9話
黒髪の女の人は、じっとディーンさんを見つめて……いや、睨んでいるようだった。
ディーンさんはといえば、何だか疲れたような溜め息をつく。
「ったく、せっかく会わないようにしたってのに。何でわざわざそっちから来るんだ、姉さん」
ああ、お姉さんなんだ。
確かに、髪と目の色が同じだし、よくよく見れば顔立ちも似ているような気がする。
「あら、弟に会いに来るのは、悪いことなのかしら」
「オレは勘当されてるだろ。これが知れたら、あのクソ親父がうるさいんじゃないのか?」
「お父様なんて放っておけばいいのよ。わたくしはもう、マッコルガン夫人だもの。指図されるいわれはないわ」
ずいぶんと強気な人みたいだなぁ。
ツンと澄ました顔でそう言ってから、ディーンさんのお姉さんはわたしに目を向けた。
「にしても、ディーン。あなた、ずいぶんと趣味が変わったのね。こんな小さな女の子に手を出すなんて、犯罪じゃない?」
「……こら待て、勝手に人を犯罪者にするなよ」
それ以前に、わたしは小さい女の子じゃないんですけど。
いやいや、もっとその前にディーンさんの恋人でもない。
「あの、わたしは、」
「こいつは、エイハブの拾いものだ。身寄りがないから、ここで預かってるんだとさ」
わたしの言葉をさえぎるように、ディーンさんが口早に言う。
ちらりとディーンさんを見ると、同じくちらりと向こうも視線を投げてきた。これってあれか。話を合わせろって合図?
そういえば、彼女はエイハブさんのお兄さんの奥さんだっけ。……ヤブヘビはつつきたくないから、大人しくしてたほうが良さそうかな。
「あら、それじゃあエイハブ様の……? あの方、今年で30よね? ディーンよりもっと犯罪じゃない」
え、今度はエイハブさんの恋人と勘違いされてる?
「違う。……一応言っておくがフィオンでもないぞ」
「え、フィオンも違うの?」
エイハブさんじゃないって答えたら「じゃあフィオンね!」と言うつもりだったんだ……。
さすが弟、姉の思考回路を先読みしたらしい。
「フィオンだったらすごく面白そうだけど……ねえ、本当に違うの?」
「違います」
「残念だわ」
わたしの否定に、お姉さんは心底残念そうに呟いた。
女の人は割合このテの話が好きなのは分かるけど、しかし初対面の相手に対して”面白そう”とか、どうなんだろう。が、お姉さんはそれで終わらなかった。
不意に、ぽん、と妙案を思いついたように表情を明るくすると、
「あ、分かったわ! 実は今口説いてる真っ最中ってことね!?」
「はあ?」
「はい?」
見事な爆弾宣言をしてくれる。
なんでそう、話を恋愛に持っていきたがるんですかお姉さん。
「姉さん、その話題から離れて考えてくれ」
「つまんないわね、24にもなって独り身の弟を心配してあげたんじゃないの」
「……」
いやそれ、余計なお世話っていう気がする。
ディーンさんは眉間にしわを寄せて額を抑えた。ああ、何か気持ちが分かるな……。
お姉さんはむくれたように腰に手を当てた。30歳は超えているだろうけど、何でか妙にその仕草が似合っている。美人だからだろうか。
というかそうか、ディーンさんって24なんだ。で、エイハブさんは30歳、と。
おおよそ見た目通りの外見なんだなー。いいことだ。中学生に間違われるよりずっとね。
フィオンさんは何歳なんだろう。見た目はディーンさんと同じ年くらいに見える。どうせなら、わたしよりうんと年上か年下だったら面白いけど、多分予想通りなんだろうなぁ。
ひがんでなんていない。東洋人が見た目より若く見られるのは、もうこの世の法則みたいなものなんだろうし。うん、ひがんでなんかいないぞ。ぶちぶち。
「そういや、エイハブとアドルフの話は終わったのか?」
もう付き合ってはいられない、とばかりに、ディーンさんが話題を変える。
お姉さんは、ちょっと不服そうな顔になったけど、まぜっかえすのはやめたらしく、「いいえ」と首を横に振った。
「わたくしとエドは、部屋を追い出されたのよ。難しいお話かしらね」
「エドも? 来てるのか?」
「ええ、ここに」
そう言って、お姉さんは身体を少しずらした。
なんとそこには、4、5歳くらいの男の子が立っていた。まるで気付かなかったよ!
お姉さんが身体をずらすことによって、わたし達に姿を見せた男の子は、びくっとしてからお姉さんの背中に隠れてしまった。姿がまた見えなくなる。
「わたくしの息子でね、とても恥ずかしがり屋なの。名前はエドワードよ」
そう言いつつも、彼女のエドワードくんを見る目は、とても優しいお母さんのそれ。
気は強いけど、本当は優しい人なのかもしれない。
「そして、わたくしはレイア。あなたは? お嬢さん」
「あ、わたしはハルカっていいます」
「ハルカ? ふふ、可愛らしい名前ね。ねえ、ディーンはあなたをいじめてない? この子、好きな子をいじめることで愛情表現を示すような、捻くれた子なのよ」
「はぁ……」
「姉さん、さりげなく話をそっちに持っていこうとするな」
「本当に可愛くないわね。昔は、いっつもわたくしの後ろをついて回って、お姉さま~って甘えてたじゃ」
「分かった、分かったからそれ以上は言わなくていい」
「6歳の時なんて、わたくしにプロポーズを」
「頼むオレが悪かった許してくれ」
「もう、思い出話をするだけなのに」
「違うだろ。ただの弟いじめだろ」
はあ、と溜め息をつくレイアさんの姿は、完全にディーンさんを「仕方がない子ねぇ」と言っている。
お姉さんに頭が上がらないって、なるほど。確かにこれは頭が上がらないだろうなあ。
同情するよ、ディーンさん。頑張れ。
わたしの視線に気付いたディーンさんは、ものすごく嫌そうな顔になって言った。
「その生ぬるい笑みはやめろ」
え、やだなぁ。微笑ましいなぁだんて思ってませんよ。フフフフ。
がっくりと肩を落とすディーンさんを、わたしとレイアさんはとうとう噴き出した。レイアさんの後ろからちょこんと顔を出したエドワードくんが、不思議そうな顔でわたし達を見てる。
うん、いつか君もこうして弄られるのかもしれないね。頑張れ。
心の中でエールを送っておいた。
このお姉さん、弟にこうなら息子にも容赦なさそうだ。
「楽しそうだなレイア。兄弟の再会は無事になされたようで何よりだ」
渋い声と共に研究室に入って来たのは、エイハブさんによく似た顔立ちの男の人だった。
年齢はもう40近いんじゃないかな。顔立ちはエイハブさんに似ているけど、雰囲気は全然違う。おっとりとした感じのエイハブさんの真逆に位置しているような、鋭い空気を持つ人だった。
その後ろには、エイハブさんがいた。
「あら、アドルフ様。エイハブ様も。お話はもう終わったのですか?」
レイアさんは穏やかな表情で尋ねる。
エイハブさんのお兄さん、アドルフさんは一つ頷くと、視線を下げた。その先には、エドワードくんがいる。
エドワードくんはお父さんの目が向けられたのが分かると、ぱっと飛び出して、抱きついた。息子を受け止めると、彼はそのまま軽々と抱きあげる。
「とうさま!」
「エドワード、また母様の後ろに隠れていたのか。いつまでもそれでは、立派な大人になれないぞ」
「……ごめんなさい。とうさま」
「次は、しっかり前に出れるようになりなさい」
「はあい」
息子を窘めつつも、その眼差しは優しかった。いいお父さんなんだ、ってエドワードくんの表情からすぐ知れた。
ディーンさんから、国のためなら何でもする、なんて聞いてたからもっと怖い人かと思ってたけど、そうでもないみたい?
父子の姿を見てから、エイハブさんがレイアさんに答える。
「義姉さん、今日はここに泊まらず次の街まで進むとか。残念ですね」
「少し急ぎの用事があって……ゆっくりできませんの。エイハブ様は、次に王都へ戻られるのはいつですか?」
「さあ……まだ研究が終わっていないので。近いうちに一度、戻る予定ではありますが」
「その時は、またエドに冒険のお話でもしてやってくださいませ」
「分かりました。エド、次に会う時は、楽しい話を用意してあげるよ」
「はい、おじさま」
エドワードくんの元気いい返事を聞いてから、不意に、アドルフさんがわたしに向いた。
いや、わたしじゃない――わたしの後ろに向いた。ヤーティンを見ている?
なんだか、わたしのことなんて眼中になしって感じ? つ、とディーンさんに腕を引っ張られて、わたしは少し後ろに下がる。
「これが、お前の言っていたヤーティンか。すごいな、原型そのままのヤーティンは初めてみる」
「そうです、兄さん。美しいでしょう?」
「ああ。まるで生きているようだ」
「生きているんですよ。このヤーティンはまだ動けます。……動力源さえあれば、ですけど」
「ほう? 動力源か。それは何だ?」
「魔力です」
エイハブさんの答えに、アドルフさんは複雑な表情になった。
「魔力か……それは、この大陸から失われた力だ。他に動力となりそうなものはないのか?」
「ありません。ヤーティンは神の創造物です。仕組みこそは解明できても、手を加えることは不可能です。よって、このヤーティンの行く末は観賞用です。主に僕のね」
「この美しさなら、貴族達もこぞって欲しがるのでは?」
「そんなこと、許しませんよ。力づくで奪おうとするなら、教会の権威を借ります。もしくは、王の権威を。ちょうど良い人材が味方にいますから」
「フィオン・デ・カディネットか」
フィオンさんの名を呟いたアドルフさんは、ちょっと苦々しい顔だった。
けれどエイハブさん、それってフィオンさんの権力を利用する気満々ってことですよね。しかもまったく隠していない。一歩間違えれば悪者の台詞だ。
「エイハブ、あまり彼に近付くな。貴族達の反感を買いたくなければな」
「注意しましょう」
軽い調子で返すエイハブさんに、アドルフさんはなおも口を開き掛けたが、途中でやめた。
かわりに、諦めに近い息を吐く。
「ほどほどにしておけ。我々はもう行くとしよう」
「あら、もう行くのですか? わたくし、まだフィオンに挨拶がすんでいませんわ」
「これ以上ゆっくりしていると、夜までに次の街に入れなくなるぞ」
「……分かりましたわ。次の機会にいたします」
「ハル、フィオンを呼んできてくれる? 出立の時に少しくらい言葉を交わすことが出来ると思うし」
「あ、はい」
エイハブさんの言葉に、わたしは慌てて研究室を出た。
廊下を走って、フィオンさんの部屋の前に立つ。さっきのやり取りを思い出して、ちょっとだけノックする手が迷ったけれど。まだ元気なかったりするかな。
気を取り直してドアを叩くと、すぐに応えがあった。
顔を出したフィオンさんは、わたしから見ると普通の表情に見えた。
「ハル、どうかしたかい?」
「エイハブさんのお兄さん達、もう出発するそうです。お見送り、どうですか?」
「いや……ディーンが会わないと言っている方に、俺は会うわけには」
「あ、それなら大丈夫です。レイアさん、自分からディーンさんに会いに来てましたから。お見送りも、一緒にすると思います」
「そうなのかい? ふふ、レイア様らしいな。分かった、行くよ。皆はもう外に?」
「はい」
急いだ足どりで玄関に出ると、レイアさん達は馬車の前にいるのが見えた。
こちらの姿に気付くと、嬉しそうに手を振ってくれる。良かった、ギリギリセーフだ。
「フィオン、元気そうで良かったわ」
「レイア様も、お変わりなさそうですね。お声を掛けていただき、嬉しく思います」
「相変わらず堅苦しいわね。まあ、それがあなたということかしら。お互いに立場が違うから会う事はそうそうないけれど、身体には気をつけて。何か困ったことがあれば、わたくしを頼ってね? これでも、あなたの姉のつもりなのだから」
「……ありがとうございます。レイア様も、どうかお気をつけて」
フィオンさんの答えは、レイア様の望むものではなかったのだろう。少し寂しそうな笑みを浮かべてから、次にわたしに向く。
その時にはもう、茶目っけたっぷりの表情だ。
「ハルカ、次に会う時は2人のどちらにするか決めておいてね? どちらもわたくしにとっては大切な弟でね、人柄は保証するわ!」
「はい! ……はい?」
え、次に会う時まで元気でね、じゃなくて?
どちらにするか決める? どちらも大切な弟とか、人柄とか、どういう意味だ?
「妹ができる日を楽しみにしているわ!」
――はああ!?
言いたいことを言って満足したのか、レイアさんはアドルフさんの手を借りて、さっそうと馬車に乗り込んでしまった。
アドルフさんはフィオンさんに向くと、胸に手を当てて小さく頭を下げた。
「フィオン殿下、どうかご健勝で」
「マッコルガン卿も」
フィオンさんも胸に手を当てて小さく頭を下げる。
そのまま馬車に乗り込むと、御者さんは馬を走らせ始めた。あっという間に小さくなっていく馬車を見届けてから、ディーンさんが大きく息を吐いた。
「最後までしつこい人だったな」
ですね。まさか最後の最後で、恋愛のネタを引っ張るとは思わなかった。
「……楽しいお姉さんじゃないですか?」
「欲しければやるぞ」
「慎んでご遠慮します」
ごめんなさい、他人の身内だから楽しめるんです。
わたしとディーンさんのそんなやり取りを、フィオンさんは不思議そうな顔で見ていた。
これはフィオンさんに話すべきか話さないべきか。難しい問題だ。