2話
「奇跡だ! これこそが古代遺跡の証だ! すごいな、千年以上の月日が過ぎているにも関わらず、こうして今も稼働しているというのだから! ああ、何ということなんだろう。僕は今、奇跡の瞬間に立ち会ったんだ!」
やたらとテンションの高い声が聞こえてきて、わたしは眉間にしわを寄せた。
誰よ、これ。男の人っぽいけど、大きな声で興奮して喋って。おまけにその声はぐわんぐわんとあちこちで反射して、響いている。
うるさい事この上ない。
「うっせーよエイハブ! 反響して耳がいてぇじゃねぇか!」
わたしの気持ちを代弁してくれるように、別の怒鳴り声が響く。
けれどもその怒鳴り声も、あちこちで響いてうるさい事この上ない状況に、拍車をかけてくれただけだ。意味ないな。
くわんくわんと耳が痛い。
「2人とも、静かにしないか。彼女の目が覚めたぞ」
すると、もう1つの別の声が聞こえた。それもわたしのすぐ傍から。
(すぐ傍?)
あれ、そういえばわたし、今どこにいるんだ?
神様と契約して、光が溢れて、それから――それから?
「大丈夫かい?」
声が上から降ってくる。でも、目の前は真っ暗。そこでようやく気付いた。
わたし、目を瞑ってるんだ。
ああ違う、わたし、今まで気を失っていたんだ……!
気付けば次はどうすればいいのかが分かる。わたしは、まだわずかに痛む目を押し開いた。
「……イケメンだ」
瞼を開いて目の前にあったのは、カッコいい男の人の顔だった。
青空のような瞳が、まっすぐにわたしを見つめている。青い瞳はわたしの言葉に不思議そうな顔で瞬きをしてから、ゆっくりと離れていった。
ああ惜しい。もうちょっと鑑賞したかった……じゃ、なくて!
え、人!? さっきの自称神様のお兄さんとは違う、人!?
男の人の顔が離れるのと同時に、わたしはがばりと起き上った。
慌てて周囲を見る。そこは、薄暗い建物の中だった。世界遺産に登録されてもおかしくないよう な、ボロボロの壁には、幾何学模様が描かれている。部屋の中が薄暗いのは、光量となる太陽の光を取り込む窓がとても小さく1つしかないからだろう。
そして、部屋には3人の男の人がいた。
1人はわたしのすぐ横で膝をついている二十歳少し上くらいの青年だ。金髪と青い瞳で、衣装が……これまたファンタジーな感じだ。
もう1人は、壁に書かれた幾何学模様に前に座り込んでいる男の人。茶髪と同じ色の瞳かな。白いコートは白衣を連想させる。三十歳くらいかな。
最後の1人は、黒髪と黒い瞳をしていた。腕を組んで壁に背中を預けている態度からは、「メンドくせぇ」以外は見いだせない。その予想を裏切らないごとく、 表情はものすごく胡散臭いものを見る人のそれだ。
いや、どちらかというと……ピリピリした感じ? そしてその視線は、真っ直ぐにわたしに向けられている。
え、なにゆえ。
わたし何か悪いことしたっけ?
というか、あれだけ分かりやすくガン見されると、却って視線が逸らせないんですけど。
なんかさ、偶然に視線がばっちり合っちゃうと、思わず見つめ合っちゃうみたいな?
意味はないけど逸らせない、みたいな?
「大丈夫かい? 気分が悪いことは?」
黒髪の青年から視線を外せずにいると、金髪の青年が声を掛けてくれた。
なんとなくほっとした気分になって、わたしは視線を金髪の人に向ける。
「いえ、大丈夫です」
「それは良かった。突然、気を失った状態で目の前に現れて驚いたんだ」
「そう、ですか」
ってことは、ここは既に異世界なのかな。
そうだよね、ファンタジー映画の撮影中でもない限り、中世ヨーロッパの人が着るような服なんて普通に着てないよね。
(契約は成立した、って言ってたっけ……じゃあ、お仕事はもう始まってるって、ことだよね?)
じゃあ、ここが壊死が始まっている場所ってことだろうか。
もしそうだとして、何から始めればいいんだろう。
神様は直接手出しができないって言ってた。それはつまり、神様にここに助けに来てーとは言えないということだ。
そもそも、護衛の2人ってどんな人なんだろう。名前とか外見の特徴とか、待ち合わせ場所とか……何にも聞いてない。あれ、どうしよう。まったく何も分からないんじゃないか?
ヤバい、かもしれない。
さあっ、と血の気が引くのを自覚する。
「どうかしたのかい? 顔色が悪い」
わたしの様子がおかしいと思ったのか、金髪の人が気遣わしげに顔を覗き込んでくる。
その表情が、逆にわたしを落ち着かせてくれる気がした。
駄目だ、パニックになるのは早すぎる。わたしはまだ何もしていないのだから。分からないなら、まずは調べなくちゃ。今の状況を。
そして、護衛の人と合流しなくては。
神様と連絡がつけるが一番確実なんだけど……まずは行動を起こさなくては何も始まらない。
わたしは緩く頭を横に振ると、勢いをつけて立ち上がった。
「いえ、大丈夫です。助けていただいてありがとうございました! じゃあわたし、ちょっと用事があるのでこれで失礼します!」
そう言って、3人に向かって大きく頭を下げると、ドアを探すためにぐるりと首を巡らせた。
右を向く。壁しかない。
左を向く。壁と窓しかない。
後ろを向く。壁しかない。
前は……最初から壁と3人の男の人しかいない。
上を向いたら……大きな穴が開いていた。でも階段も梯子もないから登れない。
床は? 普通の石の床が敷かれているだけ。
じゃ、じゃあ窓から出る? って窓は小さすぎて頭も通るかどうか分からない。
「……あの、出口はどこですか」
やや躊躇ってから、金髪の人に尋ねる。
失礼します、と勢い込んで言ったのに出口が分からないって恥ずかしすぎるな……。
けれど、金髪の人は困ったように笑って、無言のままに上を指差すだけ。
上?
そこには、穴のあいた天井しかない。
「俺達、実はあの天井を踏みぬいてこの部屋に落ちたんだ」
「そ、それは大変でしたね……怪我はなかったですか?」
「ああ、それは大丈夫だったんだけどね」
ただ、と続く言葉は、やたらテンションの高い三十歳くらいの男の人の声にかき消された。
「ああ、やっぱり解析は無理だ! 道具も資料も足りなさすぎる!」
「エイハブ、うっせーって言ってるだろーが!」
「そんなつまらないことはどうでもいいんだよ、ディーン! 僕達は今、奇跡を見た……ああそうか、生き証人に尋ねればいいのか! 君だ!」
エイハブと呼ばれた白いコート姿の男の人は、その時になって初めて私に振り向いた。
ぐるりと向いた時の顔は、らんらんと輝いて、これはあれだ……獲物を捕獲する時の肉食動物の目だ! わたし食べられる!?
ぎょっとして思わず一歩後ずさる。
エイハブさんは勢い良く立ち上がると、大股でわたしに近付いてくる。
何だか分からないけど、とっても危険な気がする! 逃げなきゃ! でも目を逸らした瞬間にばくりと食べられそうな気がして、簡単に動けないよ! じりじりと後ろに下がるけれど、すぐに間合いを詰められてしまった。
右手が伸びてきて、がしっと腕を掴まれる。
「わっ、わたしを食べてもおいしくないですよっ!」
「僕には人肉を食べる習慣はないよ」
「じゃ、じゃあ何ですか!」
「決まってる! 君は何者だい? どこから、どうやって来た? あの模様はどうやって起動したんだ? その仕組みは!? ――いてっ」
黒髪の人に後頭部を小突かれて、エイハブさんの突撃が少しだけ緩む。けれど、腕は外されない。
「落ち付け、エイハブ。お嬢ちゃんはビビってる」
「そう? 君、驚いてる?」
「は、はい」
「そうか、それはすまないことしたね。ディーンが言うには、どうやら僕は、夢中になると周りが見えなくなるらしいんだ」
なんで自分のことなのに、他人事のように言うんだろう。
が、謝りつつも好奇心にらんらんと輝く視線は、がっつりわたしから外されない。腕もやっぱり外されない。
「で、君は誰だい?」
「誰って言われても……」
この場合、名前を名乗ればいいんだろうか。
でも聞かれているのはきっと違うことなんだろうな……。口籠るわたしに、エイハブさんはまくしたてた。
「まず君はどこから来たのか教えてくれ! その方法もだ! さらには、どうすれば僕達にもできるのかも教えてくれるとなおいいね!」
「オレはその前に、あの上から覗き込んでる奴はお前の連れかと聞きたいけどな」
気がつくと黒髪の人がわたしの横に立っていた。そして、ちょいちょいと天井を指差した。
上から覗き込んでる奴?
つられるように天井を見上げると。
「……ゴ、ゴリラ?」
全身ふっさふさの薄汚れた灰色の毛むくじゃらのゴリラみたいな生き物が、こちらを見下ろしていた。
いやあのふっさふさの毛は、ゴリラというより、むしろ雪男のほうが合ってるかも……?
そんなゴリラもどきの顔の中心では、煌々と金色の瞳が輝いている。うっすらと開かれた口元からは荒い息遣いと涎が垂れているのが見えた。
こ、怖すぎる。一体何のホラー!?
「ゴリラってのかあれは」
「そう……見えますけど」
「で、あれはあんたの連れか?」
「わたし、ゴリラに知り合いなんていません!」
わたしの即答に、黒髪の人はちょっと呆れたようにわたしを見る。
「そういう意味じゃねーんだけど」
「あれはヤーティンだ。古代ミレニアル王朝随一の屈強なる守護者なんだよ。ただ、魔法生物だから、千年前の大封印の時に完全に機能停止してるはずだけど。それにしてもすごいなぁ、あれだけ原形留めたまま現存するヤーティンは初めてみたよ! おまけに動いてるし! 魔法力がこの遺跡には残ってるのか? あれでも、そうなら遺跡に侵入してもう5日は過ぎてるのに今まで出て来なかったのはおかしいし……」
「待て待てエイハブ、考えるのは後にしろ!」
わたしから手を離して考え込み始めたエイハブさんを、黒髪の人が襟首を掴んで後ろに動いた。
同時に、わたしは後ろから肩を引っ張られる。
「わっ……」
バランスを崩して転びそうになるのを、柔らかく支えられる。
誰だろうと顔を上げたら金髪の人だった。抱き締めるようにわたしを支えていて、思いがけず顔が近くて心臓が思いっきり跳ねる。だってイケメンの腕の中だよ!
でもその人はわたしではなく、別の方向を見ていた。
どうしたんですか、と聞こうと口を開き掛けたところで、メリメリ、と音が聞こえた。
その直後。
ついさっきまでわたしがいた場所に大きな塊が落ちてきて、轟音が部屋に響き渡った。
舞い上がる土煙に咳き込みながら顔を覆う。ぎゅ、っと抱き締められる感覚に、さっきの金髪の人が守ってくれているのだと分かった。
しばらくそうしていて、抱き締める腕の力が緩んだことに、わたしは顔を上げる。
金髪の人の片手はわたしの背中に回されたままだけど、もう片方の手には何か長いもの――先端のとがった銀色の――あれは剣!? 剣だよね!? なんでそんな物騒なものを持っているの!?
剣先は真っ直ぐに前を向いていて、その先には、ホラー映画のように目を光らせながらこちらを見ている、汚いゴリラもどきのヤーティンがいた。身体のサイズも、2本足で立っているところも、本当にゴリラによく似てる。
ハァハァと荒い息をつきながら、ヤーティンはゆっくりと一歩を踏み出した。わたしと金髪の人がいる方向へ。
ヤーティンの身体の向こうから、「フィオン!」と叫ぶ黒髪の人の声と、ガキン、と金属がぶつかる音が聞こえた。ヤーティンの身体は少し衝撃を受けたように揺れたけど、足どりは変わらない。ゆっくりとこちらに近付いてくる。
「ディーン!」
金髪の人が叫ぶ。すると、すぐに「剣が効かねぇ!」と聞こえてくる。
金髪の人は、眉間にしわを寄せてから、わたしを抱えたまま移動し始める。剣は構えたまま。
「……あ、あの、」
「ごめん。後ろに下がってくれるかな。何とか逃げ道くらいは確保するから」
「は、はい。でもあの、出口は、ないんですか?」
「ないよ。強いていえば、あの穴のあいた天井が唯一の出入り口、ってところかな」
天井が!?
わたしはちらっと天井を見た。とてもじゃないけどジャンプしても手は届かない高さだ。
それはつまり、出口はなく、剣が効かない怪物に襲われてるこの状況って……超ピンチ!? 絶体絶命のピンチってこと!?
目が覚めた途端にこんなのってないよー!!