プライド
「・・ないな。・・負けか・。」
白川は返事をせず、運転を続ける。その心中は思うように実力の差を見せつけて溜飲が下がったことより、つまらない怒りに任せて幾らか酒の入っている小金井に対してやり過ぎてしまったという反省が多く含まれていた。
結局、白川が打ち明けてタブレットを使った将棋となったのだが、小金井は呼吸の音もたてずに盤面を凝視している。
「兄ちゃん、強いな・・まさか真剣師ちゃうやろな?」
「まさか・・。確かにそのタブレットで将棋を指せるタクシーですが賭けちゃいませんよ。いや、勝っても貰っていません・・。」
白川にすれば本当は“真剣”というシステムでも良かったのだが、客に背後を預ける仕事上、恨みを買ったりぎすぎすとした雰囲気を作りたくはなかった。それに加えて負けた者の中には必ず腹いせに通報する者が出てくる。小さな稼ぎのためにヘタを打って資格を失ったりパクられたりでは割に合わない。
「そやけど素人やないやろ?」
腕に覚えのある小金井はそれなりの相手に負けた事実が欲しい。故に執拗に食い下がる。
「・・実は若いときに奨励会に籍を置いてました。・・プロにはなれませんでしたが・・。」
つい熱くなってしまった非礼の反省から自重気味に白川は打ち明けた。
「なんや、プロ崩れか! そら強いはずや。」
小金井は職業柄、物の言い方に遠慮はない。ましてやそのトップであれば尚更である。
『それがどうした!・・悪いか!? 』
もう少しでそれが零れそうになる。
白川は元々気が短い気性ではない。だが、誰にでもその人固有の気に障る、“地雷”に該当するNGワードというものがある。彼の場合、将棋を軽んずる発言がそれに当り、とりわけ“プロ崩れ”は禁句に位置するものだった。もっとも小金井に悪気などない。
「プロ崩れですが、目隠し将棋が自慢くらいの素人には負けません。」
沸々と湧いてくる怒りは白川の黒い闘志を煽り、挑発的な言葉を引き出させる。
「ほう、えらい噛みつくやないか。‥君は将棋が好きなんか、嫌いなんかどっちや?」
『・・。』
意外に冷静な小金井とその答えようのない質問に白川は言葉を失った。
「どっちでもなしか・・ほんならもう指したぁなくなるよう終わらせたるわ。プロ以外には負けん言うたな。これから五人ワシが刺客を送る。五人抜きや。勝てばレンガ1本、1000万が懸賞金でどうや?」
『この男とは付き合いきれない』
既に小金井に対して危険な匂い察知し、猜疑心を抱いた白川は怪しげな話を断りにかかった。
「・・まぁ聞けや。負けたからって金は取らん。安心せぇ。詫びは入れてもらうけどな。腕をもらうとか指を潰すとかヤクザやないんやからそんなことはせん。ただそうやな・・右手の甲に“負け犬”の入墨を彫らせてもらう。もちろん何かで隠しゃ将棋も指せるやろう。でも手を見る度に負けを実感してもらう。逃げる理由は・・ないな? 」
「・・プロ以外・・元プロもなしですよ。あと、あなたとは正直、もう関わりたくない。・・この勝負が終われば二度と私の前に現れないと約束してください。」