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連携で近代日本史を変える  作者: 四式戦闘機疾風甲
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7話 二度目の大戦

ドイツ亡命艦隊は新鋭戦艦2隻をと中型空母4隻を持つ決して弱くない艦隊である。これらの艦隊を設立することで日本は反ナチス国家でさらにドイツ人との仲が悪いわけではないことをアピールできた。


1935年のドイツの再軍備から日本はイギリスとフランスに対して対ドイツ政策及び戦略の危険性を説き対ドイツ強行姿勢を主張したがイギリスは日本を好戦国家と蔑み遠ざけた。(フランスは一部政策や戦略の見直しをしたが)よって新生日本の存在がありながらも世界は殆ど第二次世界大戦前と同じように動いた。そして、


1939年

ドイツはポーランド回廊を求めポーランドに宣戦布告。電撃的に進行した。これに英仏両国は対ドイツ宣戦布告を行いポーランド救援の姿勢を見せたが日本に言われば何かもが遅かった。

ドイツは瞬く間にポーランドの西半部を占領した。東半分はもちろんソ連だ。

さらにこの時ソ連はドイツと不可侵条約を結んでいた。ソ連にとって一番憎むべき敵は建国時に北樺太と南沿海州及びウラジオストクを奪った日本だった。


史実の通りノモンハン事件が発生した。この戦いは主に満州帝国軍とソ連軍の激突だった。空では日本製の九七式戦闘機はソ連のI15戦闘機を圧倒した。陸ではBT7戦車と九七式戦中戦車は激突し、こちらもまた九七式中戦車に軍配が上がっていた。しかしソ連は持ち前の豊富な人的資源を生かした人海戦術をとり戦線は膠着した。

その後満州帝国はソ連と和睦した。ソ連からソ連と日本の主張するそれぞれの国境線の中間地点を最終ラインと取り決める和睦案が出された。ソ連は開発されて間もないA20中戦車も出し日本軍の新型九七式中戦車に優勢に対して優勢を誇っていたため満州帝国は丁度良かったのだ。新京(長春)条約でソ連と満州帝国は今後20年の不可侵条約を結んだ。これにより満州帝国は内政の発展を大きく遂げることとなる。


ノモンハン事件からほどなく南沿海州に対してソ連軍が侵攻してきた。日本軍はソ連の南沿海州侵攻の旨を諜報部より受けていたため精鋭8万ほどが国境線で強固な防衛ラインを築いていた。そこにソ連軍は攻撃を仕掛けてきた。ソ連軍の攻勢は烈火のごとく激しいものだった。しかし日本軍も精鋭部隊の最新兵器による防戦だったため着実にソ連軍にダメージを与え続けた。しかし戦線は膠着し長期戦の様子を呈してきた。この際韓国では日本軍による兵器の補給品や食料品や医療品の買い上げにより経済が活性化していた。

日本軍はソ連軍の最新鋭全金属製単葉戦闘機I16の登場により九七式戦闘機の速度的優勢が失われつつあったため開発したばかりで初期生産終えたばかりであるA6M1を戦闘に投入した。この投入されたばかりの戦闘機A6M1は自動空戦フラップによる圧倒的旋回性能に大口径機関銃2門に圧倒的消火性能を備えたもので登場するやいなやI16に対して大きく勝りそれどころか圧倒した。そして日本軍の制空権の確保に繋がった。この伝説の初戦闘を行った機体は史実でもこの歴史でも零式艦上戦闘機と呼ばれ敵からはゼロファイターと恐れられることになる機体であった。

そして止めとばかりに日本軍は海軍を出動させた。海軍は連合艦隊の主力艦である長門、陸奥、金剛、比叡に艦砲射撃をおこなわせた。この射撃はソ連軍に大損害を与えたばかりではなくソ連軍兵士に恐怖を植え付けることに成功。ソ連軍の戦意を削ぐことができた。

これを機に日本とソ連は和睦することになった。この講話会談はモスクワで行われた。この会談で日ソの今後10年の不可侵と中立条約を締結した。


1940年

この年に入り欧州は大きく変わった。ヒトラードイツによる攻撃でベネルクス三国は降伏、さらにはフランスの敗北とイギリスの撤退。そしてドイツはユーゴスラビアなど反ドイツ国家のバルカン半島からの駆逐を達成した。

ゆういつの救いは日本の警告によりイギリス大陸 陸派遣軍の多くが助かったことだった。これにより史実ほど大きくイギリス陸軍が疲弊することはなかった。そしてイギリスはこの件より日本に対して好印象を抱くようになる。

このドイツの予想外の快進撃を支えたのはドイツが日本でつづけていた軍事技術の開発のせいであることは否めなかった。確かにヒトラーの危険さを察知し多くの科学者や技術者が日本に残ったとはいえ本国を愛し帰国したものもいたからだ。このせいで日本はアメリカからの批判を受けた。アメリカは日本を名指しでヒトラーの協力国と批判した。しかし実際、日本はヒトラードイツに技術支援も物資支援もしておらず事実無根の話だった。アメリカは尚も日本の批判をした。そして日米通商航海条約の延長を見送りと在米の日本の資産を凍結した。この処置に日本は衝撃を受けた。


そして昭和天皇は浜野、土屋、塩田を集めた。

昭和天皇は重々しく口を開けて告げた。

「アメリカは日本の在米資産を凍結してきた。禁輸も時間の問題であろう。」


「こんなところでドイツとの技術協定が響いてくるとは思いませんでした。我々のミスです、陛下。」


「そなたらのせいではない。それにその策は余が認めたものである。よって余にも責任はある。それにそんなことを話すためにそなたらを呼んだわけではない。」


「海軍は開戦の準備にもうあと一年かかります。あとは開戦後に間に合います。」


「陸軍は新型中戦車に加えハーフトラックの配備が完了するのにあと1年かかります。」


「わかった。内政はどうなっている塩田。」


「はっ。各種経済はアメリカから貿易相手を韓国と満州などのアジア方面に移していたためさほどの打撃はありません。石油は航空機用の高オクタンのものを日本海でとり船舶用のは東南アジアから輸入しております。さらに国内産業の戦争体制への移行の準備は着実に進んでおります。」


「ふむ。わかった、来るときに備え3人は準備をよろしく頼む。」


「「「了解しました。」」」


迫りくる対米戦。

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