2.壁画
鏡野が腕を組んでくれるのは嬉しいが、これもきっと芝居なんだろうな。佐々木先輩と何かあってとかだったら嫌だな。一体どんな話の展開かと考えながら、鏡野と普通の話って何話せばいいんだよ。
かなり苦しい話の展開になるかと心配したが、主にテニス部の話で盛り上がった。そこでふと疑問が湧いてきた、なぜ彼女には友達と呼べるクラスメートがいないのかと。全くクラスメートと話していないわけではないが、親しくしてるとか、いつも一緒にいる誰かがいる様子がなかった。
僕は鏡野と今まで話という話をした事がなかった。だから、彼女は話下手か、人見知りなんだと思っていたが、全くそんな事はなかった。最初に話題に困った僕に、鏡野が話しかけて、僕は相槌を打つという形で会話が進んでいった。話下手でも人見知りでもない。女子の会話が苦手なのかな? 僕は勝手にそう結論づけた。
この時の僕は鏡野の苦悩や決意なんて考えもしなかった。そしてそれに僕が巻き込まれていくことにも。
「ここが私の家」
『鏡野』の表札の前で鏡野は立ち止まった。
でかっ!!……鏡野って金持ちだったんだ。そんな僕の様子をみて笑いながら鏡野は言った。
「私の家、お金持ちじゃないよ」
「でも、家デカイよ」
思わず反論してしまった。反論したくなるほど鏡野の家はデカかったからだ。
「母がお嬢様だったのよ。この家は母方の祖父が建てたの。この家を建てたの頃の父は駆け出しの検事で、この家の土地さえ買えないよ」
門を開け玄関への階段を上りながら鏡野は僕を手招きする。僕は門を閉めて鏡野について行く。
「お父さん検事なんだ。って、お母さん家にいるんだよね?」
僕と話がどうしてもしたい鏡野が家に来るように言ったんだから、当然二人だけだと思っていた僕は慌てた。緊張が襲ってきた。だいたい鏡野との関係がまだ微妙なのに、なんと挨拶すればいいんだ。パニックに襲われてる僕に鏡野は笑いながら言った。
「家には誰もいないよ。母は私が小三の時に死んだの。だから、そんなに緊張しないで」
と、言いつつ鏡野はいくつもの鍵を開けて行く。普通の鍵を使って開けたのが二つ、暗証番号の鍵が一つ、ただし普通の四桁のものではない、いったい何桁なんだ。
しかも指紋認証まである。
家がデカイとやっぱり危ないんだなあ。と、家を見上げてよく見ると、大きな窓は一つもない。縦や横に細く伸びている窓ばかりで、とても人の出入りなど不可能なものばかりだ。しかも鉄柵までしてある箇所まである。密室殺人の舞台にでもなりそうだ。
僕の反応を完全に楽しんでいるのか、鏡野は楽しそうに次々に解錠して行く。
解錠が全て終わり、この家の唯一の出入り口だからか普通よりも大きなドアを鏡野は開けた。反対側も開くようになっているので、両開きにすればかなりの大きさだ。正面からしか見てないが裏にも大きな窓の類はやっぱりないのだろう。家具など入れるの大変だもんな、これじゃあ。なんて人の家の家具の搬入を考えながら鏡野の家の中に入って行った。
「おじゃまします。おわっ」
今日は何度驚くんだ。だけどこれは……まただが、デカイ。自分のボキャブラリィのなさが情けなくなるが鏡野はいちいち期待通りの反応なのか嬉しそうだ。
「この家が大きくなった原因はこれもなの」
鏡野は美術館でしかお目にかかれないような壁画に呼びかけた。
「ただいま、お母さん」
「お母さん?」
壁画の絵は不思議な絵だった。始めは雪の絵だと思ったが、角度で太陽のキラメキのような絵にも見える。
「母の描いた絵なのよ。壁画を描いてみたくなって祖父にお願いしてこの家を頼んだのよ。祖父は母が一番のお気に入りだったから、あっさり母の注文通りの家を建ててくれたの。父も母には甘くって……普通は男のコケンとか気にすると思うんだけど……」
僕を一階のこれまた厳重にロックされたドアの前に案内しながら、鏡野はそこは不満そうだ。皆が母親に甘いのが不満だったんだろうか。大きな家を建ててもらえるなら、僕には不満などないが。
また暗証番号だの、指紋認証だの、今度は網膜認証まで追加されたロックを次々開けていく鏡野に僕はさっき浮かんだ疑問を投げかけた。
「あの絵って、雪の絵? 太陽の光の絵?」
「ああ、どっちもよ。凄い。普通はどっちかだって決めつけて見るからどっちかの絵にしか見えないのに。季節に左右されたりもするんだけど。あの絵は一種の騙し絵のような感じなの。私が雪が好きだから描いてくれたんだけど、冬場に見ると寒々しくなるから、太陽の光にも見えるように描いたみたい。まあ、壁画に挑戦するプラスどっちにも見える絵を描くのが楽しかったが本音でしょうけど」
さっき開けた玄関よりも重たい横開きのドアを開けて、またも母親に対して冷たい態度だ。母親に何か怒っているんだろうか。が、僕はそんな考えが吹っ飛ぶような、また驚かされることになる目の前に広がる光景を見て突っ立ってしまった。なんだこの理科室いや、研究室は。訳のわからない機械があちこち置いてあり、テレビでよく見る科捜研や大学の研究室みたいな感じだ。何でこんなものが家の中にあるんだ。
「やっぱり驚くよね」
鏡野はまた嬉しそうにいいながら僕の腕を引っ張り部屋の中にいれてドアを閉めた。
ガシャン
鏡野のドアの開け方で重そうなドアだとは思ったが、今の音であのロックの厳重さが僕の心に重たい気持ちを吹き込んだ。そうだ、鏡野は話があったのだ、誰にも聞かれたくないもので慎重に慎重を重ねて僕をここに招いたんだ。それまでの軽い会話と、密かに想っていた鏡野と話しているという事実に僕は最初の会話の内容を忘れていた。
「これもこの家が大きくなった原因よ。この家は壁画とここのスペースを確保する為だけに大きくなったのよ。あとのスペースはそんなに大きくないのよ。ここのせいで1階はあとは母のアトリエとトイレしかないし。二階は絵のせいで吹き抜け部分多いしね。って、聞いてるの? 柏木君?」
「ああ。それよりもう話できるんじゃない?」