10話
エイハブさんのお兄さんと、ディーンさんのお姉さん一家が乗る馬車が、道の向こうに消えて行く。
楽しいけど疲れるお姉さんだったなあ。
そろそろお屋敷の中に入ろうか、という雰囲気の中で、エイハブさんがぽつりと言った。
「ハル、兄さんに”異世界の人間”なことや、魔法に深く関わってることは知られないよう、気をつけて」
「え?」
前置きもなく突然に言われて、わたしはきょとんとする。
いきなりなんだろ?
「兄さんは王都派だからね。教会とは仲が悪いんだ」
「王都派、ですか……」
「ああ、そうか。ハルは王と教皇の確執を知らないんだっけ。そうだなあ、簡単に言えば、王家と教会は大きな権力を持つ者同士、どっちが上から張り合ってる感じで仲が悪いんだよ。そのせいで、王都派、聖都派――聖都ってのは教会の本山がある街のことで、聖なる都って意味なんだけどね、で分裂してるわけ」
「へえー……」
「この大陸は大昔は、誰でも魔法が使えていた。でも、ある日を境に魔法はまったく失われてしまって、以来、僕が見る限り緩慢にではあるけれど大陸からは豊かさが失われつつある。原因は魔王が大陸を未曾有の脅威に陥れた際に、教会の創設者が大陸の魔力全てを使って封印した、ってあるんだ。大陸中の魔力はそれで失われたって」
「大陸中の魔力を? それって、相当強い魔王だったんですね……」
魔法といって思い浮かぶのは某魔女っこレベルのわたしには、魔王とか大陸中の魔力とかは、もはや想像の範囲外だ。
「ただの伝説だよ。教会がそう主張してるだけのね」
「けど、大陸中には常人では考えられないような威力の破壊痕が幾つも残っているんだ。魔法王国が滅びる時、何かがあったのは確かだよ」
「それが、魔王と結び付けるのは安易だよ、フィオン。……まあ、今でも聖都の周囲だけが緑豊かな土地であることを考えれば、何か理由があるのだとは思うけど」
「聖都の周囲だけ? 何でですか?」
「理由は不明だけど、教会の力だと言われているね。特に、聖都の中心にある泉には特別な力があって、奇跡を起こす聖水とも言われているし」
「うわぁ、うそっぽーい……」
「いや、あの水には確かに力があるんだよ。重篤な病気を軽くしたり、怪我を早く治したり。僕は自分で見たから確かだ」
「そうなんですか……」
現実にそういう水があるなんて、すごいな。異世界だから、やっぱ違うのかなあ。
「だから、王都よりも聖都のほうが豊かなんだ。人も集まるし、教会を信仰する者も多いから発言力も高い。政治にも口を出しているんだ。教会を敵に回すということは、つまり信徒である多くの民をも敵に回すということだから、王家も強くは反発できない。神のお言葉である、と言われるともう手が出せないからね」
「そ、それは怖いですね。国民が王様の敵になっちゃうとか、もう国って言えなくなっちゃいそう」
「そうだよ。だから、王家は教会のことを苦々しく思ってる。でも、教会の影響は大きいから跳ねのけられない」
複雑だなあ……。教会が政治に関わるとか、よく分からない構図だけど。
つまり、日本に置き換えると仏教が国会にしゃしゃり出てるってことだろうし。うーん、国会字義堂に袈裟を着たお坊さん、ってミスマッチすぎる。
「兄さんは王都派の中でも、かなり中心に位置する人だ。表向きは熱い信仰者として振る舞っているけど、実際は教会を嫌ってる」
「でも、それがどうして知られちゃいけないってことになるんですか? わたしが動けば、そのぶん大陸が助かるんだから、いいことじゃないですか。教会の魔王云々の話も、怪しくなるし」
「だから、だよ」
「だから……ですか?」
よく分からない。
そんなわたしに、エイハブさんは「いいかい」と覚えの悪い生徒に言い聞かせる教師よろしく、両手を組んだ。
「教会への対抗馬として体よく祭り上げられて、君は一切の自由はなくなるだろうね。そして、命の保証もできなくなる。少しでも利用価値がなくなったと判断されれば殺されて終わり。もしくは、教会側から暗殺者が送り込まれるか、だ」
「え……えええっ!?」
ちょ、ちょ、何その展開!
なんで大陸を助けるわたしを、殺すとか利用とか、そうなるわけ!?
「エイハブ、教会はそんなことはしない!」
フィオンさんが声を荒げた。険しい顔でエイハブさんを見る。
その横では、ディーンさんが複雑そうな顔をしている。ああそっか、ディーンさんにとってもアドルフさんは赤の他人ってわけじゃないんだ。その人が悪く言われれば、いい気分にはならない。
けど、アドルフさんの弟であるエイハブさんは、小さく肩を竦めただけだった。
自分のお兄さんなのに、信用していないのかな……。
「どうかな。可能性はあると思うよ。特に、シェリンガム枢機卿とかね」
「……それは、けれど!」
シェリンガム、と聞いた途端に、フィオンさんの勢いが鈍る。
ど、どんな人なんだろう。教会の人なのに暗殺者を送るかも、なんてありえるの? 怖すぎるよ!
「まあ何はともあれ、ハルが正体をきちんと隠せばいいことだよ。そうすれば、すべては杞憂に終わるから」
「エイハブさん、さりげなくすごいプレッシャー掛けないでください……」
「プレッシャーが何かは分からないけど、それくらいは覚えておくべきだってこと。いいね?」
「はい……」
「けど、どうするんだ。エイハブ、おまえハルをこの屋敷に連れてきた時、生き証人だなんだと言い回ってただろーが。ヤーティンの存在はすぐに知れ渡るだろうし、そうすると同じ遺跡で見付けられたハルのことだって、無関係じゃないと思うヤツも出て来るぞ」
「あ、そういえばそうだっけ」
ディーンさんの言葉に、エイハブさんが、ぽん、と手を打つ。
「あの時は舞いあがってて、その可能性はまるで思い浮かばなかったよ。でも確かに、このままじゃマズいかな……遺跡巡りの旅にも一緒に行かなくちゃいけないし、注目を浴びることは避けられないしね」
「ヤーティンからも離せないよな。何かの拍子に暴れられても困るしな」
「うーん」
目立たないように、でもヤーティンの傍を離れないようにする、かぁ。
つまり、わたしがエイハブさんの屋敷に招かれた人だと知られなければいい、ってことだよね?
「変装でもしましょうか?」
思いつきを言ってみたら、エイハブさんが「それだ!」とぽん、と両手を打ち合わせた。
「変装! それいいね」
「侍女にでもするのか? お前、旅に女は連れて歩かないだろ」
「旅に女はいらないよ。体力がないし、扱いが面倒だからね。第一、楽しみたいなら連れ歩かなくても、街の女で十分事足りる」
ちょ、それって明らかな女性差別な発言じゃないか!?
カチンときて、眉根を寄せたわたしをちらりと見たフィオンさんが、ちょっと心配そうな顔になる。
「……エイハブ、それは女性がいる前での発言じゃないよ」
「ああ、そうだっけ。いやそうじゃなくてさ! 別にハルが女である必要はないと思わないかい?」
今度はわたしの性別まで否定する気か!
「それは、わたしに男になれってことでしょうか」
ムスッとして尋ねると、エイハブさんは「その通り!」と満面の笑顔になった。
嫌味は嫌味として受け取られなかったみたいだ。なんか悔しい。
「どういう意味だ?」
「屋敷に招いたのは女の子、でも旅に同行するのは男の子ってことさ。幸い、ハルはまだ子供だし、異国風の顔立ちだから誤魔化すのは問題ないと思う」
「……子供?」
女性差別の次は、子供ですと?
あ、とディーンさんが顔色を変えたのが視界の隅っこに入る。
そういえばディーンさん以外に、わたしの年齢を知っている人はいなかったんだっけか。そうか、やっぱり子供にしか見えないのかわたしの顔……。
がっくりしたわたしに同情したのか。ディーンさんが、言いにくそうに「なあエイハブ」と切り出そうとした。
「あー、それなんだがな、実は……」
「君は僕の助手、ってことで旅に同行すればいい。それなら、ヤーティンの傍にいても不自然じゃないしね」
「それはいいけど、エイハブ。ハルはな、」
「旅の服はこちらで用意するよ。ああ、これで問題なく出立できそうでスッキリしたよ。さ、家に入ろうか」
うん、まるで人の話聞いてないね。
「ディーン、どうかした?」
「いや、もういい……」
ディーンさんがとうとう説明を放棄した。
いいけどね、別に。18歳も14.5歳も少ししか変わらないのだし。いいじゃないか、若く見られたってことで。お肌ぴっちぴち、って思われてるんだきっと。
……ものすごい悔しいけどね!
眉間にしわを寄せたまま無言で食事を始めたわたしに、フィオンさんが不思議そうな目を向けてから、ディーンさんに「どうかしたのかい?」と尋ねているのが聞こえた。
ディーンさんは、「……さあね」と答えて苦笑いをしただけに留めていた。
でも、こんまま子供だと思われ続けるのもやっぱり腹立たしい。
なので、うきうきの足どりで屋敷に向かうエイハブさんの背中に向かって、声を張り上げた。
「わたし、今18歳です。ちなみに来月で19歳になりますがよろしくお願いします」
わたしの言葉に、フィオンさんは目をまん丸にして、何故だかディーンさんに振り向いていた。多分「本当に?」って確認したのだろう。
ディーンさんが大きく頷くと、フィオンさんはわたしに向き直って、
「そ、そうだったんだね……」
と言ったきり言葉が続けられないように、口を閉じてしまった。
そんなに信じられないことか。そんっなに子供にしか見えないのかなあ!
一方エイハブさんは、振り向くと、きょとんと目を瞬かせて、
「あはは、面白い冗談だね」
と、一笑に付して終わった。本当に冗談だと思っているようで、それ以降はまったくその話題に触れもしない。
何だろう、さっきよりもさらに大きいこの屈辱感! 言わなきゃ良かったー!
完全なる敗北感と共に夕食をすませてから、わたしは部屋に戻った。
そのまま、着替えもせずにベッドに飛び込む。はあ、なんか疲れたなー。
明日は旅の準備をして、出発は明後日ということになる。
ディーンさん、フィオンさん、エイハブさんの3人は荷物をまとめるだけなんだけど、わたしが持っている自前の荷物は、面接の時に着ていた服一式だけ。当然、荷物の準備は一から必要になる。
自前の服は持っていく事にする。荷物になるけど、わたしの出自を証明する唯一の物だし、何よりわたしが持っていたい。
……こういう場合、何も分からずこっちの世界に来たわけじゃなくて良かったと、心底思う。
どうしてここにいるのか理由が分からず、いつ帰れるかも分からず、などという状態で、まったく知らない世界にいなければならないのは、相当な不安と心細さを強いられるだろうから。
だって、神様からの依頼で仕事としてここにいるわたしでさえ、不安と心細さはある。それでも笑って頑張れるのは、仕事さえこなせば、元の世界に帰れると知っているからだ。
「……うん、頑張ろう」
この仕事をこなせば、一億円と何でも願い事が叶えてもらえるんだから。
願い事、何がいいかな。今のうちに考えておこうかなあ……。
気分が少しだけ上昇したので、ごろりと寝がえりを打った。すると、先ほどまで月で明るかった外が少し翳った気がして、窓を見る。
……。
そして、ごろりと寝がえりをうちなおした。
なんか今、見てはいけないものを見てしまったような。
おそるおそると、もう一回、窓へと目を向ける。
窓に、ヤーティンが張り付いていた。
うん待って、これ見間違い? 幻覚? 夢?
思わず額を指で揉む。よっぽど疲れてるのかなわたし。ヤーティンは魔力切れで動けないというのに、窓に張り付いているように見えるなんて。
うん、疲れてるんだ。
一生懸命自分に言い聞かせるわたしの耳に、コツンコツン、ガラスを叩く音が聞こえた。
誰がガラスを叩いてる? ってどう考えても窓にいる……。
いやいやいや、それはナイ。ナイない。これは幻聴だ、幻聴。
また、コツンコツン、と音がした。さっきよりいささか強い音だ。
ああもう、こういう場合どうすればいいんだ?
「あらいらっしゃい、ヤーティン!」と迎えるべきか。
「きゃーヘンターイ!」とお年頃の乙女らしく悲鳴をあげるべきか。
「おのれ不審者!」とカッコ良く迎え撃つか。……いやいや、返り討ちにされて終わりじゃん? というか、迎え撃ってどうするんだ。
そのうち、ヤーティンはゆるく首を傾げた。
わたしがすぐに窓を開けないことに、しびれを切らしたのか。腕を振り上げると――
ガッシャーーン!!
窓をたたき割る盛大な音が、部屋いっぱいに響いた。
ぱらぱらと散らばるガラスをこともなげに踏みながら、わたしの前にゆっくりと近付いてくるヤーティンに、わたしはゆるーく笑った。月明かりを背に受けて、白い体毛は銀色に縁どられて目を奪われるほにすごく綺麗だ。
綺麗、なんだけどねぇ……足の裏、痛くないのかな。それから、ガラスの破片がわたしのところまで飛び散っていないのは、ヤーティンの配慮だろうか。
ドタドタ、と廊下を走る足音がこちらに近付いてくるのが聞こえて、わたしは大きく息を吐いた。
今の音、部屋だけじゃなくて屋敷いっぱいに響いただろうなあ……。
ヤーティンは緩く首を傾げるだけ。
うん、分かってないんだよね。わたしに会いに来てくれただけなんだよね。わたしがすぐに窓を開けなかったから、心配して強引に入ってきてくれたんだよね。
しっかし、このガラスの破片はどうしよう。
弁償しろって言われたら、派手に泣こうかなあ……。