3話 欧州戦線への参戦
1915年に入ると太平洋にあるドイツの植民地は全て日本軍或いはイギリス軍により占領された。
土屋と浜野は皇太子から欧州戦線への参加の要請をまたもや三国協商側(イギリス、フランス、ロシア)に求められたと伝えた。これに対して浜野は
「自分としては同盟国イギリスの危機に対して支援を行うの良いですが現在軍の混乱が収まったばかりでの参戦はいささかの不安があります。」
そこに土屋も
「我が海軍としてもドイツ軍の潜水艦攻撃に対する有効な手段がない今は危険だと思います。しかしイギリスとの戦後関係を考え支援はすべきです。」
「ではどの様な策がある?」
「要は三国協商側の人的被害が多いので陸軍部隊のオスマントルコ戦線への派遣が良いかと。」
「そして医療や資金、兵器はイギリスやフランスに委託するのです。」
「そんな上手い話があるか?」
「ものは試しです。」
日本はイギリスに対してトルコ戦線への陸軍派遣を検討している。と返事をしたところ直ぐに医療、資金、兵器はイギリスが給与すると伝えられた。そして浜野は直ぐに部隊の編成に取り掛かった。まず日露戦争を経験した精鋭を部隊長としたりすることやイギリス製の兵器で装備を固めたのちに40万の軍を送り込んだ。その時日本陸軍はできるだけ装甲車も運用した。
1916年
トルコ戦線に40万の日本軍が登場した。日本軍は持ち前の士気の高さと白兵戦の強さに加えイギリス製の最新鋭兵器を装備していたためこれまで膠着状態にあったトルコ戦線を一気に押した。オスマントルコ軍はドイツ製の兵器や騎馬隊での攻撃を仕掛けたが日本軍は全て蹴散らした。そして現在(21世紀)のトルコの国境まで戦線が近づいた時、首都インスタンブールとアンカラで革命が起きた。スルタンはほぼせべての権限を剥奪されてお飾りとなり国民の自由選挙による議会が国を動かすこととなった。そしてこの革命政府を日本軍はイギリスの許可ともと秘密裏に支援していた。この行動がのちの日本との友好関係に繋がる。ともあれ革命政府はトルコ立憲君主帝国と国名を改め現在の戦線を国境とする事を発表。さらにドイツとの同盟を解消しロシア、日本、イギリスと講和したのちに日本とイギリスとの同盟を打診すると全世界に発表した。これをイギリスとロシアと日本は直ちに承認し、フランスとアメリカは黙認した。
日本によるトルコ戦線の終結によりイギリス、フランスは欧州戦線へと戦力の集中ができた。さらにイタリアがドイツ、オーストリアとの三国同盟から離脱して三国協商側としてオーストリアに宣戦布告した。これにより地中海の制海権はイタリア海軍がとったためイギリス、フランス海軍は本国と植民地の輸送路護衛に集中できるようになった。
日本はその時設立した諜報部によりロシア国内に革命の動きありとの情報受けた。その前に土屋と浜野としてはやりたいことがあった。
土屋と浜野は塩田交え加藤高明外相と会談した。
後日、加藤高明外相は国内にいるユダヤ人資産家に対して極秘の会合を持ちかけた。
「Mr.加藤、今日はどの様な用件で?」
「現在貴方方ユダヤの民のみなさんは世界に離散してますね?」
「はい、悔しいながら。」
「我々日本はユダヤの方々らに日露戦争の際多大なる支援をしてもらったためそのお返しをしたいのです。」
「おお、ありがたいですな。してお礼の品は?」
「はい、ズバリ第二のエルサレムの提供です。現在イギリスの支配下であるエルサレムを勝手に提供することはできませんが、変わりの地なら提供できます。」
「なんと、してそこは?」
「北海道の北、南樺太と千島列島です。最北端の島と南樺太の日露国境には私達の駐屯兵は残します。万が一に備えてです。ただし我々も戦時中のため資金は微微たるものしか…」
「資金の面は心配なさらず。我々の民族は世界中に富豪がおります。それらの者たちが支援を行いますので。」
「それはそうですな。あとこの話とともにもう一つトップシークレットの話があります。」
「それとは?」
「それはロシアで革命の動きがあります。ロシアで革命が起きた場合貴方方の同胞が危機にあいます。連絡をとり直ちにロシアの脱出して我が日本へ亡命して下さい。」
「わ、わかりました。我々のコミュニティーで直ちに伝えましょう。」
「よろしくお願いします。」
この会談ののち原敬内閣総理大臣は20才以上の男女に参政権を与え自由民権運動を抑えたのち国民取得倍増計画と人口増加計画を同時に発動した。
国民取得倍増計画に各地に工業地帯を作るための補助金を出した。そして天皇陛下直接の命令として工業規格の統一を日本の工業全体に求めた。さらに大規模な生産を可能にするための分担生産も国民に示唆した。その上厳格な製品チェックを各企業に求め製品の質向上を求めた。
さらにのちのために溶接や治金技術の向上ためイギリスのアームストロング者から技術者を招き各種指導をしてもらったりした。
人口増加政策はまずは医療体制の整理から始めアメリカから高額で医学者を招いて日本で指導と研究をしてもらった。
次に子育て支援のために保育施設を各地に建設した。そして子連れに対する優遇政策を各種行った。これにより人口増加率はまた上昇することになった。