三匹目の豚はなにがなんでも回避する
とは言っても恥ずかしいものは恥ずかしい。無詠唱は慣れないとできないと書かれていたけれど慣れるまでこんな恥ずかしいことを毎回唱えるなんて耐えられない。意地でもやってやりますよ無詠唱。
できないなんてことはないと思う。要はイメージが大事なんだ。詠唱はきっとそのお手伝い的な要素があるだけで具体的なイメージができれば省いたって魔法は形となる……はず。
強くイメージしよう。先程のようにふわりと浮くイメージ。さっき浮いたばかりだからまだ感覚は覚えている。よし!
「浮遊」
そう呟くとふわりと身体が宙に浮いた。おぉ!いけた。やはり間違っていなかった。別に慣れずとも詠唱なんてものなくたって魔法は形になる。残念だったな本の作者よ私はあなたの考えを打ち破った。
この調子でどんどんやっていこう。イメージで出来るのであれば、無詠唱どころか心の中で想像するだけで魔法が使えるんじゃ。試しにやってみよう。
頭の中でふわりと浮くイメージをしてみるがぴくりとも浮く気配はない。やはりイメージだけでなんとかなる問題でもないみたいだ残念。
一旦魔法の練習はやめて、別の本を読むことにする。魔法の本以外にも色んな種類の本がせっかくあるわけだし。そう思い見たことのない文字で書かれた本を見つけ手にとる。異国の言葉で書かれた本のようだ。子どものうちに覚えられるものは覚えておくべきだろうし、発音の仕方などは分からないけれど文字だけでも覚えてみますか。
本を開くとよく分からない文字の上に、この大陸で使われている言葉アビリー語が浮かび上がる。そう、アビリー語を覚えてからは日本語は表示されなくなってしまったのだ。少し寂しく感じるがそれだけ私がこの世界の言葉に慣れたということだから喜んでおこう。
ペラリと本を読み進めていく。物語の内容なんてものは正直頭に入っていない。私の頭の中では新たな言語の単語を覚えることでいっぱいになっていてそんな余裕はない。少し覚えた後はアビリー語の部分を手で隠しながら読むとより覚えやすく、苦手な部分も分かりやすいのでこのようにして本を読み進めていくことにした。
日本語からまったく意味がわからないアビリー語を覚えた時と比べ、この異国の言葉はアビリー語に文法が似ているので覚えやすい。思っていたよりも早く覚えられそうだ。覚えなくちゃという緊張感が少しとれると、ふと視界に何かがあることに気付く。その方向に目を向けるとアベルがニコリと微笑みをこちらに向けた。
「そろそろお食事のお時間ですよ」
「あら本当?集中していて気づかなかったわ」
「驚かさせてしまい申し訳ございません。ついそちらの本がこちらの大陸で使われている言語で書かれた物ではないと思い気になってしまいました」
「そうなの。見たことのない言葉だったから興味が惹かれたのよ」
「そうでしたか。マジュリス様は好奇心旺盛でございますね。そちらの文字はレイベル語という文字でして、隣の大陸で使われているものですよ」
「へぇ隣の大陸で! アベルは隣の大陸について詳しいの?」
「詳しいというほどではございませんが、生まれは隣の大陸ですので多少は分かることもありますね」
「でしたら私にレイベル語を教えてくださらないかしら」
「それくらいのことでしたらお任せください。あぁそれともレイベル語で劇をすることも可能ですがどちらの方がよろしいですか」
「みんなレイベル語を話せるの?」
「えぇもちろんマジュリス様の使用人であれば当然のことです」
「でしたら劇の方でお願い」
「かしこまりました。ではマジュリス様まずは食堂室までエスコートさせていただきます」
私はコクリと頷くと2度目の朝食を食べにいくために腰を浮かし移動する。それにしても劇団員にできないことって何かあるのだろうか。レイベル語を全員が話せることが謎すぎる。使う機会なんてないはずなんだけど。みんな勉強熱心だよなぁ。私も頑張ってレイベル語覚えなきゃ。
食堂室につくと、すでにゲス豚もお母様も席についていた。やたらと長いテーブルに慣れた今日この頃だけれど、ゲス豚とお母様の前にある大量の食事には未だに慣れることはない。いや慣れたくなんてないけどね。
ちなみに私の目の前にも3歳が食べるには多すぎる量の食事が用意されている。今までこの食事の量について何か文句を言ったことはなかった。
3歳になるまで我慢してきたのだ。あまり喋らず大人しく、お母様やゲス豚には普通の子どもとして接してきた。だって1歳や2歳の子が饒舌に話すのは違和感があると思う。いまいちこの世界の子どもの一般的な成長の仕方はわからないけれど、日本だったらホラーだ。だけど3歳くらいからであれば、そこまで違和感はないんじゃないかと思う。
「遅れて申し訳ありません。お父様、お母様」
「いいんだよマジュリス。ではマジュリスも集まったことだし食べるとしよう」
「あの、お父様。お願いしたいことがあるのですが」
「なんだい。マジュリスのためならなんでも買ってあげよう」
「いえ、欲しいのではなく食事の量を減らしてほしいのです」
「なんだって。そうか口に合わなかったんだね。シェフをクビにして新しいシェフを雇おうか、おいシェフを呼べ」
ゲス豚という奴はなんでそういう思考回路にいたるんだろうかねぇ。ここのシェフが作る料理は非常に美味しいのに、なに馬鹿なことを言っているんだろうか。
「お父様、そうではありません」
「だったらなんだというんだい。あぁ!嫌いな食材でもあったんだね。まったく気の利かないシェフだ、後でお灸を据えておくから安心しなさい」
「お父様、いいかげんにしてください! お屋敷のシェフはとても腕が良いですわ。私毎食楽しみにしていますもの」
「だったらなぜ量を減らしてほしいだなんて言うんだ」
「理由なんて食事の量が多すぎるからに決まっているでしょう。私この量の食事をとるたびに身体が重たくて仕方ないんです」
「マジュリスは小食だったのか。父様は気が付かなかったよ。だが、マジュリス。マジュリスは今のうちにたくさん食べておかないと背がおっきくならないんだよ」
「お父様、成長に必要な量はしっかりと摂りますわ。ですがそれにしても多いのですこの3分の1の量で充分です」
「そんな量しか摂らないだなんて倒れてしまうよ、父様にあまり心配をかけないでくれ」
……どうしよう、話が通じない。充分だから! これで倒れたとしたらスラムの人達とかに申し訳無さすぎるから! 3分の1の量でも少し多いくらいだというのにゲス豚はちゃんと目が見えているのか。いや見えてないな。きっと食べすぎで顔に脂肪がつきすぎて、瞼のお肉が重たくて見えないんだ。
「お父様、この量が異常なほど多いということに気がついてください。3分の1でも少し多いくらいなんですよ。もしこの量を食べることに慣れてしまったら、身分が上の方とお食事する機会があった時に、お腹がなって恥をかいてしまうかもしれないではないですか。私そんなの嫌ですわ」
私のイメージだと噛ませ犬は権力や上の立場というものに弱いはずだから、こう言っておけば折れるのではないだろうか。いくら話が通じなくとも。
「そうか、ならば仕方がないね。マジュリスが恥ずかしい思いをするかもしれないだなんて父様は想像しただけで胸が痛いよ」
「そのような理由であれば私も少し量を減らした方がいいかしら。私も恥をかくのは嫌だわ」
おっと意外にもお母様が乗ってきた。でもねお母様。そんなことよりも、その我儘すぎるボディであることこそが恥だってことに気づいて。しかしこれはお母様の我儘すぎるボディをなんとかするチャンス。必ずモノにしなくては。
「お母様も一緒に減らしてくださるのであれば心強いです。もし私が弱音を吐いてしまっても甘やかさないでくださいね。一緒に減らせば弱音を吐くことなんてないとは思いますけれど、もしこの量に戻して恥をかくことになるなんて嫌ですもの」
「そ、そうよね。恥ずかしい思いをするわけにはいかないわ。どれくらい減らしたら良いかしら」
少しばかり言葉が詰まって不安げな顔をしたけれど、お母様はプライドが高いから、こう言っておけば途中でやめるなんてことはないだろう。食事の量ねぇ……正直言えば8分の1くらいに減らして貰いたいが、いきなりそんなに減らすのは可哀想だし。
「私が3分の1の量になるのですから、お母様は私の見本として4分の1の量に減らしてみてはいかがでしょうか」
「そう、そうよね…マジュリスの母として見本とならなければ母としての威厳がなくなるというものよね、いいわ4分の1の量に減らしましょう」
よし、言ったな、お母様。これで少しは見れる身体になるだろう。お母様は途中でやめるなんてことも無さそうだし。
「2人共減らしてしまうのかい。テーブルの上が寂しくなってしまうね」
「お父様も一緒に減らしてみてはいかがですか、机の上は少しくらいシンプルな方が、お父様やお母様の顔を見ながら食事ができるのでいいと思うのですけれど。お父様も減らしてくださればその分お顔が見れて嬉しいですわ」
ゲス豚にはたいして期待していないけれど、一応流れとして誘ってみることにする。ゲス豚は一瞬苦虫を潰したような顔をしたが少し悩んだ後、決意したような目をこちらに向けた。
「そうだね。食事とは顔を見ながらした方が美味しく食べれるものだろう。よし、では父様は5分の1の量に減らすよ、ここでマジュリスやアリアより少ない量を減らせば父の威厳がなくなってしまうからね」
意外すぎる。本当に減らすとは。この男がまともなことを言っただなんて。5分の1の量に減らすと宣言しただなんて……!? 5分の1の量を減らすのではないんだよ分かっているんだよねゲス豚さんよ。すぐにギブアップすることは目に見えているけれど、場の空気をよんだことだけでも成長した。小さな成長でも私は嬉しい。
それにしても助かった。これで私は部屋の中で50mシャトルラン風のカロリーを減らすための運動を毎日3セットもする必要はなくなる。
嬉しすぎていつも以上に食事も美味しくいただくことができそう。もちろん食べすぎるようなまねはしない。豚さん3匹目なんてごめんだ。
それはそうと、残った食事はどうするのか。捨てるなんてもったいないし。私は近くに立っていたアベルに使用人達で食べるよう指示を出した。もしかしたら元々そのつもりだったかもしれないが、念のため。ついでに私はアベルの耳元でこっそりとシェフにいつも美味しいお食事を作ってくださってありがとうという内容を伝えるようにお願いをする。
シェフが作る料理はとても美味しい。その美味しさは肉汁が滴り落ちるほどジューシなお肉や中はフワフワで外はカリッとしたパンなど、ほっぺがこぼれ落ちてしまうのではないかと不安になるほど。お母様やゲス豚が丸々と太ってしまうのも納得ができる。
なんせ劇団で料理店の劇をした際に、劇団員が料理を学ぶのに弟子入りしたのがここのシェフなのだから、その腕は相当のもの。劇団員は一流の人のもとでしか弟子入りしようとしない。それが意味するのはシェフは一流だってことだ。
さて、いつもよりだいぶ量の減った美味しい料理も食べ終わったことだし、そろそろ食堂室から退出して図書室に戻ろう。