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「ついてくるな! おまえを拾ったのはただのなりゆきだ、もののはずみだ、ほんの気まぐれだったんだ!」
ほとんどまる一日、おれの後ろをすたすたついてくる娘を、おれは意地になって無視し続けていたのだが、ついに耐え切れなくなって、くるりと背後に向き直り、怒鳴った。
怒鳴ってから気がついた。
おれはかつて、そっくり同じセリフを同じように怒鳴られた覚えがある。
ビアズレーに。
「……くそったれが」
誰にともなく、吐き捨てる。
娘は平然とおれを見返している。
『好キニシロト言ッタ。ダカラ好キニシテイル。ツイテユク』
目が、そう語っていた。
豊かな表情……言葉よりも雄弁な瞳。
この娘は癇に障る。気に食わない。
たった一人の姫君のために捧げた、おれの心の最も大事な部分さえ、無遠慮にさらってゆかれそうな、おそるべき予感が、胸の内に吹きすさぶ。
足取りも荒く、再びおれは歩き出した。
おれは聖人君子ではない。
男の生理的欲求の赴くまま、商売女を相手にしたことも、正直言って、何度か、ある。
しかし、おれが彼女たちに求めるものは、単に一時の快楽のみで、決してそれ以上でも以下でもなかった。
楽しませてくれた礼はたっぷりはずんでやったし、変な趣味もないので無理も要求しない。
おれはマナーも金離れも申し分ない上客として、彼女たちの間では評判がよかった。
おれはそのことに対して、ノエルタリアに後ろめたさを感じたりしたことは、あまりなかった。
仮にノエルタリアが男で、おれが女であったなら、もっと深い罪の意識に苛まれたかもしれないが……例外はもちろんあるだろうけれど、これが男女の構造の違いではないかと、おれは考えている。
ずるい男の、言い訳だろうか。
とにかくおれは、他人に誇れるほどには、身持ちのよいほうではないのである。
今さら気取るガラでもないのに、それが……この娘に対してだけは。
畏れに近い、尊重の念。
これまでノエルタリアにしか抱くことのなかった慄きを、どうして、ゆきずりの奴隷女ふぜいに感じなければならないのだ。
なんとか理性で片付けようとしたが、理性では明らかに、役不足だった。
……もういい!
おれは論理に頼るのをやめた。この娘と別れよう。物理的に距離を置くのだ。
そうすればこんな気持を、もてあまさなくて済む。
ところがいくら無視しても、こうしてあからさまに追い払っても、娘はおれから離れようとしない。
何故だ。
おれは彼女に好かれるようなことをしてやった記憶はない。
それどころか嫌がることばかり、わざとのようにやらかしてきたのに。
頼むから、どこかへ消えてしまってくれ。
おれはおまえに、心を奪われてやるわけにはいかないのだ。
いつしかおれは、迷路のような路地裏を、足早に駈けずりまわっていた。
娘は懸命についてこようとする。
が、おれを見失うまいと必死になるあまり、周囲への注意力が損なわれていたのだろう、彼女はそこらにたむろしていた男たちの一人に、ぶつかってしまった。
巌のような大男が五、六人、わらわらと娘に群がった。
えげつない言葉で獲物を値踏みする下衆どもの間から、潤んだ大きな瞳がおれにすがりつく。
咄嗟にそちらに目を走らせたおれは、彼女以上に困惑した表情を浮かべていたに違いない。
あきれ返ってものが言えない。
こんな時でさえ、沈黙の掟を守るのか、この女は!
おれは彼女のまなざしを振り切った。振り切って、歩き出した。
好都合じゃないか。
あの娘は、もう追ってこられない。
だが。
せいぜい頑張ってみても、五十八歩が前進の限界だった。
それ以上、足が前に動かないのだ。
「……畜生、なんだっておれが!」
おれは絶叫し、きびすを返してダッシュした。