5話
剣をじっと見つめながら、フィオンさんは苦々しい表情で言った。
「俺は……立場がある。ここで引き受けたとしても、聖騎兵隊として召集されれば、そちらを優先させなければならない。その時、ハルを守ることができないかもしれない。……それでも、俺を選ぶというのですか」
≪あなたはアルリムの血筋を引く者。期待に十分応えてくれると信じています≫
「フィオンは相変わらず真面目だね。王族権威でそんな召集蹴飛ばしちゃえばいいのに」
エイハブさんがからかうように口を挟むけれど、フィオンさんは真面目な表情を崩さず答えた。
「聖騎兵となったのに、そんな無責任なことは出来ない」
「でも、君の役目は神から与えられたものだろう? おまけに、その内容が大地を――最終的には多くの国を、人々を救うこと。これ以上に優先させることなんてあるかい?」
「それを教会が信じるかどうかは、別問題だけどな」
ディーンさんの突っ込みに、エイハブさんはさして驚きもせずに頷いた。
フィオンさんは、相変わらず暗い表情だ。
「まあね。でも、馬鹿正直に全てを話してやる義務もないし」
「エイハブ、不敬だよ」
「教会は人間の組織だよ、フィオン。不敬なんてものはない。まぁ……当代の教皇はわりかし嫌いな人間じゃないから、話すぶんには反対しないけど。どうせ、 遺跡に入るには教会側の許可もいるんだ。ああ、言っておくけど、僕は何がなんでも協力させてもらうつもりだから。古代魔法王国に触れることが出来る絶好の機会をフイにするバカはしないよ」
「だろうな。で、フィオン、そろそろ決めてくれよ。この場所にはあんま長居したくねーし」
「……分かってる」
フィオンさんは本当に迷っているのだろう。眉間には、しわがくっきりと出来ている。
「あの、フィオンさん」
わたしが話し掛けると、フィオンさんはゆっくりとこちらを向いた。
「無理して引き受けることはないと思います。ええと、神様にお願いして、他の適任者がいないかお願いしますから」
「……ハル?」
「だって、無理やりっていうのは良くないと思うんです。だから神様、お願いです。もう1人の適任者、他に当たれませんか?」
≪不可能ではありませんよ。けれど、お勧めもしません≫
「どうしてですか? フィオンさんは困ってるのに」
≪そうですねぇ。どうです、アルリムの末裔よ。本当にあなたにはこなせない役目ですか?≫
「……」
神様には答えず、フィオンさんはわたしを見た。じっと。
それが数秒間続いたかと思うと、おもむろに剣へと手を伸ばして、掴む。前触れもなく唐突に見えるその行動に驚いていると、フィオンさんは今度は澱みない口調で言った。
「その役目を引き受けましょう。引きうけたからには放棄もしません」
≪ええ、きっとそのほうがいい≫
どうして急に引き受ける気になったんだろう。それに、神様のはどういう意味なんだろう。
尋ねようと口を開き掛けたところで、神様の声が重なった。
≪ハルカさん。あなたとペンダントが、外と内側を繋ぐ唯一の存在。共にあらねば機能しませんので、決してなくさないようにお願いします≫
「は、はい」
≪では、どうか――お気をつけて。新たな魔力の道筋が生まれた時に、会いましょう≫
その言葉を最後に神様の声は消えた。しばらくの間耳を澄ましても、もうあの声は聞こえてこない。もう、この場所を去ったのだろうか。
ディーンさんが、やれやれといった調子で溜め息をついた。
「んじゃ、とりあえずここから出るか。行こうぜ」
「そうだね。まずは、ヤーティンを修理しないと」
「……なあエイハブ。お前、あの状況であの胡散臭い声にヤーティンの修理方法を教わろうという気になったな」
「当然だよ。こんな体験、他では絶対にできないだろ?」
「そうだけど……オレには理解できねぇ」
「だろうね。僕自身も、理解しての行動とは言えないから」
カラカラと笑いつつ肯定するエイハブさんは、本当によく分からない人だ。
フィオンさんはもう悩んでいる表情ではないものの、口を閉ざしたまま。何となく気になって、わたしはフィオンさんに近付いた。
「あの、フィオンさん。本当に良かったんですか?」
「大丈夫だよ、ハル。……迷ったのは、役目が嫌だったわけじゃないから」
「でも、本来のお仕事との兼ね合いとか、」
「それも大丈夫。だから、安心してほしい」
「……」
そういうのを心配しているわけじゃないんだけどな。どう言えば伝わるのだろう。
言葉を探していると、フィオンさんは、ぽん、とわたしの肩に手を置いた。顔を上げると、フィオンさんは笑顔を浮かべていた。
「ありがとう」
それだけを言うと、ディーンさん達を追いかけるように歩き出す。
ありがとう?
……今のは、どういう意味だろう。わたしの言いたいことが伝わったのだろうか。それとも別の意味があった?
何となく腑に落ちない気分のまま、わたしも彼らの後に続くべく、歩き出すことにした。
ヤーティンを先頭に光る模様をくぐり抜けると、真っ先に感じたのは頬を撫でる乾いた風だった。
どうやら外に出たらしい。
目の前に広がっていたのは岩の壁だった。なんというか、谷底にいる気分になる。どうやらわたし達がいた遺跡もその岩壁を削って作られているよう。ええと、地球にもこういう遺跡があったっけ。あと、考古学博士の出る冒険映画でも見たことある気がする。何だったかなー。
そんなことを考えつつ、エイハブさん達の後ろをついていく。外に出た途端、ヤーティンはわたしの隣をぴたりと寄り添って、離れなくなった。
動きも鈍くなっている。歩くスピードが、遺跡の中にいた時よりも遅いみたいだし。
そんなヤーティンの様子を見て、エイハブさんが考えつつ言う。
「動力源の魔力供給が落ちてるせいだね、きっと。遺跡の中ではエレメンケルの力を受けて動いていたみたいだけど、外は魔力が枯渇した状態だから、その繋がりたるペンダントを持つハルの傍で、何とか魔力供給を試みようとしてるかもしれない」
エイハブさんがヤーティンのあちこちを触りながら、やがて大きく溜め息をついた。
「動力も代用品がないし、仕方がないか……。ヤーティンは遺跡に置いて行こう。後で回収に来させるよ。ハル、ヤーティンにそう伝えてくれる?」
「あ、はい。ヤーティン、遺跡で待っててくれる? 後で別の人が迎えに来るから、大人しくしててね?」
わたしの言葉に、ヤーティンはしばらくじっとしていたけど、ゆっくりとした動作で遺跡に向かって戻り始めた。
動力源が途切れかけているせいもあるんだろうけど、ものすごく緩慢な動作で去っていくその背中が、何だか寂しそうに見えたのは……気のせいだろうか。
まるで、飼い主に置いて行かれる犬みたいな。
「……妙に哀愁漂う背中だな」
ディーンさんがぽつりと呟いた言葉に、今度会ったらヤーティンを褒めてあげようかな、なんて思っていたら。
「ヤーティンは主の影響を強く受けるみたいだよ」
エイハブさんがそう言って、わたしを見る。え、わたし?
目をぱちくりとさせると、ディーンさんが「ああ、なるほど」と何故か納得するように頷いた。え、そこは頷くところなの?
「……ヤーティンの主はわたしじゃなくて、神様だと思うんですけど」
「それは駄目だ。あの性格が、あの胡散臭い声の主の影響だなんて思いたくない」
即答するディーンさんに、わたしは呆れた。そういう問題なのかなぁ。
ヤーティンが遺跡の中に入っていくのを見届けてから、わたし達は再び歩き出す。どこに向かっているのだろうと思ったら、馬が3頭繋いである岩陰についた。
その中の黒い馬に、ディーンさんが大股で近付く。
「戻ったぞー、フィルル」
ディーンさんが手を伸ばして黒い馬の首筋を撫でると、馬は鼻づらを寄せて嬉しそうにいなないた。彼の馬なのだろう。
「やっと、埃臭いところから解放されるな。戻ったら風呂入りてぇよ。後、メシだ」
「そうだね。ああ、そうだ。ハルはこれを羽織ったほうがいかもしれないな。その格好で村に戻れば目立ちそうだ」
薄い茶色の馬に近付いて、同じように馬を撫でていたフィオンさんが、馬の背に乗っていた荷物から薄茶色のコートを取り出した。
確かに今のわたしは、どう見ても、中世ヨーロッパ文化に馴染めそうにない現代服だからなぁ。ありがたくコート……マントっていったほうがいいかも。それを借りて、羽織る。着方は迷うことはなかった。羽織って首のところの紐を結ぶだけの作りだったから。
「じゃあ、馬はフィオンのでいいよな?」
身軽に黒い馬の背にまたがったディーンさんが、マントを羽織ったわたしを見下ろしながら言った。
「そうだね。君もそうだけど、エイハブも危険だからね。ハル、村までは俺と一緒の馬に乗っていこう」
「はい」
でも、ディーンさんとエイハブさんが危険……? 何がだろう。
首を傾げていると、フィオンさんが尋ねる。
「馬の経験は?」
「ないです」
「そうか。じゃあ俺の前に座って。まずは、足をそこに引っ掛けて……そのまま、飛ぶように一気に乗って」
「は、はい」
足を掛けて、言われた通りに一気に身体を浮かせると、フィオンさんが身体を支えながら馬の背に座らせてくれた。ぐい、と力が掛かってびっくりするけど、落ちそうな不安感はなかった。
そして、先ほどよりもずいぶんと高い目線に、思わずうわぁ、と声を出した。
「怖いかい?」
「いいえ! 視線が高くって、何だか得した気分です」
「そう、それは良かった。基本的に移動は馬だからね。これからは頻繁に乗ることになるだろうから、そのうち教えてあげるよ」
「いいんですか? ありがとうございます!」
わくわくした気分、というのは久しぶりだ。ほんと、乗馬をやったことがなかったなんて勿体ないことしてたなぁ。
フィオンさんが手綱を持って、馬がゆっくりと歩き出す。
その勢いに身体のバランスが保てず、後頭部がフィオンさんの胸に当たってしまった。
「わ、ごめんなさい」
「大丈夫、そのまま俺にもたれてくれればいいから。変に身体に力を入れると、疲れるだけだよ」
そんなことを笑顔でさらりと言ってしまえるフィオンさんは、本物の紳士かもしれない。
うーん。この人はきっと、女泣かせだろうなぁ。イケメンだし、優しいし。それも計算してっていうより、真面目さからくる優しさっていうのかな。
こんな彼氏いたら、ものすごい幸せだろなぁ。
なんて考えだしたら、途端に身体の密着具合までもが気になり始めて、だんだんと頬が熱くなってくることを自覚する。慌てて頬を冷ますために風景へと視線を向けようとしたら、わたしを見てニヤニヤ笑っているディーンさんに気付いた。
……いろいろ見透かしているような意地の悪い笑みに、ものすごく悔しい気分になる。
こちとら19の乙女なんだ、優しくされたらちょっとぐらいトキメくわ! 悪いか! と心の中だけで反論する。声にしては言えない。
ところで。
ディーンさんとエイハブさんが危険ってどういう意味かは、すぐに分かった。
乗馬の仕方が、彼らは危険なのだ。ディーンさんは自由気ままにスピードを上げたり寄り道したりと、初心者が同乗すると馬酔いするんじゃないかって感じの玄人向けの乗り方だし、エイハブさんに至っては文字通り”危険”な乗り方をしていたからだった。
エイハブさん、馬に乗りながら思考がいろんなところに飛んでいる。そして、興味が引かれそうになるものを見つけると、すぐに身体が乗り出して手綱を変な方向に引っ張ったり、馬から落ちそうになったりする。
見てるほうがはらはらする。本当に、落馬しないのが不思議なくらいに。
「だから、危険なんだよ」
苦笑しつつ言うフィオンさんの言葉に、わたしは大きく頷いた。
これは確かに危険だ。特に乗馬経験のないわたしは、絶対に一緒に乗ってはいけない。
そうして馬に揺られてしばらく。
背の低い草と土だけの景色から、少しずつ背の高い樹木の姿が増え始めた先に、のどかな田園風景が見えてきた。
「着いたよ。あそこが、今俺達が世話になっている村だ」
「あれが……」
フィオンさんの説明に、わたしはその光景から目が離せなくなった。
とうとう、異世界初の人里に到着なんだ……!