始まりの日
2019/9/19
大分前に書いて放置してしまっていたものを、加筆修正してみました。
大まかな流れは変わっていないのですが、色々書き直してあります。
投稿時はスマホで書いていましたが、今はPCで書いてます。
そして、PCから投稿してみました。
こちらの方がやはりやり易いですね。
スマホでみている方には見難くなっていたらすみません。
まだ始めたばかりなので結末まで時間がかかると思いますが、長い目で見ていただけると幸いです。
不思議な夢を見る。
見知らぬ草原の真ん中で、私はその人を見上げている。振り返ったその人の顔は逆光で見えない。
黒い影となったその人の、微かに見える口元が微笑ったようだった。
『もう、戻してはやれないぞ?』
穏やかな声音だ。
少し低めの、耳に心地よい声。
その人の手が、ゆっくりこちらに差し伸べられる。
私は――
目を開けると、そこはいつもの天井だった。
起き上がって室内を見回してみても、変わったところは何もない。
「……熱い……」
抑えるように胸元に手をやる。
この夢を見た後は、必ずここが熱くなる。
シオンはため息を吐くと、ベッドから降りた。
鏡の前に立ち、そこに映る自分に目をやる。
何の特徴もない、平凡な女。それが自分を示す記号だ。
背の中程まで届く髪は黒く、瞳も黒。あまり日に焼けていない肌は白く、髪や瞳の黒が良く映える。
寝起きということもあって、鏡の中の自分は不機嫌さを露にしている。
まあ、こればっかりは仕方ない。
シオンはクローゼットから制服を取り出すと、それに着替え始めた。
濃紺と黒の間のよう色の生地に、金糸で襟元や袖、裾に四つ葉の刺繍がされている。動きやすさを重視した制服であり、シオンにとっては非常に有難い支給品だが同職の女性たちからは評判が悪いらしい。
身支度を整え部屋を出、顔を洗って台所に顔を出すと同居人兼大家のハルが朝食の用意をしてくれていた。
「おはよう、シオン。顔洗った?あら、髪まだ結ってないじゃない」
相変わらず、ハルは朝から元気だ。
シオンは小さく返事を返して着席すると、合掌してスープを口に含む。
「美味しい?」
「ん」
「よろしい♪」
頷くシオンの背後に回り、上機嫌で髪を結わえてくれる。
彼女は自他共に認める美人で、自慢の赤毛をふわふわに巻き、色鮮やかなドレスに包まれた長身は細身で締まっている。
ただ、体のラインは骨張っており、女性と言い切るには厳しい程度に本来の性が見えている。
しかし、立ち居振舞いその他諸々、自分より余程女性らしい彼女のことをシオンは尊敬していた。
焼いたパンをかじりながら、彼女がシオンの荷物に弁当をしまうのをぼんやり眺める。
髪はいつの間にか結わえ終わっていた。
彼女は本当に手際が良い。
シオンが食べ終える頃には準備万端、整っている。
「行ってらっしゃい。気をつけて」
「うん、行ってくる」
「何かあったら、アタシを呼びなさいね?」
「わかってる」
いつものやり取りを終え、シオンは家を出た。
石畳を足早に役所へ向けて歩く。
石造りの町並みは区画整備が行き届き、建ち並ぶ店からは開店準備の忙しなさを感じる。
毎日この光景を眺めながら歩いているのに、シオンにはどこか現実味が足りない。
つきまとう、この違和感は何だろう。
自問しても答えが出たことはない。
歩くうち、町の中心地、堅牢で大きな建物が見えてくる。
そこが目指す役所、シオンの職場だった。
シオンが住む町、リベラはマズルカ王国領の外れ、隣国との境に位置し〈果ての草原〉にも接している。
果て、という呼び名がついているが、実際この草原は世界のど真ん中に位置している。昔の人は、一体何を考えてこんな呼び名をつけたのか謎だ。
まあ、それはそれとして。
〈果ての草原〉には魔王が住んでいるという噂がある。真実を確めた者はいないが。
この草原には多くの魔物が存在しており、人の侵入を阻んでいるとも聞く。これも真偽のほどは分からない。何故なら、見てきた者がいないからだ。
誰も見てきた者がいないのに、それがまるで事実であるかのように人々は信じて疑わない。
シオンには、そのことが不思議でならなかった。
それに、本当にあの場所に魔王や魔物が住んでいると言うのなら、この町は危険地帯にあることになる。
けれど、そのことを町の住人たちは誰一人気にした様子がない。
普通、そんな危ない土地に安穏と暮らしているなど不可能だと思う。
それなのに、ここはこんなに平和で、旅人もよく訪れる。
旅人たちは口を揃えてこう言うのだ。
この国の境の町はどこも穏やかで恵まれている、この世界には他に四つの国があるが、どこも外れの町や村は寂れている、と。
このマズルカ国は、こういった境にある町などへの予算を優遇してくれている。
人々はそれを、王族の目が国の外れにまで向けられている証、と思っているらしい。
シオンに言わせれば、その優遇こそ、危険な土地に住む人々への補償金にしか思えない。
とは言え、そんなことを大っぴらに口にできるわけでもない。
頭がおかしい、と言われるか、反政府主義者として軍に突き出されるのがオチだ。
そんなことをしては、世話になっているハルにまで迷惑がかかる。
まあ、危険地帯ではあるとしても、これと言って危ない事件が起こるわけでもない。
ちょっとした喧嘩や揉め事は起こるが、それだけだ。
そう言えば、ここが一番マシだった、とハルも言っていたなと思い出す。
彼女は昔、世界中を旅していたらしい。一番マシなところで落ち着いたのよ、と以前教えてもらったことがある。
そんなところへ流れ着いたのであろう自分は、運が良かったのだ。
その上、彼女に出会えた。今の自分があるのは全て彼女のおかげで、人生どう転ぶか分からないものだ、としみじみ思う。
この仕事も、実はハルの口利きによるものだった。
世話になってばかりは心苦しい、何か仕事をしたい、と言った自分に、ここを紹介してくれた。
占い師でもある彼女の顧客の中に、役所の上層部の人間がいたらしい。
たまたま前任がいなくなってしまい、人手が足りなくなったということで資料整理課への配属が決まった。
シオンと先輩職員一名、彼の責任者である課長一名の、計三名体制のこの課は、色々と雑用を押し付けられることが多い。
しかも、持ち運ぶ資料は膨大な量になることも少なくなく、肉体労働の一面も持つ。
加えて、先輩職員は少々癖が強い。
シオンはそれほど気にならないのだが、合わない人にとっては苦痛だろう。
噂によると、この課に配属された前任たちは悉く逃げ出したらしい。
人使いの荒さと、独特な先輩、それに加えて、マイペースな課長。
一年いれば新記録、と言われていた部署も、今年で二年目となる。
あの課に馴染む変人。
コネで入ったことへのやっかみから、当初は随分嫌みを言われたものだったが、変人の称号のおかげで、いつしかそれも聞こえなくなった。
慌ただしいが、余計な気遣いが不要なこの部署は、シオンにとって居心地が良い。
倉庫内に資料を戻し終えたシオンは、次の作業へ移るべく足早に事務室へと向かった。
「いいか、シオン。資料整理ってのはな、根気と、時々体力勝負だ!」
そう教えてくれたのは、先輩事務員のルイスだ。彼は筋骨隆々のいかにも武闘派な見た目だが、意外にも細かい仕事が得意でよく世話になっている。
声が大きく傍で離されると耳が痛いし、力が強くて加減が下手なため、叩かれるととても痛いのを覗けば、特に苦手なところはない。
面倒見も良いし、根は優しいし、良い人なのになあ。
この人の評価の低さが、シオンにとっては残念でならない。
細かく指定された大量の資料を一緒に運んでもらいながら、シオンはそっとルイスを見上げる。
シオンの三倍はあろうかという寮を軽々抱えた彼と、指定された部屋に資料を運び終えると、流れで一緒に休憩することになった。
「この時期は、あれを出せこれを用意しろ、とまあ煩くて敵わねえなあ」
中庭に置かれた長椅子に並んで座りながら辺りに響きそうな音量で言うものだから、思わずちょっと耳を押さえた。
少しだけ顔をしかめる。
「先輩、そんなデカい声で言ったら怒られますよ」
「本当のことだろ」
「そうなんですけど」
徐々に暖かくなるこの時期は、上の人は色々決め事が増えて過去の資料を引っ張り出すことが多いのだ。
あれこれついでに雑用を頼まれるのも、この課特有のことらしい。ルイスがぼやく理由は主にその辺りに起因する。
こういう、ある意味素直なところがシオンには好感が持てるのだが、周りからは煙たがられるらしい。
口が悪く声が大きいのも、誤解を受けやすい要因の一つと言える。
「そういや、どうだ?何か不自由することあるか?一応、女はお前一人だからな、何かあるなら早く言えよ」
ほら、こういう気遣いができる人なのだ。
温かい気持ちになりながら、シオンはゆっくり首を振る。
「いえ、特には。先輩にも課長にも良くしてもらってますし、気楽にやらせてもらえて、むしろ感謝してるくらいです」
「そーか、ならいい!」
言って、何故か背中をばしばし叩かれた。痛みと衝撃でむせる。
「おっと、悪ぃ」
がはは、と豪快に笑って持っていた握り飯にかぶりつく。
じんわり痛む背中に気を取られつつ、シオンも持ってきた弁当の包みを開ける。いつも通りのサンドイッチ。心でハルへの感謝を捧げる。
いつも通り。
ここまでは、いつも通りだったのだ。
夕方の町並みは橙に染められ美しい。人々は一日の営みを労い合いながら楽しげに酒場の戸を潜る。
そんな町中を、シオンは荒い息を吐きながら駆けていた。
おかしくなったのはどこからだろう。
必死に今日一日の記憶を辿る。
仕事の時は?
何もなかった、はずだ。
変人呼ばわりされるのはいつものことで、ただの耳障りな雑音だ。気分が良いわけではないし、時には腹立たしく想うこともあるが、日常の範囲内である。
色んな人にぶつかりそうになり、時にはぶつかってしまいながら尚、走る。
と、ちょうどいい物陰を見つけ、隠れて息を整える。
数人分の足音が自分の後を追いかけてきている。三人か、四人だったか。確かそのくらいいたはずだ。
「……っ、つうか、何で私が……」
思わず悪態が口をついて出る。
いきなり数人に囲まれ、一緒に来い、などと怪しいことこの上ない。こんなの、誰だって逃げるに決まっている。
ほんの数分前の出来事を思い出し、小さく舌打ちをした。
彼らを振り切れたのは、単純に運が良かったとしか言えない。
全く、意味が分からない。あんな連中には面識も、ましてや追いかけられる理由なんかあるはずもない。
それなのに、逃げるシオンを彼らはしつこく追いかけ回してくるのだ。
自分が一体何をしたと言うのか。
息を整えながら、注意深く様子を窺う。
白装束の男が二人、通り過ぎていくのが見えた。
辺りをざっと見回す。どこをどう逃げたか、おかげで家とは離れた方へ移動してきていた。
家までが、遠い。
いや、この場合、家に帰るのは正解だろうか。
彼らがどうして自分を捕まえようとしているのか、それが分からないままではどこに行こうと危険ではないのか。
だからと言って、馬鹿正直に聞きに行くことはできない。
どこへ連れて行かれて、何をされるかもわからないのだ。
じゃあ、どうすればいい・
どうしよう、どうしたら
こんな時、誰を頼ればいい?
自分には何もないのに。
『何かあったら、アタシを呼びなさいね?』
ハルの言葉が脳裏を過る。
彼女の笑顔を思い出す。優しい声を、あたたかな手を思い出す。
不意に泣きたくなった。鼻の奥がツンと痛む。
ハルを、巻き込んではいけない。
シオンは心の中で詫びた。
ごめんなさい。もらってばかりの自分は、あなたに何も返せないまま別れなければいけないみたいだ。
何も言わずにいなくなる自分を、どうか許してほしい。
シオンは、このまま町を出てしまおうと思った。
訳が分からない事態に巻き込まれて、どうしたらいいか分からなくて、でもハルには迷惑をかけたくない。
こんな自分をここまで支え、見守ってくれた優しい人。
追いかけてきていた足音が遠ざかっていく。
息を殺して白装束の後姿が遠ざかるのを確認し、シオンは来た道を戻るように駆け出した。
遠回りになるが、役所の脇を抜けて東門を目指そう。
そこから町を出て、後はーーその時考える。
「……ごめ……ハル……」
吐き出す息に乗せた呟きの直後、疲労のために速度の落ち始めたシオンの体をあたたかい何かが包み込んだ。
異世界っぽさが薄いかもしれませんが、異世界ものです。現状恋愛要素が皆無ですが、一応恋愛要素有りです。そのうちほんのり漂う予定です。
誤字とか誤変換とか諸々やらかしていないかがとても心配です。
まずは、しばらく続く物語にお付き合いいただけたら幸いです。