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003-004

「おまえと初めて会った時、わたしは奇妙な感覚に捉われた。驚き、おそれ、ときめき……そして、とても懐かしかった。どうしてだろうな。

 その時はそのまま離れたから、ただの気の迷い、一時の錯覚だと自分に言い聞かせた。

 まあ、水浴びの最中に、おまえは突然現れ、あまつさえ、こちらは全裸だった、当惑しても無理からぬ状況ではあったし、な。

 けれど二度目に、城の広間でおまえを見かけた時……直系血族の内で唯一、毛色の違うおまえと再会した時、今度こそわたしは確信した。これは運命だと。わたしたちは同類だと」


 そうだノエルタリア。

 おれも確信した。


「……だが、おまえとの運命の出会いも、わたしの全生涯をかけた誓いを、撤回するに及ばなかったのだ」

「誓い?」

「誓いと言うより……呪詛だな。これは、底無しの怨念だ」


 ノエルタリアの瞳が、異様な光を帯びる。

 背後を飾る鮮血……純白のシーツを染め上げてゆく兄の血潮よりもなお強烈な、紅。

「ナハシャもレムノンも、滅びてしまえば良いさ」


「ノエルタリア、どうしてそんなことを?

 あなたはナハシャの姫君ではないか、レムノンはともかく、なぜ愛すべき祖国まで」

「愛すべき祖国?」

 ノエルタリアは目をむいた。唇が、嘲りのために、引きゆがむ。


「わたしが祖国を愛しているって? どこでそんなしあわせな誤解を?」

「だって……」

「ハッ! わたしが故国でどのような扱いをされてきたか、おまえならわかってくれると考えたわたしが甘かったな! わたしの受けた仕打ちは、おまえなどの比ではないわ!」


 凄まじい憤怒の奔流。

 ノエルタリア。

 選ばれた聖女として、崇められているとばかり思っていたのに。


「……破壊神の申し子」

 唐突に、激情の失せた声。顔つきも虚ろになる。

 遠いまなざし……だが、燃えさかる深紅の瞳から怒りは去らない。

 皮肉な笑みに片頬が引きつる。


「わたしはずっと、そう呼ばれ続けていたのさ。国民すべてに。白は破壊神ズーシーの色なのでな。

 宮殿の最奥部、鉄格子つきの地下室で、首に鎖をつけられてわたしは育った。

 僧どもが、片時も絶やすことなく部屋の周りで経文を唱え、魔除けの香を焚き染め……そうして、魔性の子供の放つ妖気を最小限に抑えたつもりでいたのだそうだ。

 他の子供らは、母親の愛に満ちた子守歌で眠りにつくのだとか?

 わたしに降り注いできたのは、陰鬱な読経。わたしを呪う言霊の針。昼も夜も、絶え間なく。


 それほどわたしが厭わしいなら、いっそ生を受けたその瞬間に、八つ裂きにしてくれればよかったものを、誰もとどめを刺してくれないんだ。

 迷信深い彼らは魔物の再来を、人の手で殺せるなどとは、考えられなかったらしいのだ。破壊神の申し子に直接手を下して、その報復を真正面から受けて立とうという英雄は、ついに何処からも名乗りをあげてこなかった。ゆえに……これが極めつけの話さ、わたしの召使いたちは、とても回転が早かった。六日以上使えた者は、ごく稀だ。そして、わたしのもとを去った者たちを待ち受ける未来は、ひとつの例外もなく、死のみだった。

 死罪を宣告された極悪人どもが、処刑されるまでの間、わたしの身のまわりの世話をするきまりだったからだ。一般の、前途ある人間には、わたしの世話はさせられないとさ! ははははは……」


 彼女は身を折り曲げて笑い転げた。嗚咽にむせんで声が出なくなるまで。

「は……まったく笑わせる。わたしはただの子供だったのに。なんの力も持ってはいなかったのに。

 だのに、わたしにあてがわれた連中ときたら……殺人鬼、暴行魔、放火魔、悪鬼羅刹に魑魅魍魎! 世の矛盾と汚濁にまみれた彼らは、わたしのもとに送り込まれるということが何を意味するか、知っていた。もはや、余命いくばくもないのだと。


 元気のなくなる奴は、まだましだった。やり場のない憎悪を、鎖につながれたわたしにぶつける者や、わたしを嚇して、なんとか『上』に助命を通そうと企む死に物狂いな輩よりは、はるかに。

 わたしは、知恵と度胸とハッタリだけで、彼らに立ち向かうよりなかった。

 並大抵のことではなかったよ。ひとすじ縄でいく連中ではないからな。あの連中を統率するのに較べたら、甘やかされ、敬われ続けて肉のたるんだ、この国の王や王子を手玉に取るなど、まるで子供の遊びだったよ。話術ごとき弄さずとも、まなざしひとつで自由自在さ、おまえもよく知るとおり。


 ……話をナハシャに戻そう。

 わが愛すべき祖国の、罪もない一般大衆とその君主は、わたしに直接手出しはしなかった。

 邪神の寵児の命運は、それ相応の穢れた罪人どもに委ねたと言うわけだ。

 皆はわたしが、もともと信仰心が薄い上に、死を前にして自暴自棄になった悪党どもに消されることを切望しただろうが、あにはからんや、わたしはしぶとく生き延びた。あまたの危機を切り抜け、神経を研ぎ澄ませ、経験を積んで。


 最終的にたどり着いたのは、カリスマだ。

 彼らの死に対する恐怖を逆手にとって、利用したのさ。

 破壊神の申し子、冥界への導き手を完璧に演じて、彼らに畏敬の念を抱かせた。

 みずからの存在自体を、宗教にまで高めるのだ。


 最初の一人を陥落させて、熱烈な崇拝者へと洗脳することに成功すれば、あとの者は比較的容易に支配できた。わたしは希代の名女優だったよ。死刑囚たちは、最期の救いをわたしに求め、わたしの足元にひれ伏し、わたしを崇め奉り、そしてわたしに赦されて、極悪人らしからぬ穏やかな表情で死出の旅路に着いていった。

 こうしてわたしは長い長い間、地下の暗黒の皇女として、冥界の扉を玉座に君臨してきた。


 はじめはたしかに、演技だったんだ。

 けれど、いつしか……わからない。彼らがじつは正しかったのだろうか? わたしは本当に、生まれつき忌むべき存在だったのか……これが、おのれの本性なのかもしれないと、なかば本気で考え始めた頃……外界の奴らが、わたしを地下から出したんだ。


 生まれて初めて対面した父親が、わたしになんと言ったと思う?

『西方の国へ旅立つように』

 ただ一言! しかも御簾ごしに! わたしを直視すると高貴なその目が汚れるとでも言わんばかりに。


 わたしはピンときた。こいつらは……生まれて間もないわたしを、自分の子を泣き声がうるさいと絞殺した札付きの娼婦と共に牢獄へ押し込め、その後も次々と『超一流』の乳母やら教育係やらを送り込み続けてくれた、みずからの手を汚さずにわたしを葬ることを望んだ虫のよい卑怯者どもは、今もまた、手前勝手な都合で、わたしを弄ぼうとしていると。


 わたしは無知ではなかった。

 国際情勢に疎いわけでもなかった。

 極悪人の死刑囚にも、情報通や頭の切れる者はごまんといたからだ。


 そうとも、わたしはすぐに察しがついた。

 わた祖国の君主と民衆が、暗黒の皇女を地下より引きずり出し、西方に派遣する、その理由を。

 こうして、敵国に送り込んで、その国を滅ぼしてしまうためさ!

 このわたし、災いの種、破壊神の化身の絶大なる邪力によって!


 よし、いいだろう!

 わたしはおまえたちの望みどおりの、期待以上の働きを示してやろう!

 わたしはレムノン王家を砕く! そしておまえたちをも、生かしてはおかぬ! ともに惨めなる衰退の道を辿るがよいわ、おまえたちの信ずる、白き破壊神ズーシーの申し子の手にかかって!」


「ノエルタリア!」

 耐え切れず、おれは叫んだ。

 彼女の言葉を遮りたかった。とても最後まで大人しくは聞いていられなかった。

 彼女の苦悩は、おれの苦悩なのだ。同情などという、なまやさしい代物ではなく。


「ひとつだけ答えてくれ、イーダス」

 狂気から正気へ、彼女の精神は一瞬にして移行した。

「おまえは、どう思う? 白子に生まれついたのは、わたしの責任か? この外見は、わたしのせいか?」


 おれは、首を横に振った。

 ゆっくり、そして、きっぱりと。

 視線だけは、ためらいがちにすがりつくような、ノエルタリアの赤い瞳に据えたまま。


 ノエルタリアは、力なく微笑した。

 淋しげな笑み。

 似合わないよ、ノエルタリア!

 あなたは尊大でいなければ!

 おれを、他のすべてを見下し、従わせていなければ!


「……おまえが、もっと早くにわたしの前に現れてくれたらよかったのに。わたしが本物の破壊神になってしまう前に」

 ノエルタリアの夜着の裳裾が、青白く燃え上がった。

 比喩ではない。

 ほんとうに、炎が。


「ノエル……ノエルタリア!」

 彼女を包み込んだ炎は、たちまち部屋中に広がった。

 おれは彼女に向かって駆け出した。彼女を抱きしめるために。

 白い炎を、抱きしめるために。

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