1.手紙
あと十分で四時になる。僕はもう一度手紙を見直した。
『柏木君へ
お話があります。
明日六月六日四時にこの場所へ来て下さい。』
場所は地図で描かれていた。僕の通う学校の近くの川の橋と橋のちょうど中間、ご丁寧に星印が赤色に塗られていた。
「来るべきじゃなかった」
ここに着いてから僕は今さらながらに後悔している。この手紙は僕の靴箱に昨日の朝に入っていた。文字は女の子の文字だった。それでも、誰か友達のイタズラかと昨日も今日も周りの様子を見ていたが、誰も不振な様子はなくいつも通りだった。告白されるのが怪しいのではなく、この手紙が怪しい。
だいたいなぜわざわざ次の日を指定しているんだろう。場所も学校の中ではないし、ご丁寧に日付もいれて地図まで描いている。言葉で表現出来る場所では何か都合が悪いんじゃないかと思える手の込みようだし。
確かにここなら誰にも目撃されないけれど、ただの告白にしては用心深過ぎる。
それにこの時間。今日は部活が先生の都合で休みになった。いつもなら四時にこの場所に来ることは出来ない。テニス部が今日休みだとわかってて呼び出していると思える。 何だか用意周到過ぎて気味が悪い。
僕は思い返して帰ろうと振り返った時、来て良かったと胸躍らせた。
一年生になってすぐに好きになったクラスメートの鏡野アリスがこちらに向かって走って来ていたから。
初めて鏡野を見たのは入学式の後、教室に入った時だ。胸のドキドキが止まらず、異常なまでの胸の鼓動がした。始めは新しい学校、クラス、クラスメート、これから初まる高校生活に対するものだと思った。だが、何日経っても胸の鼓動は治まらなかった。今までに好きになった子はいたが、こんなにも胸躍る子はいなかった。
その彼女が前から僕に向かって走ってくる。少し茶色がかった髪を今は結んでいない。鏡野はいつもは白い顔を紅色させていた。背が小さく細身で色白、顔立ちも少し日本離れしていて髪の色も少し明るい、外国のお人形を思わせる少し冷たい雰囲気がある。でも、今は頬を赤く染めて息を切らせているせいか、いつもより親しみを覚える。
やっと鏡野は僕のところへたどり着いた。
「ごめん。……待たせた?」
なんていうセリフを期待していたのに……僕はショックを受けることになる。
「よくあの手紙で来たね」
え、いやいや君が書いたんでしょ? って言いたい気持ちを何とか抑えた。
「あ、うん」
そう答えるしかないだろう。相手が鏡野じゃなかったら速攻で帰っていただろう。
鏡野は何だかすごく楽しそうにしている。いつもの退屈そうな彼女とは大違いだ。髪型や息を切らせて頬を染めているだけが雰囲気の違いではなさそうだ。
何の話だろうか。単なる告白ではなさそうだし。イタズラされるような関係でもないし、他に誰もいないから代理での告白でもないだろう。
だいたい彼女には特にこれといった友達がいるように見えない。彼女が唯一親しいのは三年のテニス部の部長の佐々木先輩だ。そうか、それでテニス部の休みがわかっていたんだ。というか、彼女は佐々木先輩と付き合っているんだと半ば諦めていたんだ。別れたのだろうか。この前も親しげに「アリス」「桃李」とテニス部に来て下の名前で呼び合っていたばかりなのに。
佐々木先輩はテニス部の部長で、一年生からずっと学年一位の成績らしい。性格もよく誰からも好かれている。背も高く細いがしっかりと筋肉はついている。男の僕がいうのもなんだが、モテるだろう外見をしている。実際テニス部の部活中には女子がうるさい。まあ、佐々木先輩にだけ向けられてるわけじゃないし、鏡野アリスと付き合っていると思われ出してからは、随分と減っているけれど。
時々テニス部に顔を出して親しげに佐々木先輩と話して行く鏡野を見るのは辛かった。彼女の雰囲気もいつもと違っている。鏡野を秘かに想っている僕には辛い光景だった。
「変な手紙でごめんね。これ以上の手が思いつかなくて……」
鏡野は本当に困ってたのか、いろいろ考えてる表情をしている。そんな彼女も可愛いなあと、先行きの事など思い巡らすのを忘れて、いつもと違う彼女を見つめていたら、突然鏡野が飛びついてきた。僕と彼女の身長差は二十センチぐらいある。彼女は僕の首にぶら下がる形になる。い、いきなり!? と、僕の期待に膨らんだ胸を鏡野は微妙にする行動に出た。
僕の耳元で囁いた。
「柏木君、私に告白されてるような顔をして。あのね、ここだったら話が出来るかと思っていたんだけど甘かった。このまま告白が上手くいった様に振舞って」
鏡野の囁きは意味不明だった。どうしよう、彼女の訳のわからない要求を聞くべきか。僕が考えていたら返事がないのを承諾だと判断したのだろう、彼女は話を続ける。
「今から私の家に来て。家なら話が出来るから。柏木君訳わからなくて戸惑ってるでしょ? 私の話を聞いてから判断しても遅くないと思うんだけど」
ドキリとした。判断に迷っているのを当てられた。いや、わかるか。この状況、誰でも戸惑うよね。まあ鏡野が自分の行動をちゃんと理解していた事がわかって良かった。絶好の場面なのに全くそういう感情になれなかったし。
「ねえ、聞いてるの? 柏木君?」
僕が返事をしないから不安に思った鏡野が僕の耳元から顔を外して、今度は顔を覗いてきた。うわあ、近い、可愛い。
「おーい、柏木!」
ダメだ、降参です。
「わかった。鏡野の家に行けばいいんだろ」
慌てて返事をしたら、また鏡野は耳元で囁いた。
「良かった。じゃあ、付き合った風で、話も普通の会話でお願いね。この事は話さないでね。私の家に入るまでは」
鏡野は周りは誰もいないのにずっと耳元で囁く。遠くで何処かの野球部が練習中なだけなのに。まあいいけど。好きな子に抱きつかれて耳元で話をされるなんて悪い気はしないし。ただ、芝居っぽいのが嫌な予感がするんだけど。
「わかった」
こればっかり言ってるような気がする。
鏡野は僕から離れた。
「じゃあ、行こう」
と、ご機嫌な様子で腕を組んできた。