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連携で近代日本史を変える  作者: 四式戦闘機疾風甲
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5話 戦間期

日本は摂政皇太子のリーダーシップのもと原敬首相を中心とした内閣の指導もあり大きく経済発展を続けていた。さらにドイツの科学者と技術者により次々に新しい技術が生まれていくのも原因の一つだった。国内総生産は飛躍的に向上していき各地で工業地帯が誕生していった。

さらに政府の行った人口増加政策と医療技術の大きな進歩により人口もどんどん増えていった。


日本は38センチ砲を2連装5基搭載し最新のエンジンを搭載した伊勢型の就役加えて40.6センチ砲を2連装4基搭載した長門型戦艦を完成させた。その時日本は世界に八八艦隊の計画を発表し度肝を抜いた。しかしユトラント沖海戦により貼られた日本戦艦は欠陥品であるという印象は未だに強かった。そのせいかワシントン軍縮会議にて戦艦は対米6割の代わりに空母は対米同率をえた。今後の航空機の大きな発展を知る土屋にとっては好都合だった。


1923年9月1日

関東大震災発生

この日に「たまたま」皇太子陛下による防災訓練を昼頃に行っていたおかげで火災は起きなかった。しかし建物の倒壊は免れず大きな被害は出た。しかし人的被害は驚くほど少なく済んだ。このあと被災者支援のため国が中心となって住宅街の新たな建設が関東だけでなく全国で進んだ。


さらなる動きとして日本は韓国を大韓帝国として独立の準備にかかった。これは皇太子陛下に対し韓国民はプライドが高く植民地としては不向きと伝え日本と同通貨の円の使用と日韓同盟を結ぶことを条件に独立させましょうと言うように土屋と浜野と塩田が伝えた結果だった。皇太子陛下は自ら大韓帝国の独立とその条件を伝えに韓国へ渡った。そして1925年韓国は大韓帝国として独立した。これにより韓国への開発の資金が浮き日本はさらに軍備向上や重工業化に投資した。


浜野は大きく膨らんだ陸軍の改革に励んだ。全軍で90万ほどまで将兵を減らした。その上で騎兵科をなくし新たに機甲師団を設立した。さらに小銃と短機関銃の全将兵への装備を進めた。さらに火力を上げるために各種様々な火砲の開発と火砲の自走砲化や起動化を進めた。さらに機動力の向上のためハーフトラックや装甲車や戦車の開発を進めた。最後に医療体制の整備も行い、兵士の生存率の向上を図った。


土屋は旧式艦艇を集め溶解炉にぶち込んだり練習艦化したりした。そして護衛艦や駆逐艦を中心に護衛艦隊の設立をした。さらに対空兵器と対潜兵器を続々と開発導入していった。さらにUボートをモデルにした高速潜水艦とともに酸素魚雷の開発とともに大型艦用のエンジン開発も行った。そして密かに次期主力戦艦用の3連装砲塔やさらなる大方砲の開発を進めた。


そして塩田は対内諸政策を政府とともに考えて導入していった。

こうして三人はそれぞれの場所でそれぞれの最善を尽くし次に起きるであろう第二次世界大戦に備えた。





そして時は進み1932年になった。

1920年代後半に世界中を巻き込み発生した世界恐慌は発生した。

日本政府はこの発生と同時にに「日本開発計画」をスタートさせた。まずは高速道路の建設と高速鉄道の建設を始めた。高速道路と高速鉄道最初は最初に大阪と東京を結ぶものが建設されて、その後に全国に広げていった。更に各地にダムを建設したり荒地を整備して国営の住宅地や工場群が作られたり農地にし失業者に格安で売ったりした。

それでも生まれる失業者を軍属にしたりウラジオストクや南沿海州へ開発隊として送ったりした。

日本は東方エルサレム共和国などのユダヤ人からの支援も受けて主要国の中で最速で経済を回復してそれどころか成長へと繋げた。

さらにその後南満州鉄道で共産党員によるテロが発生。これを機に共産党員の韓国への侵入を防ぐため張学良と溥儀を支援して満州帝国を誕生させた。満州帝国に対して日本は軍事物資に加えて大量の旧型工作機を送り工業化を支援した。これにより満州帝国は人口2000万人ながらも大きく発展していくことになる。さらに南満州鉄道は満州帝国と日本の両国営となり遼東半島を日本軍が租借し陸軍と海軍に加え航空隊が配備された。


隣国韓国は国家成立後間もなかったため最大の貿易国日本がすぐに立ち直ったため影響はほとんどなかった。そして東方エルサレム共和国も影響は受けたが世界中の富豪ユダヤ人によりダメージは少なく済んだ。


しかし他国はそう行かなかった。元日本の同盟国イギリスがまさにそうだ。イギリスと日本はアメリカ主導のの四カ国条約締結の際同盟を解消していた。イギリスはアメリカを第一の貿易相手としていたため国内経済が悪化した。そこで自国製品外に高い課税をして自国とその植民地に他国製の物を入らないようにした。これを後にブロック経済といわれフランスもこれにならった。


アメリカはニューデイル政策を行い失業者を吸収して国内産業の活発化を狙ったが大きく改善された訳ではなかった。


イタリアはファシスト党が政権を握りドイツでもヒトラーが台頭し始めた。



日本は大きくその姿を変えつつあった。平和な時代になり文化は大きく開花して丁度皇太子が昭和天皇となったことから昭和文化と言われた。さらに都市部ではたくさんのビルが建ち始めており日本はアメリカの様な大国化を突き進んでいた。

さらにドイツ人科学者・技術者の様々な製品の開発に刺激され日本人科学者・技術者たちも次々に開発を進めていった。そのお陰か大きく国民一人あたりの取得は増え現在では一家に一台のマイカーとも言われるほどになった。

さらに世界恐慌を最小ダメージで切り抜けた日本は名実ともに国民取得が倍となり国民の生活はかなり豊かになった。さらに男女平等な時代になり色々な制度や法が改正されて女性の社会進出が目立ち始めていた。

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