001−002
そういう暗い宿命を生後まもなく背負わされた人間が、どうして明るく育てるものか。
周囲も徹底的に冷たかった。
乳母や教師たちは、義務感まるだしで、おれに接した。
はずれクジを引いてしまった。
出世も望めぬ、こんな王子に仕える羽目になるなんて。
声にもならぬ、つぶやき。
目が語る、あけすけな本心。
おれは神経質なくらい敏感な子供だったから、わかってしまうのだ。
それがまた、彼らには気に入らなかった。
当然だ。
おれもまた、芝居は下手だった。
愚者を演じ切れるほど、器用でも、利巧でもなかった。
「扱いにくい子供」というレッテルを、彼らはおれの顔に、背中に、貼りつけた。
生半可なことでは剥がれぬよう、一人一人がそれぞれの手で、それはそれは丁寧に、執拗に。
だからおれは、森が好きになった。
城のすぐ裏手にあって滅多にひとは来ない。
弱虫の見本のようだったおれが、乗馬だけは、どの王子より上達が早かったのは、森へ行って一刻でも早く多く、一人になりたい一心でのことだったのだ。
おれは味噌っかすだったから、供なぞいない。
いても、まっとうな者ではない。
ついて来なくていいと言えば、待ってましたとばかりに踵を返し、真っ昼間から一杯ひっかけたり、台所女とフザケ合ったりしにゆくのだ。
当時のおれはまだほんのガキで、少なくとも今よりは下品でなかったから、これほどあからさまに言ったり考えたりはしなかったが、それでもたしかに、そんな連中に良い感情は抱いてなかったように記憶している。
おれは一人で森のあちこちを徘徊した。
暇さえあれば、森へ逃げ込んだ。
初めて森で夜明かしした時はさすがに叱られたが、おれは辛抱強く、周囲を馴らした。
おれの森がよいが、ある程度周囲に認められるようになった頃、夜明かしという、とんでもなく大胆な行動に出て、ちょっとばかり彼らの肝を冷やす。
それからまた、しばらくは大人しく、いい子にして、日暮れ前の早い時刻に帰って来てやる、そして徐々にまた帰城時刻を遅くしてゆく……ふん。
ずいぶん気を遣ってやったものだ。
努力は報われた。
そのうち、おれが一日中森に入り浸っても、だれも文句を言わなくなった。
もともとおれは、たいして重要な存在ではなかった。
たとえばおれが森で迷子になっても、最悪のたれ死のうとも、おれの捜索や葬儀の準備などで、なにかと忙しい目にあう程度の煩わしさだけで済む。
精神的に痛手をこうむる者など、いやしない。
悲しむものなど、だれもいやしないのだ。
それにおれは、方向感覚はわりにしっかりしていた。
おまえたちはおれのために無駄な骨折りをさせられる心配はないのだ、ということを、きっちり態度で示してやった。
どれほどの危機に、たとえ死の危険に晒された直後であろうとも。毅然とした面持ちで、しっかり帰還してやるのだ。
実はおれも、最初から森の精たちに大歓迎で受け入れてもらえたわけでは、決してなかった。
落馬して怪我をしたりは日常茶飯事。
あわや首の骨を折るところ、だった場合も、無論ある。
道に迷って往生したりも、これまたほぼ毎日。
頭の中に地図が叩き込まれるまで、幾度「おれはここで死ぬ」と覚悟を決めたか。
一度など、桁外れに狂暴な大型の野犬に出くわして、あやうく喉笛を食いちぎられそうになった。
白銀の長毛に覆われ、とくに胸の飾り毛が堂々たる印象を与えた。
王の狩猟犬が、はぐれて野生化したものだ。
そういう例が、たまにあった。
そいつに遭遇したのは、不運だった。
相手を上手くなだめ、危険を回避する術もまだ、よく体得できていなかった頃だ。
あの時は、さすがに参った。
馬は驚いて逃げてしまうし、おれはおれで恐慌をきたし、無我夢中で剣をふりまわし、どうした弾みでか犬を退治できたはいいが。
指が硬直し、剣が手から離れず、腰も抜けて、しばらく血の海で震えていなくてはならぬ有様だった。
そんな目に遭った後でも。
帰城の際には平静を装った。
たとえ服は血だらけ、泥まみれであっても。
凱旋。
そう、あれはまさに凱旋だったのだ、おれにとっては。
何事もなく城に帰り着いた時よりも、困難に出会い、乗り越えてきた時のほうこそ、おれは晴れやかな顔をしていたのではなかったろうか。
おれの破れた上着や、泥のこびりついた靴などに目をやり、互いに顔を見合わせる門番たちの複雑な表情は、おれを惨めな気分にさせるどころか、かえって痛快なくらいだった。
「一体なにがあったのですか、王子」
おれはニヤリと笑ったきり、答えないのが常だ。
得意になってありのままを喋ってしまったりしたら、森へ行くのを禁じられてしまうかもしれない。
おれの身が心配なのでなく、自分たちが面倒に巻き込まれたくないばっかりに。
ゆえに、様々な噂が飛び交った。
野獣と大立ち回りをやったのだ、いやいや、あの王子にそんな真似ができるわけがない、崖から落ちたのだ、木の枝にでも躓いて派手に転がったか、はたまた妖精にからかわれたのか……云々。
しかし、どれも噂に過ぎぬので、だれも王に「おおそれながら」と訴え出ることは叶わなかった。
王はおれのために煩わされるのを、よしとしなかったので、見て見ぬふりを、決め込んでいた。
おれはと言えば、ますます森が好きになっていた。
森にとりつかれている、という陰口を小耳に挟んだこともある。
べつに立腹も、傷つきもしなかった。
他人の言うことなど、どうでもよくなっていた。
失望も絶望も、とうの昔に卒業していた。
それに。
自分でも、その通りかもしれないと思ったからでもある。
おれの胸にはむしろ、誉め言葉めいて響いたものだ。
森は至福の場所だった。
危険でさえ、至福だ。
おれがヘマをすれば、反動が来るのは至極当然のことなのだ。
この髪のせいでも、目のせいでもない。
森ではだれも、そんなものでおれを差別しない。
おれはおれの行動だけに責任を取ればいい。
おれにはどうすることもできぬ、この外見や生後まもなくの「忌わしい出来事」などには一切、関係なく。
おれは気分のいい時には顔中をほころばせ、歌を歌うこともあった。
また、悲しい時には大声で泣き喚き、大地に突っ伏すのだ。
物凄くむしゃくしゃする時は、巨木に体当たりを食らわせたり、湖に飛び込んだりもする。
初めの頃は、足元のかよわい草花を踏みにじったり、手当たり次第、刃物で小枝を切り落としたりもしたのだが。
理性を取り戻した時に視界を占める、あの無残な光景が、おれの良心を責め苛むので、やめた。
弱いものいじめは、どうも、おれの性に合わぬらしい。
けれど、森は、やがて。
どんな愚行を蛮行を、あるいは正義を振りかざそうとも、寛容な腕をひろげて包み、受けとめてくれるようになった。
いつのまにか、すっかりおれを、森の共存者として容認してくれていた。
取りも直さずそれは、おれ自身が森をそのまま、ありのままに、受け入れていた、からでもあった。
自然の恵み。
自然の脅威。
森は生きた教科書だった。
それまでお目にかかったどの教師よりも、雄弁かつ物静かな師だ。
おまけに名医でもあった。
おれを丈夫にしてくれたのだ。
おれはしょっ中貧血を起こしてふらふらになったり、ちょっとした不注意で風邪をひいたり、こじらせたりして、とにかく身体が弱かった。
頭痛や腹痛、消化不良や原因不明の急な発熱などとは、一生つきあわねばならないと、悲愴な覚悟をしていたものだ。
それがどうだろう。
病魔は一匹残らず、おれの身体から退散して行ったのだ。
森がよいを始めてからというもの。
かわりに生キズは絶えなくなったが、回復力や痛みに対する慣れや抵抗力なども、それに比例してどんどん増して行ったので、たいして問題ではなかった。
ただ、外見は、あまり変わり映えがしなかった。
多少、血色が良くなったくらいで、相変わらずチビの痩せっぽちで、当たり前の話だが、依然として、髪は赤く、目は緑だった。
それにおれは、人間相手には、おいそれと感情を露わにしない習慣が、すっかり身についており、大人ばかりか兄弟にまでウケが悪かった。
皆がおれを無視したがるので、おれの変化に目を見張ったのは、主治医だけだった。
おれは声変りをし、十五の成人式まで、あと一年というところまで生き延びた。