温度と匂いと感触と。
貴方が好きだったこの部屋
貴方と愛し合ったこの部屋
貴方と一緒に朝を迎えたこの部屋
貴方が消えてしまったこの部屋
貴方を消してしまったアタシ
――温度と匂いと感触と
時間なんて、
早く過ぎるものだと思っていた。
彼といるときなんて、朝起きてベットで笑いあっていたらいつの間にか夕方になってる…なんてことがしょっちゅうだった。
なのに今は。
「本当…貴方ってどこまでもアタシをイジめるのね」
ぽつりとつぶやいたその言葉は、アタシしかいないこの部屋に空しく吸い込まれていって。
ボスリ、とベットに倒れこむ。
冬の夜なだけあって、暖房をつけても初めはまだ寒い。
ひんやりとした感触に頬を押し付けながら、
なぜこんな風になってしまったのかと考える。
喧嘩をしたわけではなかった。
お互いが嫌になったわけでもないと思う。
現にまだアタシは、悔しいけれど、貴方が好きだ。
貴方だって多分そう。
最後の最後まで、アタシのことを愛してるっていってた。
じゃあ、なんでだっけ?
頭を一生懸命に働かせて、思い出そうとする。けれど、どうしても肝心な「核」が出てこない。
「まぁ…もう過ぎたことだもんね」
そんな言葉を漏らしたところで、誰に届くわけでもないけれど。
暖房をつけた部屋はやがて暖かくなり、冷め切った心すら、穏やかにしてくれる。
ちらりと暖房のリモコンに目をやると、設定温度は24度。寒がりなアタシのために、貴方が設定してくれた温度。
ずるいずるいずるい…ずるいわ。
貴方はあちらこちらに自分がいた証を残して。なんでいつもそうなの。
なんでアタシはあんなことをしたのだろう。
なんでだっけなんでだっけ…思い出さなきゃいけない。
そうしないとアタシは狂っちゃうわ。
大好きで大好きでしょうがない貴方にアタシはなんてことを。
やだやだやだ…貴方がいない。
貴方を消したのはアタシなのに、アタシはまだ貴方を欲している。
貴方がいた頃となにも変わらないはずなのに、なんでこうも違うの。
温度だって匂いだって触れるものの感触だって。
きっと変わらないのに。
ここはいつもと同じように同じ温度設定をしたアタシの部屋。
なのになんでなんでなんでなんで…!
なにも変わるはずがないわ、なのになんでこんなにも…!
決定的に違うところ。
貴方が隣にいない。
~~~~♪
急に鳴り響いた着信音。
ベットの下から聞こえてくる。
考え事の途中で、思わずびくりと身体を揺らす。
着信音で、一気に現実に引き戻された。
それと同時に、今までは気にならなかった温度と匂いと感触が、一気に私に不快感を覚えさせた。
着信音はまだ続く。
いつもだったら無視するところなんだけど、今日はなんだかうんざりしてしまって、ベットの下をのぞく。
貴方だったものの横に投げ出された携帯を手繰り寄せ、拾い上げる。
耳障りな、音。
開いてみると、女の名前。
メールではなく着信のようだ。
アタシは、ようやく「核」を思い出した。
…そうだ。全部、全部全部、貴方が、悪いんだったわ。
携帯をへし折り、投げ捨てる。
着信音は不気味な悲鳴のような音をあげて、消えた。
もう一度ベットの下をのぞき、貴方だったものを見つめる。
「…そうだ、貴方が悪いんだったわ。
貴方が、あんな、さえない、ブスと、連絡なんてとってるから。あんな、あんな、あんな尻軽女と、浮気なんてするから…!」
怒りが、こみあげてきた。
「どうしてよどうしてよ…!貴方が愛してるのはアタシでしょう!?アタシ以外はいらないんでしょう!?お酒のせい…!?
あんなブスとアタシがいない間に飲んだ貴方が悪いんでしょう!!」
涙まで。
「飲んだ後も連絡をとっていたのはなぜ!?
あんなブスに!一度だけで情でも沸いたのかしら!?ねぇ!!!聞いているの!?ねぇ!…ねぇ…返事をしてよ…」
貴方だったものは、返事をしない。
怒りに任せて声を荒げていたが、
涙のせいで声すらあまりでなくなる。
「ねぇ…ごめんなさい…謝るから、お願い…起きてよ…返事をして…ごめんなさい…」
涙が、とまってくれない。
力が抜け、思わず床に座り込む。
貴方だったものは、アタシを何も言わずに見つめていた。愛おしさと恐怖、そんな感情が混じったような瞳。まだ、動き出すんじゃないかと思ってしまう。
「お願い…イジめないで…起きて…」
貴方だったものは、動かない。
「愛してる…愛してるの…ごめんなさい……」
いつもより冷え切った温度。
血生臭い匂い。
全身に感じる血の感触。
全てが、違った。
貴方が隣にいないだけで、
アタシの日常が、すべてが崩れてしまった。
狂って、しまった。
「貴方のせいよ…」
ちがう。
「アタシのせいか…」
ちがう。
「じゃあ…」
決まってる。
「あのブスのせいね」
その通り。
アタシは立ち上がった。
しなければいけないことが、できた。
「あのブス…」
絶対に許さない。
end