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かくして俺は友達(殺人鬼の方)と会ったのちに友達(ストーカーの方)と戯れたその翌日、『五人目の被害者』が出たという話を聞かされた訳だ。最近の警察はとても優秀だし、その友達もとても情報通だな、と思う。しかし疑問はいくつか残るけど。
「『五人目の被害者』とか言うけど、泉って本当に五人も殺したのか?」
「いや、儂が殺したのは三人だ。あとの二人は知らん」
「えー、マジでー」
「『まじ』だ。自分の殺した人数を忘れるほど耄碌しとらん」
『五人目の被害者』が発見された翌日、俺は泉を誘って朝飯を食っていた。とは言え店の中でこういう話をする訳にもいけないので、スタバに行って飲み物と軽食を買い、公園の中の座れる所で食べている。世間話のように人の生き死にについて語るのはどうかと思うけど、まあやたら深刻になっても仕方がない事案なのでそこに関してはスルーしよう。
しかし問題は連続殺人事件の被害者数だ。『手鞠区連続無差別殺人事件』と一般的に呼ばれてる事件の主犯は俺の目の前にいる泉隆太郎、という名の男なんだけれど、どうやらそいつが殺した人数と報道に乗っている被害者数はズレがあるらしい。つまり、えー……、どういう事だ?
「あとの二人は儂以外の誰かが殺したということだろう」
「一番考えたくなかったケースだなー……」
泉の連続殺人事件に便乗して誰かが殺し始めた、っていう事? 俺はそう思っていたが、どうやらそういう訳ではないらしい。
「一人目は儂が殺した奴ではない」
「え」
「儂が殺したのは報道上で『二人目の被害者』と呼ばれとる奴が最初だ。『二人目』『四人目』そして一昨日の『五人目』」
「『一人目』と『三人目』は殺してないのか」
「だからむしろ儂が便乗したようなものだな、いや、でもまあ『一人目』はまだ見つかっておらんのか?」
泉の笑ってるんだか怒ってるんだかよく分からない顔を横目に、昨日手柴が言っていた事を思い出す。「一人目はまだ遺体が見つかってない」「足しか見つかっていない」。ということは、なるほど、連続殺人事件としてこの五人をひとまとめにするのはおかしいのか。
「ありがとう、泉。何となく全貌が見えてきたっぽい」
「礼には及ばん。しかし妙だな、タカミチ、手前なにゆえこの事件を追う?」
既に温くなっているだろうブラックコーヒーを飲み干して、泉は首を傾げた。
「手前のことだから、どうせ興味本位だの何だの答えるとは思うが――蓋し、何か引っかかるところでもあったのか? 手前が囲っておるあの男に関係がある、とか」
「興味本位なのは合ってるんだけどね、『囲ってる』って誰のこと言ってるんだか……」
脳裏に浮かぶのはあの憎たらしい顔。三白眼に華も運も何もない、中の中ど真ん中の顔。俺は盛大に溜息をついて、もう空になっている紙コップを握り潰した。
「あいつはただの俺の友達だよ。そういう関係じゃないから」
*
泉とばいばいをして俺は大学に行った。実は今日は全休なんだけど少し野暮用があって。
国立央都大学文学部二号館三階の角部屋。普段は物置として使われているような部屋で、御丁寧に扉の前には『立入禁止』という貼り紙が貼ってあったくらいだ。そんな部屋をそいつは根城にしていた。
「夏目、いるか」
ノックもせずに扉を押して中を見ると、案の定ほこりの舞う部屋でパイプ椅子に座って新聞を読んでいる影がひとつ。俺が部屋の中へ一歩踏み出せば、そいつはこちらを向いて軽く会釈をした。
「いるなら返事くらいしてよ」
苦笑しながら俺が言えば、向こうも頬を緩ませる。これは所謂『お決まり』といったやつだ、あいつは返事なんかするはずもないんだから。
パイプ椅子に座っていた奴は、おもむろに下に置いてあったリュックサックからA4サイズの見慣れたスケッチブックと、黒いマジックペンを取り出した。そしてキュッキュと音を出しながら、何かを書き始める。これもまた、見慣れた光景だ。
【いきなり来るなんて珍しいね。なにかあった?】
筆談するこいつの名前は夏目文昭。俺の小学生時代の友達だ。短くさっぱりとした黒髪に、穏やかそうな目元と銀縁の眼鏡。そして両耳には補聴器が付いている。左耳はほとんど聴力がないらしく、右耳は辛うじて人並みの聴力があると聞いたことがある。そのためか知らないけれど上手く話せないようで、こうして基本はスケッチブックとマジックペンで会話をしているのだ。
「何か――まあ、無きにしも非ずだな。お前なら、手鞠区連続殺人事件に詳しいと思って」
【あのセンセーショナルな事件のこと?】
「そうそう、詳しくない、訳ないよなー?」
【まあ……、何を期待されてるのかわからないけど、そこそこくわしいはず】
困り顔の夏目だがやはり俺の勘通りだった。そしてこいつは続け様に【どこからききたい?】と問うてくる。その言葉にはどこを訊かれても大丈夫だという自信と共に、俺がある程度情報を手に入れているだろうという推測も見え隠れする。流石だなー。
聴力があまり振るわない夏目の唯一の趣味は、新聞を読むこと。世の中で起こる様々な事件・事故・事象を追いかけるだけの行為。そして気に入った事件はより深くまで調べるようで、聞いた話では警察の無線を盗聴したり目撃者に話を聞きに行ったりするらしい。ここまで来ると、趣味ではない何かすら感じてしまう。
そんなこいつが現在進行形で被害者が増え続けている『手鞠区連続無差別殺人事件』のことを知らない訳ないだろうし、また興味だって十分に存在していると俺は確信した。だからこうして全休なのに学校まで来たんだ。
【詳しいね。その、羽柴君?】
「いや手柴。右手左手の『手』。これ合ってるのか」
【大体正解だよ】
昨晩手柴から聞いた話を夏目にすると、こいつは感心したように頷いて手柴を褒めるような旨の発言をした。とは言え夏目曰く、これはニュースと新聞を追ってれば普通に入ってくる情報らしい。警察が公式的に発表した内容ばかりなのだと。
「じゃあ非公式の内容を夏目は知ってるって訳?」
【ネット上の憶測と警察無線をぼうじゅした結果、可能性として高いと思われてるものをあげるくらいのことしか出来ないけど】
「十分だよ」
趣味と言えないレベルの『何か』だなー、マジで。俺が感心したように頷けば、夏目は嬉しそうに笑顔を浮かべてさっきスケッチブックを取り出したリュックから、何やら使い込まれた手帳を取り出した。それを俺に差し出しながら【ここに大体書いてあるよ】と告げる。なるほど。
「コピーしても?」
【どうぞ、明日持ってきてね。あとなくさないように】
ありがとう、と俺は手帳を持って部屋から出た。心強い友達がいたもんだなー、夏目にはまた後日お礼をしないと。
*
・一人目の被害者、西村桃枝。十八歳。天馬女子大学人文学部一年生。四月十五日夜に行方不明となった後、翌十六日夕方、国立央都大学付属植物園の花壇にビニール袋にくるまれた左足が発見される。左足は腐敗の度合いから十六日未明に放置された模様。遺体はまだ発見されておらず、現在も捜索中。……
・三人目の被害者、藍沢浩ノ介。三十七歳。都立大学病院整形外科医師。五月二日朝、病院に向かう途中で殺害された模様。背後から腹部を刃渡り二十センチほどの刃物で刺され、失血死。発見は死後硬直が始まっていたのでおよそ三~四時間経っていたと推測される。また刺されてから死ぬまでに少しの時間があったようで、刺された位置から遺体発見位置まで少し距離があった。……
コピーした夏目の手帳を読みながら、どこでこんな話聞いてくるんだよ、と俺は尊敬通り越して若干引いていた。被害者の性格や被害に遭うまでの足取り、また人間関係もこと細かく記載されていて夏目は一体何者なんだ、と思わず首を捻ってしまったほどだ。どこにそんな暇があったんだろう、あいつもあいつで結構忙しないはずなのに。
『一人目の被害者』と『三人目の被害者』は泉が「殺していない」と言った被害者である。他三人の被害者と比べてみれば、確かに殺害方法の猟奇性が薄く感じるし、また一人目の遺体が見つかってないところに違和感を覚える。
泉が人を殺す理由は行き過ぎた自己嫌悪だ。
あの男はどんな生物の中でも、どんな物事の中でも、一番嫌いなのは自分であり、だから自分に似た何かを持つ人物を排除しにかかる。俺にしてみれば、十分『自分大好き』に見える行為なんだけどね。そんなこと言ったら、俺が殺されかねないけど。
「あれー、ミッチーじゃン。今日大学ないんじゃないノ?」
大学から家までの道のりを歩いていると、突然声をかけられて普通にビビった。顔だけで後ろを見ると、猫のような笑顔と虚ろな目が俺の方を向いている。
「びっくりしたー……、驚かすなよ」
「あははハ、ごめんネ。ぼーっとしてるミッチーって珍しいなあと思っテ」
昨日も会ったこいつは佐伯玲二。俺の高校時代の部活の友人で、あの友達である葛原の幼馴染みだ。色の抜けた天然パーマで左目を隠していて、覗く右目は死んでいるというかひたすら虚ろ。少し不安になるような容貌だが、中身はあの葛原より全然マシだと俺は思っている。いや、あれより酷い奴もなかなかいねーよ……。
「それよりも今日全休だよネ? 何かあっタ? 補講?」
「ううん、友達に用があってさ。学部が違うとなかなか会う機会ねーし」
「俺とはよく会うけド?」
「それは単純に縁があるんじゃねーの?」
のたのたと歩きながら佐伯と俺は益体もない話を交わし続ける。そこでふと、佐伯に訊きたいことがあるのを思い出した。
「佐伯ってさ、手鞠区の殺人事件の話ってどれくらい知ってる?」
「どれくらい、とハ?」
「だってお前詳しそうじゃん。昨日も新被害者のこと知ってたしさ」
「普通にニュースで見た程度だヨ。そこまでやたら詳しい訳じゃなイ」
首を横に振って佐伯は溜息をついた後、「逆に訊くけド」と俺の方を覗き込んだ。
「ミッチーは最近『何』を嗅ぎ回ってるんダ?」
「……何のことかな」
「とぼけないでヨ、そういうの要らないシ」
とぼけたつもりはないんだけど、確かに嗅ぎ回ってると言えば嗅ぎ回ってるかな。佐伯の珍しく険のある顔を見て、何て言えば良いんだろうか、と俺は少し考えた。
「純粋に興味があってね」
「ミッチーが興味? 嘘臭いなア」
「本当だって」
「まさかキミが殺したとか、はないカ……」
「疑わないでくれてありがとう」
俺がへらりと笑えば、佐伯はまあ気を付けてネ、と呆れ顔で呟いた。変に首を突っ込んでも良いことはあまりないと思うかラ、と。確かにそれは真理だな。
きっと佐伯は俺に殺す理由がないから、という理由で疑いはしなかったんだろう。それはその通りで、俺には人を殺す理由も動機も存在しない。だけど動機や理由なんてきっと殺人においては微々たるものだと思うよ。
どんな事情があれ、殺人は殺人だ。『人を殺した』という事実は変わらないんだ。
*
家に着くと明かりが点いていたからおかしいなー、とは思ったんだ。
「うわ、出た」
「何ですか、人を幽霊の如くと比喩して」
手柴であって欲しかった感が満載である。まああいつは朝の段階で帰ってしまったので、その線は非常に薄かったんだけどさ……。家に帰ると一番面倒な友達、葛原が当然のように居座っていた。家主か。
「しかし長島君も人が悪いですね。あんなニュースオタクに頼まなくても、自分が全部調査しましたのに」
「それを言う為だけに不法侵入したのか?」
「否定します。生憎自分はそこまで視野狭窄ではないので」
じゃあ何で来たんだ、と俺が問えば、葛原は少し照れ臭そうに笑った。
「『六人目』が出たことをお伝えしようと思いまして」
「『六人目』って、え、マジで?」
「ええ、この目で明確に見ましたから」
明らかにペースが早過ぎるなー、と俺は思いつつ床に腰を下ろした。こんな早いペースで泉が殺人を犯せるか、と訊かれたら俺は真っ向から「NO」と言えるだろう。まあ俺もあいつのことを全部知ってる訳じゃねーから、こんなペースで殺せるのかも知れないしなー。どうなんだろうね、そこんところ。
「つーか、つまり葛原は犯人を見たってことか?」
「自分が見たのは死体だけですが」
「……通報はしてないようだな」
「興味も関係もなかったので、あの状態ならすぐに他の誰かが発見するはずですよ」
「そりゃ関係はねーよなー……」
忙しい云々は置いといて、発見しただけなのにわざわざ調書を取らされて、その所為で丸一日潰したり大学休まされたりしてはたまったもんじゃない。そうするとやっぱり無関心を決め込むのが一番だよな、俺も基本は見て見ぬ振りをすると思うし。
「長島君のそういうところが素敵だと思いますよ」
「はいはい、で、その殺された人の素性とか分かる?」
「都立大学病院の整形外科に所属している方ですよ。ほら」
そう言って葛原が差し出てきたアイフォンの画面には、その殺された人の名刺の写真、そして免許証の写真が写っていた。というかこいつ、通報もせずにこれを撮ってたのか。死体の前で写真撮影なんて、普通出来ることじゃねーよな。半端ねーわ。
しかし、都立大学病院の整形外科医ね……。
「犯人はその都立大学病院の整形外科に恨みでもあんのか?」
「あの『殺人鬼』が、ということですか」
「ちげーよ。泉以外の人殺しが」
泉の証言を信じるなら(信じてるんだけど)泉が殺した三人以外の二人――いや三人は別の誰かが殺害しているということになる。そして現時点で都立大学病院の整形外科医は三人殺されている。ということは、つまり……。
「いえ、それは奇妙です」
「そうか?」
「ええ、『二人目』の整形外科教授の方は泉君が殺したのではないですか」
「……あー、そうか、そう言えば」
思い出されるのは今朝の発言。「『二人目』『四人目』そして一昨日の『五人目』」。じゃあ何だ、もう一人の犯人が整形外科医を殺してるのは泉の犯行の模倣? いやそれも違うかな、泉は「乗っかっただけ」とか言ってたし。
「本気で訳分からなくなってきたなー」
「一番手っ取り早い考え方ですと、手鞠区に無差別殺人鬼が二人いる、とか」
「最悪の想定じゃねーか、笑えねーにもほどがあるわ」
しかし考えれば考えるほど訳の分からない事件だな。『一人目』の死体は上がってないし、『二人目』『四人目』『五人目』の犯人は『三人目』『六人目』の犯人とは違うし、そもそも『一人目』と『三人目』と『六人目』の犯人が同じとは限らないし、『二人目』『三人目』『六人目』は整形外科医だし、何がしたいんだ、って感じ。
泉の模倣犯? それとも他に理由があって? それとも快楽殺人鬼?
――いや、それよりもまずは。
「……そう言えば葛原は犯人見てねーの?」
「『六人目』の、ですか? いいえ、目視していませんが」
「じゃあ殺害方法は?」
「それは見ました。何か長い刃物で腹部をひと突き。そこから血が溢れていたので、恐らく失血死ではないかと」
「ふーん……」
っていう事は『三人目』と同じ、なのか。
可能性としてあげられるのは『一人目』『三人目』『六人目』の犯人が同一人物であるか、もしくは『一人目』『三人目』の模倣犯が『六人目』の犯人なのか、それとも『一人目』の犯人と『三人目』『六人目』の犯人は違う人物なのか、それともその三つの事件は何も関係性がないのか。
本当に分かんねーなこの事件。いや別に解決しようって気もないんだが、それでも気になるっちゃ気になるし。うーん……。
「まさか、な……」
「どうかされましたか、長島君」
「いや?」
可能性というにはあまりにも薄いそれ、というか半分くらい俺の妄想と言っちゃえる気がする。こんなことがあったら、きっと警察は引っくり返ってしまうくらいには驚くし、今までの調査とかが無に帰す――とまではいかないか。でもそれっくらいには荒唐無稽な感じがするな。
「なあ、葛原」
「はい、何でしょう」
「頼って良いか? お前の力が借りてーんだけど」
思えばこの時が初めてだっただろう、俺が葛原に自ら頼みごとをする、というのは。
「ええ、何なりと」