この世界には魔法があるようだ
あれから劇団の人達はこの前にもまして頑張って練習しているようだ。毎日私に劇を見せるのも大変だと思い、4日に1回ほどでいいとダイスに伝えておく。
その分私の娯楽が減って暇な時間が増えるのだけどね。赤ちゃんにはできることが少ない。暇を持て余した私は前世のことをぼんやりと考える。
生まれてすぐのころだから分からないのであろうと思っていた前世の私のことは今も分からないまま
だ。名前も家族のことも友達のことも思い出すことはない。かといって1つも思い出せなかったわけでもない。1つだけはっきりと記憶に残っていることがある。それは私の好きな人のことだ。
その人とした会話の中のことは比較的覚えているし……といっても私の情報のようなものだけは、会話の中から思い出そうとしてもその部分だけ霞がかったかのように分からなくなるけれど。その好きな人のことに関しては、年も笑い方も顔も手の暖かさも昨日のことのようにはっきりと思い出せる。
その好きな人と私は元恋人という関係だったようで、私は別れたあとも彼のことがずっと好きで友達という関係にほぼ無理やりなったらしい。そんなことまでも思い出せる。
それなのに自分のことについて分かることは彼との会話の中であったお仕事お疲れ様。という言葉と、俺ばっかり大学生で仕事の辛さを分かってあげれなくて。という言葉から私は高卒の社会人だったのでは、という推測。また小説ばっかり読んで。という言葉から小説を読むことが好きだったのだろうということぐらい。思い出そうとしても霞がかるのだから、これはもう私のことを知ることを諦めた方がいいんだろう。
私は日本から転生したことはたしかだけれど、この世界では私はまったく別の人物マジュリスだ。自分のことなんて知らないほうがいいのかもしれない。家族のことを思い出して恋しくなっても困るだけだ。
あのゲス豚とお母様が今の私の両親なんだ。思い出してしまったら恋しいどころではなくなる気がする。私がしなくちゃいけないことは前世の私を知ることじゃなくて、あの両親のゲス具合をどうにかすること。
幸い両親は20代中頃らしくまだカチカチのどうしようもないゲスではないと思う。まだまだ若いので、引き返すこともできる……きっと。
そのため今できることをするんだ。今現在、私の部屋には珍しく他の人が誰もいない。それをいいことに私は部屋にある本を端から端までタイトルを眺める。よく分からないや。異世界なんだから魔法の本なんてものがあってもいい。むしろあってほしい。若干ふらつきながらも魔法の本を探すため私は立ち上がった。歩けるように6ヶ月間地味に努力していたのだ。実際立ち上がることが出来ているんだからこの世界の身体はすごい。
うーん。と適当に本をとりペラペラめくっていくが普通の本だ。ちなみに薄い子どもむけの本。私の部屋で見つけようと思うのがそもそも間違いか……でもまだ自分の部屋以外から出るのも怪しまれるだろうし。と考えながら手は止めずペラペラと本を次々にめくっていく。何冊かそれを繰り返し、次に手にとった本は今までペラペラとめくっていた本達の何倍もの厚さがあった。表紙は子どもむけのようだけど。
ペラリとめくるとその本は今までのものとはまったく違っていた。魔法についての説明が書かれていたのだ。私はかぶりつくかのようにその本にのめり込む。
えーなになに。魔法は人々の想像の力からできたものである。暮らしを便利にしたいという気持ちから現代の壮大な魔法にまで発展した。
魔法を使うには詠唱が必要である。詠唱をせずに魔法を使える者も多くいるが、すぐにできるわけではないので、覚え初めは必ず詠唱を唱えよう。また、詠唱を唱え魔法に慣れたとしても、必ず無詠唱で魔法が使えるというわけではない。相性の悪い属性や魔法というものもあるので、あまり深く思い悩まない方がいいだろう。
個人の魔力の量にもよるので、自分を思いつめないことだ。このことを知っている人は稀なのだが、小さい頃から魔法の練習をすると個人の魔力量が増えるという説がある。私はもう年なのでそれを試すことは出来ないが、子どものいる方はぜひ試していただきたい。
純粋な子ども時代に魔法にたずさわると、一般的に魔法を覚え始める12歳ころと比べ、魔力の流れをすぐにつかめることができるらしいのだ。
私はいったん本を閉じ、なるほどと小さく呟く。言語補助がついているとはいえ、慣れない文字を読むのは疲れる。この本のおかげで、魔法がある世界だということも、魔法についても少し理解できた。とりあえず私は魔力の流れをつかむということに専念してみよう。
とは言ってもまったく思い悩む必要なんてものはなかった。この世界に生まれたときからずっと自分の体になんともいえない違和感を感じていた。別のなにかが体内にいるような……その違和感こそが魔力なんだと思う。これは私が日本での感覚がなければ分からなかった違和感なんだろうなぁ。
私の胸の中でぐるぐると螺旋状に回っている魔力と思われるものを全身にいきわたるようにイメージしてみると、いい感じに魔力らしきものが身体中をめぐっているのを感じる。
で、このあとどうすればいいんだろ。魔法を使うのだから手から魔力を放出すればいいのかもしれない。とりあえずやってみよ。
う、うーん全然出ない……?難しいなあ。でもきっとこれぐらいのことができないのならば魔法なんて使えないはず。毎日こつこつと練習するしかないか。ぐーと身体をのばすとアクビが口から漏れ出る。初めてのことに挑戦したからかつかれてしまった。もう限界のようだ。おやすみなさい。
目を開けると私の目の前には、豚さ…お母様が目の前でただずんでいた。お母様はその金色の髪と綺麗なグリーンの瞳が台無しになるほどのケバケバしい化粧。これはいつものことだ。
そしてこれまた豪華なドレスと綺麗なお飾りをつけている。ここお家だからそんな豪華な格好はどうなのよと思うが、平常運転なので気にしない方向で行こう。
お母様は私を見て微笑んだ後、後ろの執事に合図をし、なにかを執事から受け取った。
「マジュリス。あなたにプレゼントを買ってきたわ。」
お母様はそう言うとその何かを私に自慢げに見せてきた。そのどやっぷりといえばジャーンという効果音が聞こえてきそうなほど。それは生地からして高そう……その上キラキラとした粒まさか宝石?のようなものまでひっついている。赤ん坊にこんなの着せて良い物ではないと思うがお母様はよく私にこのように豪華なベビー服を買ってくるのだ。
「本当可愛くて自慢の娘だわ。私とべリスの娘だなんて信じられないくらい美しい」
ほうと惚け、お母様は私をじっと見つめる。お母様はゲス豚と違い自分の容姿を自覚しているようなんだよなぁ。だけど私が可愛いく見えるのは自分の娘だからというフィルターがかかっているからなんですよーと心の中で呟く。お母様の性格は良さそうだ。少し安心。
問題はゲス豚なんだよねぇ。どうにかなんないのか、あいつ。養豚場にでも送りたいところ。
「ねぇ、マジュリス。今度一緒にお買い物に行きましょうよ。あなたに似合う服をたくさん見繕ってもらいましょう?」
いやいやとこれ買ったばかりでしょとお母様が持ってきた豪華すぎるベビー服を見るが彼女はまったくもって気が付かない。まだ私にお金を使うつもりだなんて恐ろしい人だ。
ということでやってきました。お母様御用達のマダムシャイネスのお店。私とお母様、そしてお母様のお付きのメイドと、私がダイスに無理を言って連れてきた劇団の裏方5人衆、そして護衛が何人かという大世帯。
私の目的は1つ。5人衆を弟子入りさせる! 私が劇団で使う服作りを彼らに命じたのはいいんだけれど、普通服の作り方なんて分からないということに気づいてしまった。私ってばなんてお馬鹿。
このことに関してはダイスからお母様に話がいっているのでお母様がなんとかしてくれるだろう。期待していますよお母様。
「これはこれはようこそいらっしゃいましたランラルーク伯爵夫人」
おぉ!お金持ちだとは思ってはいたが、伯爵だったとは。名字?も分かったことだし今日の収穫は大きい。
「今日は娘のマジュリスの服をつくっていただこうと思いまして」
「可愛らしいお嬢様ですね、どんなお色でもお似合いになるでしょう。」
「そうでしょう。マジュリスは世界一可愛いの」
うわぁ。親ばか。恥ずかしいからやめて!
「あと、なんだったかしら。そうそううちの者を弟子入りさせてくれないかしら」
「弟子入りですか。あいにく弟子は募集していないのですが」
「あら、そうなの」
断られてしまった、残念。他を当たるしかないのか。思わずため息をついてしまう。そんな私のことチラリとお母様が見たのに気づく。
「残念ね、あなたのお店けっこう気に入ってたんですけれど、足を運ぶのは今日限りになってしまいそうですわ」
「そっそんな考え直していただけませんか」
「だって弟子を募集していないのでしょう?」
「いえっ奥様のご希望であればもうっ何人でも大丈夫でございます」
お母様強い。強すぎる。さすが貴族様。これが権力にものを言わせるなのか。お店の方には少し申し訳ないが弟子入りに成功。これで私の今日の目標は達成だ。あとは私を着飾りたいお母様の好きにさせよう。
「こちらのお色がはえるのではないでしょうか?」
「あら素敵ね、でもこの色もこの子の瞳の色にあって綺麗なのよねぇ」
「あら本当ですね、どの色もお似合いになるなんて贅沢な悩みですわ」
「んー。迷っちゃうわぁ」
前言撤回。もう疲れた。ギブアップ。2時間近くもこのような話が続いているだなんて。正直子供服なんてなんでも良いからもう帰ろう。
「似合うんだもの。全部買っちゃいましょう。どの服もこの子にはえるように作って頂戴ね。楽しみにしているわ」
えっ結局? 2時間も話し合った意味さ。そして子どもにお金を使いすぎるの良くない。だめ絶対。そんな私の心の叫びをよそに、お母様はマダムに挨拶をし店を出ていった。もちろん私も。こんなお金の使い方してたら将来が危ういなあ。あぁ頭がくらくらする。この家どうにかしないと。