6話
畑にはたくさんの作物が実っていて、その中をのんびり馬で歩いて行く。
レンガ造りの家があちこちにあって、ファンタジー映画の中に迷い込んだような気分になる。それくらい、現実感のない光景ともいえた。
家の数がどんどん増えていく頃になると、そこに住む人の姿も見え始める。
異世界なんだし、どピンクやど紫の髪の毛の人とかいないかなー、ときょろきょろしてみるけど、村にいる人達の頭は金髪と茶髪、時々赤毛っぽいのが混じっている程度の人しかいなかった。うーん、残念。この世界の遺伝子は地球とさして変わらないのだろうか……。
せっかくなら、これぞ異世界! という髪の色を見たいのに!
なんて、一生懸命に道行く人の頭を凝視していると、
「こんな田舎でキョロキョロしてんじゃねーよ。どんな辺境から来た奴だって思われるぞ」
ディーンさんが小馬鹿にした顔でからかってくる。
「いいじゃないですか。わたし、この世界のこと何も知らないんですから。とにかく全部が興味あるんです!」
「この世界のこと? 大陸じゃなくて?」
ムッとしてそう言い返すと、ディーンさんは怪訝な顔になる。
あれ? 遺跡の中の神様との会話で、3人はわたしが異世界から来たって分かってるんじゃなかったっけ? あれ、れ?
2人して首を傾げていると、フィオンさんが苦笑しつつ声を掛けてくる。
「込み入った話は屋敷に着いてからにしよう。もう着くよ」
ほら、とフィオンさんが指差す先には、他の家に比べて2回りほど大きい家があった。
あれが、これからお世話になる家みたいだ。素朴な感じだけど、周囲の家と比べるとどっしりとしていて、お金持ちの家だとすぐ分かる。わたしの基準で言えば、領主さまの家、かな。
お屋敷の入り口で掃除をしていたおじいさんが、わたし達に気付いてにっこりと笑った。そのまま、わたし達が通りやすいように道を開けてくれる。
「エイハブ様、皆さま、おかえりなさいませ。……おや、可愛らしいお嬢さんまで連れて、珍しいこともありますなぁ」
「ただいま、バート。彼女は大切な生き証人だからね。丁寧に扱ってくれって、皆に伝えておいてくれる? あと、ヤーティンを運びたいから6・7人くらいの人数と大きい荷車も。今も稼働してるヤーティンだから、少々のことでも止まることのない強い心臓の持ち主を集めてくれ」
「かしこまりまして」
エイハブさんに言われて、バートさんはホウキを手にお屋敷の中に入って行った。
今のやり取りからすると、この屋敷はエイハブさんの家、なのかな。それにしても、”大切な生き証人”って、どんな説明なんだろう。おまけに強い心臓の持ち主を集めろ、とか……と言うか、それを普通に受け入れるバートさんって一体何者? 謎だ。
入口の門をくぐると、馬から下りる。
「エイハブ、馬は俺達で戻すから、君は先に戻るといいよ」
「そう? それじゃあ頼むよ」
そう言って、エイハブさんは手綱をフィオンさんに渡すと、颯爽と走って行ってしまった。
スキップでもしそうな勢いの浮かれっぷりだ。背中から羽根が生えてそう。
「生き生きしてんな、あいつ。王族コキ使ってるって分かってんのか?」
「エイハブにとって身分なんて二の次だよ。今日はいろいろあったし、……ああ、ハルは後が大変かもしれないね」
「わたしが、ですか?」
「エイハブのことだ、根掘り葉掘りおまえの身の上を聞いてくるぞ。下手すりゃ生まれた日にちと時刻から、最後の食ったメシの時間と原材料まで」
「ええー……」
そんなことまで?
というか、わたしの身の上と遺跡は関係ないんじゃ? わたしは、この大陸と外を繋ぐパイプ役に過ぎないんだけどな。
「でもわたし、普通の人間なんですけど」
「いや、普通とは言えないだろ。あんな現れ方しといて」
「それはわたしじゃなくて、神様の仕業だし。何も覚えてないんですよ」
「俺に言ってもしょうがねーよ。ま、あいつに興味を持たれた時点で、諦めるしかないな」
そんなばかな。
ディーンさんが、ぽん、と同情の眼差しで見下ろしながら肩を叩いて馬小屋へと入っていく。
入れ違いに、先に馬を小屋に戻していたフィオンさんが戻ってきた。
「質問攻めにあうのは、エイハブが満足するまでだから。頑張ってね」
「……ははは」
それは慰めにもフォローにもなってませんよフィオンさん。
ディーンさんとフィオンさんが屋敷に顔を出すと、メイドさんが「フィオン殿下、ディーン様、おかえりなさいませ」と頭を下げた。
「先ほど、エイハブ様は回収に行ってくる、と言われてお出掛けになりました」
「エイハブが? ……何だ、結局自分も回収に行ったのか」
「ええ、それはそれは楽しそうなご様子でした。皆さまには、ご自由に過ごされますように、と。後、”生き証人”様のお世話も言いつかっております」
”生き証人”って、わたしのこと……だよなぁ。
一応気を遣ってくれてるんだろうけど、なんで名前じゃなくて”生き証人”なんだろう。まさか名前を忘れたわけじゃあるまいよね。
「それじゃあ、俺達は風呂に入りたいから準備をしてくれないか。それから、彼女には着替えも頼むよ」
「かしこまりました。準備ができましたらお呼びいたしますね」
「ああ、部屋にいるから」
メイドさんは深く一礼してから、奥の部屋に消えていく。
なんというか、フィオンさんって命令しなれてるっぽいなぁ。そういえば、王族って言ってるけど、王子様ってことなんだよね? だから、なのかな。
じーっとフィオンさんの顔を見ていると、わたしの視線に気付いたフィオンさんは緩く首を傾げた。
「どうかした? ハル」
「フィオンさんって、王子様……なんですか?」
「ブッ」
わたしの質問にフィオンさんが答える前に、ディーンさんが噴き出した。
フィオンさんはちょっと嫌そうな顔だ。
「ディーン」
「あはははッ、フィオンが”王子様”か。そりゃいい!」
「え、違った? ごめんなさい。王族とか殿下とか言ってたから、てっきり……」
「いや、それは、」
「安心しろよ、ある意味間違っちゃいねーよ。にしても、王子様……ククッ。あー腹がいてぇ!」
「……ディーン、後で覚えてろよ」
「え? ええと?」
「俺は確かに王族だよ。でも、俺は王の弟の子。つまり、傍流王族だから、王子とは決して言わないんだよ」
「あ、そっか。……ええと、ごめんなさい」
「いや、君は間違えただけだから、別にいいんだ。問題は、」
フィオンさんは半眼になって、未だ腹を抱えて笑い転げているディーンさんに振り向いた。
そのまま、拳をディーンさんの頭めがけて振り下ろした。ゴスッ、と小気味いい音がする。殴られたほうは、「いてぇ!」と呻いてうずくまった。
その様子は本当に痛そう。もしや手加減なしでやった……? 一方、フィオンさんは少しすっきりした顔だ。
「こいつだから。さ、準備が出来るまで部屋で待っていようか」
そのまま、涼しい顔で階段を上がって行った。
頭を抱えてうずくまるディーンさんと、さっさと部屋に向かうフィオンさんを見比べて――わたしは、心の中で合掌すると、フィオンさんの後を追いかけた。
こういう時は人徳がモノを言う、ってやつだよね。
それから、メイドさんに呼ばれてお風呂に入ることにした。
どんなお風呂だろう、とわくわくしながら案内された場所に行ったら、なんと温泉だった。しかも湯の色が赤い。真っ赤。何コレ血の池地獄? 異世界で!? ってびっくり。
「驚きましたか? ここの湯の色は赤いんですよ。けど安心してください。本物の血じゃありませんから」
目をまん丸にして驚くわたしに、メイドさんは笑いながら教えてくれる。
「そ、そうですね……」
「では、着替えはこちらに置いておきます。服はこちらの籠に入れてくださいね、洗濯しますので」
「はい、ありがとうございます」
「ではごゆっくり」
着替え一式が入った籠を入口に置いていくと、メイドさんは頭を下げて出て行った。
まずわたしは、おそるおそると湯に手を入れた。温度はわたしの知る温泉と同じくらいで、ちょっと熱め。良かった、これなら普通に入れる。
「それにしも、血の池地獄初体験が、まさか異世界でなんて。世の中何が起こるか分からないなぁ」
ゆっくり温泉に浸かった後、用意された服に着替える。準備されていたのはワンピースだった。1枚は白い無地で、もう1枚は裾に花柄の刺繍が施されている。刺繍がついたワンピースは袖もないし、胸元がぱっくり縦に割れていて、小さな穴には紐が通されていた。白い無地のワンピースを下に着て、刺繍付きのワンピースを上に着て紐を縛ることで身体にぴった りと合わせるのだろう。……多分。
着替えてから通りすがりのメイドさんに確認したら、問題なさそうでホッとした。
服の着方を聞かれたメイドさんはとても不思議な顔をしてたけど。そのあたりは、笑ってごまかしておく。
そのまま、フィオンさん達のいる部屋に案内される。
2人はとっくにお風呂から出ていたみたいだ。テーブルの上には赤い液体の入ったグラスがある。あれって……ワイン? こんなお昼から?
それとも、アルコールのないこちらの世界の飲み物かな。
ディーンさんが、わたしに向かってグラスを持ち上げる。先に一杯やってるぞーな合図みたいだな。フィオンさんは手紙を難しい顔で読んでいて、こちらにはまだ気付いていないみたい。
「ふーん、似合ってるじゃないか」
ディーンさんはわたしを見て、笑った。そうですか? と答えて、わたしはワンピースをちょんと摘まんで持ち上げる。
正直、このワンピースを着た姿を鏡で見た瞬間、思ったのは”ピアノの発表会”だ。
人に見せるには、かなりの勇気が必要だった。
「それに、思ったより、ある」
「は?」
あるって何が? と思ってディーンさんの視線の先を辿ると……胸。
胸?
「――って、ディーンさんっ!」
信じらんない、乙女の胸を評価しやがった!!
わたしが真っ赤になって怒鳴ると、ディーンさんは爆笑のごとく大笑いしながら、グラスを持ったまま椅子から立ち上がった。そのまま、グラスの中身をこぼさず器用にすいすいとわたしの手から逃げる。
「いーじゃないか、褒めたんだぞ?」
「そんなの褒め言葉じゃないし!」
「そう言うなって。ああほら、女がそんな大股で歩くもんじゃないぞ?」
「なら、逃げないでください」
「いやー、今逃げなかったらお前、殴る気まんまんだろ?」
「当然です。分かってるなら、さっさと殴られてください!」
「オレ、痛いのは遠慮したいしなあ」
「そんなの知りません。自業自得!」
窓際に追い詰めて、さあ平手をかます! というところで。
「……何をやってるんだ、2人とも」
フィオンさんが、わたし達を見て呆れた様子で呟いていた。
日が暮れる頃になると、エイハブさんがヤーティンを乗せた荷車を引いて戻ってきた。
メイドさんがそう知らせてくれて、ディーンさんとフィオンさんと一緒に玄関から外に出ると、庭には埃まみれのエイハブさんと、荷車を引いた男の人達の姿があった。ヤーティンが重かったのか、ヘトヘトみたいだ。
荷車も近くに置かれていて、ヤーティンが座り込んでいる。わたしは、まずはエイハブさんの近くに駆け寄る。
「おかえりなさい、エイハブさん。ヤーティンは暴れませんでした?」
「ただいま、ハル。ヤーティンはいい子だったよ。君の言葉が効いていたんだと思う。あ、そうだここでヤーティンを動かせる? 風呂に入れてあげたいんだよ。きっとすごく美しい毛並みになること間違いなしだね!」
「……その前に、エイハブさんがお風呂に入ったほうがいいと思います」
「そう?」
僕って臭い? なんて自分の匂いを嗅ぎ始めるエイハブさんに苦笑して、わたしはヤーティンに近付いた。
それまでぴくりとも動かなかったヤーティンが、わたしが傍に立つと、ぐるりと首を巡らせた。ペンダントが近くに来たから、少しだけ動けるようになったのかな。周囲の人がビクッとしてヤーティンを見上げるなり、一気に離れて行った。
ディーンさんとフィオンさんが、離れていく人達を見て苦笑する。
「気持ちは分かるけどな」
「まあね。俺も知らなかったら、ヤーティンを見て平静でいられる自信はないな」
確かに、夜も近付いて薄暗い中で、金色の瞳を光らせるヤーティンの姿は、お世辞にも可愛いとか無害そう、とは言えない。立派にホラー映画の主役を張れるくらいには怖い。
わたしは、ヤーティンの腕に触れた。ごわごわの毛並みが手のひらに感じられた。
「ここまでお疲れ様。いい子にしててくれて、ありがとう」
そう言ってヤーティンを見上げたら、穏やかさを宿した金色の瞳はゆっくりと瞬いてわたしを見つめていた。