序章
ひどく憂鬱な気分で、彼はその場所を訪れる者を待っていた。
世界は乳白色に包まれていて、彼が腰掛けるイスも、カップを置くテーブルも、彼自身すらも、同じ色に染まっていた。それは、今まさに抱く彼の心情とはまるで正反対の色彩で、それがまた、憂鬱な気分に拍車をかけているかのようだった。
「時が、きてしまいましたよ」
ぽつり、と彼は呟いた。
その呟きは誰の耳に届くこともなく、乳白色の色彩の中に砕け散った。
「千年。それは、わたしにとっても決して短い時間ではありませんでした。ならば、あなたにはもっと長く感じられたことでしょう。その長き時間を、あなたは幸福に過ごすことはできましたか? 少しでも安らげる時間として過ぎていきましたか? 後悔に嘆き悲しんではいませんでしたか?」
彼はそこまで一気に言うと、ふう、と小さく息を吐いた。
「届かぬ言葉を紡ぐのは、虚しいものですね。けれど――約束の時は、きてしまいました。私は貴女の願いを叶えなければならない」
ゆらり、と乳白色の世界が揺らいだ。
それは合図だった。
彼がずっと待ち続けた、来客が訪れた合図。
こつん、とパンプスが床を蹴る音が彼の耳に届く。
続いて、
「……あれ?」
戸惑いを含む気の抜けた声が、世界に響き渡る。
彼女はまだこちらに気付く様子はない。乳白色に染め上げられたこの異空間を、まだ理解していないのだろう。その動揺が、同じ色に染まっている彼を景色と同化させて見えなくさせている。
彼は小さく、息を吐いた。
そして、立ち上がる。
ガタン、とイスが動く音に、彼女はびくりと肩を震わせてこちらを見た。そして、ようやく彼の存在に気付いたらしい。
目をまん丸にした。
その表情は、かつての友人を思い出させた。
それがまた、彼の気分を憂鬱にさせた。
けれども彼は、彼女に笑みを向けた。口角を緩やかに持ち上げ、できうるかぎりに彼女を歓迎しているように見せるために。
「ようこそ、いらっしゃいました。あなたをお待ちしていましたよ」
そして、両腕を広げる。彼女を迎え入れる為に。
”彼女”の願いを叶えるために。
彼は内心だけで呟く。
お待ちしていましたよ。宵闇を打ち破る光を抱く者。
――暁の訪問者よ。