右肩に届く。

 いつもの重い打撃ではないが、とにかくヒットしたのだ。

 「ほう、一発当てたか」

 「狼の戦士」は、特に痛がっても怒ってもいない口調で続けた。

 「では次の試練だ…私の技を食らって、倒れなかったら認めてやろう」

 「うわ、あれを食らうのか…でもいい!やるだけやったろーじゃん!」

 サイキが元気いっぱいに答える。

 「よし!我に加護を与えたもう『空の狼』よ!その力を、我を介して示せ!」

 「狼の戦士」が吼え、天から光がなだれ落ちた。

 空の色―鮮やかな青い色が、そのまま巨大な狼の姿をかたちづくっている。

 「さあ、我が一撃に耐えられるかな?」

 「畜生、やったろーじゃないか!」

 サイキは叫び―その身体が、銀の光に包まれた。

 「それで耐え抜くつもりか…いいだろう!」

 狼が突進し、巨大な顎で。

 「サイキっ!?」

 彼の身体を呑みこもうとした。

 「サイキーっ!」

 「あれを耐え抜ければ、『勝ち』なんですけど」

 カノコが不安げに説明した。

 「サイキは『銀の鷲』を呼び出さないの!?」

 「これから旅立ちますからね」

 巫女の声音には、緊張がにじんでいた。

 「明日から何があるのかわからないのに、ここで消耗はできません」

 「向こうは呼んでるのに!?」

 「今、サイキは凄まじい圧力にさらされているはずです。牙の直撃こそないものの」

 「そんな!?」

 「うおっ!?」

 その時、狼がいぶかしげに一声唸った。

 「貫けー!」

 「ぐおお…!」

 双方の叫びと共に、狼の顎を貫いて銀の槍が伸びた。穂先となったサイキがロケットのようにぽーんと空中に飛び出し、くるくると回転。勢いを殺しながら、

 「よっ、と」

 草原に、すたっと降り立った。

 「耐えるどころか、破ったか」

 空色の光が、消えた。「狼の戦士」は涼やかに立ち、

 「どうだ、感じ取れたか?」

 「はい!体得したか、自信はない、けど」

 サイキの返事に、笑みをこぼした。

 「今のこと、よく覚えておけ。一度で体得できるとは思えないが、思い返して精進しろよ」

 「はい!」

 「返事だけは無駄にいいな」

 「もちろん、先輩の本気を食らった訳じゃない、それはわかってるけど…でも、何かは掴めた気がするんだ」

 「まあ、今はそれでいい」

 笑って、再び空色の光に身を包む。夕暮れの中をまた流星となって去っていく姿を、一行は見送った。


 「鷲族」のキャンプで、一晩過ごすことになった。

 サイキの帰還を祝い、楓とカノコの来訪を喜んで心づくしの宴が張られる。

 (やっぱり、人情が暖かいところだなあ)

 小さめの(それでも充分大きいが)器を前にして、楓は思う。

 (サイキがまっすぐ育ったのも、わかるよね)

 「あー楽しかったっ!」

 同世代の若者たちとさんざん騒いでいたサイキが、楓の隣にどさんと腰をおろして言う。

 「これで、明日からまた旅して、あの『苦い水』が運ばれてくる元の地に行くんだ。楽しみだなあ」

 「食い気ばっかりね、サイキってば」

 くすりと笑い、彼を見上げた。

 「私は不安ばっかりだけどね」

 「何だよー、行きたいって言ってたじゃないか」

 「それでも、他の地域にこうやって行くなんて普通ないし」

 自分の世界では国境を越えたこともないのに。

 「由布子はあっちこっちの国に行ったって言ってたぞ」

 「あの子の家はお金持ちだから。私の実家は海外なんて家族で行ける訳ないわ」

 父親が出張するぐらいならあるのだが。

 「まあ、異世界に行くだけでも大変なことなんだけどね。由布子とかに言ったらどんな顔するのかなあ」

 その後とんでもなくややこしいことになりそうなので、言わないが。

 「今年は『戦士の長』が祭りの『もてなし役』になったんだってさ。多分今の族長が引退したら、次の族長は彼になるんだろうなって評判なんだって」

 「『もてなした人』になって尊敬を勝ち得た訳ね」

 「で、その次の次の…次ぐらいには、俺も族長になれるかな、って思ってるんだけどさっ」

 この地では、血筋などではなく実力や人柄でリーダーの座を選んでいる。

 「狸の皮算用するのやめなさい」

 「だって可能性あるんだもんなー。俺も早く祭りの『もてなし役』になりたい…『果ての地』の祭りも面白かったし。舞光祭も、こないだの『冬至の祭り』じゃなくて…えーとあれ、何てったっけ楓」

 「クリスマスよ」

 「あ、そうか。でも、『冬至の祭り』だよな」

 「確か、冬至に近い日を選んだんじゃないかって説はあったけどね。お正月だってそうだし」

 そんな話をしながら、二人並んで宴を見ていた。

 

 次の日の、太陽が昇る頃。 

 サイキ、楓、カノコはキャンプを離れ「羽毛蛇の祭司」の元に来ていた。

 「うう、眠い」

 朝に弱い楓は目をこすっている。

 「済みませんねぇ。太陽があるうちでないと、わたしの『力』は使えないもので」

 「祭司」が恐縮した。

 「『力』を使う…?そう言えば」

 楓は前から考えていたことを口に出した。

 「『暦の精霊の地』って、すごく遠いんじゃないですか?そこまで行くとなると、どう考えても十日じゃきかない気が」

 「それは。大丈夫ですぅ。任せてください」

 彼女はにこっと笑って言った。

 (つまり『精霊の力』を使って何とかするってことなのかな)

 好奇心が抑えられない楓の前で。

 「行きますよぉ」

 そう言って「祭司」が手を差し出すと、その手の間にきらきら輝く翠の光でできた球体が生まれた。

 「うわあ…」

 そこから翠の光が、奔流となって天に伸びていく。

 見る見るうちに、端を地面につけた長大な光の道になった。

 「すごいな、どっかのファンタジーみたいだ」

 「あなたのやってることも充分ファンタジーでしょうに」

 「さあ、この『道』に乗ってください。大丈夫ですからぁ」

 「は、はあ…」

 サイキ(肩の上に楓)とカノコが恐る恐る足を踏み出すと。

 「うわっ!」

 すごい勢いで、その「道」の上を身体が滑って行く。

 「大丈夫…?」

 「う、うん。結構しっかりしてるぞ。何て言うか、動く歩道みたいな感じで」

 サイキがちょっとびくびくしながら楓に答えた。

 どんどん地面が遠ざかって行く。

 「ただでも高くて怖いのにー」

 そう楓が呟いた時。

 「待ってくださーい!」

 子どもの声がした。

 「え!?おい、ちょっと待て!」

 サイキの制止も聞かず。

 後方から走ってきた少年が、翠の「道」に飛びついた。

 無理矢理乗ろうとして、転びかける。

 「危ない!」

 あわてて戻ったサイキが、落っこちかけるのを引きずり上げた。

 「もう!どうしてこんな危険なことを!」

 「ごめんなさい!でもぼく、どうしても楓さんともっと話がしたくて」

 ジュウ少年のまなざしは、まっすぐに楓に向けられていた。

 「『科学』についてもっと知りたくて、ついて来ようって決めたんです」

 「『決めた』って言われてもー!」

 「どうする、『祭司』さん?戻ってこの子を置いて来るか?」

 「戻るのはちょっと」

 問われた彼女は眉をひそめた。

 「期限のある旅なもので」

 「じゃあ何で今まで旅立たなかったんだよ!」

 「しばらく『精霊の力』を使えない時期だったんですよぉ」

 「祭司」の弱々しい反論だった。

 「『白の大巫女』さんも他の巫術師さんたちも、あなた方を待って行ってほしいって言ってましたし」

 「だからってこんなハードスケジュールにするのかよ」

 まことにもっともである。

 「ストーップ!今はそういう話をしている時じゃないでしょう」

 楓は内心「もっともだ」とは思うが、割って入って話を元に戻した。

 「この子を連れていくかって話でしょう」

 「そ、そうでしたね。…連れて行きますか?」

 「仕方ないかなあ」

 サイキも渋々認める。

 「ほんとですか?やったあ!」

 不安げにやり取りを見ていた少年は、はじめて子どもらしい表情で飛び跳ねた。

 「お、おい、あんまりはしゃぐと落っこちるぞ」

 「いっぱい話、聞かせてください!」

 「う、うん」

 思わず気圧される楓であった。

 「でも、危なくなったら楓とカノコに引っついてるんだぞ」

 「はいっ!」

 ジュウは元気に返事をしている。

 「色々、教えてください!」

 「う、うん」

 返事をしながらも、楓は考えてしまう。

 (教えて…いいものかしらね)

 それが全て「正しい」ものなのかどうか。

 (…私が色々教えていくことで、こっちにも科学文明がどんどん取り入れられるようになって…)

 そうなったら。

 (サイキたちの、精霊から力を借り受ける文明が、呑みこまれていくかもしれない)

 それが良いことなのかどうか、楓は考えこまざるを得ない。

 (…まあ、話して聞かせるぐらいなら、いいよね)

 そう考えることにした。

 (樹さんの話だと、この子は『果ての地』に行けない…行ったとしても『擬体』には入れないはずだし)

 話して聞かせるぐらいなら、科学が主流になる所までいかないか、と思うことにした。

 「にしても…」

 あらためて、あたりを見回すと。

 とんでもない速度で移動していることに気づいてぞくっとする。

 風圧がひどくないか、と思わずサイキの肩にしがみつくが、僅かな気流しか感じないことに気づいた。どうやら空気がカプセル状に皆を包んでいるらしかった。

 (空気を…『風』を操っているのかも)

 かつて「風の精霊」の加護を受けた者と闘ったが、この「祭司」は同じような力を持っているのかも知れなかった。

 それにしても。

 「こ、怖い…っ」

 楓にしてみればロケットの上に座っているようなものである。

 「大丈夫、落っこちたら俺が追っかけて受け止めてやるからさ」

 不安に気づいたサイキが声をかけてくる。

 「うん」

 信用はしているが、やっぱり怖いものは怖い。サイキの服をきつく握りしめるしかなかった。

 

 第二章 嫌われまくりの馬鹿もいる

 

 「疲れた…」

 肩に座りっぱなしというのも、結構くたびれる。楓は身じろぎした。

 「俺だってこう立ちっぱなしじゃあな…もう夕方だし」

 「じゃ、あそこの村で泊めてもらいましょう。下りますんで気をつけてくださいねぇ」

 「祭司」がそう言うなり、「道」はすうっと下がりはじめた。

 「便利なんですね」

 「今、わたしの使える『精霊の力』は上昇期ですから。かなりのことができますよ。…直接闘うことはできませんがぁ」

 「ま、こうやって移動するより、俺が『憑依』して飛んでく方が速いけどなー」

 「対抗意識出さないでいいから。第一、速いことは速いけどすぐにパワー切れでへばっちゃうでしょうに、あなた」

 「う…それはまあ、そうなんだけど」

 そんなやり取りをしている間に、「道」が地面に接している地点に一同は着いていた。すぐ近くにはテント村がある。

 「おお、客人か」

 下ってきた「道」に気づいて、村長らしき壮年の男性が近づいてきた。人々がその後ろでこっちを見ている。

 「はい、一晩宿をお願いしたく…これが謝礼の『苦い豆』です」

 「これは有難い。どうぞこちらへ」

 「祭司」が小さな袋を手渡すと、村長は村の中に案内してくれた。

 「―何か、敵意を感じます」

 カノコが眉をひそめて囁きかけてきた。

 「俺たちに?歓迎されてる気がするけどなー」

 「みんな、態度に出しませんけど…薄い敵意が」

 「…漂ってます、ねえ」

 「祭司」もうなずいた。

 テントに通されたが、一同何となく落ちつかない。

 「確かに、空気のどっかに…何か嫌な気配を感じるよ」

 「心の底からは歓迎されていない気はするわね」

 「まあ、『都』を良く思っていない人もいますしね」

 「偉そうにしてるって聞くからなー」

 「わたしを見れば『都』の者だと丸わかりですもんねぇ」

 「一応聞くけど、夜は進めないのか?」

 「わたしの守護精霊(ナワル)は、夜には力をほぼ失うんですよ。『黄金のジャガー』が夜の太陽なのに対応していまして…それにいかに上昇期にあってもやはり消耗はしますし」

 「休まないと駄目なんですね」

 「泊まるしかない、か」


 取り付く島もないといった様子で出された夕飯を食べて。

 「これで、一日が過ぎましたね」

 「祭司」は、折り畳まれた紙でできた文書を引っ張り出して何か調べている。

 「それ、何ですか?」

 「暦です。『暦の精霊の地』に伝わる…わたしの故郷では、何事も暦にのっとって決められるんですぅ」

 「いつ何をする、とかも?」

 「ええ。生まれた日で名前を決めたり、運勢を占ったりしますよ」

 「じゃあ、悪い運勢の日に生まれちゃうとどうしようもないってことですか?」

 「そういう場合は、他のもっといい日に生まれたことにして名づけの式とかやってもいいんですよぉ。誰も困りませんから問題ありませぇん」

 「融通がきく暦ね…」

 「日食や月食の周期もこの暦でわかりますよ。で、暦によるとわたしの力は、あと七日で最高潮に達し、その後ぱったり使えなくなります。今しかないんです」

 「何だよ、めんどくさいなー暦で色々決まってるのって。俺んとこの守護精霊は年中無休だぜっ♪」

 「これでも結構役に立つんですよぉ」

 「祭司」が苦笑した。

 「色々な精霊の日が決まっていて、予定が立てやすいですしね。月ごとにお祭りもできますし」

 「あ、お祭りいいな。こないだの舞光祭も楽しかったんだぜー」

 「…私は恥ずかしかったけどね」

 「わたしも、あんなに楽しいものとは思いませんでした」

 ぽそりと呟いた楓には気づかず、カノコが目を輝かせて話に乗ってくる。

 (…ま、楽しかった、けどね)

 「恥ずかしい一件」の後の思い出をたどって、楓は一人にやにやした。

 その間にも、サイキと「祭司」の暦談義は続いていた。

 「そうは言っても『鷲の戦士』よ…」

 「その呼び方やだなあ。名前で呼んでくれよー」

 「しかし、無闇に本名を呼ぶのは『守護精霊の地』でも失礼にあたるのではないですか?」

 「そうだけどさ。でも俺、あっちの世界では本名で呼ばれないから、『彼方の地』に戻った時ぐらい本名で呼ばれたくて」

 「そうですかぁ」

 暦片手にうなずく彼女の手元を見て、楓ははっとして尋ねていた。

 「この文字…『月』って言う意味じゃありません?」

 「わかるんですか?」

 「『守護精霊の地』の文字や、古代文字に似たような字があったんで」

 「さすがですね。この暦は、読みこなせる人がそういないぐらいなのに」

 「えへ」

 素直に褒められ、悪い気はしない。

 「何、これ…端っこに『嫌だ』って書いてありますけど」

 「ああ、それ。修行している時に文字について良く知らない人にとっ捕まって、『とにかく何でもいいから書いてくれ』ってやたら偉そうに言われたんです。で、どうせ読めないからってこう書いてみせたら喜ばれたんですよぉ」

 「そうなんだー」

 「ええ、何と言うか…話の噛み合わない人でしたねぇ。異邦の方らしかったんですけど」

 「そうなんですか…うん、読めるわこれ」

 小さな楓は暦をよじ登りそうになりつつ読んでいる。

 「やっぱり…この暦の文字も、基本的には古代文字と同じつくりだわ。同一の意味でもいろんな書き方がある所とか、よく似てる」

 「わかるんですか…昔のことに詳しい人でも、難しいというのに」

 「たぶん、ですけどね」

 楓は少しずつ調べたことが役に立ったな、と思う。

 「すごいですね、楓さん…感心しました」

 素直な賞賛が、心に染みた。


 宿で一晩過ごし、次の朝。

 一行は太陽が昇るのと同時に出発した。

 「やっぱり見送ってくれないなあ」

 「『苦い豆』でお礼はしたんですけどねぇ」

 翠の「道」を、結構な速さで進んでいくと。

 「なーんか、下からぎんぎんに敵意が伝わってくるんだけどさー」

 お昼も過ぎた頃、サイキが下を見て唸った。

 「『精霊の力』も感じますね。どういうものなのかは、わかりませんが」

 カノコも賛同した。

 「いえ、わたしには覚えがあります。これは…『赤き犬の案内者』の気配ですねぇ」

 「祭司」が呟いた。

 「じゃあ、一旦下るか。ここで攻撃されたらえっらいことになるからなあ」

 「そうですねぇ」

 「祭司」がうなずき、翠の「道」がすうっと下り出した。

 降り立ったのは、草原がまばらになって赤茶けた荒野になりはじめた地面だった。

 そこに立つ、一人の男。

 赤褐色の肌をさらし、槍を手にこっちを睨んでいる。

 「待ちかねたぞ、『翠の羽毛蛇の祭司』!」

 呼びかけてきた。

 「おとなしく引き返せばよし、さもなくば捕えて『黄金のジャガーの戦士』さまに引き渡すのみ!」

 「まためんどくさい奴が来たー」

 「あなたは、わたしに仕えていたはずでは?」

 「祭司」が呻くが、

 「『ジャガーの戦士』さまが引き抜いてくださったのだ!」

 「犬の案内者」は胸を張った。

 「こちらの方が条件が良かったのだ!」

 「…何か、放っといてもいいような気がしてきた…」

 「あ、こら!逃げるなーっ!」

 何か、見るからに小物っぽい雰囲気をまとっている。

 「今日は俺の『暦の巡り』が最高潮の日!お前らなどには負けないのだ!」

 「あー、そうかいそうかい」

 サイキはあくまで呑気に構えている。

 「大丈夫なの?」

 「うん、そんなに強くないぜこいつ」

 「言ったな!お前言ったな!ならばその身で確かめるがよい!」

 叫んで男は拳を天に突き上げた。

 「来たれ、我が守護精霊『赤き犬』よ!」

 赤い光が降り注ぎ、地上で膨れ上がり―姿を現したのは。

 「ふはは、どうだ!我が守護精霊は!」

 楓は思わず呟いていた。

 「いや、これって…確かに『犬』は『犬』だけど」

 大きくて丸い頭に、短い足とぷっくりした胴体、光の欠如で表された目も心なしかうるうるして見える。

 ―どう見ても、一時期『果ての地』でもものすごく人気があった可愛らしい小型犬の姿である。もちろん巨大なのだが、あまりにも頭身が寸詰まりでプレッシャーに乏しいことこの上ない。

 「すっげー!可愛いな、お前の守護精霊!」

 サイキが大笑いした。

 「わ、笑うな!この姿を笑うなあっ!」

 結構気にしているらしい。

 「そんなこと言ったって、ほんとに可愛いんだから仕方ないじゃんよー。それにしても怖くもなんともないな、負ける気しないよ」

 緊張感なく言い放っている。

 「でもまあ、さすがに生身じゃきついし…呼んどくか」

 面倒くさそうに呟いて、彼は守護精霊を呼び出した。

 「なめおって!俺は案内する者だ。しかし、案内するに足る資格を持つか持たぬかを判別する必要があるぞ、『鷲の戦士』よ」

 「ほー、どうやって判別するんだ?」

 「俺を倒して見せよ。それが資格だ!」

 「わかりやすくて良し!行くぜー!」

 「サイキ、気をつけて!変な技持ってるかもしれないし!」

 楓の声に、大鷲は軽~く答える。

 「大丈夫だって。俺こんな奴に負けないもーん」


 …そして、その通りになった。

 「…きゅう。敗北…」

 赤の輝きもきれいさっぱり吹き飛んだ「犬の案内者」が、いかにも犬らしく(人間なのに)ひっくり返って腹を見せている。

 「恥も外聞もない降参のポーズね」

 「こいつ、どうする?」

 「このまま転がしておくのも困りますしぃ。連れていくのがいいかと」

 「そうね、わたしたちの案内をしてもらおう」

 楓がうなずくと、サイキは男を引きずり上げた。

 「さーて、負けたら俺たちの案内してくれるって言ってたよなー」

 「は、はい」

 がっくりと肩を落とし、震えながら「犬の案内者」は答えた。

 (サイキ、強くなったなあ)

 「案内者」を縛り上げるサイキを見ながら、楓は一人考えていた。

 (やっぱり、『果ての地』にいるのが、負荷がかかって修行になってるみたいね。…何か、どんどん先に行かれているみたい)

 特にこちらの世界に来ると、そう感じざるを得ない。

 (私、こっちじゃただの足手まといだもんね)


 「あーくたびれたー。ゆっくり休みたいよ」

 「道」にもどってすぐ、サイキは文句を言い出した。

 「次の村まですぐです。日のあるうちに着きましょう」

 「祭司」の言葉に応じて、翠の羽毛がより速く一同を運んで行く。

 日もとっぷり暮れた頃、ようやく村にたどり着いた。

 「一夜の宿をお願いします。これ、『苦い豆』です」

 「……」

 どこかよそよそしい雰囲気が、やはり漂っていた。

 「あと、こいつにも何か食わせてやってくれ」

 ぽん、と縛り上げられた「案内者」を放り出す。

 「これは…!」

 その場にいた人々が目を丸くして驚いた。

 「こいつをやっつけたんですか!?あなた方が?」

 「ああ。その分くたびれたけどなー」

 サイキは首をこきこきと回して、にやりと笑ってみせた。

 「せ、『精霊の力』は打ち砕いてあるのですか…?」

 「ああ、大丈夫。向こう一ヶ月は常人と変わらないぜ、こいつ」

 (そうか、この村の人に『精霊の力』がどうなっているのか感じ取れる人はいないんだ)

 「この『赤き犬の案内者』は、先日までこの村に居座っていたのですじゃ」

 人々は口々に訴えはじめた。

 「どうやら、わたしを待ち伏せしていたみたいですねぇ」

 「その間好き勝手やられたんじゃあ」

 「止めようにも我らの村には『加護を受けた者』がおらず…」

 「もてなせと見返りもなしに長逗留するわ、しまいにはうちの娘を差し出せなどとやりたい放題だったのだ」

 「加護を受けた者」同士では実力差はあっても、一般の人々にとってやはり、精霊の加護があると言うだけでも圧倒的な脅威なのである。

 「嫌ですよお、あんな奴の相手するの」

 「他の村でもやりたい放題だったと聞くぞ」

 「そうか、『祭司』さんはちゃんと謝礼を払ってたもんな」

 「おまけに、こいつの連れてきた商人たちがまた好き勝手やっていて」

 「後ろにこいつがいるとなると手出しができず」

 「それを叩きのめしてくださって…溜飲が下がりましたよ。いや、本当にありがとう」

 礼を言われるのはいいが、放っておくと「案内者」を袋叩きにしそうな勢いで怒っていた。

 「そう、あなた方は大きな顔をしないようだ」

 村長らしき人が、はじめて心からの笑顔を見せた。

 「あなた方は信用できそうだ」

 「なるほど…前の村でも、この人が恨まれていたってことね」

 「それで、わたしたちも同類だと思って薄い敵意が」

 カノコが楓の言葉にうなずいた。

 「このあたりの村に、もう心配しないでいいって伝えます!本当にありがとうございます」

 「い、いや…その、はははー」

 村の人々のために倒したのではないのだが…こう開けっぴろげに喜ばれると、笑うしかない。

 「まあ、これで敵意は持たれなくなりますねぇ」


 かくして。

 下にも置かぬもてなしを受け、一行は人々に見送られて南への旅を続けたのであった。


   第三章 ちょっかいかける馬鹿もいる


 翠の道は、空にどこまでも続いている。

 「こんな凄いことができるなら、戦闘なんてちょろいもんじゃないかって思うんだけどなあ、『祭司』さん」

 「それが本当に、からっきしでして」

 「祭司」は苦笑した。

 「でも本当に、凄いですよね」

 なまじの鉄道より速そうである。

 「でも、その『都』への最短コースは取っていないみたいですが」

 「空を旅していると言っても、夜は休まないといけませんからねえ」

 優しい目で、「祭司」は楓の質問に答える。

 「夜休める所、宿場があったりする場所をつないでいくルートを選んでいます」

 「…大体この辺が、『守護精霊の地』と『暦の精霊の地』の境界ってことになってるな」

 サイキが下を大雑把に示して言った。

 「と言っても、『果ての地』の国境みたいにきっちり決まってはいないけど」

 「ゆるやかに変わって行く感じですね」

 「パスポート見せたりする訳じゃないものね」

 「ここから南に向かうにつれて、少しずつ『都』に貢物を持って行く集落が増えていく感じですかね」

 「祭司」が口をはさんだ。

 「そうなんだ。…他の国、じゃなくて地域に入るのね。うわー、こんなのはじめて」

 自分の世界では国境を越えたこともないのに。

 「何かどきどきするなあ」

 「何だよー、『暦の精霊の地』に行きたいって楓言ってただろー」

 「そりゃ『行きたい』って言うのは自由だもん。それと実際に行くのは大違いだよっ」

 そんな会話を賑やかに交わしながら、一行は進んでいった。


 「そろそろ夕暮れですね…少し早いですが、今晩はあの交易所で泊めてもらいましょう」

 そう「祭司」が言って、荒野に立つ土造りの建物を示した。

 「交易所?」

 「あそこで『守護精霊の地』と『暦の精霊の地』の商人が取引などをするんです。旅人が泊まったりもできますしね」

 「もちろん直接売りに来る気合の入った商人もいるけどなー」

 そんなことを話している間に、下っていた「道」は地面に着いた。

 「ここの管理人がいる筈なんですけどぉ」

 分厚い壁に切られた戸口をくぐると。

 「うわ、あったかい」

 外はけっこう冷えこんでいるというのに。

 「近くの温泉を引いてきて、床下に流しているそうですよ」

 「あの厚い壁は、防御じゃなくて断熱のためなのね」

 体感温度がまるっきり違う。

 「夏は逆に涼しくていいんですよねぇ」

 そう「祭司」が笑った時。

 「おきゃくさん、おきゃくさん」

 けたたましい声に迎えられた。

 赤、青、黄の派手な鳥が飛んで来て椅子の背もたれに止まる。

 「イ、インコか…びっくりしたあ」

 「うわー、こんなのいるんだ」

 「『都』よりもっと南の地から、運ばれてくるんですよ」

 「けっこう広範囲で交流があるのね」

 「可愛いなあ」

 「そうかな…」

 楓のサイズだと、可愛さより恐怖を感じる。

 「何だよ、怖いのかー?鳥嫌いだったっけ」

 「苦手でなくても、この大きさは怖いのよー!」

 コンゴウインコのサイズを約五倍にして欲しい。

 「ほーれ、怖くない怖くないー」

 サイキはひょいと楓を持ち上げ、インコの嘴に届くか届かないかの所で揺する。

 「あそぼ、あそぼー」

 インコはふざけてくわえようとする訳で。

 「やだ!ちょっと、止めてよっ!」

 じたばたもがいて逃げようとする楓に、みんな笑い出した。

 「ほら、大丈夫だって。そんなに怖がるなよー」

 「そう思うならあなたもこんな思いしてみなさいよ!」

 サイズが小さいからと言って、おもちゃのように扱われたくない。

 「全くもう!」

 「ごめん、ごめん楓…悪かった」

 むくれる少女に、これはやばいと感じてサイキはあわてて謝った。

 「次やったら本気で怒るからね、サイキ!」

 「もっとあそぼーよー」

 「遊ばないっ!」

 インコ相手にむきになる楓であった。

 そこへ。

 「待たせたな。済まない」

 ぼそりと言う、男性が奥から出てきた。

 「ごーはーん!ごーはーん!」

 とたんにインコが騒ぎ出す。

 「ちょっと待ってろ、ナナ…お客さん、ようこそ。…と言っても商人ではなさそうだな。そちらの方は前にいらっしゃったか」

 「ええ、やっと戻れることになりましたぁ」

 「祭司」はにっこり笑って挨拶している。

 「ここの管理をしている方ですか」

 「そう、維持管理をしている」

 男性は答えた。そういう職業にしては無愛想な気もするが、まあそういう人もいるか。

 「ごーはーん!ごーはーん!」

 その隣ではインコが餌をねだっている。

 「こら、静かにしなさい」

 うるさいったらありゃしなかった。

 「まあ、今晩はここで泊まって行ってくれ。夜は動けないと聞いている」

 「鳥目なものでしてねえ」

 「祭司」が笑う。

 「ごはん、ごはんー」

 「わかったわかった。今餌やるから」

 向日葵(ひまわり)の種なんぞをやりながら、管理人は苦笑した。

 「じゃあ、ごゆっくり」

 何か支度があるのだろうか、彼は奥に引っこんだ。

 「…あら?」

 「どうしたの、カノコさん」

 「いえ、ちょっと」

 カノコは、管理人の後ろ姿を見つめていた。

 「どうした?」

 いえ…何でも。多分、気のせいだと思ううですけど」

 首を振りながら、彼女は扉から視線を外した。

 そこへ、ひょいと顔を見せた男が一人。

 「やあ、久しぶりだね」

 「あ、兄さん」

 「ロクさん!」

 そう、カノコの実兄にして「鹿の戦士」ロクが顔を見せたのだった。

 「こんな所に来てたんですか?」

 「ちょっと用事があってね」

 青年はにっこり笑って答えた。

 「大丈夫なんですか?こんなに『鹿の部族』を離れて」

 「まあ大丈夫だろう。…君たちのおかげで、ね」

 「は?」

 きょとんとする一同に、ロクはくすりと笑って続けた。

 「君たちが『蜘蛛族』の連合を潰したからね」

 「あ、そういうことか」

 「あれでこっちも平和になってね。いや、助かったよ。僕は正直戦闘は得意じゃないし」

 「(コー)も投降しましたしねえ」

 (ウー)に最後まで従っていた巫術師も、ついに降伏したのだ。

 「それでこんな遠くまで足を伸ばせるんですね」


 夕食は、ロクも交えて楽しく進んだ。

 「…これが、『ジャガーの戦士』の能力です」

 ここ何晩か、「祭司」は一同に「ジャガーの戦士」についての情報を解説している。

 「でも、わたしにわかるのは彼自身の能力についてだけで。密かに集めていると言う異邦の『戦士』についてはさっぱりなんです…う」

 「直に見たことはないの…です、か」

 「はいぃ。そもそも噂でしか知らないのですよ。ただ、全く未知の力を振るう者たちが現れたってだけで」

 「どうやって集めたのかも」

 「どんなのが何人いるかも、わからないんだなー」

 「す、すみません」

 「祭司」が小さくなった。

 「ま、大丈夫だよ。俺がやっつけてやるって。今までもやってきたみたいにさ」

 「根拠のまるっきりない自信ね」

 「だって今までだってそうしてきたしー」

 事実であった。

 「とにかく、わたしに言えることは『ジャガーの戦士』に対抗できるのは、わたしだけだってことです。無益な争いを止めたい、そのためにどんな妨害があろうとも『都』に戻りたい…それだけです」

 「…」

 料理を出しながら、管理人はそれを聞いているらしかった。

 その一方で。

 「…『科学』って、どういうものなんですか?」

 移動中にはあまり喋らないジュウ少年が、楓を捕まえて質問している。

 「物が落ちるのはなぜか、とか考えたことある?」

 「それはだって、落ちるのが当り前で」

 「そこを『どうしてか』考え、法則をつき止めるのが『科学』って言うものよ。考えてみて」

 (あんまりいい教え方じゃないかも)

 そうは思いつつも、楓はジュウに説明し続ける。

 (…でも)

 ―考えてしまう。

 果たしてこの「彼方の地」と、自分の世界「果ての地」が交流していって本当にいいのかと。

 (これで、もっともっとあちらの物や文化がこっちに流れこんだら…今の日本みたいになってしまうのかも)

 それがいいことなのかに、疑問を感じざるを得ない。

 (止めた方が、いいのかもね…)

 そこまで考えて、楓の思考は途切れてしまう。

 自分がそんなことを考えてどうなると言うのか。

 そもそも、楓自身に今の状況に口を出す権利などない。

 自分がこの一件に関わったのは、たまたまサイキが「門」をくぐった所に居合わせたのがきっかけで。

 関わり続けていられるのは、アルバイトとしてサイキの―「天野あやめ」の世話役をしているから、だけで。

 サイキがどう考え、これから二つの世界の行く道の選択をするにしろ、口出しする立場になど。

 (私は、立っていない)

 そう思うと、何故か悔しい。

 「…あの、楓さん?」

 「あれ、私…」

 どうやら、説明の途中で考えこんでしまったらしい。

 「なー、もういいだろ楓?外の空気でも吸いに行こうぜ」

 サイキが騒ぎ出した。

 「い、いいけど…ジュウくん、ごめんね」

 「いえ、また話聞かせてください」

 子どもは笑って答えた。


 二人で交易所の外に出た。

 「うわ、すごーい…」

 星月夜。

 そう表現できる、豪勢な夜空だった。

 人工の光で弱められた、「果ての地」の都会などとは比べものにならない。

 月があるとはいえ、降るような星々。

 柔らかな光を放つ満月。

 「きれーい」

 「な、きれいだろ?」

 サイキはやたらと弾んだ声で話しかけてきた。

 「うん、それはそうだけど」

 何で彼が手を楓の後ろに回そうとしてじたばたしているのかは、知らないが。

 (私、肩に座ってるのに)

 そう思った時、周りの空気が()()()()

 圧倒的な殺気が、月の輝きさえ薄れさせる。

 サイキも身を固くして叫んだ。

 「何だ、この気配は!?」

 「あ、あれ!」

 交易所の建物が、黒々と影を落としている…その中に輝く、黄玉(トパーズ)色の瞳。

 「俺にしっかりつかまってろ」

 楓に手をやるサイキに、

 「よくぞ我が隠身を見抜いたな」

 重々しい声がかけられた。

 「へっ、これだけ殺気を放ってたら誰だって気づくさ」

 軽口に聞こえるが、彼に油断はない。

 闇から滲み出るように―

 漆黒のマントをまとった、長身の男が現れた。

 「はじめて会うな、『鷲の戦士』。儂が、『ジャガーの戦士』だ」

 「お前が…!」

 身構えるサイキだったが、

 「直々にお出ましとはな!でもチャンス!ぶっ飛ばして『祭司』さんが安心して帰れるようにしてやるぜ!」

 もう彼は闘う気満々だ。

 「やってみろ、できるものならな…!」

 男が手をばっと振ると、そのマントから闇が広がり二人を包みこんだ。

 「きゃあっ!」

 「楓、しっかりつかまってろ!」

 気がつくと、あたりは闇一色に塗りつぶされ、天には金色の星々が散りばめられている。

 (()()の…星?)

 その状況に楓が恐怖を覚えた一瞬後、

 「行け!」

 男の声が聞こえ―それに呼応して金色の星々が光の矢になって雨あられと降り注いできた。

 「のわあああ!」

 サイキは全身に銀光をまとい、矢の何本かを叩き落とす―が焼け石に水、何本かは身体に突き刺さった。

 「うあああああ!」

 痛みに声を上げながら、

 「楓、大丈夫か?」

 サイキは身体を丸め、楓をその中にかばっていた。

 「サイキ!私はいいから自分を守って!」

 「馬鹿言うなよ!こんなの一発食らったら、楓なんて木っ端みじんに砕けちまうぜ」

 全身で楓をガードしつつ、彼は激しく怒鳴り返した。

 「でも!」

 自分をかばって、彼が傷ついている。それが、何より辛かった。

 「それより、ここから逃れる方法を考えてくれ!」

 「わかった!…確かこれ、『祭司』さんが『四百の星々』って言ってた…内側からしか破れない技だって!」

 「『夜の太陽』たる『黄金のジャガー』が従えてる夜空の星々でもって攻撃する技だって言ってたよな!破れるとしたら…痛てて、何だっけ楓」

 さすがに苦痛で頭が回らないサイキに代わり、かばわれている楓は必死に頭を巡らせた。

 「た、確か…『ジャガーの眼』を狙えって言ってたよ!『戦士』の本体は『外側』にあるけど、必ず中を見ている『眼』があるはずだって」

 まわりの闇を見回す楓だったが、

 「ふはは、見抜けるものか!」

 勝ち誇った「ジャガーの戦士」の高笑いが、空間に響いていた。

 「我が『眼』を見い出すことなど、できる訳がない!」

 (落ちつけ、落ちつけ…!)

 忍び寄る恐怖をこらえ、必死で目を凝らす。

 「…あれ!」

 黄金の星々の中に、僅かに輝きの違う―黄玉(トパーズ)色の輝きを放つ二つ並んだ「星」。

 「あそこからだけ、光の矢が降って来てない!」

 「―あれだ!あれが『ジャガーの眼』…奴のこの状態での弱点だ!」

 サイキが、右手で楓を守りつつ左手から銀の光条を放つ。一本が片方の「眼」に突き刺さった。

 「ぐわあああっ!」

 絶叫が天空いっぱいに響き渡り―空間がぐにゃりと歪んだ。

 闇が消え去り、目の前には右目を押さえた「ジャガーの戦士」が、憎悪の表情を浮かべている。

 「我が『四百の星々』を破るとは…!」

 「どうしました!?」

 そこに「祭司」たちが駆けつけてくる。

 「『ジャガーの戦士』さま、お助けを!」

 縛られながら、「犬の案内者」も必死で走って来ていた。

 しかし。

 「この礼は、させてもらうぞ…!」

 「戦士」がマントを翻すと、その背後にもやもやと煙が湧き上がり―その身を隠す。

 「あ、こら!待てっ!」

 異変に気づいたサイキが飛びかかった時には、闇に溶け込むように「ジャガーの戦士」の姿は消えていた。

 「どうなってんだ…!?]

 「ああ、置いてかないでくださあい!」

 「案内者」も飛びつくが、すでに影も形もない。

 「見捨てられたか?」

 「うう、次こそは救出してくださあい」

 「それより、大丈夫ですか二人とも?」

 「ん?ああ、かすり傷だよこんなの」

 「いきなり二人の気配が消えて…その後知らない気配が湧き上がって」

 カノコは真っ青になっていた。

 「すごく心配したんですよおっ」

 「『ジャガーの戦士』の気配は、完全に消えてますねぇ。彼には、空間を移動するような能力はないはずですが…おかしいですね。これは調べてみないとぉ」

 「祭司」が、微妙に気が抜ける口調ではあったが、きっぱりと言った。

 「まだ心配ないと思っていたのに、まさかこんな所で攻撃してくるとは」

 「ああ。対応策聞いといて正解だったぜ」

 「あれが、私たちが敵に回している『戦士』なのね」

 楓はぶるっと震えた。

 「すっごく強そうだなー。うん、わくわくしてきたぜ」

 「サイキってば、もう」

 少し、恐怖が薄れた。


 次の日の朝。

 「あー」

 交易所の男性用寝室から出てきたサイキが、頭をぼりぼり掻きながら呟いた。

 「テストを受ける夢見た…しんどかったー」

 「『果ての地』の夢見たにしても変な夢ねえ」

 先に出て来ていた楓が笑う。

 「二学期の期末テスト、きつかったもんなあ」

 思い出したらしく、彼は震え上がっている。

 「情けないわね、『戦士』だとかってかっこつけてる男が」

 「戦闘の怖さよりテストの方が怖いぜ、俺は」

 「わたしも、あれは辛かったです」

 楓と一緒に身支度をしていたカノコが、続けた。

 「さすがにあの時『先読みの力』を使うのは反則だと思いましたんで必死で解きましたが、難しくて」

 「帰ったら、一緒に宿題やろうね」

 楓が一方的に教えることになりそうだが。

 「いつも通り、指導はするけど代わりにやったりはしないけど」

 「わたしも『果ての地』に行ってみたいものですねぇ。色々と学べそうです」

 「祭司」が近づいて来て言った。

 「大変なことも多いけどなー」

 サイキがうーんと伸びをした。

 「それでも、行ってみたいですよぉ」

 彼女は好奇心いっぱいの目をして続けた。

 「でも、『都』にいないといけないんじゃないですか?」

 「ああ、そうですね…忘れてましたぁ」

 「俺たちがこっちに来てるのも、あんたを無事に『都』に帰すためじゃないかー」

 まことに呑気な話であった。

 「仕方ないです…帰ります、ちゃんと」

 そんな会話をしながら旅立とうとする一行に、管理人が近づいた。

 「『祭司』殿」

 「は、はい?」

 あらたまった口調で声をかけられ驚く彼女に、彼は続けた。

 「争いを止めるため、戻ると言うのか」

 「はい」

 「祭司」は戸惑いながらもきっぱりと答え、うなずいた。

 「…そう、か」

 「どうかしましたかぁ?」

 「いや、いい。成功を祈っている」

 「はい、ありがとうございます」

 驚きつつも彼女はそう答えて、「道」を天に伸ばした。

 「じゃ、行きますよぉ」

 去っていく一同を見送り、管理人は振り返った。

 「ナナよ」

 「なにー?」

 インコがぱたぱたと飛んで来て、肩に止まる。

 「どうやら我々も、旅立つことになりそうだな」

 肩の鳥を見やって、彼は言う。

 「うん、いこー。なながんばれるよー」

 嬉しそうに羽ばたいて、インコは答えた。


   第四章 のんびりしてる馬鹿もいる


 「すごい、峡谷だね」

 楓が怖々下を覗きこんで呟いた。

 そう、今「道」の下は深々と切れこんだ峡谷になっていた。

 「でっかい谷だなあ。『守護精霊の地』にもでっかい谷があるけど、こっちとどっちが大きいかなー。ま、ここを歩いて越えるんじゃなくて良かったよ」

 巨大な山岳地帯が、峡谷によって大きく分断された光景を、「道」は越えていた。

 「ちょっと、あんまり身を乗り出さないでよ」

 あまりにもしげしげと下の景色を見ているサイキに、肩の楓が文句を言う。

 「お、楓怖いのか。ほれほれ」

 「や、やめてよっ」

 遥か下に見える谷底に向かって肩を傾ける男に、思わず悲鳴を上げてしまう。

 「心配するなよ、落っこちたら俺が捕まえるからさ、『一部召喚』で翼生やして」

 「そ、それはできるってわかってるけどっ」

 「ならいいじゃんかー」

 「いちゃいちゃ…じゃない、じゃれないでくださいっ」

 赤褐色の肌をもっと赤くして、カノコがサイキの腕を引いた。

 「やりたくてやってる訳じゃないわよ!それにしてもすごい谷ね」

 サイキの肩にしがみつきながら、楓がそっと下を見たその時。

 「あれ?あそこで人が争ってる」

 そのサイキが斜め前の谷の淵を指差した。

 「そうかな?遠くて良く見えないけど」

 「何か大勢の人が、二人だけを取り囲んでて…助けなきゃ!」

 「では、『道』をそっちに向けましょう」

 「祭司」がそう言うと、翠の道がすっと下がって行く。

 近づいて行くと、よく日に焼けた老人を後ろにかばいながら、同じく日焼けした一人の若者が銛を振るって大勢の兵士たちと闘っているのが見えてきた。

 「先に行くぜ!」

 サイキは待ちきれなくなったらしく楓をカノコに預け、背に銀の翼を生やして道の外に飛び出した。そのまますーっと滑って行く。

 「大勢で襲うなんて卑怯だぞ!お年寄りもいるのにっ!」

 「うわあっ!」

 二人を襲っていた兵士たちはサイキを見て、大慌てでそちらに向けて武器を構えようとした。

 「あれは、『仙人掌の都』の兵士です!」

 その服装や武器を見た「祭司」が声を上げた。

 「本当ですか?」

 「間違いありません!」

 「まあ、『都』の兵に追われてるからって、私たちの味方だってことにはならないけどね」

 他の可能性だってある訳だし。

 「でもできれば、助けて欲しいですがぁ」

 そんなことを話している、間にも。

 「な、何だ貴様はっ!」

 「お前らこそ何だよっ!」

 兵士たちは上からの攻撃はさすがに予想外で、相当焦っていた。「一部召喚」をして見せているのだから、強力な「加護を受けた者」なのはわかる訳で。

 「行くぜ!」

 翼の一打ちで、兵士たちはころころ転げてしまった。

 …何か助けようとしている筈の二人連れまで転がっているが、まあいつものことである。

 「よーし、俺が相手だ!」

 サイキは地面に降り立ち、槍を構えた。

 「う、う、う…」

 明らかな実力差を感じ取って兵士たちは後ずさりする。

 「な、何奴!」

 「隊長!『鷲の戦士』です!」

 動揺する隊長に、部下が声を上げた。

 「おのれ…退け!我らの敵う相手ではない!」

 その一言で、右往左往していた兵士たちはついにわっと逃げ出した。

 そのあたりで「道」が近くの地面に着いた。

 「『都』の兵が何故こんな遠方まで出張って来てあの人たちを追っていたかは、わかりませんがぁ」

 その間に、サイキは二人に駆け寄っていた。

 「おい、大丈夫か?」

 「…最後のダメージはあなたが転がしたせいだと思うけど…」

 「いや、助かったのでござる」

 転がされたのは忘れることにしたらしい。若い方が深々と頭を下げた。

 「拙者は『大いなる海の戦士』、こちらの方は『大いなる海の語り部』さまなのでござる」

 「『海の語り部』じゃ。よしなに」

 がらがら声で名乗り、老人は一礼した。

 「拙者はこの方の護衛役なのでござるが、残念ながら拙者は海が近くにないと、『海の大精霊』の力を借り受けることができないのでござる」

 「今度は場所を選ぶのか。それじゃ護衛にならないじゃんかよー」

 「う…それは、そうなのでござるが」

 「海の戦士」は、がっくりと肩を落とした。

 「う、海の近くでありさえすれば敵なしなのでござるよ。我らは海に生き、海を畏れ、海を敬う者。その恐ろしさを知る者に、海はその真の力を貸し与えるのでござる」

 誇り高き「海の戦士」の言葉なのだが。

 「でもここでは役に立たない、と」

 「やめなさい。…で、そのあなたたちがどうしてこんなに海から離れた所まで来ているんですか?」

 楓の質問に、白い布をまとった二人は悔しそうな顔をした。

 「我らは『都』に警告をしに来たのじゃ」

 「警告…?」

 「我が一族は、過去…世界が一つだった時からの伝承を語り伝えるのが使命。その伝承により『暦の精霊の地』にて『精霊の力』が異常な使われ方をしており、このままでは危険であることがわかり、海を離れてここまで来たのじゃ」

 「『都』に向かいながら、あちこちで警告を発していたら、けしからんと兵士に追われてここまで逃げてきたのでござるよ」

 「『果ての地』との交流も復活し、このままでは二つの世界に危機が迫りかねないと言うことが予測できたのじゃよ」

 「ちょっと待ってください!『暦の精霊の地』に異常があるんですか!?」

 楓は思わず口をはさんだ。

 「『守護精霊の地』の方ではなくて…?」

 「あなたは『果て人』か。確かに北の地での動きも気にはなっていたが、伝承は『暦の精霊の地』に異変が起こっていると告げておる」

 「どういうこと…?」

 (二つの世界の交流をしているのは、『守護精霊の地』の方なのに)

 二つの世界に関わる異変なら、こっちじゃないかと思う楓である。

 「とにかく、かの『都』には恐るべきものが巣食っている。破局へ至る道はいまにも開かれようとしている…それが、伝えたかったことじゃ」

 そこまで二人が語った時、崖の反対側で何かがきらりと光った。

 「精霊の気配が、急に…!」

 カノコが驚きの声を上げた。

 「何だあ!?」

 きらりと光った所から黒い煙が立ち昇り―そこに、立っていたのは。

 「ほっほっほ、普通の兵士では相手にならぬと聞いたがあ」

 枯れた男性の声が響いた。

 「何だよ、じーさんじゃねえか」

 その通り、白いひげをなびかせた小柄な男性だった。奇妙なことに、ひげや髪は真っ白なのに皮膚はつややかでやたら若々しく見える。

 「ワシはあ」

 間延びした声で、老人とも壮年ともつかない男は名乗った。

 「『陰と陽の精霊の地』より連れて来られた仙人であるう」

 「せ、仙人!?…って何だっけ、楓」

 「知らないのにいちいち驚かない!」

 そんなことを言っている間に。

 「では、行くぞう」

 ひょい、と。

 「嘘っ!?」

 軽く宙に浮き…すーっと滑るように谷を渡ってくる。

 「こりゃ、大した『加護を受けた者』だな。にしても、じーさんなのかおっさんなのか良くわかんないなあ」

 「ワシら仙人はあ、体内に気…『精霊の力』を巡らせることによって、いつまでも若々しさを保つことができるのだあ」

 のんびりした口調で、解説してくれた。

 「つまり超若作りのご老人ってことね」

 「ここから先は行かせぬう。進みたければワシと闘ええ」

 「わはは!」

 連れて来ていた「案内人」がとつぜん大声で笑い出した。

 「ここより先、様々な刺客がお前たちを待ち構えているのだ!いずれも一騎当千の強者ばかりなのだー!さっさと倒されてしまえー!」

 「うるさい」

 ぽこん。

 「はい…」

 サイキに頭をはたかれて、「案内人」は涙目になってうなずいた。

 「とにかく、あの人も刺客の一人な訳ね」

 楓が呟く間にも、「仙人」はふわふわとこっちに近づいてきた。

 「拙者に任せるでござる!一対一なら負けぬ!」

 銛を手に「海の戦士」が飛び出した。

 「食らえ!…おわっ!?」

 ふわり、とかわす―そうとしか言いようのない動きで、軽く「仙人」は銛をかわした。

 「く!えい、えい、避けるなでござる!」

 「ほっほっほ、蚊が止まるわい」

 まるで重みがないような軽やかな動きで、ふわりふわりと繰り出される銛を避けていく。

 「どうやってるんだ、あれ?」

 「まわりの『精霊の力』を把握し、支配下に置くことであんな動きができるんです」

 カノコが呻いた。

 「こいつ…!」

 「ほい、ほい、ほいっと」

 終いには繰り出された銛の穂先にひょい、と乗ってしまった。

 「こ、このっ」

 「不満かの?」

 とん、と銛を蹴って宙に浮き、崖に残った岩の柱にすとんと降り立った。

 「からかうなでござる!」

 頭に血が昇ったらしく、なりふり構わずに飛びかかる「海の戦士」の胸を、「仙人はごく軽く突く。

 「ぐっ!」

 触れただけ―にしか見えなかったのに、「戦士」はすごい勢いで吹っ飛んで岩にぶち当たった。

 「こいつ、強い…!」

 「ほっほっほ、かわすだけが仙人ではないわい」

 白髪とひげを震わせて、「仙人」は笑う。

 「やるじゃないかじーさん。次は俺が相手だ!」

 サイキが進み出た。

 「ほお。お主が『ジャガーの戦士』殿が言うておった『戦士』かあ」

 「ここは通してもらうぞ!」

 左手に持つ槍が、彼の気合いに応じて銀色に輝いた。

 「ほお、『精霊の力』を武具に載せられるのかあ。『守護精霊の地』の者もなかなかやるではないかあ」

 「せ…拙者も、海の近くにさえいれば負けないのでござるが」

 「海の戦士」が顔を上げて弱々しく抗弁する。

 「今使えないんじゃどうしようもないよなー」

 「う…それは、そうなのでござるが…っ」

 「いいから俺に任せとけ!」

 「ちょっとサイキ!強いけどお年寄りよ!」

 「わかってる!少し脅かして、道を開けてもらうだけだって!」

 軽く答え、槍を繰り出す。

 「でーいっ!」

 槍の穂先が「仙人」に迫る―その時彼は手で複雑な印を結び、一言唱えた。

 「槍を『禁ず』!」

 と。

 「おわっ!?」

 確かに、直前でスピードを緩めたとはいえ槍の穂先が老人のまとう衣に届いたのに。

 一切穴も開かず、もちろん血も流れない。

 「どうなってんだ…?」

 「ほっほっほ、その槍を『禁じ』たのよ。もうその槍では一切人を傷つけることはできぬわい」

 自称「仙人」は可笑しそうに解説してくれた。

 「『禁じる』…!?」

 「そんなのできるのかよ!」

 サイキは槍を持ち直し、また老人めがけて突き出すが。

 「たあっ!…って!?」

 間違いなく、切っ先は当たっているのに。

 「効かぬわい」

 いくら突いても、突き刺さりも傷つけることもできなかった。

 「傷がつけられないってこと!?」

 「ほんとかよっ!」

 試しに戻して、自分の頭をこん、こん、と叩いてみる。

 「あ、痛くない。おもしれー」

 危機感の欠片もなかった。

 「『鷲の戦士』殿!これを使えでござる!」

 「海の戦士」が銛を投げてよこした。

 「お、ありがたい」

 サイキは槍を投げ捨て、もう片方の手で銛を受け取った。

 「ちょっとバランス違うけど、使えるなーこれ」

 「ほっほ、何を持とうが同じだわい。それ、銛を『禁ず』!」

 再び印を結んで唱えた。

 すると。

 「ああ、やっぱり」

 返しのついた穂先を、いくら「仙人」に向けて突き出しても傷つけられない。

 「何だよー、借りたのに使い物にならなくなっちまったじゃねーか」

 銛を放り出そうとしたサイキに、

 「―待って」

 後ろでカノコの肩に乗っていた楓が、鋭く囁いた。

 「えー、何でだよ。使えないんじゃ意味ないだろ」

 「それでも!今は離さないでいてっ」

 「え!?―あ、そうか!…うう、これじゃ役立たずじゃないかー」

 彼を良く知る者なら、後半の台詞にわざとらしさを感じたかもしれない。

 「ほっほっ、そうじゃろう」

 しかし会ったばかりの「仙人」には、わかるはずもないのだった。

 「ちっくしょー!もう一度行くぜ!」

 「こりないのう」

 「仙人」がほくそ笑みながら、サイキの胸に掌打を浴びせようと手を伸ばした、その時。

 サイキは、銛を捨てた。左拳を握りこむ。

 「でえいっ!」

 「こ、拳を―ぐはあっ!」

 禁呪の言葉を発しようとしたが、一瞬遅く。

 拳はみぞおちに叩きこまれていた。

 「仙人」は見事に吹き飛ばされ、岩の柱に激突してころん、と転がる。

 「あー、やたら軽かったしな」

 「あーあ、お年寄りに…って言っても仕方ないか、闘ってたし。サイキ、あの人捕まえといて。手を縛れば術は使えないみたいだし」

 「わかった」

 気絶した老人を担ぎ上げる。

 「まあ、『遺産』は多分『禁じ』きれなかっただろうから、あれ呼べば一発だったと思うけど…下手すれば大怪我させちまうからな。武器もないじーさんに使うのも気が引けたし」

 「あ、そうか」

 そりゃそうである。

 (まあ、『憑依』とかやられると大抵勝てるし)

 あまりにも弱い者いじめのようで、サイキにしてもやる気にはなれないだろうが。

 「何とかなって良かったわ…『海の戦士』さんは大変だったけど」

 「大丈夫でござるよ」

 ふらつきながら、青年は立ち上がった。

 「いや、強うござるな。それだけではないが」

 「へっへっへ。そうだろう?」

 サイキがにやりと笑った。やっと目を覚ました「仙人」の方に向き直る。

 「じーさん、『仮面の精霊の地』までは送ることができる」

 「後は何とかして自力で『陰と陽の精霊の地』に戻って」

 「それでも遠いのう…じゃが、ここにいるよりましかの」

 老人はうなずき、身を起こした。


 「海の語り部」と「戦士」を加えた一行は、再び「道」に乗って急いで南下していた。

 「あと四日で『都』に着くはずです、この調子なら」

 「祭司」が眼下の景色を示して言った。

 「ここから、段々集落が多くなって…その中心、湖の中に建設された『仙人掌の都』に着くことになりますぅ」

 「湖上の都市か…どんなのなんだろうね、サイキ」

 「何だよ、楓が一番喜んでるじゃないかー」

 「だって、わくわくするんだもの」

 「ほんと、いつもの楓さんじゃないみたいで」

 カノコがくすくす笑って口をはさんだ。

 「い、いいじゃない。興味あるんだもの」

 異世界の文明である。好奇心もうずくと言うものだ。…まあ、元をただせば同じ世界からはじまったのだが。


 夕暮れになった頃。

 「あの村に、泊めてもらいましょう」

 「祭司」の声と共に、「道」がすうっと下り出した。

 「ここは、一応『仙人掌の都』とは友好関係を結んでいますが…何と言うか、微妙な間柄ですねぇ」

 「と言うことは『祭司』さん、あなたとも微妙ってことですね」

 「いかに信頼してもらうかが悩みどころですがぁ」

 そんな話をしながら、村の入り口に降り立つと。

 「ようこそ、『羽毛蛇の祭司』殿」

 「…村長さん」

 大柄で肉付きの良い女性が、近づいてきた。

 「歓迎しますぞ、御一同」

 そのまま、あれよあれよと言う勢いで集会所の広間に案内された。

 「『都』を離れ、北の地へ赴かれて心配しておりましたが、このように頼もしげな方々を集めて来られて、『果て人』の方までご一緒とは」

 「は、はあ」

 「お楽になさってください。こんな田舎ですが、もてなします故」

 あっという間に、料理の皿が目の前に並んだ。

 「まあ遠慮なく」

 「祭司」の席の前に、美しい杯が運ばれて来た。白い液体がなみなみと注がれる。

 「おお、『オクトリ』じゃないですか。いいですねぇ」

 彼女は嬉しそうに目を細めた。

 (『オクトリ』って?)

 楓は考えこんだが、立ち昇る香りがその答えをくれた。

 「ちょっと待って!それって…お酒じゃないですか!」

 「は、はいっ」

 「祭司」が伸ばしかけていた手を止めた。

 「…そうです。竜舌蘭から造られる、お酒ですぅ」

 小さくなって彼女は肯定する。

 「ばれちゃいましたかぁ」

 ごまかし笑いをしているが。

 「『ばれちゃった』じゃないでしょう!はっきり断ってくださいっ」

 「そりゃ、そうですよね…」

 残念そうに…本当に残念そうに、「祭司」は伸ばした手を引っこめた。

 「どうしてこういう事態になったのか、わかっているんですか!」

 「すみませぇん」

 うなだれる「祭司」に、楓は言葉をぶつける。

 「あなたのことを思って言ってるんですよ!」

 「よせよ、楓。あんまり怒るな」

 「でもっ!」

 いつもと立場が逆である。

 「私、こういうことにだらしない人って許せなくて」

 「…そうか、昔、『いろいろ』あったんだよな」

 「『祭司』さんに当たるのは、筋違いなんだけどね」

 暗い顔で呟いた。

 「と、とにかく反省しました。絶対呑みませんから大丈夫です」

 あわてて「祭司」はそう言い、杯を引っこめてもらった。目の前にあると、つい手を出してしまうらしい。

 (ほんとにお酒が好きなんだな…『目がない』って、こういう人のことを言うんだ)

 未成年の楓には良くわからない話ではあったが、呑まずにはいられない人がいるということは知識として知っている。

 (失敗しない呑み方をしてくれるんならいいけど) 

 アルコールに対して無茶苦茶弱くて、なのに呑み続ける体質の人もいるのだ。

 (サイキたちが呑んでいいようになったら、気をつけないとね)

 そんなことを、ちらりと思った。

 

 「やー、くたびれたなー」

 「戦闘したもんね、サイキ」

 あらためて心づくしのもてなしを受けて。

 一同、男性用寝室に集まってくつろいでいた。

 「こっちの世界は俺の故郷だから、懐かしいしこういう旅もいいけど、でも学園に戻りたい気もするな、そろそろ。樹さんにも会いたいし」

 「由布子さんにも会いたいですね」

 「あ、そうそう。あのお喋り聞きたいなあ、久しぶりに」

 「…由布子がいいんだ、ふーん」

 「え!?いやそんなつもりじゃなくてな楓っ」

 (ちょ、ちょっとからかっただけなのに)

 何でそんなに焦るのかと、楓の方が困ってしまう。

 そんなわかってるのかわかってないのかの話をしていると。

 「―失礼する」

 「え!?村長さん…どうしたんですかぁ?」

 「祭司」の問いには答えず、村長は強引に部屋に入ってきた。

 「な、何なんです…か」

 みんなびっくりして身構える、その中で。

 「『翠の羽毛蛇の祭司』殿、それに皆さま方」

 「あ、あの」

 「―済まなかった」

 彼女は、深々と頭を下げた。

 「あなた方を、試させてもらった」

 「はい?」

 「あの竜舌蘭酒…わざと、出させた。あなたを試すために」

 「えぇ!?」

 「済まない。どうしても、あなたの意志を試したかったのだ」

 村長はまた頭を下げる。

 「逃げ出した『都』に、敢えて戻る…そして戦争を止める、その覚悟を試したかった」

 「それで、失敗の原因となった、お酒を出して」

 「で、わかった」

 彼女は顔を上げ、はじめてにっこりと笑った。

 「過ちは繰り返さない…見事だ、『祭司』殿。酒が原因で『都』を逃げ出したと聞いて、正直疑っていたが…あなたなら、任せられそうだ」

 「い、いえ、あれはわたしの意志ではなく」

 「良い助言者を得られましたな。それも、あなたの人徳のなせる技だろう」

 「は、はいぃ」

 「祭司」は困ったような笑みで答えるしかない。

 「楓、褒められてるぞ」

 「うう、恥ずかしいよお」

 「正解だった訳ですね。良かったじゃないですか」

 カノコが笑うが、楓は今よりもっと小さくなりたい気分だった。

 「―ちょっと待て」

 「サイキ!?」

 少年は跳ねるように立ち上がり―銀光を手から放つ。

 「ひゃん!」

 戸口をうかがっていたらしい少女が、鼻先を銀の羽手裏剣がかすめて情けない声を上げた。

 (あれ、この子…さっきお酒を運んで来た子だ)

 楓がそんなことを考えている間に。

 「何だよ、聞きたかったら入って話聞いたっていいんだぜ?何こそこそしてるんだよ、びっくりするじゃねーか」

 「…ごめんなさい!」

 少女はいきなりへたりっと座りこみ、泣きながら謝りはじめた。

 「うわっ、何だよ、おいっ」

 あわてるサイキに、彼女は震える手で小さな革袋を差し出した。

 「わたし…こ、この薬をお酒の中に入れろって頼まれまして」

 「何だってえっ!?」

 「どういうことだ、ラン!」

 村長の鋭い叱責の言葉に、少女はより一層這いつくばって泣きじゃくった。

 「村長さん、そんなに怒らないでください。怯えてるじゃないですか」

 楓は思わず声をかけていた。

 「し、しかし」

 「その通りです。わたしたちが、ちゃんと話を聞きますので」

 「祭司」が優しく声をかけ、ランを部屋の中に招き入れた。

 「さあ、話してください。何があったんですか?」

 「はい、申し訳ありません。旅の商人に、この薬をお酒に入れて『祭司』さまに呑ませるように言われて」

 「その薬は?」

 「強力な眠り薬ですね。三日は目覚めないでしょう」

 わずかに袋に残った粉末をじっくり観察して、「祭司」が答えた。

 「で、その商人は?」

 「今朝出て行きました!ほんとにそれだけです!」

 「まあ、こんなこと疑ってもしょうがないか」

 「『祭司』さまはお酒に目がないから、絶対断らないって言われて」

 「正直、楓さんが止めてくれなかったら呑んでましたね、わたし」

 「祭司」は小さくなった。

 「それだけなんです!入れて出したら、後でいろんな品物をくれるからって誘われて、つい」

 「商人がそういうことをするんですか、『祭司』さん?」

 「『都』の商人は基本的に『王者』直属の勢力ですが、『ジャガーの戦士』の息がかかった者がいても不思議はないですね。元々、半分スパイですし。行った先のことをいろいろ調べて、上に報告するのも仕事の一環ですから。で、弱い所を見つけると、先頭に立って攻めこんだり」

 「まあそれは承知の上でどこも迎えてるんだよな。攻められるなら攻めてみろって感じで」

 鎖国している訳ではないので。

 「で、今回は眠り薬で時間稼ぎ、か。向こうも『祭司』さんのタイムリミットはわかってますもんね」

 「暦は彼らも持ってますからぁ」

 三日眠ったままでは、タイムリミットは過ぎてしまう。

 「とにかく時間を無駄に使わせようとしている訳かー」

 「ううむ、同時に二つの計画が進行していた訳ね。お酒を呑むかどうか確かめる計画と、そのお酒に薬を盛る計画が」

 全く別口で計画がそれぞれ進行していたのだ。

 「全て、お酒を呑まなかったことで解決したんですね」

 「申し訳ない!」

 村長がまた頭を下げ、

 「済みませんでした!」

 少女も力いっぱい謝ったのだった。


   第五章 二度は逃げない馬鹿もいる


 「海」のコンビもついて来て、人数の増えた一行は「道」に乗って進んでいた。

 「だいぶ南に来たけど、けっこう涼しいわね」

 「高原だしな。それに秋だし、そんなに暑くはならんと思うぞ」

 「むしろ朝方の冷え込みの方がきついか」

 「―あと三日で『都』に着く…はずです」

 「祭司」が暦を睨みつつ言った。

 「それで間に合うんですか?」

 「大丈夫です。なので、ちょっと寄り道しようと思いましてぇ」

 「いいんですか?間に合うって言っても、そんなに時間ないんじゃ」

 「半日ぐらいなら平気ですよ。正直、水浴びがしたくて、わたし」

 照れたように笑って「祭司」は続けた。

 「確かに、汗はかきましたけど」

 (やっぱり女の人なんだなあ)

 楓がそんなことを考えている間にも、「道」はすうっと下りはじめた。

 と。

 「うわ、砂漠が白い…」

 赤茶けた砂漠の一部だけが、雪のように白く輝いている。

 さらに、白い砂漠の中にぽつりぽつりと目が覚めるような(あお)の点が散らばっているのが見えた。

 「あれは?」

 「泉です。あまりに澄んでいて、碧く見えるんですよぉ」

 碧い点が大きくなり、確かに泉だとわかる頃には、一行は大地に降り立っていた。

 「うわあ…」

 一面真っ白な砂丘が、目の前に広がっていた。

 歩くとさく、さくと砂が気持ちのいい音を立てる。

 「これは…水晶?」

 「石膏、ですね。ほら、固まってます」

 「祭司」が示す先には、白い塔のような柱が立っていた。

 「ギプスの元だもんね」

 見回せば、砂丘の向こうにも手前にも、心を溶かしそうに碧い泉があるのが見えた。

 「じゃあ、あの泉のどれかで水浴びしましょう、楓さんもカノコさんも」

 「「いいですね!」」

 女性三人で笑い合う。

 「覗いちゃ駄目だからね!」

 「駄目ですよ!」

 「へっへーんだ、楓もカノコも下着姿なら俺何度も見て…痛て、痛ててっ!」

 「この馬鹿…!」

 左耳をぎりぎりと捻じ曲げながら、楓が唸る。

 「とにかく駄目だからね!」

 念を押してからカノコの肩に移り、きゃっきゃとはしゃぎながら男性陣の目の届かない所へ駆けて行った。

 「今のは失言でしたねぇ」

 「祭司」が笑いながら言って、二人の後を追った。

 「まあ、男同士でのんびり水浴びするでござるよ」

 「海の戦士」がサイキの肩をぽんと叩く。

 「うん、カノコの感知をかいくぐる自信は、ないんだけどさー」

 自信があれば覗きたいらしかった。


 「ほんとにきれいな水ねえ」

 碧く、どこまでも透き通った水が、こんこんと湧き出していた。

 「ええ、飲み水にできるぐらいきれいな水ですよ」

 さっそく入ってみる。

 「うわ、けっこうあったかい」

 冷たいか、と思って入った水は意外に温かかった。ぬるま湯と言った感じだ。

 「でも気持ちいいー」

 三人できゃっきゃ言いながら水をかけ合った。

 「お魚もいますね」

 三人のまわりを、すばしこく小魚が泳ぎ回っている。

 「やっぱ、たまには身体を洗わないと辛いよね」

 「本当は蒸し風呂の方が好みなんですがぁ」

 「あ、いいですよね。さっぱりして」

 「私はやっぱり熱いお湯にゆーっくり浸かりたいなあ」

 文化の差と言うものであろう。

 「石鹸も欲しいなあ」

 「便利なのはわかるんですが」

 カノコには馴染まなかったらしい。

 「『都』では、わたしの屋敷に造りつけの特製蒸し風呂(テマスカル)でおもてなししますよ」

 「うわ、楽しみですねえ」

 そんなガールズトーク(?)が、楽しかった。

 「服も洗濯したいけど…すすぐだけでいいか」

 そう、何気なく呟いた時。

 「…!」

 カノコの顔色が変わった。

 「どうしたの…って、まさか」

 「また、近くに突然強力な精霊の気配が現れたんです」

 「また、ですか…おかしいですねぇ。『ジャガーの戦士』にも、瞬時に移動するなんて能力はないはずなのに」

 「祭司」が唸った。

 「捕まえた奴らに聞いても、要領を得ないもんね」

 「『気絶させられて、気がついたらここにいた』とか主張してますものね」

 「嘘をついているのかもしれませんが、まさか拷問とかして聞き出す訳にも行きませんしぃ」

 そこまでしなくてもいいか、というのが全員の一致した意見である。

 「とにかく、気配の方に行きましょう」

 「うう、洗濯したかったなあ」

 しかし仕方なく、手早く身体をぬぐって泉を後にした。男性陣にも伝え、「道」を伸ばして進む。


 「あ、あれじゃないかな」

 目のいいサイキがいち早く見つけて指差す、その先には。

 「待ちかねたぞ、『祭司』たちよ!」

 荒野に立ち、そう呼びかけてきたのは、白い服で全身をすっぽり包んだ壮年の男だった。

 頭に白い布をかぶり、黒い輪で止めている。

 「あの服装、誰かに似てるなー」

 「砂漠とかだと合理的な服装らしいって本にはあったけど」

 しかし、悠長に思い出している場合ではなかった。

 「(せつ)は『唯一にして絶対なる偉大な天の大精霊』の(しもべ)である者であり」

 「おーい、何言ってんだかさっぱりわからんぞー」

 「他の全ての精霊は邪悪なる霊であり、それらを信じて加護を受ける者は全て悪人である!」

 「何かひでーこと言ってる!」

 「…大体、ここに来て私たちに挑んでくるってことは、あなたも『ジャガーの戦士』に連れて来られて自力じゃ帰れないってことじゃないの?」

 「うっ!それを言われると辛いのであるが」

 楓のつっこみに、男はあからさまにうろたえる。

 「しかし!お前らを捕えれば、帰郷が叶うのである!」

 彼は懐から、水差しのような金属製の品物(アイテム)を取り出した。

 「ありゃ何だ?でっかい急須か?」

 「由布子さんが持ってたティーポットみたいです」

 「…あの人の恰好からして、中東風のオイルランプなのかな、と」

 「「ふーん、そうなんだ」」

 明らかに敵である相手を前にして緊張感のない会話だが、楓はついとぼけた会話にはつっこんでしまうのでご了承いただきたい。

 「『偉大なる天の大精霊』の御名において命ず!現れよ、封印されし霊鬼(ジン)!」

 男はその「ランプ」をごしごしこすって叫んだ。

 「うおっ!?」

 と、もやもやと…ランプの口から煙が立ち昇った。煙は上空で巨大な人型を取る。

 「あれが、霊鬼(ジン)…?」

 半透明のその姿は下半身がすぼまり、糸のような煙となってランプにつながっている。

 「見よ、我が使役する霊鬼(ジン)を!」

 「『憑依』とかじゃないんだ。まあいいや、俺もやるぞ!我に加護を与えたもう『銀の鷲』よ!今こそその力を、我を介して示せ!」

 霊鬼(ジン)に負けない大きさの、銀の鷲が舞い上がった。

 「何たる邪悪な姿…ゆけ、我が下僕たる霊鬼(ジン)よ!」

 「オオオオオ…!」

 幻影の巨人は吼え、巨大な腕を振り上げて大鷲に迫る。

 「行くぜ!」

 大鷲の嘴が巨人の胸をかすめ、

 「オオオオオ!」

 丸太のような腕が鷲をはじき飛ばした。

 「こいつ、強い…!」

 「行け霊鬼(ジン)よ!お前の力はそんなものではないはずだ。不届き者を叩き潰せ!」

 巨人の身体がつながるランプを振りかざし、男が怒鳴る。巨人はさらに、苦しげに吼えた。

 「お前命令するばっかかよー!精霊に悪いって思わないのか!」

 「拙が仕えるのは『偉大なる天の大精霊』のみ。こやつは使役する下僕に過ぎぬわ!」

 「こいつ!」

 精霊同士が、激しくぶつかり合った。

 「負けねえ…っ!」

 「引き裂け、霊鬼(ジン)!」

 霊鬼(ジン)と呼ばれた巨人は再び苦しげに吼え―爪と嘴にかきむしられるのをものともせず、大鷲の翼を両腕でがっしりと掴んだ。

 「うわ!やめろ、放せー!」

 「引き千切れ!霊鬼(ジン)!」

 「オオオオ!」

 巨大な幻影は吼え、両腕に力を込め―

 その時だった。

 タン!

 軽い音と共に、男の手元を黄の光をまとった矢がかすめ、ランプを取り落とさせたのだ。

 「うお!?」

 その途端、霊鬼(ジン)は煙と化してランプに吸い込まれていく。

 「え!?」

 「何だかわからないけど…チャンス!」

 大鷲が男に襲いかかろうとしたが、その目の前を矢がかすめて飛んだ。

 「何すんだよ!」

 振り向くと、男と同じ白装束に身を包み、三の矢をつがえる男性が一人。見覚えは、あった。

 「『さすらいの戦士』…?」

 「退け!」

 「だから何なんだよ!」

 「いいから退け!」

 弓弦をぎりぎりと引き絞りながら、「さすらいの戦士」は大音声で怒鳴った。

 「ここは、言う通りにしましょう」

 「祭司」がうなずき、「道」を伸ばす。結構な速度で動き出した一行に、「憑依」を解いたサイキも合流した。

 「待てっ!」

 大慌てでランプを拾った男がわめくが、もうみんな視界から消えている。「さすらいの戦士」の姿もない。 

 「おのれ…いやしかし、拙を無視しては先に進まないはず」

 ぶつぶつ呟いて納得しようとしていた。


 追って来ないのを確認して、一行はキャンプを張って休むことにした。

 「もっと進みたかったよなー、なっ『祭司』さん?」

 「それは、そうですがぁ」

 ぶーたれるサイキに、彼女も困惑気味だ。

 「サイキ、落ちついてよ。邪魔が入って苛ついてるのはわかるけど、一応助けてもらったのよ?」

 「うー、でもー」

 その時、カノコがはっと顔を上げた。

 「いらっしゃいました」

 「は!?」

 「そこに」

 示す先には、確かにゆったりした白装束の姿が、あった。

 「『さすらいの戦士』さん…」

 「おいおっさん。あんた、どういうつもりだよ」

 サイキの瞳がぎらりと輝いた。

 「俺たちそんなに時間がないんだぜ。それを、戦闘止めて退けだって?『祭司』さんがそうしようって言ったからつい聞いちまったけど、すっげーむかついてるんだぜ、俺は」

 「済まぬ」

 低く、「さすらいの戦士」は応えた。

 「しかし、あのままではお主の守護精霊が()()()()()()()危険があったのだ。故に、止めさせてもらった」

 「奪われる…?」

 負けるのならわかるが、「奪われる」と言うのははじめて聞く話である。

 「詳しい話を、聞かせてもらえますか」

 「あの男、『偉大なる天の大精霊の僕』と称しているが」

 「さすらいの戦士」は、ぽつりぽつりと語り出した。

 「前に、闘ったことが?」

 「我が故郷の地に、攻めてきたのが奴だ」

 「故郷…って」

 「我はここから東にある大きな海を渡った所にある、かつては異なる名で呼ばれていたが今はただ『争いの地』と呼ばれている土地より渡り来た者である」

 出身地も何も一切不明だった彼が、はじめて出自を明かした。

 「そこは砂漠も多く、暮らしにくい地ではあったが、(いにしえ)の文明が栄えた地でもあり、その流れをくむさまざまな精霊の加護を受けた人々が暮らしていたのだ。…しかし、その平和は破られた」

 悔しさでか、男性の顔が歪んだ。

 「一つの精霊を奉じる勢力が、突然大きな力を得たのだ。そしえ、その奉じる『偉大なる天の大精霊』のみが正しく、他は全て悪しき精霊だと主張して侵略をはじめた。我が住まう地にも攻めて来て、従わないなら倒すと言ってきたが、はいそうですかと従う訳にはいかない。周辺の諸部族と連合し、迎え撃ったのだが…負けた。そこで、ただ負けるよりさらに恐ろしいことが、起こったのだ」

 「恐ろしいこと?」

 「奴は―」

 彼の口調に、軋むような響きが混ざった。

 「倒され、その力を打ち砕かれた精霊を、元いた場所に戻る前に捕えて『偉大なる天の大精霊』の名を刻んだランプや指輪などに封じ、思いのままに使役することができるのだ」

 「精霊を捕えて…使役!?」

 サイキが素っ頓狂な声を上げた。

 「そんなこと、できるのか!?していいのか?」

 「奴らは、そう『できる』のだ。許されるかどうかは、彼らにはどうでもいいらしい。…そして、我らには止めさせることができなかった」

 「そんな!」

 「我は、怖い、のだ」

 かた、かたかたかた。

 それは―

 「さすらいの戦士」が、サイキの目標であり憧れであった「戦士」が身を震わせる、音だった。

 「いまだに忘れられぬ。肩を並べて闘った盟友に加護を与えていた精霊が、ランプに吸い込まれていく様を。―我は逃げたのだ。我が守護者たる精霊を奪われるのが怖くなり、守るべき人々も、盟友たちをも見捨てて、遥かこの地まで」

 「海を越えて、ここまで」

 「全てを放り出して、逃げた。小さな船に乗り込み、我が守護者たる『虎の精霊』だけを道連れにして、その力で海を渡り…『世界の果て』に逃げた」

 「もしかして、海の果ては奈落だとかって、思ってました?」

 「それでも良いと、考えていた」

 ぽつりと、「さすらいの戦士」は楓の問いに答えた。

 「そこで奈落に落ちて死ぬなら、それでも良いと思っていた…結局奈落はなく、ここで生き恥をさらしているがな」

 苦く、続ける。

 「奴らが攻めて来なければ、我らは羊を飼い、交易をして平和に暮らしていたものを。…いいか、『鷲の戦士』よ。また奴に挑むなら…()()()()()()()()。具体的に言えば、『精霊の力』を奴の霊鬼(ジン)に打ち砕かせてはならない。捕えられ、品物に封じられてしまう。そうなったら最後、精霊はその品物を持つ者に従わざるを得ない下僕…霊鬼(ジン)にされてしまうのだから。負けて生き恥をさらす我の、せめてもの忠告だ」

 声音に、恐怖がにじんでいた。

 「まさか、まさかここまで逃げた我の前に、我が盟友の精霊を捕えたあの男が再び現れるとは…!」

 「…駄目だよ!」

 突然、サイキが叫ぶ。

 「は!?」

 「怖いからって逃げてばっかりじゃ駄目だ!」

 必死に、思いを伝えようと少年は言葉を紡ぐ。

 「逃げていい時もあるけどさ。多分あんた、どんづまりだよ。これ以上逃げたらもう立ち直れなくなる…そんな所まで来てる。立ち向かわないと、乗り越えないと、ずーっと前に進めなくなるよ!」

 もどかしげに、言葉を探しながらそれでも言い募った。

 「サイキ、そんなこと言っちゃ」

 楓が制するが、もう遅い。

 「だって!このまんまじゃ逃げてるばっかだぜ!それでいいのかよ!」

 「それにしたって」

 楓は止めようとした。

 「ずっと憧れてた人が情けないこと言ってるのが気に食わない気持ちはわかるけど、自分の気持ちを押しつけないでよ」

 「楓さん楓さん、とどめ刺してますよ、とどめ」

 カノコの一言に、楓ははっと我に返った。

 「す、すみません!」

 「…そこで謝られると、結構辛いものがあるのだが」

 「さすらいの戦士」は苦笑した。

 「とは言え仕方がない。我は逃げ出した落ち武者だ。その事実は、変わらぬ」

 そう、彼が言い切った時。

 二つの人影が、キャンプの炎に照らされて浮かび上がった。

 「な、何だ!?」

 「「そこにおられるのは、『翠の羽毛蛇の祭司』ご一行とお見受けする!」」

 全く同じ言葉を二人で発する響き。

 (前に、『黒の首領』がこんな喋り方だったけど)

 楓がそんなことを思い出していると。

 「そうだ、と言ったら?」

 サイキが答えていた。

 「「お仲間に加えていただきたい!」」

 その言葉に、打てば響くような答えが返ってきた。

 「「我らは『ジャガーの戦士』に捕えられたのだが、かろうじて逃げ出し…彼らに復讐せんと、また故郷に戻らんとあなた方を待っていたのであります!」」

 「へー、じゃあんたたちも『精霊の力』使えるのか。どんなのだ?」

 サイキの問いに、二人は同じタイミングで答える。

 「「最高に崇めるべきなのは」」

 「闇だ!」

 「光だ!」

 同時に発言し、顔を見合わせてきっ、と睨み合う。

 「闇とは全てを生み出す力の源ぞ!古来全ては闇であったのだ!光の精霊などは新参者に過ぎぬわ!」

 「何を言う、今になっても闇を奉ずるなど時代遅れも甚だしいぞ!光こそ進歩の源泉である!」

 「えーい、やめんかいっ!喧嘩してる場合じゃないだろう!」

 サイキが一喝したが聞いちゃいない。二人はばっと離れて身構えた。

 「我を守護したもう光の精霊よ!」

 「我を守護したもう闇の精霊よ!」

 二人はそう唱えつつ眉を寄せて集中。―と、その眼前にそれぞれ変化があった。

 右の男の前には輝く球が、

 左のもう一人の前には真っ黒な球が、出現する。

 「「行け!」」

 その言葉を受けた二つの球体は前に飛び出し、吸い寄せられるように近づき…衝突した。

 ぱん、と乾いた音が響き、後には何も残らない。

 「「くっ…やはり相殺しあって意味がないか」」

 二人はそう呻いて、今度は直接相手に飛びかかった。

 「このっ!このっ!貴様なんぞこうしてやるっ!」

 「くそっ!くそっ!こいつめっ!」

 もはや「精霊の力」もへったくれもなく、罵り合いながらごろごろ転がって掴み合い、殴り合う。

 「えーい、止めんかいっ!うっとうしい」

 サイキが痺れを切らせて二人の頭を叩き、引き離しにかかるのにそう時間はかからなかった。

 「とにかく、わたしたちに協力してくださるんですね?よろしくお願いしますぅ」

 「「承知した!奴らに復讐できるならいくらでも協力する!」」

 「祭司」の言葉に二人は同時に答え、はっと気づいて目を見交わしそのまま睨み合った。

 「そんなに仲悪いなら並んで立つなよー」

 サイキが呆れている頃、楓とカノコは火からやや離れた所にうずくまる「さすらいの戦士」に近づいていた。

 「…まだ、お礼を言っていませんでしたね」

 カノコが声をかける。

 「ありがとうございました。サイキを助けてくれて」

 「い、いや、助けたと言うほどのものでは」

 戸惑う彼に、楓も微笑を向けた。

 「私たちのことを、追って来たんですね。あいつと闘うことになるサイキを心配して」

 「そういう訳では…っ」

 「あと」

 楓はこの際だと、気になっていたことをぶつけてみた。

 「『さすらいの戦士』さん…あなたは故郷ではただの『戦士』ではなく、一族のトップに立つ方だったのではないですか」

 「何故、それを」

 明らかに、彼は動揺した。

 「いえ、ちょっとそう感じただけなんですけど。『守護精霊の地』で安住の地を求めていましたけど、元々あなたの故郷では、土地を所有するのは首長だけだって聞いたもので」

 本当は「彼方の地」ではなく「果ての地」での情報なのだが、楓は思い切って聞いてみた。

 「―守るべき人々を見捨てた(おさ)に何の意味がある」

 それが、答えだった。

 「人々を守れず、盟友も見捨て…もはや長を名乗る資格など我にはない。今の我はただの『さすらいの戦士』だ」

 

 「とは言え、またタイムロスよね。まさかこんなトラブル続きの旅になるなんて」

 みんなで火を囲んで座る中で、楓は呟く。

 「こんなことなら、ジュウくんはロクさんにでも頼んで連れ帰ってもらった方が良かったかなあ」

 「ごめん…ぼく、どうしても話が聞きたくて」

 「まあ、帰さなかったのは俺たちだ。とにかく責任持って、怪我とかさせないように家族の元に帰すさ、絶対に」

 小さくなるジュウの頭を、サイキはくしゃっとかき回した。

 「だから心配するな」

 「…ありがとう」


 次の日、一行が昨日と同じ場所に行ってみると。

 「昨日はよくも逃げてくれたものだな!」

 元気いっぱい、ランプを構えた男がわめいていたりする。

 「懲りもせずに挑戦する気か?」

 「今度勝負するのは俺じゃない!…この人だ!」

 サイキが脇にのき、現れたのは。

 「お前は…よくよく見れば、かつて『争いの地』にて拙の前から逃げた奴ではないか」

 「もう、逃げぬ」

 湾曲刀を掲げ、「さすらいの戦士」は叫んだ。

 「もう逃げぬ!友に誓ったのだ、逃げぬと!」

 「霊鬼(ジン)使い」を睨みつつ、声を限りに叫ぶ。

 「逃げぬ…お前からも、自分自身からも!」

 「ほう?また挑んで、また負けるか…まあいい。現れよ、我が使役する霊鬼(ジン)!」

 ランプをこすり出す。

 「我が守護者よ」

 「さすらいの戦士」の声はかすかに震えていた。それでも胸を張り、呼びかけた。

 「我が守護者よ!我が呼び声に、応えよ!」

 黄の光がなだれ落ち、巨大な虎をかたちづくった。

 「サイキ…!」

 「あの人の、闘いだ」

 しっかりと前に立つ「戦士」を見つめ、楓の声に答える。

 「過去と向き合うための、闘いだ」

 ―今朝、一同の前で「さすらいの戦士」は自らが闘いたいと告げたのだった。

 彼の、忘れたかった、向き合いたくなかった「過去」に、決着をつけたいと言う。

 それが、彼にとってはどれほど辛いことであるかを理解し…一同は、うなずいたのだった。

 黄の虎に相対するのは、風をまとった半透明の巨人の姿。

 「『風の精霊』に近い存在なのかな」

 「外見は『加護を受けた者』の自由になりますけど、元々の属性はどうしても出てくるみたいですからね」

 そんな会話がなされている間にも。

 「行くぞ!」

 巨大な虎が、巨人に襲いかかっていた。

 半透明の姿が、激しくぶつかり合う。

 「霊鬼(ジン)よ、もっと力を出せ!」

 「天の大精霊の僕」が、ランプを握る手に力を込めた。

 「ウ…ウ、ウオオ…!」

 霊鬼(ジン)は吼え、その身体に―

 「何、あれ…?」

 まるで(いまし)めるかのように身体を走る、輝く文字列が浮かび上がった。

 「あれは?」

 「あの文字が、精霊を縛っているんです」

 「行け!霊鬼(ジン)よ!」

 「グオオオッ!」

 文字列が輝きを増し、霊鬼(ジン)はどこか苦しげな叫びを上げた。虎に掴みかかり、首を掴んで締めつける。

 「ぐおおっ!」

 大虎が唸り、前脚を滅茶苦茶に振り回した。

 「精霊の首絞めても苦しいのかな」

 「自分の身体の延長だからな。苦しくは感じる」

 サイキが楓の呟きに答えた。

 「く…!負けぬ!」

 虎の巨大な爪が、文字列の浮いた肌をかきむしった。

 「グワッ!」

 巨人はたまらず手を離した。風が散る。

 「どうした霊鬼(ジン)!しっかりせんか!」

 「うっ…!」

 カノコが耳をふさいだ。苦しそうに身をよじる。

 「カノコさん!どうしたの?」

 「精霊の…あの霊鬼(ジン)の叫びが、苦痛の声が…聞こえるんです」

 青ざめ、形のいい眉を寄せつつ語った。

 「文字があの霊鬼(ジン)を縛り上げて、あの人の命令に従うよう強制しているんです!」

 「嫌がってるの…?」

 「精霊は力を借り受けるもので、閉じこめて使役するものじゃない!」

 サイキが鋭く言った。

 「それを、あいつは何の敬意もなく命令している」

 「悲鳴が、聞こえます!」

 カノコの巫女としての感知能力は、霊鬼(ジン)―精霊がどう強制されて苦しんでいるかをありありと感じ取っているらしい。

 「何とか、解放してあげたいよな」

 サイキも思いは一つだった。

 「こら、もっと攻撃せんか!」

 「僕」はその使役する霊鬼(ジン)を怒鳴りつけた。

 「お前は拙に使われていればいいのだ!」

 「違う!」

 大虎が、吼えた。

 「お前、その捕えられた精霊の力ばーっか使ってるじゃん!そのお偉い精霊の力はどうした!」

 「『偉大なる天の大精霊』のお力は、僕たる拙が使うなどおこがましいのである!」

 サイキの呼びかけに、「僕」はそう答える。

 「お前ほんっとにめんどくさい奴だなー」

 「その『天の大精霊』ってのの能力が、他の精霊を『捕えて縛りつける』ことに特化してるってことじゃないのかな。実際の力のレベルが、他に比べてとんでもなく強いってことじゃなくて」

 「総合的な実力は他とそう変わらないってことか!」

 楓の呟きにサイキがあっと叫んで続ける。

 ぎくっ。

 「僕」の肩が、跳ね上がった。

 「今だ、『さすらいの戦士』!」

 「かつて我が盟友に加護を与えし精霊よ!ただ使役されるだけの存在を止め、自由に生きよ!」

 吼え声を上げ、虎が霊鬼(ジン)に襲いかかる。

 その、時―

 確かに霊鬼(ジン)は、防御の姿勢を解いた。

 大虎の牙が、がっぷりと霊鬼(ジン)たる巨人の首に食いこむ。

 「オオオオ…!」

 声にならぬ声を虚空に響かせて。

 霊鬼(ジン)は煙と化してランプの中に吸い込まれていった。

 「お、おい!『偉大なる天の大精霊』の名において!出てこい霊鬼(ジン)、我が命に従え!」

 必死に「僕」がこするが、ランプはうんともすんとも言わなかった。

 「さーて、あんたご自慢の霊鬼(ジン)とやらは負けたぞー。どうするんだ?『偉大なる何とか』の力でも借りるかい?」

 サイキがにやにやしながら問いかける。

 「くっ…!」

 彼は曲刀を引っこ抜こうとするが。

 「ここは我に任せよ!」

 「憑依」を解いた「さすらいの戦士」があっさりその刀をはじき飛ばした。

 「今!」

 サイキが飛びかかり、銀光をまとって力任せにランプを奪い取った。

 「か、返せ!それがないと拙はっ」

 とたんに「僕」は情けない顔でへたりこんだ。

 「何だよ、ランプがないと何もできないのかー?」

 「返して、返してくれえ」

 「やだよーん。ぽーい、と」

 ランプを遠くに放り投げた。

 「ああーっ!」

 男は情けない声を上げ。

 「おお、霊鬼(ジン)よ!なぜ攻撃を甘んじて受けた…我が命に背いて!」

 「品物に呪縛され、その所有者に絶対服従を強いられているはずの精霊が、その束縛を振り払ったのだ」

 「さすらいの戦士」が、重々しく告げた。

 「ただ使役されるのみの存在を、捨てたのだ」

 「し、しかし!『偉大なる天の大精霊』の御名が刻まれたランプがある限り、霊鬼(ジン)はその所有者の命令を聞くしかないのだ!」

 「()()()()()()()()、か」

 サイキはさっき放り投げたランプに近づいた。左手に握る。

 「むん…!」

 手に銀をまとい、力を込める…と、金属製のランプはぐにゃりとへしゃげた。刻まれた文字も一部が裂けている。

 「ああっ!」

 輝く風が、砕けたランプから湧き上がり、上方でぐるぐると渦巻き…少しずつ色が薄れて、消え去った。

 「―わたしの守護精霊『茶の鹿』が、こう言われたと告げています」

 カノコが微笑んだ。

 「ありがとう、と」

 「ああ、何と言うもったいないことを。ランプさえ持っていれば大抵の願いは叶うのに」

 「精霊は、閉じこめて好きにしていいもんじゃない。自由に在るべきものなんだ。俺たちがしていいのは、心を通わせ力を貸し与えてもらうだけだと、俺は思う」

 「拙は『加護を受けた者』ではないので」

 「じゃ、わからんだろうな。精霊と心を通じ合わせるってことが」

 サイキは嬉しそうに言った。

 「俺は巫術師じゃないから対話はできないけど、それでも感じるんだ。力に満ちた精霊を…心を込めて呼びかければ、応えてくれる。俺にその力を使わせてくれるんだ」

 (私には、わからない世界の話だわ)

 カノコにはわかるはず、と楓は少し暗い気持ちになる。

 (…でも、私にならできるってことも、あるよねきっと)

 「ああ、『偉大なる天の大精霊』よ、許したまえ…こんな所まで連れて来られて、何もできずに敗北した拙を」

 泣きながらひれ伏して祈っている。

 「おお、懐かしの故郷に帰りたい。さし昇る満月にもたとえられる乙女が、拙を待っている故郷に」

 「じゃ、帰らせてやろーじゃん。なっ?」

 「うむ、この者を引っ立てて、故郷に戻ろうかと考えている」

 サイキの言葉に、「さすらいの戦士」はうなずいた。

 「帰るんだ」

 「もう、逃げぬと誓ったからな」

 彼の顔に、あるかなきかの笑みが浮かんだ。

 「逃げぬ以上、元の場所で立ち向かわんとな」

 そんな男にサイキはにやりと笑いかけ、片腕を差し出した。

 「いつでも、遊びに来い。いつでも待ってるからな」

 「さすらいの戦士」はその手をがっしりと握る。

 「ああ。また、寄らせてもらうぞ。今は、先に行け」

 「―ありがとう」

 短く答えて、サイキは振り向く。

 「さあ行こうぜ!『祭司』さん、『道』を頼む!」

 「わかりましたぁ」

 翠の道が、空の彼方へ伸びて行く。

 「楓、来いよ!」

 彼はカノコの肩から、楓を自分の肩に戻した。

 「行くぜ、楓!」

 「うん!」

 光の架け橋に飛び乗った。

 「あっ、待ってくださいよう」

 慌ててカノコも続いた。

 「いやぁ、いろいろ大変ですねぇ」

 「祭司」も足を踏み出し、他の一同も続いた。

 「『銀の鷲の戦士』」

 サイキの背中に、あらたまった口調で声がかけられる。

 「何だ?」

 振り向く彼に、「さすらいの戦士」が一言告げた。

 「―男の顔になったな、サイキよ」

 「よせやい」

 少年の日に焼けた顔に、かすかに血が昇った。

 「さあ、行くぞみんな!」

 「さらばだ!」

 「僕」を引きすえながら、「さすらいの戦士」は去っていく一行をいつまでも見送っていた。

































































































































































































































































 































































































































 

































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