第185話「番外編:カイン王子、グロッサリア伯爵家を訪ねる」
──カイン王子視点──
カイン王子を乗せた馬車は、街道を北に進んでいた。
向かう先は、グロッサリア伯爵家。
アイリスの護衛騎士であるユウキ=グロッサリアの実家だ。
「殿下。間もなく伯爵家の屋敷が見えてきます」
「ご苦労。もう少し近づいたら、先触れを頼む」
「承知いたしました」
「予告なしの訪問だ、あまりおどろかせたくはないからね」
グロッサリア伯爵家を訪問するのは、妹アイリスの婚礼に関わることのためだ。
数日前、アイリスは『獣王騎』の起動実験を行い、成功させた。
その結果、アイリスを外国に嫁がせることはできなくなった。
彼女を外国に出した場合、相手の国は『獣王騎』の使用者を手に入れることになる。
リースティア王国は『獣王騎』を起動する手段を失う。
もちろん、アイリスが故郷に敵対することは考えにくい。
だが、彼女が子を生み、母となった後は?
我が子を人質にされたら?
子どもの命と引き換えに『獣王騎』を王国から持ち出せと言われたら?
アイリスが従ってしまう可能性は、ゼロではないのだ。
『魔術ギルド』は『古代魔術』と『古代器物』を安全に管理するための組織だ。
だからこそリースティア王国の支援を得ているのだし、カインたち王家の者が所属している。
B級魔術師であるカインは『王騎』の流出を防ぐ責任がある。
そんな彼が、アイリスを外国に嫁がせるわけにはいかない。
彼女の結婚相手は、国内の者に限られる。
おそらくは貴族の中から選ぶことになるだろう。
(できればあまり力を持たない貴族がいい。さらに言えば歴史が浅く、貴族同士の付き合いも薄い家が望ましい。それでいて忠誠心が高い貴族といえば……やはり、グロッサリア伯爵家が最適だろう)
父王も、カイン王子の意見に同意している。
ユウキ=グロッサリア──『魔術ギルド』に所属する優秀な魔術師で、アイリスの『護衛騎士』を務め、アイリスと同じ『オデット派』に所属する彼が、結婚相手として最適だ、と。
けれど──
(……どうして私は、誘導されたような気分になっているのだろうか)
まるで、喉の奥に魚の骨が刺さったような気分だ。
違和感と、引っかかりが消えない。
(アイリスが私の思考を誘導するなど……ありえないのだが)
カインの知るアイリスは、素直で真面目な少女だ。
魔術の才能はあるけれども、控えめで、あまり自己主張をすることもない。
以前よりは行動的になったようだが、それもつい最近のことだ。
きっかけは、ユウキ=グロッサリアが『護衛騎士』になったことにある。
ユウキ=グロッサリアは『魔術ギルド』に所属してすぐに、上位の魔術師のアレク=キールスに勝利するほどの手練れだ。
そんな彼ならば、『護衛騎士』としてアイリスを完璧に守れる。
身の安全が保証されたと考えたアイリスは、積極的に行動するようになったのだろう。
(これまでアイリスは『魔術ギルド』の仕事を真面目にこなしてきた。そんな彼女にとって、最近の事件は放置できないものだったのだろう。だからこそアイリスは、国のために『獣王騎』の被験者になったのだから)
カインも、アイリスを評価している。
その護衛騎士であるユウキ=グロッサリアのことも。
あのふたりならばお似合いだ。
だが、カインはグロッサリア伯爵家のことをよく知らない。
王女を嫁がせるのにふさわしい家か、確認したいと思った。
それで視察にやってきたのだった。
「屋敷が見えました。殿下。先触れを出してもよろしいですか?」
「頼む。それで……訪問の口実はわかっているね?」
「『イーゼッタ=メメントの様子を見に来た』ですね」
「そうだ。彼女がグロッサリア伯爵家の家庭教師としてどのように働いているか、『カイン派』のリーダーとして確認に来たのだ」
──それが、訪問の口実だった。
アイリスの結婚は、まだ先の話だ。
おおやけにはできないし、グロッサリア伯爵に話すことでもない。
今回の訪問は、イーゼッタ=メメントの様子を見に来たという建前になっているのだ。
『エリュシオン』第5階層調査の直前、メメント侯爵家が事件を起こした。
侯爵家の長女であるイーゼッタ=メメントは、罰を受けることになった。
イーゼッタに下された罰は『魔術ギルド』からの除名。
王都からの追放。
そして、貴族の家への預かりとなることだった。
彼女の預け先として選ばれたのが、グロッサリア伯爵家だった。
もちろん、監視はついている。
彼女がどのように過ごしているか、定期的に報告も受けている。
それでもカインは、イーゼッタの様子を見ておきたかったのだ。
「先触れの者がグロッサリア伯爵と話をしております。ああ、伯爵さまがこちらに向かって走ってきておりますね」
「出迎えよう。馬車を停めてくれ」
指示を受けて、御者が馬を停める。
カインは馬車を降りて、グロッサリア伯爵の方を見た。
グロッサリア伯爵は足が速い。
元々彼は強力な戦士だった。その運動能力は、今もおとろえていないのだろう。
ユウキ=グロッサリアの身体能力は父親から受け継いだものか……そんなことを思いながら、カインは、走ってくるグロッサリア伯爵を出迎える。
「カイン殿下! ご来訪をいただきまして……なんと申し上げていいやら」
「突然に訪ねてしまい、申し訳ない。ゲオルグ=グロッサリア伯爵」
「いえ……問題はございません」
ゲオルグは息を整えてから、地面に膝をついた。
「ただ、おどろいているだけです。殿下がいらっしゃると知っておりましたら、歓迎の準備をしましたものを」
「お忍びの旅です。気を遣わないでください」
「は、はい。イーゼッタどのの視察のためにいらしたのでしたな。ですが、監視役の方が、定期的に報告書を出されていると思うのですが……」
「それでもです」
カインはうなずいた。
「イーゼッタ=メメントは私の側近でした。その彼女が今、どのように暮らしているのかを確かめたいのですよ。彼女に気づかれることなく、遠くから、この目で」
「お会いにならないのですか?」
「……それは、彼女の様子を見てから決めたいと思っています」
「承知いたしました。ご案内いたしましょう」
ゲオルグは先に立って歩き出す。
「イーゼッタどのは今、子どもたちの指導をしてくださっています。場所は離れの裏です。馬車では目立ちます。ご足労いただいても?」
「構いません。案内願います」
「承知いたしました!」
カインとゲオルグは屋敷の裏手に向かう。
目立たないように、護衛の兵士はひとりだけだ。それでもカインに不安はない。グロッサリア伯爵家は人里から少し離れている。まわりに人が隠れられるような場所はない。
そもそも、この地にカインを襲うようなものはいないだろう。
(ここは……おだやかな土地だね)
カインはふと、安心したような息をつく。
(王都の騒がしさは、ここには届かない。まるで、ゆったりと時間が流れているようだ。このような場所で暮らしていたから、ユウキ=グロッサリアは不思議な性格になったかもしれないね)
聞こえるのは自分たちの足音と、鳥の鳴き声。
温かな風が木々を揺らす音。
それに耳を澄ましながら進んで行くと、やがて、人の声が聞こえてくる。
イーゼッタが、魔術の指導をする声だった。
「ゼロスさま。あわてて呪文の詠唱をしてはいけません。音節ごとに、はっきりと発音なさってください」
「は、はい! イーゼッタ先生!」
「何度も申し上げておりますが、敬称は必要ありません。今の私は罪人なのですから」
「いいえ。僕にとっては先生です。敬称を省略するわけにはいきません!」
「……本当に真面目な方ですね」
「弟にも同じことを言われました。でも、これが僕の性分ですから」
「承知いたしました。では、もう一度はじめから『氷針連牙』を」
「はい。『────成就せよ』」
離れの庭で、少年が魔術の練習をしている。
おそらくはグロッサリア伯爵家の嫡子、ゼロス=グロッサリアだろう。
イーゼッタはゼロスの側に立ち、じっと彼を見つめている。
その練習風景を、ふたりの少女が眺めている。
ひとりはイーゼッタの妹、コレット=メメントだ。
彼女はイーゼッタの世話役としてグロッサリア伯爵家に滞在している。彼女はメメント侯爵家の庶子で、父親の陰謀には関与していない。
けれど、彼女は姉と一緒にここに来ることを望み、『魔術ギルド』もそれを許可していた。
コレットの隣には金色の髪の少女がいる。
彼女はゼロスに向かって「お兄さま! がんばってください!」と声をかけている。
ゼロスの妹、ルーミア=グロッサリアだ。
ルーミアはコレットと手を繋いでいる。
仲のいい友人同士のように、肩を寄せ合って。
そんなコレットに、イーゼッタが視線を向けて、微笑む。
最愛の妹を見守る……姉としての表情で。
(……あれは本当に……イーゼッタなのか?)
はじめて見る表情だった。
カインの知るイーゼッタ=メメントとは、まったく違う。
ふんわりとした、やわらかい微笑み。
そんな表情は──王都では、一度も見たことがない。
(王都での彼女はいつも厳しい表情だった。メメント侯爵家の令嬢として……気を張っているような。声をかけられるのを拒むかのような。その彼女が……あんな表情を……)
「……カインさま?」
「……なんでもありません」
カインは頭を振った。
「ご子息の練習の邪魔をしたくありません。よろしければ、このままで……」
「は、はい。承知いたしました」
イーゼッタの指導は続いている。
ゼロスの魔術詠唱や、手足の動きを修正し、魔術を発動させる。
発射された『氷針連牙』──氷の刃が、的に突き刺さる。
連続で5発。
すべてが寸分も違わず、的の中心を射貫いていた。
「できました! イーゼッタ先生!!」
「よろしいです。やはりゼロスさまは古代魔術の精度を高めた方がいいようです。そちらの方に、大きな才能をお持ちだと思います」
「ですが先生、古代魔術の優位性は、その威力にあるのだと聞いていますが」
「成長して魔力が強くなれば、威力は自然と高まっていくものです。まずは精度を高めるべきです」
「は、はい!」
「魔術の精度を高めることは、ゼロスさまの性格に合っていると思います。ゼロスさまは真面目な方ですからね。昨日も遅くまで、詠唱の練習をされていたのでしょう?」
「ご存じだったのですか……?」
「いえ、かまをかけてみただけです」
おだやかな表情のまま、イーゼッタは肩をすくめてみせた。
ゼロスが苦い表情になり、ルーミアがお腹を抱えて笑い出す。
「お疲れさまでした。ゼロスさま。イーゼッタ姉さま。これで汗をふいてください」
そんな中、コレットがふたりに布を差し出す。
ゼロスとイーゼッタはそれを受け取り、顔の汗をぬぐっていく。
その姿もまた、カインが見たこともないものだ。
侯爵令嬢のイーゼッタが人前で汗をぬぐうなどありえない。
庶子のコレットが、嫡子のイーゼッタに、立ったまま布を差し出すことも。
イーゼッタが……それを笑顔で受け取ることも。
カインの側ではゲオルグ=グロッサリアが、満足そうにうなずいている。
ということは、これは見慣れた光景なのだろう。
イーゼッタは身をかがめて、コレットの頭をなでている。
コレットはうれしそうに目を細める。
そんな姿を目にしたカインは──
(そうか。これが君の本当の姿なのだね……イーゼッタ)
メメント侯爵家は没落した。
イーゼッタは王都を追放され、グロッサリア伯爵家の預かりとなった。
そして、イーゼッタとコレットは、ただの姉妹になった。
けれど、ふたりは幸せそうに笑っている。
ふたりにとって貴族の地位は、ただの重い荷物だったのかもしれない。
「では、次はルーミアさまの魔術を見てさしあげましょう」
「先生! ルーミアはお腹がすきました。お昼を食べてからにしませんか!?」
「……いいでしょう」
イーゼッタは困ったような顔で、うなずいた。
「ルーミアさまは詠唱の発音が正確です。そこは自信を持っていただいて構いませんよ」
「発音はユウキ兄さまに、みっちりと指導してもらいましたから」
「そうですか。では、指導のランクをひとつ上げることにしましょう」
「……お、おてやわらかにお願いします」
ルーミアの顔が引きつる。
そんなルーミアの肩を叩いてから、ゼロスは、
「イーゼッタ先生。お時間があるときに、僕に貴族の心得を教えていただけませんか?」
「ゼロスさま」
「はい」
「私はすでに貴族ではありません。メメント侯爵家は没落して……」
「関係ありません。先生は、貴族としての心をお持ちの方だと思っています」
「…………わかりました」
イーゼッタはゼロスから視線を逸らして、うなずく。
その目の端に……涙が浮かんでいるのが、見えた。
「私でよろしければ、ご指導いたしましょう。夕食前でよろしいですか?」
「はい! ありがとうございます。あ、ルーミアも同席するように」
「私もですか!? 夕食前はコレットさまと一緒に過ごしたいと思っていたのですけど……」
「こら。コレットさまのお仕事の邪魔をしてはいけないと言っているだろう?」
「ち、違います。遊ぶわけではありません。王都にお手紙を書くので……文章をチェックして欲しくて……」
声と足音が、遠ざかっていく。
やがて、イーゼッタとゼロス、ルーミアとコレットの姿は、視界から消えた。
「……ありがとうございました。伯爵」
カインは、身を隠していた木の陰から、足を踏み出した。
「イーゼッタの様子がよくわかりました。これで失礼いたします」
「もうお帰りになるのですか!?」
「ええ。用事は済みました」
カインはゲオルグの顔を見ながら、うなずく。
「ありがとう。ゲオルグ=グロッサリア伯爵。これからもイーゼッタとコレットのことを、よろしくお願いします」
「光栄です。カイン殿下」
ゲオルグは地面に膝をついた。
「イーゼッタさまとコレットさまの身は、今後もグロッサリア伯爵家でお預かりいたします。カイン殿下には、どうか、お心安らかに」
「わかった。ありがとう」
「ところでカイン殿下。ひとつ、申し上げてもよろしいでしょうか?」
「ああ。構わないよ」
「我が子、ユウキ=グロッサリアのことを、気に掛けてやってはくださいませんか?」
ゲオルグは頭を下げたまま、そんな言葉を口にした。
「特別あつかいをしていだきたいわけではありません。ただ……あの子が怪我をしたり、倒れたりしたときは、ご連絡をいただきたいのです。私と家族が駆けつけることができるように」
「……ゲオルグ=グロッサリア伯爵」
「お願いいたします!」
「顔をあげてください。あなたのお心は、よくわかりました」
カインは手を伸ばして、ゲオルグを立ち上がらせる。
「承知しました。ユウキ=グロッサリアになにかあったときは、すぐに連絡することを約束します」
「ありがとうございます。殿下」
「礼を言うのはこちらですよ。ゲオルグ伯爵」
自然と、言葉が口をついて出た。
ゲオルグ=グロッサリアがどんな人物なのか、グロッサリア伯爵家がどんな場所なのか……カインには、はっきりとわかったからだ。
おだやかで優しい、イーゼッタの表情。
屈託なく姉を慕う、コレットの姿。
ふたりに寄り添うゼロスとルーミア。
そして、庶子のことを心から心配するゲオルグ。
ここは、そんな人々が住まう場所なのだ、と。
(王都の喧噪も、陰謀の声も届かない。そういう場所があってもいい)
心からそう思う。
イーゼッタとコレットがこの場所に来ることができて、良かったと。
(だが……ここは私がいるべき場所ではない。私がいては……この場所の静けさを乱すことになってしまう。私は……王都の喧噪の中にいるのがお似合いだ)
それでも、アイリスを嫁がせることはできる。
ゲオルグの人柄もわかった。
グロッサリア伯爵家が、落ち着ける場所だということも理解した。
アイリスの嫁ぎ先としては問題ないだろう。
(私がおそれるのは……アイリスの存在が、この場所を乱してしまうことだね)
仮にユウキとアイリスが結婚するとしたら……彼らには、別の領地を与えるべきだろう。
新たな貴族の家を立てて。
ここではない、別の場所を領地として。
(ふたりのために、新たな公爵家を打ち立てるのは悪くない。その方が王家としても、彼らの力を借りやすくなる。ガイウル帝国の問題がある現状なのだから……)
そこまで考えて、カインは苦笑いを浮かべる。
(……やはりな。政治のことが頭から離れない私は、この静かな場所にふさわしくないのだろう)
そう思ったカインは、足を速める。
ゲオルグに見送られながら、馬車へと乗り込む。
「手数をかけました。伯爵。今日のことはイーゼッタには……」
「承知しております。口をつぐんでおきますとも」
「ありがとうございました。それでは、これで」
やがて、馬車が走り出す。
窓から外を見ると……ゲオルグが頭を下げているのが見えた。
やがてその姿が小さくなる。
グロッサリア伯爵家の屋敷も、視界から消える。
「さようならイーゼッタ。どうか、幸せに……」
そんなことをつぶやいてから、カインは、馬車の座席に腰を下ろす。
彼は、手元にあった書類に目を通す。
そうしてカイン王子は、自分の居場所である王都に向けて、進み続けるのだった。




