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入れ替えの村

作者: をはち
掲載日:2026/07/15

帰るな。思い出すな。振り返るな。



その年の春、関東高校サッカー大会で優勝した霧ヶ丘高校サッカー部は、一夜にしてサッカー界の寵児となった。


特に、大地翔と柘植隼斗の名は全国に轟いた。しかし、隼斗だけは異様にその栄光を拒んだ。


インタビューを避け、写真を嫌い、表彰式の舞台ですら顔を伏せていた。事情を尋ねる翔に、彼は静かに語った。


「俺は、有名になってはいけない人間なんだ」


隼斗の故郷は、岐阜の山奥にひっそりと残る集落だった。


かつて村の中心部は巨大ダムに沈み、残された者たちは古い因習を守りながら細々と生きているという。


彼は「顔と名を売らない」ことを絶対条件に、村を出てサッカーを学んだのだと言った。


村には禁忌がある。禁忌に触れた者は「静養舎」と呼ばれる施設に送られ、再教育を受ける。


そこで元の人間は消え、別の「人間」が代わりに戻ってくる。村人たちは何事もなかったかのようにその「新しい」者を迎え入れ、生活を続ける。


「だから俺は、もう二度とこの場所には戻れない。」


そう言い残し、隼斗は一人で故郷へ帰ろうとした。だが翔はそれを許さなかった。


「馬鹿な話だ。お前は村の英雄だろ。一緒に行くよ」


隼斗は頑なに拒んだが、親友の熱意にわずかに揺れた。もしかしたら――


そんな淡い期待を抱き、二人は山深い集落へと向かった。


夕暮れの集落は、霧に包まれ、まるで水底から這い上がってきたように湿っていた。


隼斗の実家は、古びた木造の平屋だった。彼は震える手で引き戸を開け、掠れた声で言った。


「ただいま」


玄関に現れたのは、彼の両親だった。母は涙を浮かべ、父は穏やかな笑みを浮かべて隼斗を抱きしめた。


隼斗はバッグを落とした。腕の中で、無表情のまま、ゆっくりと翔の方を向いた。


「…送ってくれてありがとう。お前はもう、帰れ」


「どうしたんだ、隼斗?」


隼斗は笑った。


だがその笑みは、まるで別の誰かが無理やり浮かべたような、不自然な形だった。


「親父、母さん。翔を村はずれまで送ってくるよ。」


「ああ、それがいい。」


両親は揃って頷いた。隼斗は翔を連れ、集落の外れまで歩いた。


途中、何度も「今までありがとう」と繰り返した。別れの言葉のように――


翔は笑いながら言った。


「なんだよ、優しそうな両親じゃないか。お前の思い違いだろ」


その瞬間、隼斗の顔から一切の表情が消えた。


「お前、ここから走れ」


「…は?」


「バスは二時間に一本だ。追いつかれる。ひたすら走って、県境まで行け」


翔が呆然としていると、隼斗は低い、押し殺した声で続けた。


「あの二人は、俺の親じゃない。見たこともない人間だ」


霧が濃くなり、集落の灯りが遠くでぼんやりと揺れた。


「いいか、全部忘れろ。俺のことも、村のことも、何もかも忘れて、二度と思い出せないようにしてくれ」


隼斗はそう言い、踵を返した。背中が闇に溶けていく。それが、柘植隼斗との最後の別れだった。


大地翔は必死に走った。背後から、誰かの足音が近づいてくる気がして、何度も振り返った。


振り返るたび、集落の灯りは一つずつ消え、まるで村そのものが水底に沈んでいくように見えた。


彼は県境のバス停に辿り着き、息を切らして座り込んだ。だが、その夜から不思議なことが起こり始めた。


新聞やネットの記事から、柘植隼斗の名前が徐々に消えていった。大会の記録写真では、隼斗の顔がぼやけ、名前が読み取れなくなっていた。


チームメイトたちも「そんな奴、いたっけ?」と首を傾げるようになった。


そして時折、深夜の電話に、知らない番号から声がかかる。


『…ひさしぶり』


それは、確かに隼斗の声だった。しかし、どこか違う。静養舎で磨かれたような、滑らかで、感情の欠落した声。


翔は今も走り続けている。忘れようとすればするほど、記憶は鮮明になり、背後に足音を感じる。


村はまだ、彼を待っているのかもしれない。新しい「大地翔」として、迎え入れるために。




読んで頂き有り難う御座います。

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